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2014年3月 9日 (日)

五木寛之〔選考委員〕VS 京極夏彦〔候補者〕…直木賞の枠から外れるものにこそ、直木賞をあげたいと思いながら、ふらふら漂う。

直木賞選考委員 五木寛之

●在任期間:通算32年
 第79回(昭和53年/1978年上半期)~第142回(平成21年/2009年下半期)

●在任回数:64回
- うち出席回数:63回(出席率:98%)

●対象候補者数(延べ):409名
- うち選評言及候補者数(延べ):306名(言及率:75%)

 昔、直木賞の選考委員は、けっこう若い人が多かった、っていうハナシは以前どこかで触れました。なにしろ菊池寛さんが、直木賞をつくろうぜ、と言い出したのが、45歳のときですから。創設時の選考会メンバーは30代~40代、いちばん若かったのが大佛次郎さんで、37歳でした。

 賞も歴史を重ね、選考委員になるのは文壇でも部長クラス、みたいな状況になってきますと、当然、就任年齢も上がっていきます。そのなかで戦後、40代で委員になったのは11人。川口松太郎(49歳・第21回から)、永井龍男(48歳・第27回から)、村上元三(44歳・第32回から)、源氏鶏太(46歳・第39回から)、柴田錬三郎(49歳・第55回から)、水上勉(47歳・第55回から)、司馬遼太郎(46歳・第62回から)、井上ひさし(48歳・第88回から)、林真理子(46歳・第123回から)、宮部みゆき(48歳・第140回から)といますが、村上さんの44歳に次いで、戦後就任年齢の若かったのが、45歳の五木寛之さんでした。

 第79回のときです。当時、直木賞では委員たちが異常に賞を出し渋り、こんなに中間小説や大衆小説が花盛りなのに、アノじいさんたち、ボケきっているんじゃないの? とうすうす思われていた頃でした。そこに城山三郎さんと五木さんが新任で入り、きっと選考会も時代の動きに対応するだろう、と思われた、ようなフシがあります。

「日本文学振興会の芥川賞、直木賞選考委員として、丸谷才一、開高健(芥川賞)、五木寛之、城山三郎(直木賞)の四氏が新たに加わることになった。」「なお丸谷氏を除く三人の新委員は昭和生まれで、昭和生まれの直木賞選考委員は初めて。」(『朝日新聞』昭和53年/1978年6月1日夕刊「開高・五木・城山氏 選考委員に昭和生まれ 芥川賞・直木賞新委員」より)

 で、結局どうなったのかは、みなさんご存じのとおりです。城山さんは、こんな選考会に居続けられるか!と5年ほどで早々に辞表を提出。五木さんは、直木賞って何なんだろうな、よくわからんな、とぼやきながらも、途中、休筆のあいだも選考会にだけはきちんと出席し、営々とダッチロールを繰り返す直木賞とともに歩みつづけたうえで、最後には、老いたる者の証しとしてきちんと「ボケ」をかまして、それを理由に身を引く、という。確実にオチャメな選考委員ではありました。

 五木さん自身も、自分はあまり主流派ではなかった、と言っています。初期のころの選考会風景についての発言です。

「――選考についてお伺いしたいんですが、初めて委員になられた時、先輩の委員の方から、何か言われたり、アドバイスされたりということはございましたか。

五木 いやあ、ないですね。だって、異人種だと思われていたから(笑)。直木賞の選考会でブレヒトがどうだこうだなんて言う阿呆はいないんですけど、僕は青臭い盛りでしたから、そういうことも平然と言っちゃうでしょ。そうすると、何だか全然畑の違うやつが来たっていう感じがありました。」(『オール讀物』平成26年/2014年2月号 津本陽、平岩弓枝、五木寛之「直木賞と歩んできた」より ―構成:関根徹)

 当時は、先輩の選考委員たちが、「ゆうべはもう酔っぱらっちゃってね、ぜんぜん読んでないんだよ」「これはね、読んでないけど、題名が悪いよ」「この作家は顔つきが悪い」なんて言っていた、とも五木さんはこの鼎談で言っています。これだけ聞くと、よくそんなので直木賞もやってこられたな、と思うわけですが、しかし、じゃあいまみたいに、すべての選考委員がまじめに候補作を読んでくるようになって、緻密な議論(?)を重ねて選ばれるようになったとき、直木賞が素晴らしいものに変貌したか、……というと、別にそうでもないところが、直木賞の至らなさであり、くだらなさであり、おかしいところだと思います。

 五木さんもこう言っています。

「時代全体が、データをきちっと正確にやっていくという、そういう時代に入ってきてますから、時代の推移だろうと思うんですね。ただ、ノンシャランで、ちょっと豪快で無鉄砲だった時代もそれはそれでいいのかなと。だから、レポートを提出するように、精密にやっていく人もいて、一方でかなりラフな人もいるみたいな組み合わせがあったほうが面白いんじゃないですか。」(同)

 同感です。たかが直木賞なんてものを決める場で、全員が、分析家になってチマチマ評論ごっこなんてやってどうするんですか。え。たかが直木賞で。

 ……と、直木賞専門サイトをやりつづけている奴が「たかが」などと言っても、何の説得力もないので、やはり五木さんに語っていただきましょう。五木さんは現役の選考委員だったときに、直木賞なんてそんなエラいもんじゃないんだ、みたいなおハナシをしています。

五木 二十年前にやはり直木賞選考委員全員で座談会をしたことがありますが、そのときの座談のタイトルが「直木賞のストライクゾーン」だった。でも直木賞の作家というのは基本的にストライクゾーンで勝負してはいけないと思う。(引用者中略)極論してしまえば、ストライクを投げようとしてもボールになっちゃうような資質の持ち主のほうが向いているんじゃないのかな。(引用者中略)

 でも最近、最終選考に残る作品は大体がストライクゾーンに入っている作品ですよね。お行儀がいいというか。(引用者中略)

 直木賞の作家はもっと愚直でアホでいいんじゃないか(笑)。芥川賞との対比でいうと、「文学」ではなく「文芸」の意識を持って、例えばどんなに古風でも徹底的に物語の面白さを取り込むようなことをしたほうがいいんじゃないのかな。そして旗幟を鮮明にして、芥川賞との違いをもっと出したほうがいい。直木賞の作家が世間で尊敬されても仕方がないんだから。」(『オール讀物』平成19年/2007年3月号 五木寛之、井上ひさし、渡辺淳一「緊急鼎談 直木賞はどこへゆくのか 小説を志す人たちへ」より)

 「エラいもんじゃない」とは言っていませんでしたね。失礼。

 でも、まわりから評価されようとか、何だか直木賞受賞者=スゴい、とか、そんな感覚から、五木さん自身が逃れようとする姿勢は伝わってきます。型にハマりたくない男、五木寛之。そういうこともあって、選考委員時代は何度も、もっと直木賞は無名な作家、まだ手あかのついていない新人に贈ったほうがいいのじゃないか、と言い、「直木賞は世間でチヤホヤされることに意義がある」という渡辺淳一さんの考えと、好対照をなしていました。

 このハナシの流れのなかで、五木さんがぶち当たった候補者として、京極夏彦さんを持ってくるのが、適切なのかどうかはよくわかりません。最初に候補になった『嗤う伊右衛門』はともかく(……いや、すでに京極さんはベストセラー作家でしたけど)、そのあと2度も候補になって、いまさら直木賞候補って柄でもないでしょ、とそのたびに周囲は声を挙げました。書かれる内容も、本人が全然〈文学〉をやろうという気概のない人ですから、直木賞っぽくなさは群を抜き、文学賞ではかるような作風・作家じゃないよね、っつう空気が濃厚に漂っていたわけです。

 五木さんにとっては、「あまりにも直木賞がよしとするような文学性に乏しい」って意味で、これは逆に後押ししたい存在でもありました。何つっても、上で引用した五木さんの考えと似たようなことを、京極さんも別の場所で語っているというぐらいです。

「いい仕事をした結果、価値が付加されて芸術と呼ばれるようなことはあるんでしょうが、芸術性は作品につくもんで作者にはない。作者が芸術家を名乗るのはどうかと思うし。

 同じように「文学」という言葉も不得手です。文学性も芸術性と同様だと思う。僕の場合はやはり「文芸」でしょうかね。小説というのは文字を並べることで、読者をハラハラさせたり、怒らせたり、泣かせたりする、一種の芸でしょう。」(『オール讀物』平成16年/2004年3月号「直木賞受賞インタビュー 京極夏彦 やっぱり、日本的なものが好きなんです」より)

 ただ、京極さんといえば、もう「一家を成した」存在です。新風に与えたい気持ちは、果たされない。そこで五木さんお得意の、例の決めゼリフが登場することになるのです。

 「直木賞になじまない、さりとて芥川賞の枠にも入らない、というところが京極夏彦という作家の栄光と言えるのではあるまいか。」

 と。

          ○

 まずは最初の候補作『嗤う伊右衛門』。平成9年/1997年6月に刊行され、その年10月の第25回泉鏡花文学賞を受賞します。鏡花賞といえば、当然、その顔は賞設立のときから尽力してきて、ずーっと選考委員もやっている五木さん。この作への授賞理由をこうマスコミ向けに発表しました。

「「嗤う伊右衛門」については「古風で耽美的な表現で糸を紡ぐような世界を醸し、鏡花と共通するけれんみのない不思議さと独自の美意識で貫かれた」(同(引用者注:五木寛之))として全員一致で受賞が決まった。」(『北国新聞』平成9年/1997年10月7日「泉鏡花文学賞に2作品」より)

 それから3か月。第118回(平成9年/1997年・下半期)直木賞では、他の委員からさんざん欠点なり、この賞の対象としてのそぐわなさを指摘され、五木さん、しょぼーんとなってしまいます。

「今回の候補作のうちで、私の気にかかっていたのは、「風車祭」、「嗤う伊右衛門」、そして「OUT」だった。(引用者中略)

「嗤う伊右衛門」について、書き手のほうから読者を選別する資質が感じられると言われれば反論するわけにはいかない。

 しかし欠点というものは往々にして美点と背中合わせに存在するものだ。ここをこう直せばもっと良くなる、と簡単に言ってしまえるものではない。今回の結果が、単に水準に達した作品がなかったというだけのこととは、私には思うことができない。」(『オール讀物』平成10年/1998年3月号 五木寛之「複雑な心境」より)

 歯切れ悪く書いていますが、この回は、授賞作なしで終わりました。

 次いで5年後。第128回(平成14年/2002年・下半期)は、角田光代『空中庭園』と奥田英朗『マドンナ』の一騎打ち、だけど話題になったのは横山秀夫『半落ち』、っつうまたまた「授賞作なし」の回でしたが、ここにも京極さんの候補作が混じっていました。コヤツが候補になると授賞なしになってしまう、藤沢周平ばりの不吉な男、……というより、こんな人気作家を落とすとか、直木賞、アホだね、と言われたりしました。

(引用者注:横山秀夫と同じく)やはりミステリーの人気作家である京極夏彦については微妙なコメント。「京極氏のように一家を成している方を選考にかけて落とすのは忍びない」としながら、京極ワールドについていけず、最後まで読むことができない選考委員もいたという。」(『日経エンタテインメント!』平成15年/2003年3月号「落選作の理由でわかった芥川賞・直木賞のカラクリ」より)

「94年『姑獲鳥の夏』でデビュー。妖怪ミステリーのシリーズで既に人気作家。「いまさら直木賞?」との声もあった。」(同記事「直木賞候補作はなぜ落とされたのか」の「解説」より)

「作品世界についていけない審査員は「最後まで読むのがつらかった」とか。「候補に挙げるのは失礼だったのでは」との声も。」(同記事「直木賞候補作はなぜ落とされたのか」の「選評コメント」より)

 このときの五木さんの選評は、かなり熱がこもっています。これを採りたい自分の切なる思いと、これを採れない直木賞への諦観がないまぜになっています。

「京極さんは、その独特の作風によってすでに一家を成した書き手である。小栗虫太郎や夢野久作の系譜を現代にたどるとしたら、この人をおいて外には見当るまい。

 好き嫌いや、文芸観の相違をこえて、その存在を誰もが無視することができない作家である。

 直木賞という賞は、世間の見る目とちがって、非常に柔軟な賞である。幅の広さというか、新しい異質の才能に対して、すこぶる好奇心の強い賞なのだ。しかし、京極夏彦という小説家の世界は、直木賞の次元を突き抜けている。

 直木賞の指向は、大乗仏教の立場と似ているところがあって、「縁なき衆生」に語りかけようという姿勢が根本だ。「選ばれし少数の読者のため」より、「選ばれざる多数の読者のため」に、という覚悟が最後の一線としてあると私は思う。

 そんな意味で、京極さんの『覘き小平次』に票が集ればそれもよし、もし支持が少ければ、受賞者なしに終るだろうと予想したのだが、結果はその通りになった。

(引用者中略)

 直木賞になじまない、さりとて芥川賞の枠にも入らない、というところが京極夏彦という作家の栄光と言えるのではあるまいか。」(『オール讀物』平成15年/2003年3月号 五木寛之「京極夏彦の栄光」より)

 直木賞が「幅の広さというか、新しい異質の才能に対して、すこぶる好奇心の強い賞」というのは、外野にあるワタクシもそう思います。だけど、ここで京極さんを選べなかったのですから、あんまし幅は広くない(広くなくなってしまった)、と言われても文句は言えないでしょう。

 同じ作品が、4か月後には山本周五郎賞に選ばれてしまいます。相変わらずの直木賞のダメさが際立ち、ほんとに「世間に尊敬されない直木賞」の安定感、スゲーな、とある種の感動をさえ覚えさせました。

 いや、そのまま、京極作品は直木賞とは相容れない、っちゅう姿勢を貫いたのだったら、わずかなりとも尊敬できる部分があるかもわかりません。ところが1年後には、がらりと日和って、堂々たる人気作家だし、もうあげないとね、とコロッと変節してしまうのです。そりゃ、唖然としますわね、五木さん。

「今回は江國香織さんの『号泣する準備はできていた』と、京極夏彦さんの『後巷説百物語』の二作を推した。ともに直木賞作品としては、どこかはみ出す気配がある。そこがおもしろい。

(引用者中略)

 京極夏彦さんは、すこぶる批評的な作家である。いつぞや京極さんの泉鏡花についてのスピーチを感心してきいたことがあったが、前近代を造型的に駆使して近代を超えようとする姿勢には、外野席から声援を送らずにはいられないような気分になってくる。当代もっともバロック的な小説家といえば、この人だろう。」(『オール讀物』平成16年/2004年3月号 五木寛之「二作拮抗の受賞をよろこぶ」より)

 京極さんの「栄光」を守り抜こうともせず、ここで前回にいろいろ語ったことを振り返らないところが、五木さんの人の好さ。そして、何だかんだと言いながら、流れに身をまかせながら32年間も選考委員を務めあげることのできた「根なし草」、五木さんの本領と言えるかもしれません。

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コメント

朝井リョウさんが「戦後最年少選考委員」の記録も射止める、なんて未来を期待してみたりするのですが、話題づくりの下手な直木賞のこと、どうなりますことやら。

投稿: 毒太 | 2014年3月13日 (木) 22時47分

毒太さん、

そうか、「戦後最年少選考委員」、たしかに可能性はありますね。
それで、朝井さんに期待をかけていた渡辺淳一さんのように、
朝井さんが「エロスとリアリティ」を武器に、候補作をなで斬りにしたりしてくれたら、
直木賞、ぐぐっと盛り上がりそう。
(……って、それは冗談ですが、なかばそんなことも期待してしまいます)

投稿: P.L.B. | 2014年3月20日 (木) 01時46分

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