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2014年7月13日 (日)

第151回直木賞(平成26年/2014年上半期)は果たしてどこまで行くのか

 直木賞はよく「内弁慶」だと言われます。「井の中の蛙」とたとえる人もいます。「ウサギ小屋」だとか、「公園の砂場」だとか、口さがない人たちは、そうやって直木賞が狭い領域しか相手にしない限定的な賞であることを揶揄してきました。正直どれも、だいたい当たっていると思います。

 「世界は広い。しかし直木賞は狭い」という名言を残したのは、ええと、誰でしたっけ。司馬遼太郎さんか城山三郎さんあたりだった記憶が、おぼろげながらありますが、いまパッと思い出せません。適宜ググってみてください。誰でも一度は耳にしたことがある有名な言葉だと思いますので、くわしくは割愛します。

 ……ここであえて補足しますと、上に書いたことは冗談です。すみません。

 さていよいよ、最新の直木賞が近づいてきました。これは冗談ではありません(直木賞の存在自体が冗談みたいなもの、という説もある)。第151回(平成26年/2014年上半期)の選考会は、7月17日(木)です。今回の直木賞は(も)、いちばん注目されているのは、果たして直木賞は広くなったのか、いや通常どおり窮屈な世界のなかで決まるのか……、といったところのようで、よその直木賞予想を見ていても、まず作品の「距離」を計測するところから始める方が多いようです。

 ですよね。うちのブログの特徴は、いつも、王道とは縁遠い直木賞バナシばかり展開するところにあるんですが、今回は世間並みに歩調を合わせ、手垢のついたやり方で、候補作品を紹介したいと思います。

 こんな感じです(まずは、とりあえずの暫定の移動距離です)。

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 見るも明らか、読むも明らか。新潟←→東京の長距離間を(クドいくらいに)せっせと往復するお話としておなじみ、『ミッドナイト・バス』が、ぶっちぎりでトップ! うん、順当な結果でしょう。

 そもそもが、ひんぱんな(そして長距離の)往復運動に、読み手がどこまで耐えられるか。と、こちら側を試しているなかなか挑戦的な候補作だと思います。ちなみに、山周賞の選考委員たちは、みんな途中で酔って気持ちわるくなったとか何とか。あくまでウワサですが。

 安定感、といって今回注目のマトになっている2作品。『破門』は大阪中心、『男ともだち』は京都中心を根城として、安定感を醸し出しています。

 しかし、それだけじゃないのが両作の特徴で、『破門』は、二宮くんに車を遠距離運転させる無茶な桑原、のお得意のエピソードを惜しげもなくそそぎ込み、京都、奈良、兵庫、あるいは今治と動きまわって距離を稼ぎました。いっぽう『男ともだち』のほうは、九州出身で福岡に実家があるけどいまは富山に勤務、っちゅう〈男ともだち〉を設定して、こちらも、京都市内にとどまることなく、読み手を旅行に連れ出す工夫が盛り込まれているわけです。

 『私に似た人』と『満願』は、「地方都市」だったり、「国道60号線」前の交番だったり、実在の場所を特定させないような手法を採り入れた作品です。ただ、完全にはボカしていません。しっかり東京の街を描いてみせたり、栃木の八溝、伊豆半島、などなど具体的にイメージできる地名を出してくる。ええ、なにしろ直木賞はリアリティ重視の賞ですから、架空すぎると選考委員の人たちは混乱して、辛い点をつけたりします(直木賞あるある)。その辺は、巧みに回避することができそうな2作品です。

 そして、最も動きの少ないのが『本屋さんのダイアナ』。半年前を思い出しますね。『伊藤くんA to E』は、東京のなかでしか話が進まなかったせいで、あまりにも領域が狭すぎると選考会でブーブー言われてしまい、さほど評価が上がりませんでした。そこで(?)今回は、わざわざ鎌倉・江ノ島あたりにまで繰り出す、というナイス・アクション! 柚木作品が行動派の一面をもっていることを垣間見せてくれています。

 直木賞では、場所が一か所に止まっていると不利、というのが定説です。いまさら言うまでもありません。たとえば、『昭和の犬』や『恋歌』が受賞できたのは、物語中盤に、滋賀から東京へ、あるいは東京(江戸)から水戸へ、場所を移したからだ、『ホテルローヤル』の評判があれほど選考会で高かったのは、道東のラブホテルのハナシだっていっているのに、なぜか途中、函館のエピソードが入っていたからだ、……などなど、そんな指摘を一度ならずとも耳にしたことがありますよね? ええ、いまや直木賞の常識です。

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 と、ここまでのハナシは、あくまで「暫定」での移動距離のことでした。

 直木賞にくわしい方なら、もうおわかりでしょう。最終的な移動距離では、上の順位は大きく変わってしまいます。候補のうち4作、『破門』も、『私に似た人』も、『満願』も、『本屋さんのダイアナ』も、みな日本を飛び出して、海外に移動しちゃうからです。

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 これもよく言われることなので、斬新さのない説ですが、定石を馬鹿にしちゃいけないので、真摯に向き合いたいと思います。

 いわゆる「直木賞では、海外が出てくると途端に点数が下がる」という、例のアレです。

 『王になろうとした男』が、どうしてあそこまで得点に苦しんだのか。宮内悠介さんや原田マハさんの候補作、あるいは『ふくわらい』なども、かなりいいところまで行きながら、海外が出てくるという理由を持ち出されて、受賞圏外へと外れてしまう。そりゃあ『ジェノサイド』がまったくと言っていいほど受賞に近づけなかったのも、無理ないわけです。

 時代をさかのぼってみても、かつては井上ひさしさんなどが、作品のスジよりもまず、作品内に登場する場所をもとに手製の地図をこしらえて、それで推す・推さないを決めていた、なんちゅう、よく知られた逸話もあるくらいです(って、あれ、ちょっと違いましたっけ)。

 動きがなさすぎると、選考会で文句を言われる。かといって逆に、度を越えて日本から抜け出し、他の国のことに筆を及ぼせば、「若造めが。海外のことなら、我々のほうが何十倍も詳しいんだ」みたいに、選考委員たちの競争心に火をつけてしまったりする。基本、直木賞では出る杭は打たれ、中庸が好まれる、と巷間いわれるゆえんが、そんなところにもあります。

 そんな事情を鑑みて(なのか)、国内だけで話を終始させた2作、『男ともだち』と『ミッドナイト・バス』の賢明さには、ほとほと感心する思いです。って、これってどっちも、主催サイドの編集者が手がけた作品なのですか。そうですか。さすが、直木賞をよく知っている人たちは、やることがスマートですね。

 ということで、だいたいにして直木賞そのものが、東京都内の、すごく限られた狭いエリアで、選考も、会見も、授賞式も行われる小さな行事です。そこら辺を行動範囲に含んでいない大多数の日本人にとっては、さして注目すべき点もないでしょうが、7月17日(木)夜のニコ生中継とか見ていれば、直木賞がどこまで遠くに行くか、それとも「安・近・短」で手軽に済ませるのか。その動きがわかります(わかるんだろうか)。

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コメント

毎度面白い視点で楽しませていただきありがとうございますw

歴代受賞作で移動距離対決をすると最長はどの作品になるでしょうね。とっさに思いついたのは『カディスの赤い星』でしたが。

投稿: | 2014年7月13日 (日) 22時12分

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