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2014年6月 1日 (日)

「受賞者のその後は死屍累々」…『THEMIS』平成20年/2008年9月号「芥川賞の社会現象化とはしゃぐマスコミを叱る」加藤英太郎

■今週の文献

『THEMIS』平成20年/2008年9月号

「メディア一針 12

芥川賞の社会現象化とはしゃぐマスコミを叱る

受賞者の大半は消えている。栄光は一瞬のものだ」

加藤英太郎

 「直木賞に対する批判の系譜」、まず一発目はかなり新しめのところから行きます。平成20年/2008年9月、つまり第139回(平成20年/2008年・上半期)の結果が出た直後に書かれた文献です。

 コラムのシリーズ名や記事タイトルを見れば、ああ、メディア批判ですね、芥川賞に関するおハナシですね、っつう感じで、ワタクシたち直木賞ファンは鼻くそをほじりながら、悠然としていられそうなものですが、そうはいかない事態が待っています。加藤英太郎さんの筆が伸びすぎていて、直木賞にまで火の粉がふりかかってきているからです。背筋をのばしましょう。

 第139回っつうのは、アレです。例の楊逸さんが「時が滲む朝」で芥川賞の候補にあがり、その段階からメディアが踊り狂いはじめ、多くの人がその喧騒に眉をひそめるなかで、楊さんが受賞。北京オリンピック間近というタイミングだったために、中国人が~、母語を日本語としない人が初の~、日本の文学も国境を越えて~、これからの日本の文学は~、などなどの元気のいい中学校の文芸サークル誌みたいな文章がいろいろなところにお目見えし、完全に、メディアの芥川賞愛のすさまじさを露呈させた、あの回のことです。記憶に新しいです。

 いっぽう直木賞のほうは、といえば、受賞者が母語を日本語とする純正・日本人、受賞作の舞台は九州の離島、夫ある女性を中心とした、派手な事件も起こらない地道で地味な物語。とくれば、井上光晴さんの長女! といったところで、光晴さんがもはや派手に取り扱われる人物でもないので、「今度の直木賞は盛り上がらない」などと、これまた、各所で声があがりました。

 両賞、同じ日に同じ会場(の一階と二階)で決まる、同じ主催者の賞、っつうこと以外、あまりに違いすぎます。ワタクシも正直、いまここで並べて語ってしまっていることに違和感と、恥ずかしさを覚えます。

 でも、この記事を書く加藤さんの筆から、あまり恥ずかしさは感じられません。堂々とさえしています。

「芥川賞と直木賞は、日本文学に貢献した大作家を何人も生んできた。その功績はあるが、一方で受賞者の大半が無残な屍を晒しているのも事実である。受賞者は1年で最大8人だが、毎年、そんなに有望な新人や将来の大家が発掘されるわけがない。

 1作だけで消えた人、週刊誌のライターをしたり、ペンネームでポルノ小説を書きまくって糊口をしのいでいる人は何人もいる。昨年の受賞者の名前すらもう忘れられている!」(加藤英太郎「芥川賞の社会現象化とはしゃぐマスコミを叱る」より)

 と、これは、「時が滲む朝」の芥川賞受賞を、各紙があまりに褒めすぎの社説を並べていて、どう見ても騒ぎすぎだ、とした次の段落です。それまで「芥川賞報道」のことを言っていたのに、何の説明もなしに、いきなり「芥川賞と直木賞は」と、直木賞をひきずり出してきています。そして、両賞まとめて、受賞者の大半が無残な屍を晒している、というわけです。

 直木賞の受賞者の大半が無残な屍を晒している? だれのことですか。まさか、ひとつ覚えで河内仙介さんのこととか言い出すんじゃないでしょうね。

 だいたい、受賞者の名前が忘れられていること(忘れる人が多いこと)に、何の問題があるんでしょうか。「!」マークつけるところですか、そこ。

 忘れられる作家を「無残」だと思うのは、ひょっとして加藤さん自身の価値観なのかもしれず、ワタクシは全然、そうは思わないので、その点は直木賞(と芥川賞)に肩入れしたくなります。まず、ジャーナリズムで活躍できない作家を「無残」だ、っつうその感覚を、どうにかしたほうがいいんじゃないでしょうか。それは直木賞・芥川賞の問題じゃなく、賞の現象を受け取る側の問題のはずです。

 この先、コラムの文章は、「芥川賞」単独への批判を大きく外れ、文学賞全体、もしくは「芥川賞と直木賞」は、まったく厳正に決められているものじゃない、みたいなハナシになだれ込んでいきます。

 とにかく、忘れられた受賞者が多い、云々と、これが加藤さんの思いの根底に根強く張っているらしく、具体的な作家名をまったく挙げないままで、芥川賞プラスついでの直木賞、批判は続いていくのです。

「芥川賞と直木賞受賞者のその後を追うと、死屍累々である。作家の真の価値を決めるのは、受賞作がもたらした一瞬の輝きではなく、その後に生み出された作品によってである。

 受賞人気など長続きはしない。名前が売れ、少しカネが入ったからといって、酒、女、遊びにうつつを抜かして精進を怠っていると、読者も編集者もたちまち離れてゆく。バーなどで「先生っ」と呼ばれてやに下がっているうちに忘れ去られた作家は何人もいる。」(同)

 ワタクシも、直木賞受賞者のその後をけっこう追っているクチだと自負していますが、酒場で「先生」と呼ばれて、いい気になったことが原因で、そのうち小説執筆が続かなくなった受賞者など、ほとんど思いつきません。加藤さんがどれほど、直木賞について詳しいのか、このコラム一本ではわからず、受賞後に残した小説が少ないあの人やこの人(……と濁しても仕方ないので実名を挙げますが、森荘已池さんとか佐藤得二さんとか千葉治平さんとか中村正軌さんとか青島幸男さんとか森田誠吾さんとか)が、そういう理由で作品数が少なくなったのだ、と言い張るのであれば、その辺の事情をご教示願いたいものです。

 ……いや、ただ、仮にその全員がそうだったとしても、「直木賞受賞者の大半」と表現するのは、どう見たって無理があります。

 文学賞を受賞した人は、その後、商業小説の世界で忘れられずに作家活動を続けられなければならない、とくに芥川賞・直木賞は(その賞の名前はみんなが知っているので)そうだ、っつうのは、ほぼ幻想だと思います。幻想の意味は、はなっから無理なことに対して希望・期待を持ちすぎている、ってことです。

 そして、直木賞の受賞者はほとんどは、そりゃ何十年もたてば、(受賞者に限ったことじゃなく、クソもミソも)商業の世界からは忘れ去られていきますが、ビジネスを離れれば全然そんなことはありません。まず忘れ去られた直木賞受賞者など、いないと思います。

 しかし、なぜ「直木賞受賞者は忘れ去られる」と、事実と反したようなことを言いたがるのか。

 ひとつには、受賞後にガーっとマスコミが取り上げ、名前・顔・受賞作品などがいっとき、商業の世界に大量に現われる影響が大きいんじゃないでしょうか。だから、その人たちを、商業小説界で見なくなると、(他の分野に邁進していたり、同人誌などで小説修業に打ち込んでいることには目を向けず)「忘れ去られた」とうっかり言ってしまう。……要は、受賞をことさら大量に取り上げてはしゃぐマスコミ、を批判しているようでいて、じっさいは、そのマスコミのはしゃぎ方に影響されて物事を判断しているだけじゃん、と思えちゃうわけです。

 あ、それと。多くの人にとって、芥川賞と直木賞は同じことだ、といった、これも大して根拠のない思い込みじみた観念が、しみついちゃっていることが、こういう批判を生む大前提なんでしょう。おそらくは。芥川賞受賞者は、その後活躍していない人が多い、よーし、勢いで直木賞もいっしょに語っちまえ、みたいな。まったく泣きたくなりますよ、ご同輩。

 直木賞受賞者のその後は死屍累々……ウソだと思います。

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