津本陽〔選考委員〕VS 古処誠二〔候補者〕…人間年をとるとね、珍しいからといって惹かれたり興味をもったりしなくなるんだよ。
直木賞選考委員 津本陽
●在任期間:11年半
第113回(平成7年/1995年上半期)~第135回(平成18年/2006年上半期)
●在任回数:23回
- うち出席回数:22回(出席率:96%)
●対象候補者数(延べ):135名
- うち選評言及候補者数(延べ):124名(言及率:92%)
選考委員を馬鹿にする方法には、いくつかの型があります。「あんな小説書いているやつが、よくそんな偉そうなことを言えるな」と、委員自身の実作を引き合いに出すやりかた。「きちんと読んでいれば、そんな評をするはずがない」と、批評能力(あるいは不真面目さ)をあげつらうやりかた。そして王道といえば、「年寄りに新しい文学などわかるはずがない」と、年齢のことを持ち出して攻撃するやりかたです。
いずれも、選考委員をけなすときはそれだけ言っていれば安全です。テッパン中のテッパン、とでも言いましょうか。
で、直木賞の選考委員というのは、どのくらいの年齢で就任することが多いかというと、大半は40代、50代です。最近では就任年齢の高齢化が進んでいて、次から参加する東野圭吾さんは55歳、高村薫さんは60歳、3年前に就任した二人、桐野夏生さんは59歳(当時)、伊集院静さんは60歳(当時)と、50代後半から60代にかけてでこの席に就く例が続きました。ただ、60代も後半になって委員になった人は、これまで3人しかいません。石坂洋次郎さん当時67歳、新田次郎さん当時66歳、そして今日の主役、津本陽さん当時66歳。就任したてのときから「年寄りが云々」攻撃を受けることを約束された、直木賞史上でも珍しい選考委員でした。
平成7年/1995年、相当に年を重ねたうえで選考委員になった津本さんですが、その選考姿勢の根底には、やはりそれから約30年ほどまえ、津本さん自身が最初に候補になったときの経験が色濃くあるようです。あるようです、っていうか、津本さんはそう言っています。
「三十六歳でVIKINGの同人となり、最初の作品が中山義秀氏に認められて直木賞候補になったことが、私を不思議な運命に導いていってくれたのであった。
中山義秀氏とは一度もお目にかかることがなかった。亡くなられたときお葬式にお参りしたかったが、一面識もないので、なんとなくはばかられて心でお別れを申し上げた。
小説家の縁というのはそのようなものである。いろいろの因果関係で結ばれるのではなく、作品を通じて理解が生まれる。そういう縁が今も私の中に強い印象を残している。
私は直木賞選考委員をつとめているが、候補作品にむかうとき、和歌山の一隅に生きていた、私のようなまったく未知の人間の作品を推してくれた中山氏のことをよく思い出す。そして真剣に作品に対して検討をするのである。」(平成13年/2001年9月・光文社刊 津本陽・著『人生に定年なし』「第一章 老いて想うこと」より)
引用元の『人生に定年なし』もそうですし、これと構成は違えど津本さんが過去を振り返って何かを言う、という意味で似たような内容の『過ぎてきた日々』(平成14年/2002年10月・角川書店刊)もそうなんですけど、当時70代の津本さんが、そりゃあ老いたら関心も変わるもんよ、若い君らにはわからんよね、へへへ、といったおハナシがどんどん繰り出されていまして、ガッツリと爺さん臭を嗅ぐことのできる本となっています。
たとえば、こんな感じ。
「以前は自由に想像力をはたらかせる小説を書いていたのが、史料を中心とする歴史の小説を書くようになってから、窮屈な思いをするようになった。
月五百枚も歴史小説、剣豪小説を書けば、疲労がしだいにたまってくる。六十歳前後、八十二、三キロも体重があったのは、疲労によるむくみであったのだろう。
いまでは体調はわりあい安定している。とりたてて悪いところもない。しかし、何事にもめずらしさを感じることがすくなくなってきた。
歴史小説を書いても、史料にすなおに従ってゆく。実状はどうであったのだろうかなどと、史料を裏返しにして奇説をうちだそうという意欲をおこすこともない。」(津本陽・著『過ぎてきた日々』「二十二」より)
要するに、60年も70年も生きてりゃ、もう新奇なストーリーに目を輝かせることもなく、そんなので喜ぶのはジャリだけだ、と言っているわけですが(え? 言ってないですか)、「史料にすなおに従う」っつうのが行きすぎて、『八月の砲声――ノモンハンと辻政信』(平成17年/2005年)とか『天の伽藍』(平成3年/1991年)とかで先行文献の著作権侵害問題をひきおこしています。すばらしい試みですよね、想像力の衰えた男が、想像力を駆使した後輩たちの小説を読んで、点数をつける直木賞。何ひとつ問題などないと思います。
と言うのも、直木賞に何か新しい小説を発見したり、道筋をつくったりする責務はありません。実績もありません。これまでもずーっとそうでした。どうか安心してください。何じゃこの選考は!と盛り上がることが、事業としての大成功です。その点、津本さんのような選考委員はまったく得難い存在でした。
そして、津本さんのその「得難さ」を掘り出してきて、広く世間に伝えた功労者は、何となっても大森望さんと豊崎由美さんの『文学賞メッタ斬り!』でしょう。『2007年度版 受賞作はありません編』では、「ROUND4 津本先生、さようなら 直木賞と津本陽」と一章まるまる使って、津本さんをフィーチャーし、津本さんが候補・受賞したときの当時の選評から、津本委員の毎回の選評を茶化しつつ、ツッコんでいくという。お二人の「ツモ爺」もしくは「ツモ」に対する惚れ込みぶり、ハンパないものになっています。
「豊崎 でも、ツモ爺がいなくなって選考委員が八人になっちゃったじゃないですか。偶数だと票が同数に割れたりして問題が大きいから、ここは急いで一人補填するつもりでしょうね。だれがいいんでしょ。
大森 北村薫(笑)。
豊崎 ええー?(笑)まあ、どなたでもけっこうですけど、ツモ爺みたいに選評ファンを楽しませてくれる人がいいなあ。いやいや、もうホントに津本陽先生には感謝感謝ですよ。こうして一人の選考委員をおいかけるのって面白いですよね。ジュンちゃん(引用者注:渡辺淳一)が辞めるときが今から楽しみっ(笑)。
大森 豊崎さんが生きてるあいだには辞めないと思うよ。」(『文学賞メッタ斬り!2007年度版 受賞作はありません編』より)
それでここで、豊崎さんが「戦争、ツボですから、津本先生の。」と指摘されているように、一冊前の『リターンズ』「ROUND2 '04~'06年、三年分の選評、選考委員を斬る!」で、槍玉に挙げられた津本さんの選評が、第132回(平成16年/2004年・下半期)の古処誠二さん『七月七日』に対するものでした。っつうことで今週は、津本VS古処で行きたいと思います。
津本さんが戦争に対して思い入れがある、ってのはそのとおりで、というか当然のことで、昭和4年/1929年の津本さんは昭和20年/1945年の停戦を迎えたとき16歳。私小説ふうのものを数多く書いていた直木賞受賞前後から、当然戦争に関するおハナシは津本さんの関心事のひとつであり、ニューギニア戦線からの帰還兵だった義兄を題材に『わが勲の無きがごと』(初出『文學界』昭和55年/1980年11月号、昭和56年/1981年3月・文藝春秋刊)といった作品もあります。
そしてメッタ斬り!の対談で大森さんが指摘するように、ちょうどこの選考会が行われていたころは、津本さん、『オール讀物』に「名をこそ惜しめ――硫黄島魂の記録」を、また『小説現代』には「八月の砲声――ノモンハンと辻政信」を連載中でした。空想を働かせる剣豪小説から、徐々に史料に重きをおいた歴史小説に興味の軸が移り、その延長線上で「歴史小説」としての戦記ものに頭いっぱい、みたいなときでした。
「――(引用者中略)戦記物に取り組まれた動機をお聞かせください。
津本 終戦から六十年経っていますが、日本では戦記については、アメリカによる教育指導などもあって興味が持たれていない。歴史がそこでスーッと切れたようになっている。しかし、あと三十年、五十年経ったら、そこにブランクができるということは無視できないと思ったんです。」(『本の話』平成17年/2005年12月号「ロング・インタビュー 硫黄島の戦いに日本人の本質が見える」より ―聞き手・構成:高橋誠)
で、いろいろと取材して、じかに証言を聞き、自分で小説を書きつづけていた矢先の、古処さん『七月七日』の候補入り。津本さん、力入れて選評を書くのも当然のことと思います。だってほら、基本、「真剣に作品に対して検討」する人ですから。関心あるテーマの小説なら、とくに。
○
と言いますか、この回の選考では最終3作が残りました。角田光代『対岸の彼女』、山本兼一『火天の城』、そして古処誠二『七月七日』。津本さんがこの回の選評できちんと行数を割いて評しているのも、『対岸の彼女』、『火天の城』、『七月七日』の3つ。……別段、おかしいことはありません。
「「七月七日」はサイパン島の日米攻防戦を、二世語学兵の眼を通してえがいた作品で、ていねいに描かれており、最後の七夕祭の短冊の場面は特に余韻があっていい。
だが、作品全体に余裕がありすぎる。どうにも逼迫感というのか、臨場感がなく、数万の人間が何千倍という火力で叩きつぶされ、火焔放射器で焼きはらわれながら、潰滅してゆく、時代の悲劇の状況がどうも感じとれない。歴史小説であれば、日本軍が陸海協同作戦をとれないまま、島外へ退避できない住民をもまきぞえにして、実に惨憺拙劣としかいいようのない結末をむかえる悲劇を書きとめてほしいのだが、なんとなく間延びしてしまった。」(『オール讀物』平成17年/2005年3月号 津本陽「悲哀のいろどり」より)
以上です。
他の作品に対する表現とかと比べても、ふつうの選評と読めます。しかし、メッタ斬り!の二人が津本選評に並々ならぬ愛情をもっているのだな、と感じさせるのは、ここをわざわざピックアップしてネタにしているからなんです。
「豊崎 (引用者中略)太平洋戦争を描いた古処誠二の『七月七日』(132回)に対しては、ツモ爺、めずらしく熱く語ってます。怒ってます。
(引用者中略)
大森 選考会で津本先生が「どうもこれは、わしの知っとるサイパンとは違うサイパンですな。実際はこうではありませんでしたが」って熱弁をふるうと誰も反論できない。おかげで受賞が有力だった古処さんが落ちてしまうという(←推測)たいへん不幸な事態に。(引用者中略)他の選考委員は、古処誠二なんて一九七〇年生まれの若い作家が太平洋戦争をテーマに選ぶというチャレンジ精神を評価してるわけですよ。でも、津本先生だけは頑としてそれを認めない。」(『文学賞メッタ斬り!リターンズ』より)
この妄想力が、メッタ斬り!の真骨頂だと思うわけです。だって林真理子さんだって、この作品、別に評価していないし……。津本さん、『対岸の彼女』や『火天の城』に対しても熱く語っている(と読める)し……。要はデフォルメ、っていうんですか。いかにもな感じで津本委員像を紹介する、そこがメッタ斬り!の特徴でもあり、またワタクシの好きな部分でもあります。さすがです。
まあ、津本さんのいない選考会でも、あと二度、古処さんの小説は候補になって、二度とも受賞に達しなかったので、津本さんひとりに、古処落選の責を負わせたくはありません。一発目の候補のときは、より鮮烈だったでしょうから、チャンスの度合いからすれば、たしかに第132回のときが一番高く、ここで津本さんが推していたらなあ、とは思うんですが。津本さんの、歴史小説へのこだわりがわかったので、よしとしましょう。
古処さん自身は、あまり自分は「戦争小説」を書いている、という意識はないと言って、またこんなふうに、小説に向き合う姿勢を語っています。
「たとえばニューギニアの戦いというと、「日本軍が飢餓に苦しんだ」というイメージばかりが固定化されています。もちろん、そういう悲劇的な事実はありましたが、それだけではありません。終戦まで毎日コメを食べていた部隊もある。ニューギニア一つとっても、とにかくさまざまな事実が存在するんですよ。
それなのに、「すでに戦争は書き尽くされている」という意見もあるようですが、とんでもない話だと思います。書かれているのはほんの一握り。戦争はまだまだ、いろいろな角度から描くことができます。
「スコールに与えられた時間」では、米軍に攻撃されているときのサイパンを舞台にしましたが、よく語られる日本軍の玉砕や民間人の悲惨な集団自決は書いていません。玉砕の前にも、多くの出来事がありました。
(引用者中略)
――執筆に当たって、実際に戦争に行った人々に取材をしているのですか。
一切していません。戦争を体験した人たちから聞き取りをすると、その話に縛られてしまって、少しも否定できなくなるからです。
戦争の事実関係については、当事者の間でも論争が続いていることが多い。人の生死に関わることだし、名誉や不名誉もかかっているので、異なる主張や証言があるのもやむを得ないのですが、そのときに特定の人の声だけを尊重していては、小説は書けません。かといって、多くの人の声を集めていては、それはルポルタージュであって小説ではなくなってしまう。」(『週刊現代』平成22年/2010年9月18日号「『ふたつの枷』インタビュー 書いたのは私です」より ―構成:山本修群)
ええ、津本式の史料と証言をかき集めた従来型の戦記小説があってもいいですし、古処さんの戦場を舞台にした新たな小説があってもいいと思います。悲惨一辺倒で縛らない古処さんのほうに、(むろん年齢からしても)未来は開けているのは自明のことです。その辺がくっきり現われていて、面白いじゃないですか、直木賞の選考って。
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