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2014年3月 2日 (日)

北方謙三〔選考委員〕VS 山本兼一〔候補者〕…落選して、受賞しないまま書き続け、選考委員になった先に待っていたのは、苦悩。

直木賞選考委員 北方謙三

●在任期間:14年
 第123回(平成12年/2000年上半期)~第150回(平成25年/2013年下半期)在任中

●在任回数:28回
- うち出席回数:28回(出席率:100%)

●対象候補者数(延べ):167名
- うち選評言及候補者数(延べ):167名(言及率:100%)

 久しぶりに、現役の選考委員で行きます。

 北方謙三さんといえば、直木賞をとっていないのに、いまや直木賞150回フェスティバルにお呼ばれするほどの、代表的な選考委員のおひとりです。受賞せずに委員になったものですから、「オレみたいに落選して、つらい思いをするヤツは、もう出したくない」といった決めゼリフをおもちです。

「北方さんは選考のために、その作家の候補作以外の小説も複数読む。そして将来性も含めて検討し、評価するという。

「僕は、力量を持つ作家には、きちんと直木賞をあげていきたい。誰もが知る賞だからです。残念ながら、他の賞は一般的には知られていません。僕は選考委員ですが、いろいろな経緯があって、直木賞をもらっていません。選ばれなかったこともあれば、いらない、とも言った。直木賞は誰もが認める勲章です。断るには勇気が必要でした。だから、僕は同じ時期に直木賞を取った作家に負けない作品を書き続ける、と自分に誓った。

 でもね、直木賞を受賞せずに書き続けるのは大変な苦労があります。それは僕が一番よく知っている。(引用者中略)その僕と同じ苦労は、力のある若い作家にはさせたくない。(引用者後略)」」(『ダカーポ』平成18年/2006年7月19日号 北方謙三「力のある作家にきちんと受賞させたい」より)

 しかし、全員に授賞させるわけにはいかない、という文学賞のもつ壁に阻まれることから、いくら北方さんでも逃れることはできません。けっきょく、自分を落としたかつての選考委員たちと何がどう違うのか、もはや、よくわからないことになっています。しかも、横山秀夫さんを取り逃がした首謀団の一員として、後世にまで名を残してしまった、っつうオマケつき。……そうさ、それが直木賞さ。メゲずに行こうぜ、アニキ。

 選考委員としての北方さんを語るうえでは、どうしたって、北方さん自身が、この賞の対象になっていた頃(やそれ以前)のことに、思いを馳せないわけにはいきません。3月1日にあった川上弘美さんとの公開対談でも、売れない純文芸作家時代のこと、当時は芥川賞が欲しかったことなどが語られたそうです。4年前の小林麻耶さんとの対談でも、やはりそういうハナシが繰り出されています。しかもこちらには、リード文に、

直木賞はどうしたらとれるのか。文学賞をとれる作家ととれない作家は何が違うのか、教えてもらいました。」(『AERA』平成22年/2010年8月23日号「小林麻耶のワクワク対談」より ―太字下線は引用者によるもの)

 とあり、北方さんには直木賞とってほしかったぞ、と思っているオジサンも、つい目ガシラが熱くなってしまう、っていう寸法です。

 この記事が書かれたのは、第143回(平成22年/2010年・上半期)の選考会が終わった直後。北方さんは、道尾秀介さんを激推し、しかし反対が多くて撃沈しました。その心境などが自身の経験と合わせて語られています。

北方 今回、僕はずっと道尾秀介を推し続けてて、白熱して、怒髪天を衝いて――ああ、怒髪天を衝いたのは俺だけど(笑)、それをまたほかの人がなだめようとしたりね。(引用者中略)僕がここで道尾秀介の弁護をしても、どうせ落ちたんだからどうにもならないんだけれども、才能がありすぎると次にもっといいものを書くだろうと言われるんだよ。

麻耶 ああ、そう言われてしまう……。

北方 そう言われながら結局、直木賞をもらえない人がいるんです……僕がそう。もらってないから、選考会で自分の意見を通す最後の手段で、「俺はこの選考会に何の恩義もない」と言う。

麻耶 かっこいい!(笑)」(同)

 うーむ。かっこいい、というより、オジサンはせつなく、悲しくなってしまうのです。選考会に恩義があるかないか、なんちゅう、直木賞を選考するうえで大した武器になりようのないことを、つい口走っちゃう北方さんの哀愁、とでも言うんでしょうか。

北方 いろいろあって、その後(引用者注:自分が3度候補になった後)は候補にはならないことになったんだけど……。作家には「時」というのがあって、道尾は時が来ていると僕は思ってるんだけど、他の選考委員や状況は思っていないのかな。賞というのは、そういう流れとか風とか運とかが左右して決まっていく。(引用者中略)

麻耶 どうやったら運は掴めますか。

北方 書き続けるしかないでしょう。この人、候補になるのは5回目だよってことだったらね、6回目はマルつけようかと思うもん(笑)。要するに、継続が運を呼び込むんですよ。」(同)

 候補にするかどうかを決めている文藝春秋の人たちに、北方さんが、いいように転がされないよう、心から祈るばかりです。まあ、候補1回目だろうが2回目だろうが、ミステリー畑で誠実に働いている作家には、心強い声援を送ってくれる北方さんです。その辺はだいじょうぶでしょう。たぶん。

 さて、選考委員が「実力のある作家」に洩れなく賞を贈れる仕組みがあるのならば、誰も悩みなどしません。北方さんほどの、強い思いをもってしても、こればかりは何とも致しがたい。……っつうことで今日の「候補者」は、あえて北方さんが熱く推奨した人ではなく、3度の候補で、いずれも微妙な態度に終始した後輩時代作家、山本兼一さんに登場してもらうことにしました。追悼の気持ちも……多少はあります。

 自分なりに付けた候補作に対する点数を、あまり明らかにしないK野N生さんのような方とは違い、北方さんはいつも選評で、悩んでいる自分、苦しんでいる自分を正直に見せながら、それでも、どの作品に○をつけたかを表明します。その、どこか晴れない気持ちを想像しながら、山本作品に感想を述べる北方さんの、苦渋の選評、味わってみましょう。

          ○

 山本兼一さんの候補作は、第132回(平成16年/2004年・下半期)で『火天の城』がはじめて候補になったときから、委員たちにかなり高く評価されました。角田光代『対岸の彼女』、古処誠二『七月七日』とともに、最終決選にまで残ります。

 北方さんの評は、こうです。

「候補作は、それぞれ傾向が違ったが、その中で『火天の城』と『十楽の夢』は、同じ時代を扱ったという意味で、ある共通性は持っていた。前者は安土城建設の話が中央に据えられ、そこは実に生き生きとしていて面白かったが、信長の描き方が私には不満だった。

(引用者中略)

 選考会には、『6ステイン』と『七月七日』に丸をつけて臨んだ。」(『オール讀物』平成17年/2005年3月号 北方謙三「順当な結果」より)

 どう読んでも、推してはいません。

 3年半を経た第139回(平成20年/2008年・上半期)。2度目の候補でも、山本さんの『千両花嫁』は、井上荒野『切羽』、和田竜『のぼうの城』と並んで最後まで残りました。みんな、山本さんの力量は認めていました。しかし、北方さんは、けっこう厳しかったみたいです。

「今回の候補作は、粒が揃っている、という印象だった。ただ、大きく弾けたものがなく、小粒だという気もしないわけではなかった。

『千両花嫁』は、達者な筆だと思った。見立てについてなど、私にはよくわからないが、無理なく物語の中にとけこんでいた。そのあたりはうまいのだが、こういう小説に欲しい痛快さが不足している気がした。歴史上の有名人に、強烈な存在感を与えられなかったからなのではないか、と読後に考えこんだ。

(引用者中略)

 私にとっては難しい選考だったが、三作の決戦では、迷わず『切羽へ』と『のぼうの城』に票を投じた。」(『オール讀物』平成20年/2008年9月号 北方謙三「心理の切羽」より)

 何だかんだ言っています。ただ、要するに決選投票では、『千両花嫁』だけを「迷わず」に外したわけですから、山本作品の落選に積極的に加担したおひとりだったわけです。

 つづく第140回(平成20年/2008年・下半期)、『利休にたずねよ』が天童荒太『悼む人』と受賞を競いました。どちらともなしか、一作授賞か、それとも二作に与えるか。……その決断をせまられたとき、北方さんがとった行動とは。

「『利休にたずねよ』は、力作感充分だった。時制を遡る発想も効果的で、相当の工夫の中で利休を描こうとした試みだったと思う。ただ、利休がこだわっている美は、言葉による表現を拒絶しているところがあり、そこには踏みこめず、茶というものの周辺を駈け回ったという印象もある。また縦糸の女性の存在が、最後に具体的に描写されているところが、私には不用だと思えた。読者ひとりひとりの心の中にあの女性はいて、不明のまま幽玄の彼方に消えてくれた方が、利休自身の深みも出ただろうと思ったのは、私ばかりなのか。

(引用者中略)

 二作受賞となった。私は『悼む人』一本に絞ったが、これだけの議論を尽されての二作受賞ならば、私はむしろそれを喜びたい、と選考後には思っていた。」(『オール讀物』平成21年/2009年3月号 北方謙三「愚直な志の声」より ―太字下線は引用者によるもの)

 これも、頑張って言葉を連ねていますが、やっぱり最終決選では、山本作品を選択しなかったことを告白しているんですね。なにせ、「力のある作家にきちんと受賞させたい」と、強く決心していた北方さんですもの、山本さんは、残念ながら北方さんには「力のある作家」認定されていなかったのでしょう、……とまで言ってしまうのは、あるいは意地の悪い見かたかもしれません。

 そして選考会のあとまもなく、北方さんには、自分がその受賞に寄与したわけではない受賞者との対談の席が設けられます。舞台はPHP研究所の『文蔵』。ここで北方さんは、選評では書けなかった(?)山本作品の魅力について、思いのたけ存分に……語っているのかな。

北方 選考委員というのは、一般の読者と違い、できるだけ主観を排除して作品に対峙しなくてはいけないんです。『利休にたずねよ』は、お茶の世界の話だということで、ちょっと構えて読んだのですが、お茶のことを何もしらない僕が、引き込まれましたからね。(引用者中略)利休、秀吉、それに周辺の人物それぞれが、見事に描きわけられていたと思います。ただ、個人的には、この物語のキーパーソンである高麗の女性は、ミステリアスなままでいたほうが、よかったような……。」(『文蔵』平成21年/2009年7月号 北方謙三、山本兼一「特別対談 「歴史」を舞台に書く愉しみ」より)

 「主観を排除して対峙」とカッコいいこと言っておきながら、けっきょく個人的な好みを付け加えて、しかもそれで票を投じなかった、とかもう。北方さん、オチャメな人。

 山本作品に票を入れてくれた他の委員のおかげで、山本兼一受賞の結果が出てしまえば、あとはノーサイド。北方さんとしても、こう言う他ないだろうな、って表現で山本さんを励ましました。

北方 山本さんは今が書きざかり。これから視野がもう一段、開けてくる。そこで何をご覧になるか、注視しています。久しぶりに本格的な歴史小説作家が誕生したので、今後が楽しみです。」(同)

 そうですか。山本作品には最終投票で3度とも、応援してあげられなかった北方さんの苦しい胸のうちが(←相当、こちらの想像が加わっています)、ええ、伝わってきますとも。伝わってきますよね? そしてきっと、かつて北方さんを落とした選考委員の方々だって、苦しんで結果を出したはずです。うん、それが直木賞さ。クジけずに行こうぜ、アニキ。

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コメント

おぉ~、北方アニキの登場ですネェ~。
個人的には一番選考が好みに合ってる委員サンです(特に歴史モノ)。
「直木賞観」もけっこううなづける部分が多かったりします。

150回の東野さんの初選評、「いつもはこう簡単にはいかんぞ」といった先輩委員ってのは
たぶん北方さんなんだろうなぁ、と思ってニヤッとしまシタ(^^)
お互いに一緒に選考に参加されるのは感慨深いでしょうネェ~。

投稿: しょう | 2014年3月 9日 (日) 23時29分

しょうさん、

かつて北方さんが、候補だった東野さんに対して、
猛烈にプッシュしていたころの選評の数々、
まったく忘れられません。

いつか、北方さんが推しながらも受賞にいたらなかった
アノひとや、アノひとなども、北方さんが選考会に引っ張りこんで、
「落選作家衆」を結成して選考会をかきまわしてほしいなあ、と
思ったりもします。

投稿: P.L.B. | 2014年3月20日 (木) 01時37分

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