渡辺淳一〔選考委員〕VS 東野圭吾〔候補者〕…この人がいない直木賞なんて考えられません。まだまだ辞めないでください。
直木賞選考委員 渡辺淳一
●在任期間:29年半
第91回(昭和59年/1984年上半期)~第149回(平成25年/2013年上半期)在任中
●在任回数:59回
- うち出席回数:59回(出席率:100%)
●対象候補者数(延べ):359名
- うち選評言及候補者数(延べ):287名(言及率:80%)
まもなく一年が終わります。今年もいろいろとハシャいだり馬鹿やったり、自由きままに書いてきましたが、最後の週ぐらいはおごそかに、厳粛に、平穏なこころで平成25年/2013年を締めくくりたいと思います。
……って言いながら、今回、主役として渡辺淳一さんを選んでしまいました。無理です。おごそかにやりすごせるわけがありません。
別名、直木賞選考界のトラブルメーカー。はたまた、「実写版・大いなる助走」との異名を持ち、最近の辞書では「渡辺淳一」と引くとまず一項目に「早く直木賞委員を辞めてほしい人。」と書いてあるらしい、とすら言われている、当世直木賞界きっての悪役、つまりはひるがえって救世主。渡辺さんのことを語って、平穏でいられるわけないじゃないですか。
ええと、ワタクシの立場から明言しておきますと、渡辺さんの選評、好きです。直木賞に興味をもちはじめた20年ぐらい前は、しばらく嫌いだったんですけど、途中から急激に好きになりました。渡辺さん自身、「僕は60歳をすぎてから、だんだんこわれてきた。(笑い)」(『週刊朝日』平成13年/2001年11月30日号)と言ってもおりまして、何というのでしょう、壊れゆくものの面白さ、とでも言いましょうか。
だいたいワタクシは、90年代から21世紀、この時代に「直木賞」なんてものに無性に愛着を抱くぐらいの人間です。まっとうな批評。毅然とした振る舞い。どこから見ても品行方正で非のうちどころなし。……そういったものには、全然、心揺さぶられません。そこにあって渡辺さんの、ものわかりの悪さを堂々と書き連ねる、非論理的な選評。ザッツ・直木賞。それを読んだ観客たちが、渡辺さんの日ごろの行動や、渡辺さん自身の小説の出来をからめて、牙をむき出しにキャンキャン吠え立てる。ザッツ・直木賞。そうです。これなくして、何が直木賞というのですか!
……候補者だった東野圭吾さんも、6度の候補経験のことを、こう語っているじゃないですか。ほんとに楽しいゲームだった、と。ワタクシみたいな外野の人間とは、まったく違うレベルの「楽しさ」でしょうから、いっしょにしちゃいけませんけども。
ちなみに言わずもがなですが、ここで東野さんが「ゲーム」という表現を使ったのは、渡辺さんがこういう選評を好んで書いていたことへのオマージュ(もしくは当てこすり)です。
「(引用者注:東野圭吾の)「白夜行」(引用者注:真保裕一の)「ボーダーライン」(引用者注:福井晴敏の)「亡国のイージス」は、ともに子供の父親殺しという点で、共通のテーマを扱っている。(引用者中略)この三作の中では「白夜行」がやや読ませるが、いずれも殺人がゲーム的に書かれていて、小説になりきっていない。(引用者中略)だからといって、この種の小説を否定する気はないし、こういうものを好む人がいることも理解できるが、あくまで直木賞という賞の対象としては、いささか別のものではないか。」(『オール讀物』平成12年/2000年3月号 渡辺淳一「ゲーム的小説」より)
いや、これを「当てこすりだ」と断言するのは不正確でした。すみません。正確には、ワタクシのような観客が勝手にそう想像してしまえるような舞台があった、と言うべきでしょう。要するに、外野にいる人たちのたくましい妄想力がなければ、「渡辺淳一 vs 東野圭吾」なんて図式は、絶対に成り立たないものでした。
東野さんがはじめて直木賞の候補になったのが第120回(平成10年/1998年・下半期)のとき。長年の苦労を経た末に、『秘密』一作で大好評を勝ち取ったデビュー15年目のことでした。テーマへの踏み込みが足りないとして、黒岩重吾さんや阿刀田高さんが難色を示し、いや、何より候補6度目の宮部みゆきさんが同じ候補のなかにいて、その圧倒的な実績の前に、まず勝負になりませんでした。渡辺さんも、
「東野圭吾氏の「秘密」は、思いつきだけの小説で、内側で発酵していない欠陥が表れたようである。」(『オール讀物』平成11年/1999年3月号 渡辺淳一「「理由」と「この闇と光」」より)
とバッサリ酷評はしています。ただ、渡辺さんの場合は、こんな選評を書くのは、別にふつうのことでした。とりたてて特筆すべきハナシでもありません。
ところが、当時の渡辺さん(の私生活)に対して、相当な熱を入れて関心を持っていたひとつのメディアがありました。『噂の眞相』です。
「『噂の眞相』は一人の人物や事件をキャンペーン的に何度も繰り返して取り上げることはしないということを基本方針としていた。
(引用者中略)だが、例外はある。そのキャラクターが強烈なために記事にしても面白いし、ネタには事欠かないために比較的頻繁に誌面で取り上げざるを得ないケースもあった。その中の一人に作家の渡辺淳一がいた。(引用者中略)
その渡辺に関する衝撃的、そして決定的情報を『噂の眞相』編集部は入手した。それは、渡辺淳一が女優の川島なお美と愛人関係にあるという情報だった。」(平成18年/2006年3月・ソフトバンククリエイティブ/ソフトバンク新書 岡留安則・著『編集長を出せ!――『噂の眞相』クレーム対応の舞台裏』「第一章 『噂の眞相』人間ドラマ裏面史篇」より)
平成8年/1996年11月号、平成10年/1998年8月号、同年10月号と、渡辺&川島お二人の関係は記事となりまして、壊れゆく60代半ばの渡辺さんの行状が、『噂眞』の誌面を飾りつづけました。
でも、別にそんなことはどうでもいいのです。直木賞(の観客)にとっては。ワタクシたち観客が、にわかに身を乗り出すきっかけとなったのは、『秘密』を出した東野さんがググッと話題の人となり、そして東野さんも渡辺さんと同様に、酒場界隈に積極的に出入りするタイプの方だったために、こちらも『噂眞』のアンテナにピピーンとひっかかり、渡辺 vs 東野 produced by 『噂眞』、という展開が繰り広げられたことにありました。
『噂眞』編集部によりますと、発端は、平成12年/2000年2月号の「Photo Scandal」で、こんな記事を載せたことにあったそうです。「売れっこ作家東野圭吾が銀座文壇バー女性と熱愛 離婚してモテモテの東野がベストパートナー獲得」。この記事のなかで、ひとりの文壇関係者のコメントとして、川島なお美さんが熱烈に東野さんにアプローチしたが、東野さんは「あのタイプは嫌いなんだ」と言って閉口し、けっきょく川島さんがフラれたようだ、といったウワサ話が語られました。
つづいて、『噂眞』編集部に絶大な人気を誇る渡辺さんのほうが、次号の平成12年/2000年3月号で「川島なお美との「失楽園」が終わった渡辺淳一の新しい愛人をスクープ!」と、大きな記事の標的になります。その記事中でも、川島さんが東野さんにラブコールを送っていたが失敗した、というハナシが紹介されます。そして、ページを飛ばして「文壇事情」のコーナーで、第122回(平成11年/1999年・下半期)直木賞の結果が報告されているんですが、ここに、渡辺さんと東野さんの名前がそろって登場するわけです。こうです。
「選考会が異例に長びいたことからも、票が割れてもっとも反対理由のない無難な受賞作に落ち着いたことが窺える。
ここで問題となるのが本誌先月号の記事である。東野が川島なお美から熱烈にアプローチされたが見事にフッたという内容だ。そう、直木賞の選考委員には『失楽園』の渡辺淳一も名前を連ねているのだ。俺からのりかえようとした相手はこいつだったのかと、少なからぬ影響を与えたのは想像に難くない。本誌発売が十日、選考会が十四日というタイミングである。東野本人もひどく気にしていた様子で、なにもこの時期にぶつけて書かなくてもいいのにと、銀座でボヤいていたという。ついに本誌も直木賞の行方を左右する存在になったのか!?」(『噂の眞相』平成12年/2000年3月号「文壇事情 ●東野圭吾が直木賞を逃した“理由”」より―署名:(Z))
やったぜ、自分たちの雑誌が、直木賞なんていうチョー有名な賞の選考に影響を及ぼした! もー天にも昇る思い、とイイ夢でも見たんでしょうね、たぶん。何でもプラス思考で、うらやましいことです。「渡辺さんが選考会より前に『噂眞』の記事を読んでいたのか、否か」「渡辺さんは自分の(かつての)愛人がアプローチをかけたから、その作家に票を入れなかったのか、否か」という重要な箇所の裏取りを省いた、基本、妄想ネタです。あれですか、福井晴敏さんも馳星周さんも真保裕一さんも、みんな、何か渡辺さんから一方的に怨みでも買っていたから授賞を反対されたんですか。
んなわけないでしょ、って。
推理小説だミステリーだ、と言って騒がれて売れるような小説のことを、渡辺さんがむちゃくちゃ嫌いで、こんなもの文芸作品とは呼べないぞ、とそれまでも直木賞でバシバシ不平不満を叩きつけていたことぐらい、みんな知っているでしょ。そして渡辺さんひとりが反対したって、他の委員が賛成すれば直木賞は受賞できる、っつう当たり前のことだって、みんな知っているじゃないですか。乃南アサ『凍える牙』とか赤瀬川隼『白球残映』(←これはミステリーじゃないけど)とか。
渡辺淳一が色狂いで自分の恋愛沙汰の私怨を晴らすために受賞に反対した、とか、そういうことを言う人もいます。渡辺さんの選考基準(っつうか小説に対する好み)や、選考会内での立ち位置などを全部すっ飛ばして、よく、そんなことばかり興奮して言えるよなあ、と感心の念すら湧いてくるのです。しかも、このネタが好きな人たちはずーっと言っています。以下は平成17年/2005年の匿名座談会記事。
「B 文学賞は文壇政治の力学が最も発揮される場だから。実際、北方(引用者注:北方謙三)が直木賞選考委員就任と同時に、盟友の船戸与一に授賞させたのは有名だし。逆に特定の作家の授賞に必ず反対する選考委員もいる。
D たとえば、渡辺淳一センセイは東野圭吾の授賞に反対しがち。おかげで東野はこれまで5回も候補になりながら、ずっと落選し続けてる。
A 渡辺センセイがご執心だった女性が東野に乗り換えようとしたからというほとんど逆恨みみたいな理由だという噂だから、東野もかわいそうだよね。」(『ダカーポ』平成17年/2005年10月5日号「文芸記者匿名座談会 受賞拒否の作家も出現。文学賞選考の舞台裏」より)
6年もたって、いまだ「噂」を頼りに同じハナシを語り続けている、という。っつうか、ほんとにかわいそう、とか思ってないでしょ、これ。
『週刊SPA!』の坪内祐三・福田和也両氏の対談でも、もう渡辺 vs 東野の構図に触れなきゃ第134回直木賞の話題は語れない、って感じで言及されています。
「坪内 今回の直木賞のポイントってのは、東野圭吾さんが候補6回目で受賞できるかどうかだったと思うのね。
福田 『容疑者Xの献身』(引用者中略)ね。東野さんは、これまでもっといい本をたくさん書いてるのに、でも、直木賞を獲っていなかったんだよね。
坪内 選考委員の渡辺淳一さんお気に入りの銀座のホステスを取っちゃったからだって、ずっと言われてきたわけだけど…。
福田 受賞作は、読みやすくできているし、はっとするトリックもあるね。けど…うーん、受賞が決まって良かったと思うから言えるんだけど、やっぱり東野さんのでもっといいの、他にいっぱいありますよ。」(『週刊SPA!』平成18年/2006年1月31日号 坪内祐三&福田和也「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ」より ―構成:石丸元章)
うーん。たしかに渡辺さんは「壊れゆく存在」ですから、お気に入りのホステスを東野さんにとられて、それを理由に東野さんに票を入れなかった、って想像したくなるのもわかります。わかりますが、そうだと仮定してもですよ。それが、東野さんが5回も落とされた主たる理由になるのは変だ、とか不思議に思わないんですかね? だってどう考えても無理でしょ。渡辺さんひとりが、他の委員たちの票を動かすなんて。
「伊集院(引用者注:伊集院静) 誰かの意向で結果が左右されるほど直木賞は小さいもんじゃない、ということをはっきり言っておきたい。(引用者中略)もう一つ言うと、例えば個人的に仲が良いだとか知り合いだからという理由で、一票を投じることはありえないでしょう。
林(引用者注:林真理子) もちろんです。その反対もありません。以前「噂の真相」という雑誌があって、「林真理子は選考会で自分より若くて美人の作家に票を入れない」という中傷記事が出ていましたが、的外れもいいところです。(引用者中略)作家ってすごく嫉妬深いけれども、文学賞の選考ではドロドロとした感情は家に置いてくるんです。私情が入り込んでいたら、他の選考委員の方にあっという間に見抜かれてしまう。」(『オール讀物』平成26年/2014年1月号 林真理子、伊集院静「新しい小説のために」より)
渡辺さんの(仮に私怨からくる)反対意見があったとしても、黒岩重吾やら井上ひさしやら五木寛之やら平岩弓枝やら田辺聖子やら津本陽やらが、自分の意見を曲げてまでホイホイとそこに乗る場面……、まあ想像できませんわな。直木賞のことに興味もなく、聞きかじりの知識で直木賞を語る人なら、想像しちゃうのかもしれませんけど。
でもアレです。渡辺さん自身が、とにかく男女の情愛とか関係性とかのハナシが大好きな人です。もしかしたら、こういう噂バナシで盛り上がって名前を出してもらえることは、本望なのかもしれません。
○
渡辺さんの選評は、大して論理的でなく、それでもそれを堂々と開陳するところがワタクシは好きだと、さっき書きました。ただ、渡辺さんのなかには案外と、強固な信念(というか直木賞観)があって、そこはそんなにブレていません。
推理小説やらミステリーやら、そういった部分だけをウリにしたものは小説として関心が持てない、っていう考え方です。
平成10年/1998年春に直木賞選考委員として行われたインタビューがあります。第118回(平成9年/1997年・下半期)受賞作なし、の結果に合わせて行われたもので、東野さんが『秘密』で初候補になるより前のものです。
「渡辺 別に、僕はミステリーの候補作が増えること自体、悪いことだとは思っていません。(引用者中略)しかしミステリーがいわゆるミステリーだけにとどまり、そこから一歩も出ないのでは困る。ミステリーであってもやはり人間を書いてくれないと。この人間を書くために読者を引っ張っていく仕掛けとして、ミステリーを使うのは一向に構わないんだけれど、それが単純な謎解きとか、ミステリーという道具に遊ぶだけの趣向の域を出ないのでは面白くない。もちろんミステリーがミステリーだけにとどまっている作品があり、そういうジャンルがあることも否定しないけど、それだけの小説では直木賞には推したくないということです。」(『オール讀物』平成10年/1998年3月号 渡辺淳一「不易流行」より)
とくに、おかしな意見でもありません。渡辺さんは、当時、小説を読む多くの読者がミステリーファンという状況についても、それが時の流れというものだから、としてまったく否定していませんし。単に「そういうものを直木賞には推したくない」としているだけのことであって、それをもって渡辺淳一は傲慢だ、時の流れについていけていない、とするのは、逆にそちら側の人が直木賞の権威性なりに過大で過剰なイメージを持ちすぎです。
直木賞が何かすべての小説の代表とか、てっぺんとか、そういうものじゃないことぐらい、みんな知っているじゃないですか。おそらく渡辺さんだって知っています。要するに価値観の問題です。別にこういう人がひとりぐらい直木賞の選考委員にいたってイイのじゃないかと思います。
ただ、なにしろ渡辺さんは、自由に物事を言えることが作家になってよかった「利点」ととらえる性格の持ち主です。何を言われてもヘコまない自分を肯定する方です。
「(13)作家になってよかったと思うことは何でしょう?
自分の本音を正直に言えること、飾らなくてもいいのが良かったと思います。
(14)作家に必要な資質は何だと思いますか?
すべて、どんなこともあからさまに表現する開き直りの強さ。「これを書いてあの人に読まれたら困る」とか、そういうものがなくなることですね。」(『本の旅人』平成22年/2010年1月号「渡辺淳一さんへの質問」より)
渡辺さんのこの基本姿勢は、別に年をとったから獲得したものじゃなくて、昔っからそうでした。平成に入って、誰かに気をつかっている(かのような)選評が増えていくなか、とくにやり方を変えない渡辺さんだけが目立っていき、しかも、固定ファンのわんさかいる人気ジャンルに対して、強烈な異論を吐く。どんどんと嫌われていく、っていう寸法です。
あと、渡辺さんについては、「老害だ!」とか攻撃されたりもしています。けど、そうですか? 渡辺さんみたいに、賛成か反対か、ハッキリと旗幟を鮮明にする委員には、たいした害などないと思いますよ。むしろ、井上ひさしさんとか五木寛之さんのように、おそらく東野作品に高い点はつけなかったんだろうな、と匂わせるだけで結局、違う作品に票を入れている委員の存在こそが、長いこと東野さんへの授賞を遠ざけてきた、とは思わないのかな。……思わないんだろうな。
で、第150回からはいよいよ、その東野さんも選考委員会に参戦。ってわけで、あとどのくらいご両人がいっしょに選考できる日が続くのかわかりませんけれども、東野さんにはぜひ、渡辺さんほか、先輩選考委員たちとのゲーム、心ゆくまで楽しんでほしいと思います。
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