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2014年3月の5件の記事

2014年3月30日 (日)

黒岩重吾〔選考委員〕VS 中島らも〔候補者〕…長く人生を歩んできた翁いわく、「最近のミステリーはランクが落ちる」

直木賞選考委員 黒岩重吾

●在任期間:通算19年
 第91回(昭和59年/1984年上半期)~第128回(平成14年/2002年下半期)

●在任回数:38回
- うち出席回数:38回(出席率:100%)

●対象候補者数(延べ):234名
- うち選評言及候補者数(延べ):180名(言及率:77%)

 神奈川近代文学館に行ってきました。平成26年/2014年2月1日~3月30日、「収蔵コレクション13 生誕90年黒岩重吾展」が開かれていたからです。さすが黒岩重吾、没後10年ちょい経つのに、ファンたちを魅了することいまだ衰えを知らず、入場規制が敷かれるほどの大変な人だかり……ってこともなく、平穏森閑とした感じの展示会場でしたが、まず普通には見ることのできない貴重な「直木賞」関連の展示物もあって、満足満足。

 展示スペースのガラス面の前に、何十人もの直木賞ファンたちがヨダレを垂らしながら押し合いへし合い群がっていた一角が(……って、もうこの表現、いいですか)、「spot 後進への眼差し―選考委員として―」の展示です。その説明パネルにはこうありました。

「随所に書き込みが残る候補作の単行本などからは、作品を丹念に読み込んでいることが窺え、選考に対するきわめて真摯な姿勢が伝わる。才能を認めた後輩作家にはあたたかい激励を送った。」(神奈川近代文学館「生誕90年黒岩重吾展」「spot 後進への眼差し―選考委員として―」展示パネルより)

 閉じた状態の本が3冊。角田光代『空中庭園』、東野圭吾『片想い』、浅田次郎『蒼穹の昴』(下)で、カバーが外され、表紙に「直木賞候補作」と「日本文学振興会」という2枚のテプラが貼られていました。選考委員のもとにはカバーを取り外した状態で配布される、っていうのは資料では見たことがありましたが、実物を目のあたりにするのははじめてです。ここで、まず一興奮。

 それで、ページを開いた状態の本が3冊。伊集院静『受け月』、浅田次郎『蒼穹の昴』(上)、宮部みゆき『理由』。いずれも、黒岩さんの直筆で、そこに何やらメモがつらつらと綴られています。まあ達筆というか悪筆というか、ほとんどワタクシには読めなかったんですが、宮部さんの候補作を展示するなら、ここはどう考えても『火車』だろっ! とツッコんだ人がいたものか、展示ガラスに割れた跡があり、テープで補修されていました。ウソです。

 黒岩さんが『火車』に対して放った、直木賞での反対理由、というのはもはや日本人なら万人が知る常識になってしまいましたからね。あえてコアな黒岩ファンしか足を運ばないあんな場所に飾っておくほどの珍しさはない、と判断されたんでしょう。

 候補作の本だけじゃなく、展示されているなかには、直木賞、柴田錬三郎賞、吉川英治文学賞それぞれの、「選評ノート」もありました。選評を書く際の下書きでしょうか。それとも候補作を読みながら書いたものでしょうか。こちらも、何と書いてあるのか判読が難しく、神奈川近代文学館による詳細な研究と解説が、大いに俟たれるところです。がんばれ、カナブン。

 ということで、今日の選考委員は黒岩重吾さんです。出世作は推理小説、しかしトリック重視、つくりものの謎解きに対する嫌悪感をハナから胸に抱え、人間の謎を書いてこそ良質のミステリー、なんちゅう考えを貫いた人でもありました。

 直木賞は、芥川賞と並んで、やたらと選考委員たちが「直木賞とは(もしくは芥川賞とは)何か」を語っている文献が数多く残される、文学賞のなかでも稀有な賞です。何かにつけ、文學界もオール讀物も、こういった企画ばかりやりたがる、ってことは、ついこのあいだの第150回記念のときを見れば、よくわかります。『芥川賞・直木賞150回全記録』に再録された選考委員座談会「直木賞のストライクゾーン」(初出『オール讀物』昭和63年/1988年5月号)もそのひとつです。黒岩さんも出席しています。

 黒岩さんの直木賞観がうかがえる箇所を、二か所だけ引きます。まずは陳舜臣さんの、抑えきれない「SF・ミステリー愛」を受けての、黒岩さんの姿勢から。

 私はいつも思うんですが、これまでの直木賞はそのリアリズムに重点を置きすぎているんじゃないでしょうか。現実をこれまでとまったく別の、思いもかけない角度で切って、それでかえって現実をよりあざやかにうかびあがらせる方法がありますね。たとえば筒井康隆の小説がそれです。けれども、彼をはじめ、小松左京や星新一など、おなじやり方をした人たちは、みな直木賞に縁がなかった。推理小説もそうです。謎をもつというのは、日常茶飯の現実からはなれていることで、これも直木賞とは縁がうすい。栗本薫も乱歩賞はクリアしても、直木賞のレースにエントリーさえできない。ちがったユニホームを身につけているからでしょうかね。

 結城昌治にしても私にしても、推理小説で受賞したのではありません。選考委員になってからの感じでも、いわゆる日常茶飯的リアリズムをはなれたものは不利ですね。(引用者中略)

 身につまされる小説なら、昔からいやというほどあるんです。人を感想させるのは、わりあいらくでしょう。易きについた人がトクをするのは不公平ですね。

(引用者中略)

黒岩 ぼくもどちらかといえばリアリズム手法に重きを置いているけど、一気に読ませるサスペンス小説はそれなりに評価しています。たとえば『レッド・オクトーバーを追え』『ジャッカルの日』『オデッサ・ファイル』など、凄い小説だと舌を巻く。少なくとも右のような作品に比肩しうるものが現れたなら全力で押すでしょう。」(「直木賞のストライクゾーン」より)

 ええと、「それなりに評価」だそうです。この様子じゃあ、なかなか厳しいですね、ミステリー系が黒岩さんのお眼鏡にかなうのは。たとえば、この席で五木寛之さんが、荒俣宏『帝都物語』などが直木賞候補になってもいいじゃないか、と主張するんですが、黒岩さんはそれに真っ向からぶつかります。

五木(引用者中略) これは候補作を選ぶ主催者側への要望でもあるんですが……例えば、荒俣宏さんの『帝都物語』なんかはどうですか?

黒岩 ぼくも読み出したんですよ。でも二巻目は読む気力を失いましたね。荒唐無稽でも伝奇ものでもいいんです。『八犬伝』のように格調高いものなら。問題は大人が引きずりこまれるような文章ですよ。作者は確かに読者を遊びの中に連れ込む才能はあるが、次第に、薄めた色々な酒を飲まされている気がして、小説に酩酊できない。酔えないことが分った途端、読書欲を失ったなあ。つまり、遊びの迷路が見えすぎるんですよ。」(同)

 この感覚が、黒岩さん選考委員5年目ぐらいのときのものです。

 さらに時が経って、平成10年/1998年。今度は『オール讀物』編集部が、ひとりひとりの選考委員にインタビューを試みます。これに応えた黒岩さんは、やっぱり、いまガキが喜んで読んでいるような「ミステリー」は、くっだらねえのがほとんどだ、っつう考えを崩していません。相変らず、比較対象に「東西の名作」を挙げて、いまの流行モノを貶める、けっこうズルい手法を使いつつ。

「短編のミステリーの代表作として、すぐに思い浮かぶのは、芥川龍之介の『藪の中』ですよね。ああいう人間心理の謎解きなら、僕は大歓迎です。バルザックを始め、過去の西洋文学の錚々たる連中も、みなそういう謎解きを書いていますよ。小説は元来謎解き。何故というところから発しているわけです。

 そうした僕が考えてるようなミステリー作品と比べると、最近のミステリーは少しランクが落ちる。ところが、今はその僕に言わせればランクの下がるミステリーがものすごく売れている。誰が買うかというと、人生経験のない若者が買うんですよ。ほとんど人生経験のない若者が、刺激感を受けるために買って行く。不安定な世の中で、リストラされたり、会社が潰れるかも知れない、そんな中で汗水垂らして営々と働いてる社会人――そういう小説好きの大人は、あんなミステリー読んでる暇ないですよ。

 人間を書かない荒唐無稽な小説群がバーッと出てきていることは事実ですが、こういう小説は直木賞とはちょっと違う。そういうのは、面白賞とは刺激賞とか、何か別の賞でいいのではないでしょうかね。」(『オール讀物』平成10年/1998年4月号 黒岩重吾「小説には古いも新しいもない」より)

 だはは。ランクが落ちる、と来ました。黒岩さんも、何か直木賞は、上ランクのものを選ばなきゃいけない、という感覚に縛られていたんですね。ラ・ン・ク……ずいぶんとお偉くなられたのですこと。

 にしても、です。汗水流して営々と働いている社会人、小説好きの大人が、みんな黒岩さんみたいな好みを持っているとは、とうてい思えないわけです。だって、現実のつらさを忘れさせてくれる面白い謎解きミステリーにはまった、いい歳した小説好きなんて、ゴマンといるんじゃないんですか。この、相当いびつ、というか狭い小説観こそ、黒岩さんの真骨頂、でしょうね。

 さて、対する候補者です。

 黒岩さんといえば、奇遇にも、直接面識のある人たちの選考に臨み、しかも授賞に至る現場に立ち合う、っていうことでおなじみ感があります(あるか?)。難波利三、阿部牧郎、伊集院静などの直木賞受賞の選考会では、黒岩さんの一票が投じられました。オール讀物新人賞の委員としては、実弟、黒岩竜太(本名・圭吾)に授賞させるその現場にもいた、なんちゅうオマケつき(ちなみに、このときは、他の委員には自分の弟であることは黙っていて、「このめぐり逢わせには黒岩氏もかなりやりにくかったようだ」(『週刊文春』昭和44年/1969年5月12日号)などと書かれています)。

 ただ、直木賞選考委員・黒岩重吾には、誰がどう見ても、「人を落とす」姿がまことによく似合います。なにせ、堅苦しい直木賞観をもつ黒岩さんです。どうしても受賞に賛成できず、結果、落選させるしかなかったときに書かれる選評は、これぞ選評! と思わずにはいられない素晴らしさに満ちています。

 そうやって落選作家となった人たちはたくさんいますが、ここでは、平成初期の直木賞落選作家といったらこの人、中島らもさん。その候補作と、黒岩さんがどう激突したかを追ってみることにします。

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2014年3月23日 (日)

陳舜臣〔選考委員〕VS 酒見賢一〔候補者〕…何がきても怒らない。ただ、困ったり、心強く思ったりするのみ。

直木賞選考委員 陳舜臣

●在任期間:通算8年半
 第94回(昭和60年/1985年下半期)~第110回(平成5年/1993年下半期)

●在任回数:17回
- うち出席回数:16回(出席率:94%)

●対象候補者数(延べ):109名
- うち選評言及候補者数(延べ):91名(言及率:83%)

 推理・冒険・ファンタジーに、なぜ直木賞は厳しいのだ。厳しすぎるぞ直木賞、と言われつづけてン十年。それでもなかなか変わらない選考会に、1980年代、ぞくぞくとミステリー擁護派が投入されます。その三銃士といえば、田辺聖子さん、藤沢周平さん。そして何といっても陳舜臣大人です。

 温厚にして温和。自分が推した作品はもちろん、推さなかった作品に対しても救いを残す選評を書き、ほんわかとして心地よいことこのうえありません。そうです。以前にも引用しましたが、元『オール讀物』編集長の座談会では、陳さんの名前が「人格者」のひとりとして挙げられていました。

安藤(引用者注:安藤満) 海音寺(引用者注:海音寺潮五郎)さんにしてもそうだし、山本周五郎さんにしてもそうだけど、あの頃の作家は、会うと何となく頭が下がるようなところがあったんだ。今の作家にそういう人がいないというんじゃなくてね。陳(引用者注:陳舜臣)さんも人格者だからね。

豊田(引用者注:豊田健次) 人情味というか、人格的な広さや大きさを感じさせて、その中にこっちが入ると安心しちゃうところがこういう人たちにはある。」(『オール讀物』平成12年/2000年11月号「編集長が語る あの作家・この作家 オールとっておきの話」より)

 そんな陳さん、わずか8年半ほどで直木賞委員を退任してしまうのですが、その際には、あまりにも早い辞任を惜しんで「陳さんやめないで!」のプラカードをもった人たちが紀尾井町の文春のまわりを取り込み、ものものしい雰囲気に包まれたとか。……って想像したくなるぐらい、陳選考委員のファンは多かったに違いないと、勝手に思っています。

 だいたい、この人はモノゴトに対して怒ることがあるんだろうか? と思わずにはいられません。たとえば、直木賞に関連したエピソードでいうと、「陳舜臣なんて外国のモンに、直木賞・芥川賞など、あげてはいかんぞ!」みたいな手紙が送られてきたことがあったのだとか。そのときの、陳さんの泰然自若としたたたずまいたるや。

「数年前、一通の手紙を受取った。なかみは印刷されたもので、差出人の住所氏名ははっきりしていた。正確には記憶していないが、九州地方のお寺であった。和尚さんなのかもしれない。(引用者中略)

 中国人や朝鮮人を「懐柔」するのは、もうやめよう、という呼びかけである。李恢成や陳舜臣などろくに日本語も書けない人間に、芥川賞や直木賞を与えたのは、懐柔策であろうが、もうそんな必要はない、といった主張が盛りこまれていた。(引用者中略)久しぶりに接した人種差別発言であるが、戦時中の亡霊は、なかなか簡単には消え去らないようである。

 匿名ではないので、怪文書の資格に欠けているが、準怪文書と分類してよいだろう。この手紙を受取ったのは、私が直木賞の選考委員になる前だから、賞関係者だけに送ったのではないらしい。文壇関係の名簿をみて、ばらまいたとおもわれる。本来なら、私のところに送るべきものではない。「あいつに賞をやったのはけしからん」というのだから、呼びかけの相手としては、私は対象外のはずである。あるいは、おまえの日本語はでたらめだ、ということを、私にしらせる親切心から送ってくれたのかもしれない。」(平成3年/1991年11月・二玄社刊 陳舜臣・著『走れ蝸牛』所収「怪文書」より)

 ぐはっ。「親切心」ですって。こういうエッセイひとつとっても、「人格的な広さや大きさ」が、もう怖いぐらいに表われているじゃないですか。

 当然、直木賞の選評でも、そんな陳大人の人格者ぶりは端ばしに光っています。我々のような選評好きにとっては、ビシビシと鋭度の高い選評が並ぶなかで、いっとき、陳さんの温かな胸のなかでゴロニャーンと甘えることができる、という寸法です。

 では、さっそく甘えてみましょう(?)。陳さんが、はじめて選考会に参加した第94回(昭和60年/1985年下半期)、選評の冒頭の一節です。

「傾向として直木賞は完成度が重視され、減点法の選考が主流のようにおもえる。作品の構成が複雑になればなるほど不利となる。筋のはげしい起伏や意外性は、ミステリーでは重要な要素だが、その部分こそ叩けばいくばくかの埃が立つのは免れないのだ。それが減点の対象にされるとつらいであろう。」(『オール讀物』昭和61年/1986年4月号 陳舜臣「親しみ深い小世界」より)

 で、陳さんが佳作とみた候補、島田荘司『夏、19歳の肖像』については、「設定がヒッチコックの「裏窓」に似ていることなどが減点法の好餌となったのは残念である」と悔しがっています。

 欠点を積み重ねて落とすのはつらいよね、なるべくなら、いい点を挙げていくことで授賞を決めたいなあ、という思いが言外ににじんでいませんか。言うは易く行うは難し、の典型のような理想論ですけども、それでも陳さんの8年半の選考委員人生は、ある程度、その姿勢を前提にしていたと思います。選評を読むかぎりでは。

 8年たって第109回(平成5年/1993年上半期)。ここに至っても陳さんは、やはり加点法・減点法のハナシを引き合いに出して、2つの作品への授賞理由を述べました。

「選考とは一種の採点だが、それには減点式と加点式とがあるようだ。欠点をみつけるたびに減点して行くのと、欠点はあるていど無視して、キラとかがやく所があれば点を加える方法とである。

 高村薫氏の『マークスの山』は、減点法で品評すれば、多くの点を失うであろう。(引用者中略)だが、加点式で得た点は、減点数をはるかに越える。(引用者中略)

 これと反対に、おなじ受賞作、北原亞以子氏の『恋忘れ草』は、減点のすくない堅実な作品である。ただし、加点法で行けば、それほど得点がなかったであろう。(引用者中略)

 相反する傾向の二つの作品が、最終段階に残ってみれば、どちらも落とせない気がして、二作受賞にほとんど反対がなかった。」(『オール讀物』平成5年/1993年9月号 陳舜臣「減点・加点」より)

 さあ、ここで今日の「候補者」に行きたいと思います。やっぱり陳さんは、思うぞんぶん褒める姿がよく似合う。っつうことで、候補に挙がるたびずっと陳さんが推しつづけた人、泡坂妻夫さんにしようと思ったんですけど、泡坂さんは以前、すでに触れてしまいました。残念。

 じゃあ、この候補者にしましょう。酒見賢一さんです。

 陳さんと酒見さん。ええ、どうしたって重ね合わせたくなりますよ。〈中国〉歴史小説の世界を切りひらき、直木賞選考委員にまでなった第一人者、そこに、どしどし空想とウソ八百をつぎこんで、〈中国〉モノだか何だかよくわからん道を行く新星が出てきたんですから。陳さんがこれをどう見るか、ぜひともその声に耳を傾けなくてはなりますまい。

 第102回(平成1年/1989年下半期)。5つの候補作が出揃って相当な混戦となった激戦回。選考委員だった山口瞳さんは、授賞なし、と考えます。それでも自分は受賞作を出すお仕事なのだから、と気を入れ替えて、酒見さんの『後宮小説』を推してみようかな、と決めました。

「僕はあくまで該当作ナシの立場で終始したが、しかし、根本的に選考委員会は受賞者を出すべきものだという考えがある。そこで、該当作アリとするならばということで、酒見賢一『後宮小説』を支持した。これは、ハチャメチャ劇画風の大嘘小説であるが、第一に楽しくすらすらと読めるところが良く、思いつきに勝れた箇所があって、この作者端倪すべからずという感を強くした。それに、この作者は二十五歳である。若さに賭けてみたいという気持もあった。

 中国の歴史に精しい陳舜臣さん、読書家の井上ひさしさん、スケールの大きな小説を書く五木寛之さんあたりの援護射撃を期待した。」(『週刊新潮』平成2年/1990年2月8日号 山口瞳「男性自身 梅一輪」より)

 うーん、果たして、中国の歴史にくわしいからといって、『後宮小説』を褒めるものなのかどうなのか。大変微妙なところです。逆に「こんなの中国史にのっとっていないぞ」と怒り出す可能性だって、なくはないと思うのですけど。はてさて、陳さんは、どう反応したでしょうか。

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2014年3月16日 (日)

海音寺潮五郎〔選考委員〕VS 野村尚吾〔候補者〕…直木賞の選考委員会は、天才や大作家を送り出す機関ではない。

直木賞選考委員 海音寺潮五郎

●在任期間:通算12年半
 第39回(昭和33年/1958年上半期)~第63回(昭和45年/1970年上半期)

●在任回数:25回
- うち出席回数:25回(出席率:100%)

●対象候補者数(延べ):206名
- うち選評言及候補者数(延べ):124名(言及率:60%)

※こちらのエントリーの本文は、大幅に加筆修正したうえで、『ワタクシ、直木賞のオタクです。』(平成28年/2016年2月・バジリコ刊)に収録しました。

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2014年3月 9日 (日)

五木寛之〔選考委員〕VS 京極夏彦〔候補者〕…直木賞の枠から外れるものにこそ、直木賞をあげたいと思いながら、ふらふら漂う。

直木賞選考委員 五木寛之

●在任期間:通算32年
 第79回(昭和53年/1978年上半期)~第142回(平成21年/2009年下半期)

●在任回数:64回
- うち出席回数:63回(出席率:98%)

●対象候補者数(延べ):409名
- うち選評言及候補者数(延べ):306名(言及率:75%)

 昔、直木賞の選考委員は、けっこう若い人が多かった、っていうハナシは以前どこかで触れました。なにしろ菊池寛さんが、直木賞をつくろうぜ、と言い出したのが、45歳のときですから。創設時の選考会メンバーは30代~40代、いちばん若かったのが大佛次郎さんで、37歳でした。

 賞も歴史を重ね、選考委員になるのは文壇でも部長クラス、みたいな状況になってきますと、当然、就任年齢も上がっていきます。そのなかで戦後、40代で委員になったのは11人。川口松太郎(49歳・第21回から)、永井龍男(48歳・第27回から)、村上元三(44歳・第32回から)、源氏鶏太(46歳・第39回から)、柴田錬三郎(49歳・第55回から)、水上勉(47歳・第55回から)、司馬遼太郎(46歳・第62回から)、井上ひさし(48歳・第88回から)、林真理子(46歳・第123回から)、宮部みゆき(48歳・第140回から)といますが、村上さんの44歳に次いで、戦後就任年齢の若かったのが、45歳の五木寛之さんでした。

 第79回のときです。当時、直木賞では委員たちが異常に賞を出し渋り、こんなに中間小説や大衆小説が花盛りなのに、アノじいさんたち、ボケきっているんじゃないの? とうすうす思われていた頃でした。そこに城山三郎さんと五木さんが新任で入り、きっと選考会も時代の動きに対応するだろう、と思われた、ようなフシがあります。

「日本文学振興会の芥川賞、直木賞選考委員として、丸谷才一、開高健(芥川賞)、五木寛之、城山三郎(直木賞)の四氏が新たに加わることになった。」「なお丸谷氏を除く三人の新委員は昭和生まれで、昭和生まれの直木賞選考委員は初めて。」(『朝日新聞』昭和53年/1978年6月1日夕刊「開高・五木・城山氏 選考委員に昭和生まれ 芥川賞・直木賞新委員」より)

 で、結局どうなったのかは、みなさんご存じのとおりです。城山さんは、こんな選考会に居続けられるか!と5年ほどで早々に辞表を提出。五木さんは、直木賞って何なんだろうな、よくわからんな、とぼやきながらも、途中、休筆のあいだも選考会にだけはきちんと出席し、営々とダッチロールを繰り返す直木賞とともに歩みつづけたうえで、最後には、老いたる者の証しとしてきちんと「ボケ」をかまして、それを理由に身を引く、という。確実にオチャメな選考委員ではありました。

 五木さん自身も、自分はあまり主流派ではなかった、と言っています。初期のころの選考会風景についての発言です。

「――選考についてお伺いしたいんですが、初めて委員になられた時、先輩の委員の方から、何か言われたり、アドバイスされたりということはございましたか。

五木 いやあ、ないですね。だって、異人種だと思われていたから(笑)。直木賞の選考会でブレヒトがどうだこうだなんて言う阿呆はいないんですけど、僕は青臭い盛りでしたから、そういうことも平然と言っちゃうでしょ。そうすると、何だか全然畑の違うやつが来たっていう感じがありました。」(『オール讀物』平成26年/2014年2月号 津本陽、平岩弓枝、五木寛之「直木賞と歩んできた」より ―構成:関根徹)

 当時は、先輩の選考委員たちが、「ゆうべはもう酔っぱらっちゃってね、ぜんぜん読んでないんだよ」「これはね、読んでないけど、題名が悪いよ」「この作家は顔つきが悪い」なんて言っていた、とも五木さんはこの鼎談で言っています。これだけ聞くと、よくそんなので直木賞もやってこられたな、と思うわけですが、しかし、じゃあいまみたいに、すべての選考委員がまじめに候補作を読んでくるようになって、緻密な議論(?)を重ねて選ばれるようになったとき、直木賞が素晴らしいものに変貌したか、……というと、別にそうでもないところが、直木賞の至らなさであり、くだらなさであり、おかしいところだと思います。

 五木さんもこう言っています。

「時代全体が、データをきちっと正確にやっていくという、そういう時代に入ってきてますから、時代の推移だろうと思うんですね。ただ、ノンシャランで、ちょっと豪快で無鉄砲だった時代もそれはそれでいいのかなと。だから、レポートを提出するように、精密にやっていく人もいて、一方でかなりラフな人もいるみたいな組み合わせがあったほうが面白いんじゃないですか。」(同)

 同感です。たかが直木賞なんてものを決める場で、全員が、分析家になってチマチマ評論ごっこなんてやってどうするんですか。え。たかが直木賞で。

 ……と、直木賞専門サイトをやりつづけている奴が「たかが」などと言っても、何の説得力もないので、やはり五木さんに語っていただきましょう。五木さんは現役の選考委員だったときに、直木賞なんてそんなエラいもんじゃないんだ、みたいなおハナシをしています。

五木 二十年前にやはり直木賞選考委員全員で座談会をしたことがありますが、そのときの座談のタイトルが「直木賞のストライクゾーン」だった。でも直木賞の作家というのは基本的にストライクゾーンで勝負してはいけないと思う。(引用者中略)極論してしまえば、ストライクを投げようとしてもボールになっちゃうような資質の持ち主のほうが向いているんじゃないのかな。(引用者中略)

 でも最近、最終選考に残る作品は大体がストライクゾーンに入っている作品ですよね。お行儀がいいというか。(引用者中略)

 直木賞の作家はもっと愚直でアホでいいんじゃないか(笑)。芥川賞との対比でいうと、「文学」ではなく「文芸」の意識を持って、例えばどんなに古風でも徹底的に物語の面白さを取り込むようなことをしたほうがいいんじゃないのかな。そして旗幟を鮮明にして、芥川賞との違いをもっと出したほうがいい。直木賞の作家が世間で尊敬されても仕方がないんだから。」(『オール讀物』平成19年/2007年3月号 五木寛之、井上ひさし、渡辺淳一「緊急鼎談 直木賞はどこへゆくのか 小説を志す人たちへ」より)

 「エラいもんじゃない」とは言っていませんでしたね。失礼。

 でも、まわりから評価されようとか、何だか直木賞受賞者=スゴい、とか、そんな感覚から、五木さん自身が逃れようとする姿勢は伝わってきます。型にハマりたくない男、五木寛之。そういうこともあって、選考委員時代は何度も、もっと直木賞は無名な作家、まだ手あかのついていない新人に贈ったほうがいいのじゃないか、と言い、「直木賞は世間でチヤホヤされることに意義がある」という渡辺淳一さんの考えと、好対照をなしていました。

 このハナシの流れのなかで、五木さんがぶち当たった候補者として、京極夏彦さんを持ってくるのが、適切なのかどうかはよくわかりません。最初に候補になった『嗤う伊右衛門』はともかく(……いや、すでに京極さんはベストセラー作家でしたけど)、そのあと2度も候補になって、いまさら直木賞候補って柄でもないでしょ、とそのたびに周囲は声を挙げました。書かれる内容も、本人が全然〈文学〉をやろうという気概のない人ですから、直木賞っぽくなさは群を抜き、文学賞ではかるような作風・作家じゃないよね、っつう空気が濃厚に漂っていたわけです。

 五木さんにとっては、「あまりにも直木賞がよしとするような文学性に乏しい」って意味で、これは逆に後押ししたい存在でもありました。何つっても、上で引用した五木さんの考えと似たようなことを、京極さんも別の場所で語っているというぐらいです。

「いい仕事をした結果、価値が付加されて芸術と呼ばれるようなことはあるんでしょうが、芸術性は作品につくもんで作者にはない。作者が芸術家を名乗るのはどうかと思うし。

 同じように「文学」という言葉も不得手です。文学性も芸術性と同様だと思う。僕の場合はやはり「文芸」でしょうかね。小説というのは文字を並べることで、読者をハラハラさせたり、怒らせたり、泣かせたりする、一種の芸でしょう。」(『オール讀物』平成16年/2004年3月号「直木賞受賞インタビュー 京極夏彦 やっぱり、日本的なものが好きなんです」より)

 ただ、京極さんといえば、もう「一家を成した」存在です。新風に与えたい気持ちは、果たされない。そこで五木さんお得意の、例の決めゼリフが登場することになるのです。

 「直木賞になじまない、さりとて芥川賞の枠にも入らない、というところが京極夏彦という作家の栄光と言えるのではあるまいか。」

 と。

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2014年3月 2日 (日)

北方謙三〔選考委員〕VS 山本兼一〔候補者〕…落選して、受賞しないまま書き続け、選考委員になった先に待っていたのは、苦悩。

直木賞選考委員 北方謙三

●在任期間:14年
 第123回(平成12年/2000年上半期)~第150回(平成25年/2013年下半期)在任中

●在任回数:28回
- うち出席回数:28回(出席率:100%)

●対象候補者数(延べ):167名
- うち選評言及候補者数(延べ):167名(言及率:100%)

 久しぶりに、現役の選考委員で行きます。

 北方謙三さんといえば、直木賞をとっていないのに、いまや直木賞150回フェスティバルにお呼ばれするほどの、代表的な選考委員のおひとりです。受賞せずに委員になったものですから、「オレみたいに落選して、つらい思いをするヤツは、もう出したくない」といった決めゼリフをおもちです。

「北方さんは選考のために、その作家の候補作以外の小説も複数読む。そして将来性も含めて検討し、評価するという。

「僕は、力量を持つ作家には、きちんと直木賞をあげていきたい。誰もが知る賞だからです。残念ながら、他の賞は一般的には知られていません。僕は選考委員ですが、いろいろな経緯があって、直木賞をもらっていません。選ばれなかったこともあれば、いらない、とも言った。直木賞は誰もが認める勲章です。断るには勇気が必要でした。だから、僕は同じ時期に直木賞を取った作家に負けない作品を書き続ける、と自分に誓った。

 でもね、直木賞を受賞せずに書き続けるのは大変な苦労があります。それは僕が一番よく知っている。(引用者中略)その僕と同じ苦労は、力のある若い作家にはさせたくない。(引用者後略)」」(『ダカーポ』平成18年/2006年7月19日号 北方謙三「力のある作家にきちんと受賞させたい」より)

 しかし、全員に授賞させるわけにはいかない、という文学賞のもつ壁に阻まれることから、いくら北方さんでも逃れることはできません。けっきょく、自分を落としたかつての選考委員たちと何がどう違うのか、もはや、よくわからないことになっています。しかも、横山秀夫さんを取り逃がした首謀団の一員として、後世にまで名を残してしまった、っつうオマケつき。……そうさ、それが直木賞さ。メゲずに行こうぜ、アニキ。

 選考委員としての北方さんを語るうえでは、どうしたって、北方さん自身が、この賞の対象になっていた頃(やそれ以前)のことに、思いを馳せないわけにはいきません。3月1日にあった川上弘美さんとの公開対談でも、売れない純文芸作家時代のこと、当時は芥川賞が欲しかったことなどが語られたそうです。4年前の小林麻耶さんとの対談でも、やはりそういうハナシが繰り出されています。しかもこちらには、リード文に、

直木賞はどうしたらとれるのか。文学賞をとれる作家ととれない作家は何が違うのか、教えてもらいました。」(『AERA』平成22年/2010年8月23日号「小林麻耶のワクワク対談」より ―太字下線は引用者によるもの)

 とあり、北方さんには直木賞とってほしかったぞ、と思っているオジサンも、つい目ガシラが熱くなってしまう、っていう寸法です。

 この記事が書かれたのは、第143回(平成22年/2010年・上半期)の選考会が終わった直後。北方さんは、道尾秀介さんを激推し、しかし反対が多くて撃沈しました。その心境などが自身の経験と合わせて語られています。

北方 今回、僕はずっと道尾秀介を推し続けてて、白熱して、怒髪天を衝いて――ああ、怒髪天を衝いたのは俺だけど(笑)、それをまたほかの人がなだめようとしたりね。(引用者中略)僕がここで道尾秀介の弁護をしても、どうせ落ちたんだからどうにもならないんだけれども、才能がありすぎると次にもっといいものを書くだろうと言われるんだよ。

麻耶 ああ、そう言われてしまう……。

北方 そう言われながら結局、直木賞をもらえない人がいるんです……僕がそう。もらってないから、選考会で自分の意見を通す最後の手段で、「俺はこの選考会に何の恩義もない」と言う。

麻耶 かっこいい!(笑)」(同)

 うーむ。かっこいい、というより、オジサンはせつなく、悲しくなってしまうのです。選考会に恩義があるかないか、なんちゅう、直木賞を選考するうえで大した武器になりようのないことを、つい口走っちゃう北方さんの哀愁、とでも言うんでしょうか。

北方 いろいろあって、その後(引用者注:自分が3度候補になった後)は候補にはならないことになったんだけど……。作家には「時」というのがあって、道尾は時が来ていると僕は思ってるんだけど、他の選考委員や状況は思っていないのかな。賞というのは、そういう流れとか風とか運とかが左右して決まっていく。(引用者中略)

麻耶 どうやったら運は掴めますか。

北方 書き続けるしかないでしょう。この人、候補になるのは5回目だよってことだったらね、6回目はマルつけようかと思うもん(笑)。要するに、継続が運を呼び込むんですよ。」(同)

 候補にするかどうかを決めている文藝春秋の人たちに、北方さんが、いいように転がされないよう、心から祈るばかりです。まあ、候補1回目だろうが2回目だろうが、ミステリー畑で誠実に働いている作家には、心強い声援を送ってくれる北方さんです。その辺はだいじょうぶでしょう。たぶん。

 さて、選考委員が「実力のある作家」に洩れなく賞を贈れる仕組みがあるのならば、誰も悩みなどしません。北方さんほどの、強い思いをもってしても、こればかりは何とも致しがたい。……っつうことで今日の「候補者」は、あえて北方さんが熱く推奨した人ではなく、3度の候補で、いずれも微妙な態度に終始した後輩時代作家、山本兼一さんに登場してもらうことにしました。追悼の気持ちも……多少はあります。

 自分なりに付けた候補作に対する点数を、あまり明らかにしないK野N生さんのような方とは違い、北方さんはいつも選評で、悩んでいる自分、苦しんでいる自分を正直に見せながら、それでも、どの作品に○をつけたかを表明します。その、どこか晴れない気持ちを想像しながら、山本作品に感想を述べる北方さんの、苦渋の選評、味わってみましょう。

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