宮部みゆき〔選考委員〕VS 原田マハ・桜木紫乃・伊東潤・宮内悠介・恩田陸〔以上候補者〕…受賞者も落選者も傷つけない魔性の女。
直木賞選考委員 宮部みゆき
●在任期間:4年半
第140回(平成20年/2008年下半期)~第148回(平成24年/2012年下半期)在任中
●在任回数:9回
- うち出席回数:9回(出席率:100%)
●対象候補者数(延べ):51名
- うち選評言及候補者数(延べ):47名(言及率:92%)
第149回(平成25年/2013年・上半期)の選考会まで、あと10日です。こういうときこそ、だーれも興味のないような昔の直木賞バナシを繰り出して、ひとり悦に入るのが、直木賞オタクとしての正道だと思います。
ただ、リアルタイムの直木賞もやっぱり面白い。今度の直木賞、だれがとるんだろう。考えるだけで夜も眠れず、気が狂いそうだ。……っていう内なる声に素直に耳を傾けまして、今日は10日後の選考会をにらんだエントリーを書くことにしました。
主役の選考委員は、宮部みゆきさんです。
毎回毎回、誰ひとり傷つけないような選評を書き、もはやそれは「選評」と呼ぶには違和感のある別次元の読み物と化した、直木賞選評界の革命児……とまで言ったら言いすぎですけど、ともかく真の顔を見せない魔性の女です。
どんなに選考委員が「いいひと」であっても、結局、文学賞では、受賞作とともに落選作を選び出さなければいけません。およそ社会では、ここで受賞作も落選作も一様に褒めちぎるような人は、「なんだよ、ひとり、いい子ぶりやがって」と反感を買ったりします。そういう反感すら回避しようと、文章が長くなることも厭わずに、あの手この手を使い、受賞者、候補者、そして我が身までも保護するような「選評」を書いてしまう、という。とうてい「選評っぽくないもの」になっていくのは、当然のことでしょう。
宮部さんには、直木賞の選考委員に就任するに当たって『オール讀物』に寄せた「驚きと喜びと」(『オール讀物』平成20年/2008年12月号)という文章があります。基本、委員としての決意が語られたものです。
「私は、候補作品と向き合うときであっても、他の書物のページを繰るときとまったく同じように、あの安らぎに満ちた孤独に浸ることに、このうえない喜びを感じると思います。
今、私は一人きりだ。独りぼっちの私に、この本は、この書物のなかにいる孤独の王は、何を語りかけてきてくれるだろう。その声音はどんな響きだろう。
驚きと喜びを求め、胸をときめかせて耳を傾けることに、何ら変わりはないと思います。」(「驚きと喜びと」より)
なるほど、文壇事情とか仲のいい作家の作品だとか、そういうハナシは一切持ち込まない、っていうことを宣言しているわけですね(……って違うか)。
ただ、この「就任エッセイ」の宮部さんらしさは、他のところにも表われています。〈謙虚な宮部みゆき〉を、どうしても宮部さんは抑えられません。次のような場面を描いてしまいます。
「今般、第百四十回の選考会より、直木賞選考委員の末席に連なることとなりました。自由業である小説家に、〈拝命〉という言葉はそぐわないものでありますが、日本文学振興会からの要請に、
「どうぞよろしくご指導ください」
とお返事した際の私の心境には、まさにこの〈拝命〉という言葉がぴったりでした。」(同)
ご、ご指導……。こういうことをさらりと言えるのが宮部さんのスゴみであり、しかも、それを「就任エッセイ」で書けちゃうのが、宮部さんの魔性ぶりハンパないとこだよなあ。
宮部さんが選考委員となってまだ5年。その間にも、貴志祐介『悪の教典』をひとりで熱烈に推したりと、〈孤独な読者〉ならぬ〈孤独な選考委員〉の姿を垣間みせたりしてくれています。ただ、今日はせっかく第149回の直前です。しかも今回の候補者は、湊かなえさんを除いて、みんな候補になった経験のある人たちばかり。宮部さんは、それら候補作たちにどんな温かい言葉をかけてきたのか。それをおさらいすることで、来たる選考会をやさしい気持ちで迎えたいと思います。
まずは原田マハさんからいきます。対象となるのは第147回(平成24年/2012年・上半期)候補の『楽園のカンヴァス』です。これは宮部さん、第1位に推しました。以下、読んでもらえればおわかりのとおり、『楽園のカンヴァス』を褒めつつ、辻村深月『鍵のない夢を見る』までも真綿にくるむ芸当を見せています。
「辻村さん、ご受賞おめでとうございます。初期作品からの読者の一人として、私もとても嬉しい。
ところが今回、皮肉なことに、私は賛成票を投じていませんでした。(良い意味で)大風呂敷を広げ、知的な興奮を与えてくれた『楽園のカンヴァス』を推していたからです。こうした、日常から離脱する大きなエンジンを持つ候補作が登場したのは、現代小説では久々のことですので、そちらに心を奪われてしまいました。
でも(弁解がましいですが)、反対意見を押し戻すだけの強い賛意を集め、会心の受賞になったのではないでしょうか。」(『オール讀物』平成24年/2012年9月号「日常から離脱する力」より)
〈知的冒険劇〉として原田さんの作を絶賛しています。ひるがえって、今度の候補作『ジヴェルニーの食卓』はどうでしょう。同じ観点から、宮部さんが再び推す、といった作品ではないでしょうが、なにしろ宮部さんです。きっと言葉を尽くして、穏やかな評で包み込んでくれることでしょう。
桜木紫乃さんの『ラブレス』は第146回(平成23年/2011年・下半期)の候補でした。宮部さん、この物語に「惚れた」と言っています。
「桜木さんの『ラブレス』には、完全にやられました。徹夜で読み、何度も笑い、泣きました。百合江と幼い綾子が母娘で歌う「情熱の花」は、今も耳の奥に響いています。どうして受賞に届かなかったのか、振り返って考えてみると不思議で仕方ありません。個人的には、全身全霊でぶつかってくるこの物語に惚れてしまい、駆け落ちしようと決めた刹那にふと我に返り、「出会ったばかりのこの人と、このまま突っ走ってしまっていいのかしら」と急に腰が引けてしまったのよ――と説明するしかないようで、まことに申し訳ありません。」(『オール讀物』平成24年/2012年3月号「さまざまな試み」より)
申し訳ないついでに、その2か月後、第33回吉川英治文学新人賞に『ラブレス』が候補に残ったときも、宮部さん、この作に一票を投じました。そしてまた「『ラブレス』を落選させた文学賞の選考委員のひとり」になってしまうのです。涙。選評は、受賞した西村健『地の底のヤマ』との比較で進行しています。
「受賞作『地の底のヤマ』は、実は私のイチ押しの作品ではありません。もちろん、質・量ともにすごい小説ですが、私の想いは『ラブレス』と『ジェノサイド』の上にあったからです。できるならばこの二作に受賞させたいと思いつつ選考会に臨み、でも最初の投票結果を見たとき、「『ヤマ』は強し!」とあらためて震撼しました。そこからは何とか「『ヤマ』と、もう一作を」とおろおろしているうちに、機を逸してしまいました。
(引用者中略)
(引用者注:『ラブレス』と『地の底のヤマ』は)あらゆる意味で好対照であり、好一対でもある二作ですが、小説としての構造は『ヤマ』の方が堅牢かつオーソドックスです。『ラブレス』には、「百合江と里実の娘たちは、いつ誰から母親の人生について聞いたのか。あるいは彼女たちはほとんど知らずにおり、知るのは読者だけであって、それが『愛を欠いている』というタイトルに繋がるのか」という根本的な疑問を生み出す曖昧さが残されています。これを小説的虚構の歪みといってもいいかもしれません。
ただ、この曖昧さは、再読三読して初めて気になるくらいの潜在的なもので、作品の疵ではないと、私は思いました。何より、『ラブレス』が与えてくれた読後の圧倒的な幸福感に、私は票を投じずにいられませんでした。」(『小説現代』平成24年/2012年5月号「〈血〉のなかに流れる物語」より)
『ラブレス』一作だけに添い遂げることに躊躇があった、とも言う宮部さんです。二作目の『ホテルローヤル』をしっかり受け止めて、心中する気持ちになってくれるでしょうか。作中「心中事件」が出てくることでもありますし。……ええ、こじつけです。
○
宮部さんが選考委員として伊東潤作品と相対するのは、これで何度目となるのでしょうか。伊東さんがはじめて文学賞の候補になった第32回吉川英治文学新人賞。宮部さんも選考委員でした。いつものミヤベ節とはいえ、ほかの候補、海堂尊『ブレイズメス1990』や富樫倫太郎『早雲の軍配者』、百田尚樹『錨を上げよ』などに比べて、そうとう手厚くもてなしています。
「(引用者注:受賞作の辻村深月『ツナグ』のほか)『戦国鬼譚 惨』にも、私は深く感じ入りました。(引用者中略)万人受けする優しい小説ではないでしょう。でも、だからこそ、万人のためにこういう小説が存在してほしいと、私は思います。」(『小説現代』平成23年/2011年5月号「新鮮で明快なルール」より)
ここからは直木賞、第146回候補の『城を噛ませた男』、第148回候補の『国を蹴った男』と続きます。
「(引用者注:『城を噛ませた男』について)今の段階ではまだちょっと一本調子。球が揃ってきてしまうと、パターンが見えます。特に短編集では見破られ易い。でも、これから高低の投げ分けを身につけ、変化球を覚えたら、手がつけられなくなるでしょう。今からそれが楽しみです。」(『オール讀物』平成24年/2012年3月号「さまざまな試み」より)
「伊東潤さんの『国を蹴った男』は単発の短編集で、表題作が文句なしに素晴らしい。この短編を芯に、今川氏のなかの様々な立場にある人びとを個別に描いていく連作短編集だったらなあ、と思いました。(引用者中略)人の上に立つ者の幸福とは、どんな幸福であるべきなのか。伊東さんなら、多角的な視点を持つ連作に仕上げることができたのではないかと夢想してしまいました。」(『オール讀物』平成25年/2013年3月号「何者かになるために」より)
そして『巨鯨の海』。話のバラエティにも富んでいるうえ、筋もとおった連作短篇集、と来ました。ひょっとして宮部さん、推してくれるんじゃないか、と期待させてくれるところが、宮部さんのオソロしいところです。
宮部さんは「就任エッセイ」で、「驚きと喜びを求め、」と書きました。宮内悠介さんの作品くらい、その表現にぴったりの候補作はなかなかないでしょう。もちろん第147回『盤上の夜』が候補になったときも、宮部さん、長ながとその魅力を語っています。
ただ、桜木紫乃さんの場合もその気がありましたが、はじめての候補で直木賞を授けることに消極的なところが、宮部さんのクセです。
「『盤上の夜』の宮内さんのエンジンも強大で、なおかつその構造が未知のものです。そのせいか、他の候補作と並べたとき、私の目にはこの作品が、映画『トランスフォーマー』に登場するオートボットのリーダー、オプティマス・プライムのように見えました。異質な生命体の視点から人間を理解し、人間を愛し、人間を語るのです。
(引用者中略)
ただ、なにしろこれがデビュー作の宮内さんですから、直木賞という輝かしい栄冠の持つ重い責任を背負わせるのは、まだ申し訳ない気がしました。」(『オール讀物』平成24年/2012年9月号「日常から離脱する力」より)
第33回日本SF大賞では、宮部さん、「輝かしい栄光の持つ重い責任」とかそんな野暮なことは言いません。『盤上の夜』に票を入れています。
「『盤上の夜』の宮内さんの筆致は、さながら顕微鏡のようです。それも、既存のものを拡大して見せることで新しい美を発見させるのではなく、今まで誰も見たことがなかったものを拡大し、精密に見せることによって、そこに普遍の美が存在していることを知らしめる、そういう顕微鏡です。めったいにない資質と技量で、羨望を覚えました。」(『読楽』平成25年/2013年2月号「動体視力のいい文章」より)
日本SF大賞の受賞者にだって、輝かしい栄光、重い責任はあると思いますけど。……直木賞も候補2度目となれば、宮部さんも思う存分、『ヨハネスブルグの天使たち』のもたらす「驚きと喜び」の素晴らしさを語ってくれることでしょう。だって、それは、何度も候補になっているとか、直木賞の重みとか、そんなこと関係ないんですから。
お待たせしました。恩田陸さんです。
宮部さんが委員となってはじめての第140回(平成20年/2008年下半期)、候補者に名を連ねていました。かつて平成17年/2005年、宮部さんがはじめて吉川英治文学新人賞の委員となった第26回の候補者でもありました。そして8年つづけた同賞の委員を去年で降りると、今年から〈宮部さんの代わり〉のごとく、その座に就いた人、恩田さん。……宮部さんとは何かと文学賞のえにしに結ばれています。
第140回の『きのうの世界』と、第146回『夢違』。宮部さんが、恩田さん独特の物語世界をじゅうぶん認めていることは間違いありません。
「地味ながら不可解な事件を追ってゆくと大仕掛けの秘密にたどりつき、ページの向こうから信じられないような景観が立ち上がってきて、しばし呆然と見惚れてしまう――『きのうの世界』の、これはもう恩田さんの独壇場です。ただこの作品も、〈個人と共同体と記憶との関係〉〈主人公の日常からの逸脱〉という二つのキーポイントで、実は(引用者注:天童荒太の受賞作)『悼む人』に通じる部分があります。求道者・坂築静人の前で、隠遁者・市川吾郎はやや存在感が薄れてしまいました。」(『オール讀物』平成21年/2009年3月号「二人の求道者」より)
「今回、私にとってもっとも大きな課題は、恩田陸さんの『夢違』をどう読むかということでした。(引用者中略)
吉野や奈良という土地の歴史や民俗学的なものや、夢を可視化する装置の描写などSF的なお膳立てに踏み込まず、寄りかからない。それは、ある方向に特化してペダンティックになることで、解読の楽しみが特定の趣味嗜好を持つ読者だけに偏ってしまうことを避けるためでしょう。誰が読んでもわかり易い文章と鮮やかなイメージで、誰もが平等に、この幻視的な物語の読み解きに参加し、楽しむことができるよう用意する。これは大変なチャレンジです。私はその勇気と努力に深い敬意を覚えました。」(『オール讀物』平成24年/2012年3月号「さまざまな試み」より)
そこまで言いながら、宮部さんが『夢違』に票を入れたのかどうかが、よくわかりません。こうなってくると、今回の『夜の底は柔らかな幻』に宮部さんがどんな言葉をかけるのか。見当もつきません。
鮮明なようでいて、茫洋ともしている姿勢を貫く。この感じをもって、恩田作品そのものがエンターテインメントとして持つ得難い特性を、宮部さんは直木賞の選評の場で表現しようとしているのかもしれません。……って、そんなわけがありません。
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コメント
はじめまして。
管理人さんにお願いがあるのですが、山本周五郎賞の選評が見れなくて・・・(ページが表示されません)
故障でしょうか?
投稿: まひろ | 2013年7月 9日 (火) 23時54分
まひろさん、
コメントありがとうございます。調べてみたのですが、過去分は全部表示できているようなので、
もしかして今年の第26回分の選評ページのことでしょうか?
たしかに最新の選評は、まだページをつくっておらず、リンク切れを起こしてしまっていました。
申し訳ございません!
直木賞のほうを優先して更新しているため、まだ今年の山周賞の選評ページは、
つくり終わっていないのです……。近ぢか、アップする予定でおりますので、
気長にお待ちいただければ助かります。
投稿: P.L.B. | 2013年7月11日 (木) 01時02分
宮部みゆき委員の選評で一番印象に残っているのは、第147回の選評ですね。普段は全作品に対してしっかり意見を書いているのに、第147回は貫井徳郎さんの『新月譚』にだけは一言も触れなかった。よほどお気に召さなかったのかなと思い、ニヤニヤしながら読みました。
投稿: あらどん | 2013年7月17日 (水) 23時35分
あらどんさん、
コメントありがとうございます。
宮部さんが、ときどき無視する候補作、注目ですよねえ。
他の作品への評が丁寧(丁寧すぎるほど)なので、余計気になります。
投稿: P.L.B. | 2013年7月22日 (月) 02時43分
宮部さんは新田次郎さん、陳舜臣さん、田辺聖子さんラインの「優しい系」選考委員ですよね。
直木賞でもイイ味を出してますが個人的には吉川新人賞で
「三作受賞作を出せないのが恨めしいです」って嘆いてるのがスキです。
宮部さんの選評だと148回の「何者」「等伯」や146回の「蜩ノ記」とかが
「う~ん、ナルホドなぁ~」とウナラされましたが、
それとは別に印象に残ってるのが141回の「プリンセス・トヨトミ」への
『「そんなアホな(笑)」と突っ込みたくなる脇の甘さもありました」』ですネェ。
「(笑)」が直木賞の選評に出てくるとは思わなかったので印象深いデス(笑)
投稿: しょう | 2013年7月31日 (水) 23時31分
しょうさん、
他とは違う視点で作品を語る宮部さんの選評には、
ワタクシも唸らされること多しです。
おっと、今回はそう来ましたか、みたいな。
『プリンセス・トヨトミ』評、よく覚えていましたねえ。
ワタクシはすっかり忘れていました。
ここを取り上げてくるとは、しょうさん、タダモノではないな、という感じです。
投稿: P.L.B. | 2013年8月 4日 (日) 21時52分
こんにちは。
山周賞の選評を更新していただき感激です。
お忙しいのに、なんだか申し訳ありませんでした。
このサイトとても充実していて、大好きです!
投稿: まひろ | 2013年8月30日 (金) 14時11分