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2014年6月22日 (日)

「文学はフィクション、という考え方にこだわるな」…『自由』昭和37年/1962年9月号「芥川賞と直木賞の間」無署名

■今週の文献

『自由』昭和37年/1962年9月号

「芥川賞と直木賞の間」

無署名

 直木賞に関する話題には、いくつかのテッパンネタがあります。そのひとつ、創設のころから現在まで、ずーっと変わらず多くの人が語りたがるのが、「直木賞と芥川賞のちがい」ってやつです。

 はっきり言っちゃえば、たった二つの賞の授賞傾向の違い、などから見えるものなど限られています。その違いが日本の文学全般に及ぼす影響も、皆無に近いでしょう。つまり、どうでもいいこと甚だしい話題なわけですが、「直木賞=大衆文芸、芥川賞=純文芸」の図式を、勝手に(いや、文藝春秋が規定で書いたことを、ほいほいと信用して鵜呑みにして)当てはめ、この二つの賞を語りつつ、ついつい、「大衆文芸と純文芸はどう違うのか(違わないのか)」みたいな別次元のことを語ってしまう人が後を絶たない麻薬のような話題ではあります。

 直木賞は「大衆文芸の賞」を謳っている、それはワタクシも認めます。でも、じっさいにこの賞が選ぼうとしてきたモノが「大衆文芸」なのか、と言われれば相当な違和感をもちます。そりゃ持つでしょ。持たないほうがおかしいです。

 「看板に偽りあり」と言いますか。幅広い大衆文芸分野のなかの、ごくごく一部にしかスポットを当ててこなかったニッチな賞と言いますか。「直木賞は日本の(大衆 or エンターテインメント)小説を代表する賞」っつう表現がありますけど、あれって基本、みんなからのツッコみを引き出そうとするギャグですもんね。そんなに笑えませんけど。

 で、これまで膨大に書かれてきた「直木賞と芥川賞の違い」論のなかのひとつが、『自由』誌のコラム「自由の眼」に載った「芥川賞と直木賞の間」です。一度、うちのブログでは海音寺潮五郎選考委員のエントリーのときに、取り上げました。

 『自由』といえば、第47回(昭和37年/1962年・上半期)直木賞を受賞した杉森久英『天才と狂人の間』という地味な読み物をこつこつ連載していた雑誌として、直木賞界隈に一躍その名を知らしめた(?)雑誌です。この作品が受賞した直後、その好機を生かすべく、「何何と何何の間」というタイトルをもじって、コラム記事が掲載されました。

 この記事はイイですよ。主張していることはけっこう明確でして、『天才と狂人の間』なんちゅう、「どこが大衆文芸だ!」とさんざん批判を浴びせられる評伝に与えられたことを受け、うるせえぞトウシロめが、直木賞はその調子で、もっともっと枠を広げていけ、という。ワタクシはうなずいてしまいました。

 しかも面白いのは、第47回といったら、いまから見ればまだ直木賞は三分の一も終わっていない時代です。そのころすでに、現在と大して変わらない直木賞批判が巷に跋扈しており、そのことに筆者がイラ立って、反論しているからなんですね。

「芥川賞が川村晃の「美談の出発」に、直木賞が杉森久英の「天才と狂人の間」に、それぞれ決定した。どの新聞を見ても、受賞作は二つとも地味である、と書いてある。(引用者中略)

 芥川賞と直木賞とのあいだに、実質的な区別がなくなったということは、数年まえからいくども指摘されてきたことなのである。(引用者中略)

 (引用者注:『天才と狂人の間』は)小説というよりは評伝であり、これが直木賞をうけたことには、意外の感をもつ読者もあるはずだと思う。二つの賞のうち、芥川賞は新人に、直木賞は二、三冊本を出している中堅に、あたえられる傾向があるようだが、しかしこれも傾向だけで、必ずしもそのとおりにはなっていない。いっそ賞を一本にまとめてしまえとか、賞の性格をはっきりせよとかいう意見も、出てくるゆえんなのである。」(「芥川賞と直木賞の間」より ―太字下線は引用者によるもの)

 直木賞と芥川賞について「実質的な区別がなくなった」。……ほんとよく聞きます。いまも聞きます。賞は二つも要らない、っていうのも、ちらほら見かけます。

 まったくもって意味不明ですよね。この記事の筆者がイラつくのもわかります。だってそうでしょう。何十も何百もある文学賞のうちの、直木賞と芥川賞の実質的な(←この言葉もスゲーあいまいで、まくらことばみたいなモンですね)区別がなくなったととらえて、これを一つにまとめる。はあ。それで何がどうなるんでしょう。個人的には、半年に一度更新しなきゃいけないサイトが一本にまとまるので楽になりますが、別に二つあっても、いや三つ、四つ、五十個、百個あっても、変わらないんじゃないですか。だって世間は、文学賞になんか、大して興味をもっていませんもん。

 さて、昭和37年/1962年のころのハナシに戻ります。

 コラムを書く無署名さんは、こう書きます。「直木賞の性格がアイマイなのは、そもそも大衆文学というものの概念規定がアイマイだからなのである」と。まったく、そうだよなと思わされると同時に、そのうえさらに、選考委員の人たちは、一般的な「大衆文芸」らしさのある作品にやたら手厳しいからな、もういったい、何を選んでいるのか混乱してて、はたから見ててよくわからんよな、とも思います。

 そして無署名さんは、いまはルポルタージュ、ノン・フィクションの流行時代だ、ととらえ、直木賞の未来に対し、このような提案(期待)を投げかけました。

「とにかくノン・フィクションの流行には、それなりの理由があるのであって、この流行はまだまだ当分はつづきそうに見える。「変質」しつつあるのは、純文学よりも、大衆読物の方なのだ。ノン・フィクションにたいする賞としては、エッセイスト賞があるが、直木賞もそういう要素を、もっと汲みいれていいのではないか。

 文学はフィクションという考え方に、こだわっている必要は少しもない。それが直木賞の性格を、生かしてゆくみちと思うが、いかがなものか。」(「芥川賞と直木賞の間」より ―太字下線は引用者によるもの)

 はい、その至言を受け取った未来のワタクシは、嘆いてしまうのです。選考がどうこうの以前に、そもそも、候補作を決める文春の人たちからして、直木賞を読物小説誌(に「小説」として載るやつ)界隈から外に広げる気はまずなさそうだし。それで直木賞は、どうにかやっていけちゃうし。

 冒険心と挑戦心を失った事業を見つづけるのはツラいことです。嘆きたくなります。でも、直木賞がどうなろうが何の興味もない日本人が大半、という現実を考えれば、それも無理のないことなのかもしれません。失敗を恐れ、昨日やっていたことを今日もやる。それもまた賢い文学賞の生き方なんでしょう。

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