山口瞳〔選考委員〕VS もりたなるお〔候補者〕…せっかく推したけど味方なし、の悲哀、いくたびも。
直木賞選考委員 山口瞳
●在任期間:15年半
第83回(昭和55年/1980年上半期)~第113回(平成7年/1995年上半期)
●在任回数:31回
- うち出席回数:31回(出席率:100%)
●対象候補者数(延べ):207名
- うち選評言及候補者数(延べ):141名(言及率:68%)
個人的に、山口瞳さんのエッセイが苦手です。こっちが素直じゃないからでしょう、例の「新入社員諸君!」なんかの広告も、何がいいのかてんでわからず、要するに仕事を始めて10年、20年たった人がアレを読んで共感する、みたいなシロモノでしょう、と思って素通りし、社会人になって20年たってもなお、ピンと来ないでいるボンクラです。
「山口瞳が嫌う人間とはどういうタイプなのか。『江分利満氏の優雅な生活』や「男性自身」シリーズから拾いあげるとつぎのようになる。
ずるい奴。スマートな奴。抜け目のない奴。すばしこい奴。クレバー・ボーイ。Heartのない奴。Heartということがわからない奴。遠慮しいしい図々しい奴。権力を嵩にきる奴。オレがオレがという奴。馴れ狎れしい奴。等々。
ああ、生前会わずにすんだのが、もっけの幸いだったと胸を撫でおろしたくなる。」(平成19年/2007年8月・柏艪舎刊 常盤新平・著『国立の先生 山口瞳を読もう』所収 中野朗「編集を終えて」より)
ほんと、怖いですね。そりゃあまあワタクシだって、山口さんが指摘するような人たちは、好きじゃありません。だけど、いちばん苦手なのは、そういうことを包み隠さずに公然と言いのけてしまえる人種だったりします。山口さんのエッセイからは、そういう好き嫌いの激しさがピシピシと伝わってくるので、どうも苦手なんです。
ただ、山口さんの選評は好きです。
もちろん直木賞に関する文章だから、っつうのが第一の理由なんですが(オイオイ)、好き嫌いの激しい山口さんが、選考会のなかで少数派に属し、けっきょく意中の候補が落選して、それでもなお、とにかく全面的に自分の推した作品を褒め称えずにはいられない矜恃、はたまた悲哀。大勢にのみ込まれてしまう小舟の懸命さが、胸キュンキュンするのです。
まずは、選考委員への就任が決まったときの意欲あふれる山口さんの声、お聞きください。
「「ビックリしてるんですよ。だって、私はそんなに沢山書くほうじゃないし、いわゆる流行作家じゃない……」
というのは、松本清張氏の辞任、新田次郎氏の急逝のあとをうけて、阿川弘之氏とともに新直木賞選考委員に就任した山口瞳さん。
「ただし、本を読むのは好きだから、嬉しい気持もあります。私が頂いたからいうわけじゃないんですが、直木賞って大好きなんですよ」
その理由(ルビ:わけ)は五回、六回候補になってもとれない人もいれば、
「私もそうなんだけど初めて候補になったのにとれる人もいる。これはつまり、持ち回りでなく作品本位ということですね。だから意外性もある」
その作品本位という伝統を守りたいという。ながいこと「小説現代」新人賞選考委員をつとめているが、その読み巧者ぶりはツトに定評あるところ。
「今回(7月選考)はいろいろと有力な人がいそうで楽しみにしてます。もっとも、その人が候補になってくれなきゃ、しようがないけども」」(『週刊文春』昭和55年/1980年4月17日号「ぴいぷる 山口瞳」より)
このときから早くも向田邦子さんの存在が頭のなかにあったんじゃないか、とうかがわせるような感じでもありますが、7月の選考で見事、山口さん泣きの粘りを見せて「初候補」向田さんを授賞に導く、ってわけです。
しかし当然ですけど、山口さんひとりが向田授賞を実現させた、なんていうのは言いすぎでして、他に水上勉さん、阿川弘之さんの強い支持があったればこそでした。そして山口さんが第一位に推した作品が、そうそう授賞に選ばれる幸運が訪れるはずもなく、
- 第85回(昭和56年/1981年上半期)神吉拓郎「ブラックバス」「二ノ橋 柳亭」落選。
- 第86回(昭和56年/1981年下半期)村松友視「泪橋」落選。
- 第87回(昭和57年/1982年上半期)胡桃沢耕史『ぼくの小さな祖国』落選。
- 第92回(昭和59年/1984年上半期)島田荘司『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』落選。
- 第93回(昭和59年/1984年下半期)宮脇俊三『殺意の風景』落選。
- 第95回(昭和61年/1986年下半期)隆慶一郎『吉原御免状』、泡坂妻夫「忍火山恋唄」落選。
- 第103回(平成2年/1990年上半期)清水義範『虚構市立不条理中学校』落選。
- 第106回(平成3年/1991年下半期)中島らも『人体模型の夜』落選。
- 第110回(平成5年/1993年下半期)熊谷独『最後の逃亡者』落選。
……といった感じで、もちろんその間、山口さんの推奨作が授賞に入ることもあったんですが、ずいぶんと「衆寡敵せず」の撃沈回を重ねていきます。こないだ藤沢周平さんのときに取り上げた志水辰夫『いまひとたびの』なんかもそうです。そこで山口さんが、「志水辰夫ももう58歳なんだ、あとどれくらい生きられるかわからないんだ」とボソッと言っていたら選考会の流れも変わったか……どうかは知りません。山口さんの思い通りに行く回ばかりではありません。
で、山口さんの「激闘」は、やはり山口さんの選考委員生活を彩る(?)、「山口さん推したんだけど落ちちゃった」誰かにしたいなと思い、だけどいわゆる人気の候補者じゃあシブ好みの山口さんっぽくない、と考えて、もりたなるおさんにお相手してもらうことにしました。
同人誌界ではすでに多少名の知られていたもりたさんが、中間小説界に乗り出した第一歩、小説現代新人賞の選考委員として一票を入れたのが山口さん、っていう縁もありますし。
ちなみにもりたさんは、この賞で二回最終候補になっていまして、落ちた「幕下」(第21回)と受かった「頂」(第23回)、それぞれの山口さんの評を引いておきます。
「もりたなるおさんの『幕下』も、まことに推しい作品だった。相撲の社会の実情をうまく書いているのであるが、作者はそっちのほうを面白がってしまっていて、人間の関係がおろそかになっている。(引用者中略)それに、全体に汚い作品になっているのが私には気になった。相撲社会の華やかな面を書けというのではなく、作品としてのハナがほしかった。」(『小説現代』昭和48年/1973年12月号 山口瞳「惜しかった『卵焼き』」より)
「『頂』の森田成男さんは、前回『幕下』でお馴染の作家。前回は結城(引用者注:結城昌治)さんが強く推されて、私はそれほどにも思わなかったが、今回のものを読んでみて結城さんの眼力に驚くような按配であった。
まず第一に読みやすい。従って第二にわかりやすい。これは中間小説としては非常に大事なことではあるまいか。私はここに描かれたような相撲の八百長はあり得ないと思っているが、それでいて納得させられてしまうのは相当な筆力である。それも楽々と書いているところがいい。(引用者中略)一筋縄でいかない作家だという印象をうけた。」(『小説現代』昭和49年/1974年12月号 山口瞳「『頂』の筆力を買う」より)
一筋縄でいかない……。かもしれません。ここから先、もりたさん、相撲物だけでなく、推理小説、二・二六事件、警官物と書き進み、しかも常に「日の当たらないところ」へのまなざしを推し通す、派手さのない路線を歩みます。昭和55年/1980年、オール讀物推理小説新人賞を受けたときも、こんなふうに紹介されていました。
「宮原昭夫氏などの「木靴」の同人歴もながく四十九年には小説現代新人賞も受賞している。理想とするのが「尾崎一雄、川崎長太郎の世界」というだけにいつも陽の当らない人間を題材にした地味な作風、「どっからも声がかからないので思いきって畑違いの推理小説に挑戦」したのが、なんと一発で金的を射とめてしまった。」(『週刊文春』昭和55年/1980年7月24日号「ぴいぷる もりたなるお」より 太字下線は引用者による)
以来、もりたさんは直木賞候補に挙がること5度。だいたい山口さんは好意的に、もりたさんの進展を受け止めました。……選考会のなかでは少数派でありながら。
○
もりたさんが候補になった5度のうち、山口さんが評を残したのは3度です。第84回(昭和55年/1980年・下半期)と第97回(昭和62年/1987年・上半期)と第104回(平成2年/1990年・下半期)。
第84回では、山口さんは中村正軌さんと深田祐介さんへの授賞を考えていたそうですが、もりたさんについては、こう言っています。
「もりたなるおさんの「真贋の構図」は、この分野での作者会心の作ではなかろうか。完全に一人前の端倪すべからざる作家に化けているのを知って驚いた。あえて難癖をつけるならば、三人とも(引用者注:泡坂妻夫と古川薫を含め)巧緻に過ぎて新味が薄れ、直木賞受賞作としてのハナと重量に乏しいというところだろうか。」(『オール讀物』昭和56年/1981年4月号 山口瞳「大混戦」より)
出ました、「ハナに乏しい」。小説現代新人賞の一度目の落選のときにも使われていた言葉です。こう言われちゃっても、もりたさんにはどうしようもなかったでしょう。尾崎一雄、川崎長太郎の世界が理想、っつうんですから、むしろ「ハナがない」は褒め言葉かもしれません。
第97回の選考会は、山口さん25分の遅刻。家にメモを忘れて、取りに帰っていたそうです。
「七月十六日(木) 晴
直木賞選考委員会の日。(引用者中略)中央高速自動車道、高井戸の手前で忘れ物に気づいた。候補作一篇一篇について感想文を書いたもの。近頃物忘れがひどく、候補作を読んでも片端からストーリーを忘れる。そこでメモを用意したのだが、それをそっくり忘れてしまった。(引用者中略)
今回の選考委員会では、僕は山田詠美さんの『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』一本。二作受賞ならば、もりたなるお氏の『無名の盾』。高橋義夫氏の『闇の葬列』も力がある。景山民夫氏の『虎口からの脱出』は陳舜臣さんに助けて貰うという考えで出席した。白石一郎さんは時代小説の大家で、票数が集まれば受賞には全く異論がない。」(平成1年7月・新潮社刊 山口瞳・著『還暦老人ボケ日記 男性自身シリーズ23』より)
それで山口さんの選評は以下のとおりになっています。
「もりたなるおさんの『無名の盾』は警察官の側から二・二六事件を描いたもので、警察官も兵隊も、下部構造においては何も知らされずに半信半疑のうちに戦わされ、わけわからずに殺されてゆくというあたりで涙が出た。いや、上級将校もわけがわからないのであり、そこが滑稽かつ悲惨な日本人論になっていると思った。警察官や兵隊の抱く劣等意識、劣等意識を抱かざるをえないような情況設定が見事だった。改行の多い簡潔な文章も効果的だ。もりたさんには『真贋の構図』という推理小説の傑作があり、それを勘案したうえで推したのだが私の力が足りなかった。」(『オール讀物』昭和62年/1987年10月号 山口瞳「山田詠美さんの潔さ」より)
「作品本位」の伝統を守りたい、といいながら、「時代小説の大家」だから異論がない、というのはおかしいのではないか、と思いますけど、ここら辺が、実績重視の雰囲気がイヤで委員を辞めた城山三郎さんと、山口さんとの違いかもしれませんね。
第104回では、山口さんはどの作にも、あまりグッと来たものはなかったみたいで、最初、ちょっと苦言を述べているんですけど、そのなかでももりたさんの作品は、高く評価しました。
「今回は小説らしい小説がなかった。ほとんどが一代記か実録だった。だから、この小説は気鋭のノン・フィクションのライターが執拗に喰いさがって取材して書いたほうが面白かったのではないかと思うことが屡々あった。もう一押しが足りないと歯痒いような思いをすることもあった。
(引用者中略)
もりたなるおさんの『銃殺』では二・二六事件の全容を明らかにしたいという作者の執念に打たれた。射撃の名手であるがために心ならずも同志の死刑に直接手を下すことになる第八章「蝉の声降る」の緊迫感が圧巻だと思った。私はこれが受賞作となっても少しも不思議ではないと思っていたが、意外に票数が伸びなかった。私はもりたさんのポツンポツンと投げだすような文章が好きで、いよいよ磨きがかかってきたように思ったのであるが……。」(『オール讀物』平成3年/1991年3月号 山口瞳「プロの文章」より)
結局、でも山口さんはもりたさんの執念に応えることができず、無理にこの作品と心中する気はなかったようです。
2年後、もりたさんは新田次郎文学賞を受賞しました。直木賞落選5度を経て、公募ではない文学賞は、はじめての受賞です。
「暇な時間があると釣りに行くんですが、最近、釣りから帰ってくると必ず、いい知らせが待ってるんです。今度、直木賞候補になったら、発表の日は、釣りに行くことにします(笑)」(『週刊文春』平成5年/1993年4月29日号「ぴーぷる もりたなるお」より)
だそうですが、山口さんが「いよいよ磨きがかかってきた」と書いた第104回を最後に、もりたさんが候補に挙げられる機会はなくなりました。
もりたさんも(笑)は(笑)なんでしょうが、冗談なのか半ば本気なのか、胡桃沢耕史さんが亡くなったときには、こんなふうに、直木賞に対する思いを書いています。
「わたくしは近頃、文春の社員に会うたびに、
「冥土の土産に是非とも直木賞をいただきたい。宜しくお頼み申します」
と辞を低くして頼んでいる。返ってくることばは、
「そんなことをいっても、ムニャ、ムニャ、ムニャ」
である。ナンセンス漫画の吹き出しではあるまいに「ムニャ、ムニャ、ムニャ」はよくない。
(引用者中略)
なにゆえにかくも執着するのかというと、いまは亡き胡桃沢耕史さんの御厚情に報いたいためである。(引用者中略)わたしは胡桃沢さんとほとんどつきあいはない。わたしの小説を胡桃沢さんが褒めていたという話を聞いたので、推理作家協会のパーティーのとき、自己紹介を兼ねて直立不動して挨拶をした。すぐに誰かが横から割って入ったので、会話なしだった。
それでも胡桃沢さんは覚えていてくれて、わたしに直木賞をとらせたいと思い、応援して下さった。わたしは古い人間だから、こうした恩義は命にかけても忘れない。
(引用者中略)
「もう歳だから無理だろう」
と、やな陰口も耳に入る。何を言うか、歳に関係があってたまるものか。これをもらわないことにはあの世で胡桃沢さんに合わす顔がない。死ぬに死ねない、というのが偽らざるところだが、面に快楽を装って、せっせと小説を書きます。」(『現代』平成6年/1994年12月号 もりたなるお「胡桃沢耕史さん恋唄」より)
まったく胡桃沢さんの直木賞熱にも困ったものですね。温厚な(?)もりたさんを巻き込むなんて。
でもまあ、もりたさん5度の候補作、熱く激賞した選考委員がひとりもいない、という。このあたりの地味さ、といいますかハナのなさが、もりた作品の真骨頂ではありましょう。山口さんがあと5人ぐらいいて、選考会を牛耳っていたら、授賞まで票が届いたかもしれません。でもほら、山口さんみたいな人は少数派ですから。そういう少数の人に愛される作品が、候補に挙がる、それに好感を寄せる少ない数の委員が、ポロリポロリと選評で褒める。何でしょう、やっぱり胸がキュンとします。
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コメント
山口さんの選評は「批評する」のと同じぐらい「褒める」コトにも力を入れていた気がします。
ちょっと興奮気味(笑)に褒める選評は今だと伊集院静さんあたりに受け継がれてるような気もしマス。
ボクが印象に残っている山口さんの選評は第87回の
村松さんのあの名作をイキにモジった「私、村松の味方です。」と
113回の出だしの
「『思いが深ければ誰にでも良い文章が書けるはずです』と言ったのは向田邦子さんである。」です。
特に最後の113回は山口さんがご病気されてた頃なので
ドコかに「メッセージ」を感じてならないです。
あと111回の大沢さんへの「文章のテムポがいい。」も印象に残ってマス(笑)
「テムポ」ってフレーズがミョーに頭から離れません(笑)
投稿: しょう | 2014年1月 5日 (日) 23時06分
しょうさん、
山口さんの「孤軍奮闘のときの褒めっぷり」は、
あれは見モノでしたねえ。
けっきょく多数決ですから、「直木賞受賞一覧」には絶対に残らないわけですけど、
それでも(それだからこそ)直木賞の“華”のひとつだと思います。
投稿: P.L.B. | 2014年1月12日 (日) 23時46分