黒岩重吾〔選考委員〕VS 中島らも〔候補者〕…長く人生を歩んできた翁いわく、「最近のミステリーはランクが落ちる」
直木賞選考委員 黒岩重吾
●在任期間:通算19年
第91回(昭和59年/1984年上半期)~第128回(平成14年/2002年下半期)
●在任回数:38回
- うち出席回数:38回(出席率:100%)
●対象候補者数(延べ):234名
- うち選評言及候補者数(延べ):180名(言及率:77%)
神奈川近代文学館に行ってきました。平成26年/2014年2月1日~3月30日、「収蔵コレクション13 生誕90年黒岩重吾展」が開かれていたからです。さすが黒岩重吾、没後10年ちょい経つのに、ファンたちを魅了することいまだ衰えを知らず、入場規制が敷かれるほどの大変な人だかり……ってこともなく、平穏森閑とした感じの展示会場でしたが、まず普通には見ることのできない貴重な「直木賞」関連の展示物もあって、満足満足。
展示スペースのガラス面の前に、何十人もの直木賞ファンたちがヨダレを垂らしながら押し合いへし合い群がっていた一角が(……って、もうこの表現、いいですか)、「spot 後進への眼差し―選考委員として―」の展示です。その説明パネルにはこうありました。
「随所に書き込みが残る候補作の単行本などからは、作品を丹念に読み込んでいることが窺え、選考に対するきわめて真摯な姿勢が伝わる。才能を認めた後輩作家にはあたたかい激励を送った。」(神奈川近代文学館「生誕90年黒岩重吾展」「spot 後進への眼差し―選考委員として―」展示パネルより)
閉じた状態の本が3冊。角田光代『空中庭園』、東野圭吾『片想い』、浅田次郎『蒼穹の昴』(下)で、カバーが外され、表紙に「直木賞候補作」と「日本文学振興会」という2枚のテプラが貼られていました。選考委員のもとにはカバーを取り外した状態で配布される、っていうのは資料では見たことがありましたが、実物を目のあたりにするのははじめてです。ここで、まず一興奮。
それで、ページを開いた状態の本が3冊。伊集院静『受け月』、浅田次郎『蒼穹の昴』(上)、宮部みゆき『理由』。いずれも、黒岩さんの直筆で、そこに何やらメモがつらつらと綴られています。まあ達筆というか悪筆というか、ほとんどワタクシには読めなかったんですが、宮部さんの候補作を展示するなら、ここはどう考えても『火車』だろっ! とツッコんだ人がいたものか、展示ガラスに割れた跡があり、テープで補修されていました。ウソです。
黒岩さんが『火車』に対して放った、直木賞での反対理由、というのはもはや日本人なら万人が知る常識になってしまいましたからね。あえてコアな黒岩ファンしか足を運ばないあんな場所に飾っておくほどの珍しさはない、と判断されたんでしょう。
候補作の本だけじゃなく、展示されているなかには、直木賞、柴田錬三郎賞、吉川英治文学賞それぞれの、「選評ノート」もありました。選評を書く際の下書きでしょうか。それとも候補作を読みながら書いたものでしょうか。こちらも、何と書いてあるのか判読が難しく、神奈川近代文学館による詳細な研究と解説が、大いに俟たれるところです。がんばれ、カナブン。
ということで、今日の選考委員は黒岩重吾さんです。出世作は推理小説、しかしトリック重視、つくりものの謎解きに対する嫌悪感をハナから胸に抱え、人間の謎を書いてこそ良質のミステリー、なんちゅう考えを貫いた人でもありました。
直木賞は、芥川賞と並んで、やたらと選考委員たちが「直木賞とは(もしくは芥川賞とは)何か」を語っている文献が数多く残される、文学賞のなかでも稀有な賞です。何かにつけ、文學界もオール讀物も、こういった企画ばかりやりたがる、ってことは、ついこのあいだの第150回記念のときを見れば、よくわかります。『芥川賞・直木賞150回全記録』に再録された選考委員座談会「直木賞のストライクゾーン」(初出『オール讀物』昭和63年/1988年5月号)もそのひとつです。黒岩さんも出席しています。
黒岩さんの直木賞観がうかがえる箇所を、二か所だけ引きます。まずは陳舜臣さんの、抑えきれない「SF・ミステリー愛」を受けての、黒岩さんの姿勢から。
「陳 私はいつも思うんですが、これまでの直木賞はそのリアリズムに重点を置きすぎているんじゃないでしょうか。現実をこれまでとまったく別の、思いもかけない角度で切って、それでかえって現実をよりあざやかにうかびあがらせる方法がありますね。たとえば筒井康隆の小説がそれです。けれども、彼をはじめ、小松左京や星新一など、おなじやり方をした人たちは、みな直木賞に縁がなかった。推理小説もそうです。謎をもつというのは、日常茶飯の現実からはなれていることで、これも直木賞とは縁がうすい。栗本薫も乱歩賞はクリアしても、直木賞のレースにエントリーさえできない。ちがったユニホームを身につけているからでしょうかね。
結城昌治にしても私にしても、推理小説で受賞したのではありません。選考委員になってからの感じでも、いわゆる日常茶飯的リアリズムをはなれたものは不利ですね。(引用者中略)
身につまされる小説なら、昔からいやというほどあるんです。人を感想させるのは、わりあいらくでしょう。易きについた人がトクをするのは不公平ですね。
(引用者中略)
黒岩 ぼくもどちらかといえばリアリズム手法に重きを置いているけど、一気に読ませるサスペンス小説はそれなりに評価しています。たとえば『レッド・オクトーバーを追え』『ジャッカルの日』『オデッサ・ファイル』など、凄い小説だと舌を巻く。少なくとも右のような作品に比肩しうるものが現れたなら全力で押すでしょう。」(「直木賞のストライクゾーン」より)
ええと、「それなりに評価」だそうです。この様子じゃあ、なかなか厳しいですね、ミステリー系が黒岩さんのお眼鏡にかなうのは。たとえば、この席で五木寛之さんが、荒俣宏『帝都物語』などが直木賞候補になってもいいじゃないか、と主張するんですが、黒岩さんはそれに真っ向からぶつかります。
「五木(引用者中略) これは候補作を選ぶ主催者側への要望でもあるんですが……例えば、荒俣宏さんの『帝都物語』なんかはどうですか?
黒岩 ぼくも読み出したんですよ。でも二巻目は読む気力を失いましたね。荒唐無稽でも伝奇ものでもいいんです。『八犬伝』のように格調高いものなら。問題は大人が引きずりこまれるような文章ですよ。作者は確かに読者を遊びの中に連れ込む才能はあるが、次第に、薄めた色々な酒を飲まされている気がして、小説に酩酊できない。酔えないことが分った途端、読書欲を失ったなあ。つまり、遊びの迷路が見えすぎるんですよ。」(同)
この感覚が、黒岩さん選考委員5年目ぐらいのときのものです。
さらに時が経って、平成10年/1998年。今度は『オール讀物』編集部が、ひとりひとりの選考委員にインタビューを試みます。これに応えた黒岩さんは、やっぱり、いまガキが喜んで読んでいるような「ミステリー」は、くっだらねえのがほとんどだ、っつう考えを崩していません。相変らず、比較対象に「東西の名作」を挙げて、いまの流行モノを貶める、けっこうズルい手法を使いつつ。
「短編のミステリーの代表作として、すぐに思い浮かぶのは、芥川龍之介の『藪の中』ですよね。ああいう人間心理の謎解きなら、僕は大歓迎です。バルザックを始め、過去の西洋文学の錚々たる連中も、みなそういう謎解きを書いていますよ。小説は元来謎解き。何故というところから発しているわけです。
そうした僕が考えてるようなミステリー作品と比べると、最近のミステリーは少しランクが落ちる。ところが、今はその僕に言わせればランクの下がるミステリーがものすごく売れている。誰が買うかというと、人生経験のない若者が買うんですよ。ほとんど人生経験のない若者が、刺激感を受けるために買って行く。不安定な世の中で、リストラされたり、会社が潰れるかも知れない、そんな中で汗水垂らして営々と働いてる社会人――そういう小説好きの大人は、あんなミステリー読んでる暇ないですよ。
人間を書かない荒唐無稽な小説群がバーッと出てきていることは事実ですが、こういう小説は直木賞とはちょっと違う。そういうのは、面白賞とは刺激賞とか、何か別の賞でいいのではないでしょうかね。」(『オール讀物』平成10年/1998年4月号 黒岩重吾「小説には古いも新しいもない」より)
だはは。ランクが落ちる、と来ました。黒岩さんも、何か直木賞は、上ランクのものを選ばなきゃいけない、という感覚に縛られていたんですね。ラ・ン・ク……ずいぶんとお偉くなられたのですこと。
にしても、です。汗水流して営々と働いている社会人、小説好きの大人が、みんな黒岩さんみたいな好みを持っているとは、とうてい思えないわけです。だって、現実のつらさを忘れさせてくれる面白い謎解きミステリーにはまった、いい歳した小説好きなんて、ゴマンといるんじゃないんですか。この、相当いびつ、というか狭い小説観こそ、黒岩さんの真骨頂、でしょうね。
さて、対する候補者です。
黒岩さんといえば、奇遇にも、直接面識のある人たちの選考に臨み、しかも授賞に至る現場に立ち合う、っていうことでおなじみ感があります(あるか?)。難波利三、阿部牧郎、伊集院静などの直木賞受賞の選考会では、黒岩さんの一票が投じられました。オール讀物新人賞の委員としては、実弟、黒岩竜太(本名・圭吾)に授賞させるその現場にもいた、なんちゅうオマケつき(ちなみに、このときは、他の委員には自分の弟であることは黙っていて、「このめぐり逢わせには黒岩氏もかなりやりにくかったようだ」(『週刊文春』昭和44年/1969年5月12日号)などと書かれています)。
ただ、直木賞選考委員・黒岩重吾には、誰がどう見ても、「人を落とす」姿がまことによく似合います。なにせ、堅苦しい直木賞観をもつ黒岩さんです。どうしても受賞に賛成できず、結果、落選させるしかなかったときに書かれる選評は、これぞ選評! と思わずにはいられない素晴らしさに満ちています。
そうやって落選作家となった人たちはたくさんいますが、ここでは、平成初期の直木賞落選作家といったらこの人、中島らもさん。その候補作と、黒岩さんがどう激突したかを追ってみることにします。
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