「賞を出すものの間接の利益心に、警戒せよ」…『政界往来』昭和12年/1937年1月号「文藝時評 文学賞時代について」青野季吉
■今週の文献
『政界往来』昭和12年/1937年1月号
「文藝時評
文学賞時代について」
青野季吉
直木賞に対する批評の系譜、このテーマでやりはじめてまだ日が浅いんですが、早くも、今日は「まったく注目されていない直木賞」の姿を取り上げることになってしまうので、ワタクシは、たいへん悲しいです。
直木賞(文献)ファンなら誰でも、こんな苦い経験を味わったことがありますよね? お、文学賞ネタの文章があるぞ、とワクワクして読み始めたものの、けっきょく直木賞に関するハナシは、ほとんど書かれていなくて、話題の対象は、芥川賞・芥川賞・芥川賞、のオンパレード。読み終わり、暗ーい徒労感を抱えて、うつむきがちにそっと本を棚に戻す、あの苦々しい時間。……人生のつらさを、ワタクシは直木賞(の注目のされなさ)から学びました。
今日の文献もそうです。青野季吉、なんちゅうビッグネームが、直木賞がはじまって間もない昭和12年/1937年に、文学賞のハナシを書いている! っつうそこにテンションが上がらない人など、この世に存在するんでしょうか。しかも、青野さんの出だし、快調(?)です。
「文壇の近年の流行の一つは、諸種の文学賞の設置である。既に芥川、直木両賞があり、文藝懇話会賞があり、その他文學界賞三田文学賞の如き内部的の文学賞があり、さらにその上池谷信三郎賞が設けられ、新らたにまた新潮社賞の設置が発表された。この上とも続々として文学賞が設けられそうな模様である。まことに文学賞は文壇の流行中の流行と云つてよからう。
(引用者中略)数年前のこと、渡辺文学賞なるものが設けられたが、ほとんど反響らしい反響がないので、ついに姿を消してしまつた。それを思ふと、この頃の文学界の流行は、まことに珍現象と云はなければならない。」(青野季吉「文藝時評 文學賞時代について」より)
珍現象。ええ、ええ、青野さん、ほんとそうですよね。それが80年近くたった今もって、文学賞時代は続き、直木賞やら芥川賞やらが文芸出版界隈の、最大イベントであり続けているこの珍現象っぷり。どうぞ笑ってやってください。
と、ここまではよかったんですが、青野さんの筆は徐々に雲行きがあやしくなっていきまして、あやしくなるというより、青野さんの本領が発揮されているだけなんでしょうが、政府が文学作品・文学者に対して賞や勲章を贈ろうという動きまで出てきていて、それを文壇の一部は歓迎しているらしいけど、手放しで喜んでいる場合じゃないだろ、みたいな「官製文学賞」の話題が縷々語られていきます。
そりゃ、それも心躍るネタだけど、じらさないでよ、青野さん、直木賞のハナシを早くー。っていうこちらからの声に敏感に反応するさすがは青野さん、
「官設の文藝賞論で少し手間どつたけれどこれまでの私設の文藝賞について、少し観察しておかう。」(同)
と軌道修正をはかってくれまして、やんややんやの大喝采。
ここで、「まず芥川賞がある。」と言って、えんえん芥川賞の、第1回、とんで第3回授賞の石川達三「蒼氓」、鶴田知也「コシャマイン記」、小田嶽夫「城外」の感想を述べているのは、ぐっとこらえます。当時の時評家に、いきなり直木賞から先に述べることを期待するほど、ワタクシも世間知らずのわがままではありません。
ちなみに青野さんが、芥川賞をまずはよし、と認めたのは、こんな理由からでした。
「芥川賞委員は「コシャマイン記」を決してプロレタリア作品と認めて選抜した訳でなく、優れた文藝作品として見出したのであるが、その結果がプロレタリア作家を世に出す結果なつても、何等の躊躇を示さなかつたところに、よき文藝の表彰にたいする芥川賞委員のシンセリチイを観取しなければならない。
この態度、このシンセリチイは、現在の文学賞、及び将来設けられるであらう諸文学賞が、とつて以つて範とすべきものであつて、もし文学賞なるものがそれの発起者及び委員に於いて、何等かの「私心」が挟まれ、意識的、無意識的に偏破に陥ることがあれば、その時は文学賞の権威が地に堕ちる時でなければならない。文学賞の権威は、一にかかつて文藝にたいするシンセリチイに存することを銘記すべきである。」(同)
なんで「誠実さ」「真摯さ」といわず、いい年こいて「シンセリチイ」とか横文字つかってカッコつけたがるのか、イラッとする部分ではありますが、これもスルーしましょう(といいながら、全然スルーしてないですけど)。正直イラッとするのは、そこからなんです。芥川賞のハナシが終わったから当然次は直木賞っ! と舌だして餌を求めるこちらを無視して、文藝懇話会賞の「シンセリチイ」のあり方に釘を指し、つづいて新潮社文藝賞などというどーでもいいサルマネ文学賞について筆を費やし、
「現在発表されてゐる所で見ると、その「特色」がいづくに在るのか、極めて漠然としており、芥川賞と何等区別がないやうに思はれる。これは実際に当つて、大きな問題でなければならない。私は新潮社が新らたに文学賞を設けると聞いて、それは芥川賞とも衝突せず、必ずや文学賞として何等か一歩を踏み出したものであらうと想像してゐたので、多少の失望を感じた次第である。」(同)
と、現代を生きるワタクシのようなクサレ文学賞マニアが、山本周五郎賞や山田風太郎賞に対して抱くのと変わらない感想を述べたりしています。
そして最後まで、直木賞のナの字も出さず、そのまま青野さんの原稿は終了。まるで歯牙にもかけられていない直木賞の、あわれで、悲惨なありようが、くっきりとこちらの胸にひびくのでした。青野さんのイジワル。
最後の最後で、青野さんはこんなことを言って、未来の(つまりは現代の)文学賞に対して警鐘を鳴らしています。これをもって、(直木賞に対してのみ言っているわけじゃないでしょうが)、昭和12年/1937年からの直木賞に対するメッセージ、と受け取り、何か無視された感を忘れることにしたいと思います。
「これからまだまだ多くの文学賞が設けられるに相違ないが、それらの文学賞は、その賞を出すものの何等かの間接の利益心がそこに加はつたならば、それは最初の時期には現はれなくとも長い時期には必らず現はれるに相違ない。これは自他共に警戒す可きことである。」(同 ―太字下線は引用者による)
ね。ほぼ(戦後から現在までの)直木賞のことを言っている、と読んでも間違いじゃないでしょ。
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