阿刀田高〔選考委員〕VS 道尾秀介〔候補者〕…直木賞に背骨がなく何かスッキリしないのは、それは当然です。
直木賞選考委員 阿刀田高
●在任期間:18年半
第113回(平成7年/1995年上半期)~第149回(平成25年/2013年上半期)在任中
●在任回数:37回
- うち出席回数:37回(出席率:100%)
●対象候補者数(延べ):211名
- うち選評言及候補者数(延べ):211名(言及率:100%)
7月なかばに打ち上がる大きな花火も見終わったことです。ゾロゾロと花火会場から立ち去る群集から離れて、さあ、また昔の話題に戻りましょうか。……とも思ったんですが、花火の興奮がまだ醒めませんよね、ご同輩。多少、先週の花火のことを連想させる選考委員を、ここで一発挟みつつ、平常運転へと戻っていきたいと思います。
阿刀田高さんです。御年78歳。つまり、直木賞そのものと同い年。直木賞では選考会が終わると、その会場である「新喜楽」で、選考委員会を代表して一人が、記者会見を行うんですが、先週の第149回(平成25年/2013年上半期)は、この阿刀田さんが代表を務めました。
ひたひた、しみじみと書かれた作品を褒めるいっぽうで、現実離れしたSF系統の小説には欠点を指摘する……直木賞と同い年のご老体が、その役目を務めることで、「老いた文学賞」として名高い直木賞の姿を世間に知らしめる、という。相当すばらしい演出だったと思います。
強引になっちゃうのを覚悟で言えば、18年半に及ぶ阿刀田さんの選考委員としての姿も、そうとうに「直木賞的」です。
それは、時に「作家としての実績」に同意したり、時に候補作品の出来栄えで票を入れたり。そうかと思うと、やたらに「文学になっているか、そうでないか」を強調してみたり、逆に、楽しく読めることを第一義にしてみたり。……一本筋が通っていないというか、ほんとうにこれが授賞でいいのか、落としてしまったいいのかと、阿刀田さん自身の言葉を借りて言えば「屈託」の多い、ずーっと悩みつづけている感じ。
まったく直木賞そのものです。この間、選考委員が阿刀田さんひとりであっても、あまり結果は変わっていなかったんじゃないか、というぐらい。
その阿刀田さんが、別に作家を志したこともなければ、何か書きたい欲求にせまられて創作を始めたわけではないことは、ご本人の証言もあって、結構有名です。まわりの流れに身をまかせているうち、知らず知らずのうちに、小説を書くことになり、知らず知らずのうちに直木賞の候補に擬せられ、知らず知らずのうちに受賞することになりました。
「私は国立国会図書館に勤務しながら生活費を補充するためにアルバイトの雑文書きに手をそめ、それが高じて退職しフリーのライターとなった。
親しい編集者から、
「雑文書きだけではつまらない。小説を書いてみたら」
と勧められ、その気になった。
小説はたくさん読んでいたし、文学部も卒業していたけれど、自分で小説を書いたことはなかった。雑文書きの試みとしてPR誌にショートショートのようなものを載せたことはあったが、ある程度の枚数を持つ小説は、本当に一篇として書いたことがなかった。
――どうしよう――
小説というものは、本来的には自分の胸中になにか溢れる思いがあって、ぜひとも世間に訴えたい、と、そこから始まるものである。それが基本である。
ありていに言えば、当時の私には、そんなものがなかった。小説用語で言えば、私には小説を書くモチーフがなかったのである。(引用者中略)
デビューを模索していた頃の私は、一方でモチーフを捜しながら、もう一方で、
――モチーフのいらない小説というのはならいのだろうか――
と考えた。
ここに登場するのが推理小説である。
(引用者中略)推理小説は謎解きのおもしろさを追求するジャンルであって、小説そのものの中にはモチーフがいらない。いや、なくても成立する。」(平成8年/1996年3月・文藝春秋刊 阿刀田高・著『アイデアを捜せ』「いくつもの岐路」より)
それで処女作「記号の惨殺」を発表したのが昭和49年/1974年。以来、日本の小説のなかでは〈マイナー〉に属していた〈奇妙な味〉と呼ばれる風味の短篇小説を書く道に、自ら望んで進みます。それらを集めた最初の小説集『冷蔵庫より愛をこめて』は、講談社から出版されたわけですが、
「評判はほとんどなにも聞こえてこない。売れ行きも、もともと期待されていたわけではあるまいが、可もなく不可もなし、らしい。」(平成13年/2001年2月・文藝春秋刊 阿刀田高・著『陽気なイエスタデイ』「若い日のこと」より)
という状況でした。これが本人も驚きの、直木賞候補となり、つづいて上梓したのも同種の作品集『ナポレオン狂』。そこまで絶賛されたわけではなかったけれど、これまで直木賞が取り上げこなかった〈エスプリ〉の新鮮さが、当時の委員たちに好評で、受賞を果たしました。その結果が発表されたあと、委員だった五木寛之さんは知り合いから、「直木賞も結構ふところが広くなったじゃないですか」と声をかけられたといいます。
自身を授賞させたこの直木賞の精神が、当然、阿刀田さんのなかにもあるはずです。ただ、時代は流れ、直木賞も阿刀田さんも年をとりました。いろんな頼まれ仕事もイヤがらずに(?)引き受け、有能な組織人としての資質を遺憾なく発揮。それでもご自身、「へそ曲がりなところがある」と自負するほどの人です。ジャリ向け小説の隆盛に対する反撥心もあったのでしょう、「大人の鑑賞に耐えうる小説を」なんちゅう若年層蔑視の直木賞観をもつにいたっています。
阿刀田さんは、〈ミステリー〉から作家人生を出発させた人でした。先に引用したとおりです。ただ、それは作家になる一つの道具として利用しただけなので、別にこだわりはありません。
「確かにデビューの頃は殺人事件があったりしてアクセントの強いものを書きたいという意図が自分の中にもありましたけれども、年をとってきますと普通の小説を書くということにも魅力を感じてきて、作風が少し変わってきているのかなとは思います。
もともと作品のジャンル分けというのは作家がするようなものではなくて、今回は恐怖小説を書こう、今回は推理小説を書こう、今回は恋愛小説を、というような意図が自分のなかにはっきりあるものではないです。」(『本の話』平成11年/1999年2月号「ロング・インタビュー 七百五十個のアイデア」より ―インタビュー・構成:朝山実)
こういう言葉を読むと、やはり一人の直木賞候補者を思い出さないわけにはいきません。道尾秀介さんです。
「玄侑(引用者注:玄侑宗久) もちろん単純には一作ごとのクオリティが比較できないくらい、道尾さんの小説はバラエティに富んでるんですが、初期にはもっとミステリーっぽいものをお書きになってましたよね。ミステリーをお書きになっても謎解きそれ自体が目的ではないんだと、かねてからおっしゃってはいたけれども。
道尾 ええ。ミステリーの仕掛けは、感情やテーマを伝えるための手段としてとても効果的だと思っていたんです。
(引用者中略)
道尾 小説を書いていて思うのは、ここ最近、ストーリーばかり工夫して、人間の感情を掘り下げて描くことのない作品が多い気がするんです。愛する人が死んで悲しい、病気が辛い、犯罪は悪い、みたいな条件反射的な感情の作用ばかり狙った小説が増えている現状に、小説の魅力ってそんなところにはないんじゃないかという、もう、バンカラ魂に近いような憤りがあるんですよ。(引用者中略)天の邪鬼かもしれないし、おこがましいかもしれないけれど、せめて自分は流行に流されないで、古いスタイル、絶対になくしちゃいけない小説の価値を守りたいという気持ちがあるんです。」(『オール讀物』平成23年/2011年3月号 道尾秀介、玄侑宗久「受賞記念対談 人生をサボらない」より)
阿刀田さんと道尾さん、かなり似ているというか(……って、そうでもないか)、いや、おおむね直木賞の授賞傾向に沿った選考をしがちな阿刀田さんが、この人の候補作にだけはずっと厳しく接しつづけた、というのが道尾さんです。
選考委員・阿刀田さんの激闘史。ここはひとつ、道尾さん5度の候補作に対する選評で追ってみたいと思います。
……と、その前に。何といっても阿刀田さんがいなければ道尾さんが小説家になることもなかった、とすら道尾さん本人が言っておりますので、その件に触れておきます。
「阿刀田高さんの『だれかに似た人』。大学の時の知り合いにミステリー好きの女性がいて、「これはショートショートだから、合わないと思ったらいつでもやめられる」と薦めてくれた本です。
当時はとにかく読書量が少なかったので、「ショートショート」というジャンルが存在することさえ知りませんでした。こんなに短い小説があるのかと驚いたのと同時に、もしかしたら自分にも真似できるかもしれないと思った。(引用者中略)
早速、書き上げた初めての小説を、阿刀田さんが審査員をしていた『小説現代』の「ショートショート・コンテスト」に送ってみたところ、それまで誌面で見たことのないような高得点を付けていただいた。あれは嬉しかったですね。
作家を目指している時期に最も大事なことって、根拠のない自信をどれだけ持てるかという「勘違い力」だと思うんです。僕はこのことがきっかけで、ものすごく自信を持つことができました。
『聖なる春』(引用者注:久世光彦)がなければ、いまのクオリティで小説を書けていなかったと思うし、『だれかに似た人』がなければ、そもそも作家になっていなかった。人生に大きな影響を与えたという点では、順位不変の2冊です。」(『週刊現代』平成24年/2012年6月30日号「わが人生最高の10冊」より―構成:井上華織)
ってことで、道尾さんがおそらくはじめて、阿刀田さんからもらった選評がこちらです。
「「どうして犬は」がとてもよいできだ。相当に容姿の奇っ怪な人物が二人登場しているはずだが、表面的にはなにも描写していない。読者の推理と想像に委ねるという趣向である。最初に「どうして犬は人間の数万倍も鼻が利くのか知ってるかい?」と尋ね、次に山手線で通勤していること、韓国の飛行機事故と話が続き、この三つがストンと繋がるところも非凡である。内容はたわいないが、技術的にはショートショートの合格ラインをみごとにクリアしている。九・五点。」(平成14年/2002年2月・講談社/講談社文庫『ショートショートの広場13』所収 阿刀田高「あとがきと選評」より)
こうして道尾さんが褒められた平成11年/1999年から10年。いよいよ直木賞の場で、阿刀田さんと道尾作品が激突します。
○
よく知られているとおり、道尾さんは直木賞に5期連続で候補になりました。最後の最後まで、候補作品ひとつひとつについては、強く推す票は少なく、もうこれだけの作品を続々と書ける力量ですから、って感じで賛成する人が増えて、5期目に受賞しました。
最初の2期。第140回と第141回は、阿刀田さんもほとんど行数を費やさず、道尾作品を軽くいなしています。
「『カラスの親指』は、ちりばめられた趣向が、もう一つ鋭く創られ、垢抜けてくれれば、と願った。」(『オール讀物』平成21年/2009年3月号「志と技と」より)
「『鬼の跫音』は、恐ろしさ、妖しさを描く筆致に舌を巻きながらも、それが結末にうまく収斂されてないように私には感じられた。奇才の次なる挑戦に期待したい。」(『オール讀物』平成21年/2009年9月号「評価のむつかしさ」より)
3度目の第142回。ぐっと選評で触れる量も増えました。ということはつまり、阿刀田さんおなじみの、「物事をはっきりと言わない」くねくねした表現で評されることになります。
「『球体の蛇』は、描くべき対象を見る視線、それを表現する筆力、ともにみごとと思った。あえて言えば、その巧みさを示すあまり、
――少し書き過ぎかなあ――
ところどころに簡潔さへの志向を望まないでもなかった。
ストーリーは、わざわざ厄介な情況を創り出し、そこで“苦しい、悩ましい”と、もがいているような気配が感じられ、
「小説って、みんなそういうところ、あるでしょう」
と言われれば否定はしにくいのだが、これが目立ってしまうと、根源的なリアリティを欠くことになる。力量を感じながらも推しきれなかった。」(『オール讀物』平成22年/2010年3月号「二人より一人を選びたかったが」より)
第143回の候補作は『光媒の花』。さらに、阿刀田さんのくねくねする感じは進行し、「私は、自分の読みがすべてではない、と思っています」という穏健さを、やたらに強調した選評になっています。ほんとに阿刀田さん、愛すべきお人柄です。
「『光媒の花』は評価がむつかしい。精緻な文章で、巧みに綴られている。連作短編集として作者は単純ではない設定を企て、それもうまくこなしている。レベルを超えているとは思うのだが、読み終えて感動が乏しい。
――読み方がわるいのだろうか――
読み返してみたが、作者の企みはよくわかったもののやっぱり感動には結びつかない。あえて言えば、ここにはつらい人生がいくつもちりばめられているけれど、それが小説を創るための設定という都合を大きく超えるものではなく、つらい人生への作者の思い入れがなぜか感じにくい。それが感動の弱い原因かもしれない、と思った。見当ちがいかもしれない。いったんは○印をつけながら戸惑った理由である。」(『オール讀物』平成22年/2010年9月号「小説力が弱い」より)
そして第144回。またまた「と願うのは見当外れなのだろうか」と、誰に対する問いなのか、よくわからない文章を挟みつつ、大勢に寄り添う姿勢を見せる、オトナな選評をもって、道尾作品との激闘を終えています。
「『月と蟹』の作者も巧みな文章の綴り手だ。木目細かい、入念な筆運びにはなんの不足もない。ただ、あえて言えば、この作家のトリビアリスムと韜晦の傾向は(私にはそう感じられるのだが)小説のよりよい展開にとって本当に必要なことなのだろうか。種あかしを知って、
――思わせぶりが過ぎたのではないか――
と鼻白むこと、なきにしもあらず。もっと大きなテーマに堂々と挑戦してほしい、と願うのは見当外れなのだろうか。文学観のちがいを感じないでもなかったが、つねに平気点を越える作品をたずさえて連続的にこの賞の候補となった実力には、やはり敬意を表すべきだろう。今後の躍進に期待したい。」(『オール讀物』平成23年/2011年3月号「企みの深さ」より)
わかり切ったことを、わかり切ったようなかたちで結果を提示する……直木賞とはまったくそんなものではないことが、阿刀田さんの選評を読むとよくわかります。いったい、候補作の出来がそれほど認められなくても、賞など贈っていいのだろうか、いや直木賞はずっと、「傑作にならずとも授賞する」例の積み重ねでやってきたではないか。そんな、どうもスッキリしないところに、直木賞の特徴はあります。
ここにおいて、スッキリしない選評を、断固として(?)書き続ける阿刀田さんは、ほんとうに直木賞選考委員としてふさわしい人だと思います。新しい文学なんて何もわかっちゃいない、だの、老人ボケだの批判されることも多々ありましょう。いいじゃないですか。ねえ。直木賞そのものがボンヤリした存在なんですから。
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コメント
まさか道尾さんが「ショートショートの広場」に投稿していたとは!
あのシリーズスキで何冊か持ってるんですが13巻は見たコトなかったので知らなかったです。
メッタに出ない9.5点(10点満点)をたたき出すなんてヤッパリサスガですネェ~。
ボクはショートショートも小説も一度も書いたコトナイですが
阿刀田さんの「言いたいコトを『―』で改行して伝える」文章が「いいなぁ~」と思って
就活の書類選考の時にけっこう使った(そしたら前より書類が通る率がチョット上がりました)ので
道尾さんと同じく阿刀田さんの影響を受けて人生がチョット変わったのかもしれません(笑)
なので、今までの選考委員さんの例からすると
あと数年で阿刀田さんと渡辺淳一さんがお辞めになるのかなぁ、なんて考えると
――寂しいよなぁ――
としみじみ思ってしまいマス。阿刀田節もっと聞きたいです(「見たい」カナ?)。
それにしても阿刀田さんって直木賞と「タメ」だったんですネェ~。気付かなかった。
投稿: しょう | 2013年7月31日 (水) 23時46分
しょうさん、
え!? あの「――独白」を
「就活の書類選考の時にけっこう使った(そしたら前より書類が通る率がチョット上がりました)」
ってマジですか?
阿刀田さんの文章が、じつは、いろんなところに影響を与えているのではないか、
と知れて、ちと胸が震えました。
投稿: P.L.B. | 2013年8月 4日 (日) 21時55分
マジです(笑)今までの経験を通じて
――この書き方はけっこう役に立つなぁ――
と思ってマス(笑)
阿刀田サンの選評だと初登場の113回の赤瀬川隼サンへの
「『陽炎球場』は、ベースボールがどれほど美しいドリームであったか、あらためて懐しさを覚えさせてくれた。」
がインパクト強いですネェ。
「メッタ斬り」じゃナイですが、知らない人に見せたらホントに長嶋サンが書いたと思いそう(笑)
投稿: しょう | 2013年8月18日 (日) 22時59分