平岩弓枝〔選考委員〕VS 宇江佐真理〔候補者〕…忠告・注意をする先輩と、まったく気にしない能天気な後輩。
直木賞選考委員 平岩弓枝
●在任期間:通算23年
第97回(昭和62年/1987年上半期)~第142回(平成21年/2009年下半期)
●在任回数:46回
- うち出席回数:46回(出席率:100%)
●対象候補者数(延べ):277名
- うち選評言及候補者数(延べ):244名(言及率:88%)
いまはもう、読めなくなってしまった平岩弓枝さんの新作直木賞選評。まだ平岩さんがブイブイ言わせていた頃(なんてあったのかな)、直木賞ファンなら誰もが、楽しみにしていたはずです。今度の選評では平岩さんの得意技「80パーセント理論」が、出るのかな、出ないのかな、と。
あまりに有名になりすぎて、ワタクシは平岩さんの名を聞くとすぐ、「80パーセント理論」をイメージするようになってしまいました。ただ、そうでない方もいるでしょう。今日はひとつ、これだけ覚えて帰ってください。平岩さんはこれを言うためだけに直木賞選考委員になった、とも言われる(ワタクシが言っているだけです)、80パーセント理論。
これが平岩さんの代名詞になる予兆は、選考委員になって2期目、第98回(昭和62年/1987年下半期)にすでに現われていました。
「(引用者注:堀和久の)「大久保長安」、今回の候補作の中では唯一の時代小説でした。大久保長安という、とかく悪役にまわされがちだった人物を取り上げたのはいいと思いますし、大作であり労作だと思うのですが、はっきりいって資料の中から人間が起き上って来ないという印象を受けました。資料は多いほどよいが、いざ書く時には、その中のどれだけを捨てられるかが勝負だと、かつて、大先輩から教えられたことがあります。」(『オール讀物』昭和63年/1988年4月号 平岩弓枝「さわやかな受賞」より)
資料を捨てる、っつうおハナシです。そこから約5年ほど経ち、平岩さんも次第に選考会になじんできたとき、歴史作家、中村彰彦さんの登場によって、このエピソードがついに花開きました。
「「五左衛門坂の敵討」 江戸時代の敵討というものの定義やその実態を把握した上で、この幕末の事件を書くと作家の史観がはっきりわかってテーマを読者に伝えやすい。資料は百パーセント集めて、噛み砕いたら八十パーセントを捨てると良い作品が誕生すると、これは私が師父から教えられたこと。なかなか難しいが。」(『オール讀物』平成4年/1992年9月号 平岩弓枝「足りないもの」より)
これが世に言う、直木賞史上に燦然とかがやく「80パーセント理論」がお目見えした場面です。
ここからは、この理論をどの作家、どの作品に対して、どういうふうに切り出すか。平岩さんの選評芸を、しばしお楽しみください。
まずは現代物の宮部みゆきさんに対して繰り出して、この理論の幅広さを印象づけます。
「(引用者注:宮部みゆきの)「火車」は大変、面白かった。才能のあり余るほどの作者が、才能だけでなく仕事を仕上げるというのは、宮部さんにとって一つの方向が出来たというよりも、また一つのひき出しがふえたことであろう。一つだけ、これは私自身、若い日に恩師から教えられたことだが、資料や調査は百パーセントやり抜くこと、ただ、作品にとりかかる時はその八十パーセントは思いきりよく捨てる、それも自分の内部に完全に消化させて捨てるのが、作品を成功させる秘訣だという真実である。」(『オール讀物』平成5年/1993年3月号 平岩弓枝「心に残った「風の渡る町」」より)
それから松井今朝子さん。彼女の登場が、久しぶりに平岩さんの「80パーセント理論」熱を掘り起こしました。
「かつて私の恩師である長谷川伸先生は、小説を書く上での心得として、調べるのは百パーセント、書く時はその八十パーセントを捨ててかかるように。また、自分の得意の分野、専門的な知識を十二分に持っている世界を書く時にはその九十パーセントを捨てないと良い作品は出来ないといわれた。実をいうと私も長いこと、その点で苦い思いを重ねているけれども、捨てるというのはまことに難かしい。まして自分の知り得たことの過半数を捨てるのは書くのを止めろといわれたような気がするものである。(引用者中略)
暫く、御自分の専門分野に関してはひき出しにしまい込んで、全く知らない世界を一から調べながら書くことを提案したい。」(『オール讀物』平成15年/2003年3月号 平岩弓枝「いま一つの何か」より)
一回、岩井三四二さんを挟みます。ここでは数字を出さず、お、平岩さんどうしたんだ!? と読者に気をもたせるあたり、選評ファンのツボを心得ていますね。
「岩井三四二さんの「十楽の夢」。資料を柱にして物語を構成するのは悪くはないが、小説の書きはじめになまの資料を長々と書き続けるのは全体のつくりからいって如何なものか。充分な資料を読み込み、それを一度、ふり落してから作品に取り組むのも一つの方法かと思う。」(『オール讀物』平成17年/2005年3月号 平岩弓枝「「対岸の彼女」を推す」より)
お次の餌食は、森絵都さん。
「森絵都さんの「風に舞いあがるビニールシート」は、作品を書く上で基礎となる取材や資料による下調べをきちんとしている点に好感がもてる。作家として仕事を重ねて行く上で森さんが身につけたこの習慣はかけがえのない武器にもお守りにもなると思う。願わくば調べて知ったものを半分以上、捨ててから作品に取り組むこと。八十パーセント捨てて書けたら大成功と私は教えられました。なかなか出来ませんが。」(『オール讀物』平成18年/2006年9月号 平岩弓枝「三浦しをんさんを推す」より)
そして第137回で、三たび松井今朝子さんが『吉原手引草』をひっさげて候補に挙がってくるわけですが、こうなりますと、平岩さん、この理論を言いたくて言いたくて仕方ない欲望の、押さえがきくはずもありません。
「時代小説の書き手にとって厄介なのは、背景にする時代について多くのことを調べねばならないが、調べたことが作品の前面に出ると衒学的に見えたり、読者にわずらわしく感じさせる嫌いがある。といって或る程度は書かねば、その時代が明らかにならないので、その兼ね合いが難かしい。若い時分によくいわれたのは、百パーセント調べて八十パーセント捨てて書けというものだが、これが出来たら達人であろう。」(『オール讀物』平成21年/2007年9月号 平岩弓枝「成功した「吉原手引草」より)
平成21年/2009年下半期にて、直木賞選考委員からしりぞいた後も、この欲望は常に平岩さんのからだに取り憑いているようです。ついこないだの、直木賞委員回顧鼎談でも、しっかりと披露されていました。いいぞ、平岩さん。それでこそ、80パーセント理論の鬼、とまで呼ばれるにふさわしい。
「五木(引用者注:五木寛之) ああいう、名伯楽という人、いるもんですね。
平岩 私の場合は長谷川先生ですね。何しろ私の財産はそれしかないんですけど。とにかく一〇〇パーセント調べろとおっしゃるんですよ、たとえば時代ものを書くときに。それで書く時はね、八〇パーセントを捨てろとおっしゃるんですよ。
五木 あ、使うんじゃなくて捨てるほうが八〇。いや、もったいない。
平岩 捨てるんです。それでさらに、九〇パーセント捨てたらなおいいとおっしゃる。だけど、一〇パーセントだって捨てられませんよ。一生懸命調べたんですもん。しがみつくでしょ、やっぱり。捨てられるようになるまでどのくらいの歳月がかかったか。まだ全部捨てられないですもの。(引用者中略)でも、それがもう頭にこびりついてますね。今でもそうなんですけど、捨てたつもりでいても残しますしね。でも、捨てられなかった作品ってやっぱりどっかいけませんね。といって、やっぱり捨てられない。」(『オール讀物』平成26年/2014年2月号 津本陽、平岩弓枝、五木寛之「直木賞と歩んできた」より ―構成:関根徹)
いずれ、いずれのときには、平岩さんのお墓には、「100パーセント調べて80パーセント捨てる」という言葉が刻まれる予定、とも聞きました。ぜひ実現させてほしいと思います。
もう今日は、これで十分。平岩さんの直木賞選考委員人生のほぼすべてを語ったようなものですから(って、オイ)、終わりにしちゃいたいです。でも、これまで他の委員の「激闘」を取り上げてきて、激闘多き女・平岩さんだけ、なし、というのも恰好がつきません。80パーセント捨てろ、どころかそもそも100パーセント調べるその前段階のところでミソをつけた、平成の落選王こと、宇江佐真理さんにご登場願いたいと思います。
直木賞は、時代小説が候補になる割合が高く、そしてそのほとんどが落選する賞。……とはウィキペディアには書いてありませんが、でもじっさい、そのとおりでして、平成の落選王の座を二分する宇江佐さんと東郷隆さん、ともに時代・歴史小説の書き手。6度候補になり、結果、賞は贈られませんでした。
江戸人情物の女性作家、というと、宇江佐さんはまさに平岩さんの後継にある、とやはり思います。はじめ平岩さんは、直木賞を受賞した「鏨師」をはじめ、現代小説を多く書いていたんですが、昭和48年/1973年から『小説サンデー毎日』に「御宿かわせみ」シリーズを書き、ここら辺りからグッと時代小説中心の作家と目されるようになっていきました。
「昭和の時代小説は、作家も読者も男性が主流だった。だが、『御宿かわせみ』の人気は、江戸の庶民の人情をテーマにした女性作家の時代小説の地平を切り開き、一九九〇年代には宇江佐真理、諸田玲子、松井今朝子の各氏が登場した。」(『東京暮らし 江戸暮らし』所収「『御宿かわせみ』」より)
と、後輩たち続々と登場したんですが、平岩さん、宇江佐さんが直木賞候補になった6作品は、てんで認められるものではなかったようです。バツ印、バツ印のオンパレードでした。
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