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2013年7月の5件の記事

2013年7月28日 (日)

源氏鶏太〔選考委員〕VS 武田八洲満〔候補者〕…「選考委員会」という社会のなかにあっても、懸命にマジメにお勤め。

直木賞選考委員 源氏鶏太

●在任期間:27年
 第39回(昭和33年/1958年上半期)~第92回(昭和59年/1984年下半期)

●在任回数:54回
- うち出席回数:54回(出席率:100%)

●対象候補者数(延べ):420名
- うち選評言及候補者数(延べ):357名(言及率:85%)

 源氏鶏太さんは昭和5年/1930年から昭和31年/1956年までサラリーマンでした。会社を辞めたのは43歳、住友グループの泉不動産総務部次長の職にあったときでした。

 当時のことは源氏さん、いろんなところに書きのこしています。そのうち、ひとつをご紹介します。

「私は、作家としては二流に過ぎないが、サラリーマンとしては、ある期間一流であったと思っている。これは出世ということとは無関係である。一流であったと思う理由の一つに、私なりに仕事を一所懸命に励み、そこに生甲斐のようなものを感じていたことがある。その一例として、入社してからのおよそ二十年間は、無遅刻無早退無欠勤で通している。思うに心身共に充実していたのであろう。だが、その後の数年間は、小説が売れ出したりして、全くダメなサラリーマンになってしまった。辞めたのはそのことを自覚したからでもあるが、今でも申訳のないことをしたと恥入っている。」(昭和46年/1971年9月・集英社刊 源氏鶏太・著『雲に寄せて』所収「やる気――社員教育の難しさ――」より)

 「一流社員のあかしとして、無遅刻無早退無欠勤の例を挙げてるの? 古くせえ考え方だな」と野次が飛んできそうではありますが、少なくとも源氏さんの律儀さはわかると思います。20年以上勤めて、このままサラリーマンとして一生を終えようと思っていた人間が、途中で、そうはいかなくなり、「恥入っている」とするところ。まったく立派すぎるほどの社会人です。

 で、その目で見ると直木賞選考委員としての源氏さんも、ほんと非の打ちどころのないほど真面目です。無欠席は当然のこと。選評を書く段においても、短い寸評程度のものが多くちゃっても、なるべく多くの候補作に対して感想を書こうとする姿勢。川口松太郎さんの選評と比べても、その「候補言及率」の高さは歴然としています。8割以上の候補作に、何らかの評を残しているのは、当時としてはかなり異例です。

 さらに世慣れていると言いますか、気遣いが細かいと言いますか。たとえば直木賞で誰を推した、ということを自分ひとりの功績として声高に主張したりしません。第42回司馬遼太郎さんが受賞したのは選考委員の海音寺潮五郎さんの粘りがあったからだ、というのは、いまではだいたい定説になっているし、ワタクシもそう思っていますが、これについて源氏さんはいくつもの文章を残しています。

 まずはこれ。

「私が直木賞選考委員として、多少とも功績があったとすれば、司馬遼太郎君と黒岩重吾君を極力推したことでなかったかと思っている。勿論、私がいくら推したところで、他の選考委員の賛同が得られなかったらどうにもならない。だからその功績を一人じめにしようなんて夢にも思っていないが、しかし、その後の両君の活躍振りを見ていると、私は、自分が間違っていなかったとの満足感をおぼえるのである。」(昭和44年/1969年1月・東方社刊 源氏鶏太・著『ユーモアと人生』所収「選者冥利」より)

 同じく『ユーモアと人生』に収められた「大作家への道」にも、おそらく司馬授賞をめぐるときの逸話、と思われる部分があります。

「ある年のある候補者の作品について、吉川(引用者注:吉川英治さんは、最後まで反対なさった。はじめ、その詳しい理由をなかなかおっしゃらなかった。しかし、最後になって、

「どうも、初期の僕の作品に似ているのでね。」

 と、苦笑しながら告白された。

 その頃の吉川さんは、すでに「私本太平記」に精魂を打ち込んでいられた。そういう吉川さんにとって、初期の作品は、最早絵空事に思えていたのでなかったろうか。しかし、私は、そう思わなかったし、吉川さんの今日は、そういう初期の作品を経て来ているからこそ尊いのだと主張し、結局、折れて貰った。その候補者は、授賞され、今や大流行作家になっている。」(同書より)

 いずれにしても、海音寺さんのカの字も出てきません。司馬さんを授賞させた影には、確実に自分の推薦も効いていたのだ、と源氏さんは考えていたに違いありません。

 ところが別の場所では、こう言っています。

「このことはすでに誰かが書いたかもわからないが、昭和三十四年下期に司馬遼太郎君の「梟の城」が候補になったとき、私は、極力おした。ところが、どういう訳か、吉川英治さんが反対なのである。おんなじ一票だが吉川さんの一票には無限の意味がある。が、そのとき、海音寺さんが吉川さんに、あなたがこの作品をあんまり好まれないのは、自分の初期作品に似ているからではありませんか、しかし、これはこれで立派な作品ですよ、とおっしゃったことでたちまちケリがついたのである。

 ところが同席していられた佐佐木茂索さんが、司馬君はすでに週刊誌にも書いているし今更どうであろうかと難色を示されたので、殆んど決まりかけていた雰囲気に動揺が起った。座が白けかかった。私などいいたいことがたくさんあったのだがいえなかった。しかし、ややあって海音寺さんが、そのようにおっしゃってもこれは直木賞に該当する作品ですよ、とはっきり発言されたことによって直木賞作家司馬遼太郎君の誕生となったのである。これに近い例が何度かあった。」(前掲『雲に寄せて』所収「直木賞選考委員海音寺潮五郎氏」より)

 「私などいいたいことがたくさんあったのだがいえなかった」の一文が、源氏さんらしくて、微笑ましいですね。この前後、源氏さんは選考会で、こんな経験もしていたそうです。

「まだ、吉川英治氏の御存命中の頃、若かった私がある作家について強硬に推した。私としては珍しいことなのだが、しつっこ過ぎるほど、自分の意見をいい続けた。(引用者中略)が、そのうちに吉川さんから、君、しばらく黙っていてくれ給え、とたしなめられて引っ込まざるを得なかった。その頃、吉川さんの発言には、千鈞の重みがあった。」(『文藝春秋』昭和58年/1983年11月号 源氏鶏太「直木賞選考委員」より)

 ここからわかるのは、吉川英治さんの発言に千鈞の重みがあった、っていうことではなくて、源氏さんがこれを千鈞の重みがあったと認識し萎縮することがあった、ということです。だって海音寺さんはやすやすと(?)、その吉川さんの「重み」を越えて自説を主張し、授賞させ得ているわけですから。その座の誰が「上」にいて、誰に敬意を払うべきなのか、どうしても感じずにはいらなかった、そしてその感覚によって自らの行動を律しざるを得なかった、律儀でまじめな源氏さんの姿が立ちのぼってきます。

 で、今日、源氏さんのお相手を務めてもらう候補作家なんですが、司馬さんではありません。ちょっと有名すぎますしね。黒岩重吾さんでもありません。ご両名は、「選考委員」としていずれ拙ブログで取り上げる機会もありましょう。

 さして源氏さんとは接点のない作家にします。四度の候補に挙がりながら、まだうちのブログであまり触れていない人。武田八洲満さんです。

 長谷川伸門下の「新鷹会」に所属していました。「新鷹会の貴公子(プリンス)」、とは、同門の小野孝二さんによる命名です。武田さんは昭和25年/1950年ごろから日本図書館協会事務局に勤め、10年で退職。まもなくオール讀物新人賞に「道」を投じ、最終候補にまで残ります。

「それまで私には、小説を書こうという意欲はまったくなかった。小説になる題材らしいものをひとつ持っていて、それをしきりに心のなかでもてあそんでいただけなのである。それを原稿用紙に書きとめたのは、記録しておきたいためであった。(引用者中略)かさねていわせて頂くが、私はそれまで文学修業らしい勉強は、まったくしていない。そのときの私の貧弱な本棚には、学生時代に使った仙花紙の経済学教科書しかなかった。」(『大衆文芸』昭和53年/1978年7月号 武田八洲満「山手先生と私」より)

 で、これは落選するんですが、選考委員だった山手樹一郎の「これは長編の題材である」との評に、なるほどそうであったかと開眼。ひきつづき意欲をもって書いた「大事」が、オール讀物新人賞を受賞します。昭和38年/1963年春のことでした。

 大衆文学研究会代々木会に入り、さらに新鷹会にも出入りするようになりまして、昭和41年/1966年には初の著書『宮本武蔵』(鶴書房盛光社刊)を上梓。そして何といっても武田さんの出世作となったのは、『大衆文芸』に昭和45年/1970年連載した「紀伊国屋文左衛門」でした。おっとびっくり、第64回(昭和45年/1970年下半期)の直木賞候補に選出されます。新鷹会の人が『大衆文芸』に発表した作品で直木賞の候補になるのは、第48回(昭和37年/1962年下半期)の小橋博「火と土と水の暦」以来です。久しぶりのことでした。

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2013年7月21日 (日)

阿刀田高〔選考委員〕VS 道尾秀介〔候補者〕…直木賞に背骨がなく何かスッキリしないのは、それは当然です。

直木賞選考委員 阿刀田高

●在任期間:18年半
 第113回(平成7年/1995年上半期)~第149回(平成25年/2013年上半期)在任中

●在任回数:37回
- うち出席回数:37回(出席率:100%)

●対象候補者数(延べ):211名
- うち選評言及候補者数(延べ):211名(言及率:100%)

 7月なかばに打ち上がる大きな花火も見終わったことです。ゾロゾロと花火会場から立ち去る群集から離れて、さあ、また昔の話題に戻りましょうか。……とも思ったんですが、花火の興奮がまだ醒めませんよね、ご同輩。多少、先週の花火のことを連想させる選考委員を、ここで一発挟みつつ、平常運転へと戻っていきたいと思います。

 阿刀田高さんです。御年78歳。つまり、直木賞そのものと同い年。直木賞では選考会が終わると、その会場である「新喜楽」で、選考委員会を代表して一人が、記者会見を行うんですが、先週の第149回(平成25年/2013年上半期)は、この阿刀田さんが代表を務めました。

 ひたひた、しみじみと書かれた作品を褒めるいっぽうで、現実離れしたSF系統の小説には欠点を指摘する……直木賞と同い年のご老体が、その役目を務めることで、「老いた文学賞」として名高い直木賞の姿を世間に知らしめる、という。相当すばらしい演出だったと思います。

 強引になっちゃうのを覚悟で言えば、18年半に及ぶ阿刀田さんの選考委員としての姿も、そうとうに「直木賞的」です。

 それは、時に「作家としての実績」に同意したり、時に候補作品の出来栄えで票を入れたり。そうかと思うと、やたらに「文学になっているか、そうでないか」を強調してみたり、逆に、楽しく読めることを第一義にしてみたり。……一本筋が通っていないというか、ほんとうにこれが授賞でいいのか、落としてしまったいいのかと、阿刀田さん自身の言葉を借りて言えば「屈託」の多い、ずーっと悩みつづけている感じ。

 まったく直木賞そのものです。この間、選考委員が阿刀田さんひとりであっても、あまり結果は変わっていなかったんじゃないか、というぐらい。

 その阿刀田さんが、別に作家を志したこともなければ、何か書きたい欲求にせまられて創作を始めたわけではないことは、ご本人の証言もあって、結構有名です。まわりの流れに身をまかせているうち、知らず知らずのうちに、小説を書くことになり、知らず知らずのうちに直木賞の候補に擬せられ、知らず知らずのうちに受賞することになりました。

「私は国立国会図書館に勤務しながら生活費を補充するためにアルバイトの雑文書きに手をそめ、それが高じて退職しフリーのライターとなった。

 親しい編集者から、

「雑文書きだけではつまらない。小説を書いてみたら」

 と勧められ、その気になった。

 小説はたくさん読んでいたし、文学部も卒業していたけれど、自分で小説を書いたことはなかった。雑文書きの試みとしてPR誌にショートショートのようなものを載せたことはあったが、ある程度の枚数を持つ小説は、本当に一篇として書いたことがなかった。

 ――どうしよう――

 小説というものは、本来的には自分の胸中になにか溢れる思いがあって、ぜひとも世間に訴えたい、と、そこから始まるものである。それが基本である。

 ありていに言えば、当時の私には、そんなものがなかった。小説用語で言えば、私には小説を書くモチーフがなかったのである。(引用者中略)

 デビューを模索していた頃の私は、一方でモチーフを捜しながら、もう一方で、

 ――モチーフのいらない小説というのはならいのだろうか――

 と考えた。

 ここに登場するのが推理小説である。

 (引用者中略)推理小説は謎解きのおもしろさを追求するジャンルであって、小説そのものの中にはモチーフがいらない。いや、なくても成立する。」(平成8年/1996年3月・文藝春秋刊 阿刀田高・著『アイデアを捜せ』「いくつもの岐路」より)

 それで処女作「記号の惨殺」を発表したのが昭和49年/1974年。以来、日本の小説のなかでは〈マイナー〉に属していた〈奇妙な味〉と呼ばれる風味の短篇小説を書く道に、自ら望んで進みます。それらを集めた最初の小説集『冷蔵庫より愛をこめて』は、講談社から出版されたわけですが、

「評判はほとんどなにも聞こえてこない。売れ行きも、もともと期待されていたわけではあるまいが、可もなく不可もなし、らしい。」(平成13年/2001年2月・文藝春秋刊 阿刀田高・著『陽気なイエスタデイ』「若い日のこと」より)

 という状況でした。これが本人も驚きの、直木賞候補となり、つづいて上梓したのも同種の作品集『ナポレオン狂』。そこまで絶賛されたわけではなかったけれど、これまで直木賞が取り上げこなかった〈エスプリ〉の新鮮さが、当時の委員たちに好評で、受賞を果たしました。その結果が発表されたあと、委員だった五木寛之さんは知り合いから、「直木賞も結構ふところが広くなったじゃないですか」と声をかけられたといいます。

 自身を授賞させたこの直木賞の精神が、当然、阿刀田さんのなかにもあるはずです。ただ、時代は流れ、直木賞も阿刀田さんも年をとりました。いろんな頼まれ仕事もイヤがらずに(?)引き受け、有能な組織人としての資質を遺憾なく発揮。それでもご自身、「へそ曲がりなところがある」と自負するほどの人です。ジャリ向け小説の隆盛に対する反撥心もあったのでしょう、「大人の鑑賞に耐えうる小説を」なんちゅう若年層蔑視の直木賞観をもつにいたっています。

 阿刀田さんは、〈ミステリー〉から作家人生を出発させた人でした。先に引用したとおりです。ただ、それは作家になる一つの道具として利用しただけなので、別にこだわりはありません。

「確かにデビューの頃は殺人事件があったりしてアクセントの強いものを書きたいという意図が自分の中にもありましたけれども、年をとってきますと普通の小説を書くということにも魅力を感じてきて、作風が少し変わってきているのかなとは思います。

 もともと作品のジャンル分けというのは作家がするようなものではなくて、今回は恐怖小説を書こう、今回は推理小説を書こう、今回は恋愛小説を、というような意図が自分のなかにはっきりあるものではないです。」(『本の話』平成11年/1999年2月号「ロング・インタビュー 七百五十個のアイデア」より ―インタビュー・構成:朝山実)

 こういう言葉を読むと、やはり一人の直木賞候補者を思い出さないわけにはいきません。道尾秀介さんです。

玄侑(引用者注:玄侑宗久 もちろん単純には一作ごとのクオリティが比較できないくらい、道尾さんの小説はバラエティに富んでるんですが、初期にはもっとミステリーっぽいものをお書きになってましたよね。ミステリーをお書きになっても謎解きそれ自体が目的ではないんだと、かねてからおっしゃってはいたけれども。

道尾 ええ。ミステリーの仕掛けは、感情やテーマを伝えるための手段としてとても効果的だと思っていたんです。

(引用者中略)

道尾 小説を書いていて思うのは、ここ最近、ストーリーばかり工夫して、人間の感情を掘り下げて描くことのない作品が多い気がするんです。愛する人が死んで悲しい、病気が辛い、犯罪は悪い、みたいな条件反射的な感情の作用ばかり狙った小説が増えている現状に、小説の魅力ってそんなところにはないんじゃないかという、もう、バンカラ魂に近いような憤りがあるんですよ。(引用者中略)天の邪鬼かもしれないし、おこがましいかもしれないけれど、せめて自分は流行に流されないで、古いスタイル、絶対になくしちゃいけない小説の価値を守りたいという気持ちがあるんです。」(『オール讀物』平成23年/2011年3月号 道尾秀介、玄侑宗久「受賞記念対談 人生をサボらない」より)

 阿刀田さんと道尾さん、かなり似ているというか(……って、そうでもないか)、いや、おおむね直木賞の授賞傾向に沿った選考をしがちな阿刀田さんが、この人の候補作にだけはずっと厳しく接しつづけた、というのが道尾さんです。

 選考委員・阿刀田さんの激闘史。ここはひとつ、道尾さん5度の候補作に対する選評で追ってみたいと思います。

 ……と、その前に。何といっても阿刀田さんがいなければ道尾さんが小説家になることもなかった、とすら道尾さん本人が言っておりますので、その件に触れておきます。

「阿刀田高さんの『だれかに似た人』。大学の時の知り合いにミステリー好きの女性がいて、「これはショートショートだから、合わないと思ったらいつでもやめられる」と薦めてくれた本です。

 当時はとにかく読書量が少なかったので、「ショートショート」というジャンルが存在することさえ知りませんでした。こんなに短い小説があるのかと驚いたのと同時に、もしかしたら自分にも真似できるかもしれないと思った。(引用者中略)

 早速、書き上げた初めての小説を、阿刀田さんが審査員をしていた『小説現代』の「ショートショート・コンテスト」に送ってみたところ、それまで誌面で見たことのないような高得点を付けていただいた。あれは嬉しかったですね。

 作家を目指している時期に最も大事なことって、根拠のない自信をどれだけ持てるかという「勘違い力」だと思うんです。僕はこのことがきっかけで、ものすごく自信を持つことができました。

 『聖なる春』(引用者注:久世光彦がなければ、いまのクオリティで小説を書けていなかったと思うし、『だれかに似た人』がなければ、そもそも作家になっていなかった。人生に大きな影響を与えたという点では、順位不変の2冊です。」(『週刊現代』平成24年/2012年6月30日号「わが人生最高の10冊」より―構成:井上華織)

 ってことで、道尾さんがおそらくはじめて、阿刀田さんからもらった選評がこちらです。

「どうして犬は」がとてもよいできだ。相当に容姿の奇っ怪な人物が二人登場しているはずだが、表面的にはなにも描写していない。読者の推理と想像に委ねるという趣向である。最初に「どうして犬は人間の数万倍も鼻が利くのか知ってるかい?」と尋ね、次に山手線で通勤していること、韓国の飛行機事故と話が続き、この三つがストンと繋がるところも非凡である。内容はたわいないが、技術的にはショートショートの合格ラインをみごとにクリアしている。九・五点。」(平成14年/2002年2月・講談社/講談社文庫『ショートショートの広場13』所収 阿刀田高「あとがきと選評」より)

 こうして道尾さんが褒められた平成11年/1999年から10年。いよいよ直木賞の場で、阿刀田さんと道尾作品が激突します。

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2013年7月18日 (木)

第149回直木賞(平成25年/2013年上半期)決定の夜に

 「ほんと、直木賞なんて全然話題にもならなくなったな。時代は変わったよ」……などという声を聞くと、ワタクシはじつはホッとするのです。そりゃそうです。直木賞が話題になる世の中のほうが異常です。きっと、日本もまっとうな社会になったのでしょう。よかったよかった。

 ですが、世間が騒いでいるか/いないか、はうちみたいな辺境ブログには何ら影響がありません。第149回(平成25年/2013年・上半期)もまた、選考会後の夜は訪れてしまいました。おのずと「決定の夜に」エントリーを書く。息を吸って吐くがごときです。自然のなりゆきです。

 だって、あなた。候補作の6つ、読みました? どれも面白くなかったですか? 少なくともワタクシは、世知辛いこの世の暮らしを忘れさせてくれるような、6つの異なる読書体験をできました。受賞したとか、しないとか、そんなことは二の次において、これら6つを没頭して読んだ日々を思い返しつつ、頭に浮かんだことを書いておきます。

 「文学賞なんてどうでもいいよ」の風潮にあって、候補になるたび、わざわざ直木賞に賭ける意気込みを表明する伊東潤さん。その姿勢が、ワタクシにはまぶしくて仕方ありません。そもそも、これだけ多くの人がこぞって、伊東さんの『巨鯨の海』に本命印を付ける時代がやってきた、そのことにワタクシは満足しちゃうんですけど、でもやっぱ、受賞会見する伊東さんの雄姿を、この目に焼きつけたいぞ。ぜひ、さらなる第4戦目が組まれることを希望します!……それと、早川書房以上に直木賞とは縁遠い光文社が、いったいいつ直木賞に達するのか、という興味も持ちつつ。

 直木賞なんてものは、基本ジミなのに、みんなから目を向けてもらうと舞い上がります。今回もまたまた、恩田陸さんの力を借りてしまいました。恩田さんが5度目の候補打診をイヤがらずに受けてくれたことで、どれだけ直木賞界隈が盛り上がったことか。作家としての実績は当然のこと、その功績にこそ、ワタクシは直木賞ファンとして感謝したい。せずにはいられません。ちなみにワタクシ、『夜の底は柔らかな幻』ではじめて恩田作品を手にとる人が続出し、何ちゅう物語だ!と議論が巻き起こる、そんな未来を、つい想像してワクワクしちゃいました。 

 『ジヴェルニーの食卓』みたいな、豊潤な物語を、まさか直木賞の候補作として読めるとは、まったくこれだから直木賞候補作読みはやめられません。日常の生活を忘れさせてくれる極上のひととき……などと言うと、デキの悪い高級リゾートのキャッチコピーみたいですけど、原田マハさんには、もっともっと、美術や美術家たちのおハナシを書きつづけてほしいです。きっと、そのうち、「え、あのマハさんの美術シリーズを、直木賞は落としちゃったの? 相変らず直木賞だなあ、おい」と言われる日が来るのでしょう。ええ。いつものことです。

 直木賞ファンはたいてい孤独です。直木賞だけに興味をもっている、というだけで不審者のように見られます(被害妄想かもしれません)。そこに、湊かなえさんのような名のある方が、直木賞と関わってくれて、これでワタクシも明日から胸を張って生きていけます。『望郷』のような、さまざま趣向を凝らした短篇をずらりと揃えてくるあたり、さすが実力派、お見事の一言です。

 21世紀の日本にあって、夢を見させてくれる男、宮内悠介。また今回も、SFが直木賞をとるのではないか、というイイ夢を見させてもらいました。『ヨハネスブルグの天使たち』を候補にするのなら、日本文学振興会には、SFテイスト全開のどんな小説でも、どんどん直木賞の候補に挙げてもらいましょう。宮内さんも、もうまわりがウルサい!とウンザリするまでは、ぜひお付き合い願いたいものです。また夢を見させてください。

          ○

 ところで、先週書いたブログのエントリー、けっこうイイ線いってたんじゃないか、と偏狭的な直木賞ブログの主を喜ばせてくれて、桜木紫乃さん、ほんとうにありがとうございました。『ホテルローヤル』の、どんより暗いようでいて、明るさも感じられる妙なたたずまいが、イイなあと惚れちゃいました。

 オール讀物新人賞の受賞から初の単行本までの苦労、みたいな話を受賞会見で聴いて、まじ泣きそうになりました。「直木賞なんて、もう権威もなければ、話題にもならない」なんちゅう風評は、桜木さんの歩みのまえでは、何の力も持ちません。軽いようでいて濃厚な小説、またこれからもお願いします。

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2013年7月14日 (日)

第149回直木賞(平成25年/2013年上半期)は、40~45、17~20のなかの争い。

 直木賞が、小説の内容や優劣だけで決まる賞ではない、ってことは、みなさんご存じのとおりです。

 受賞作がおもしろいとかつまらないとか、何万部売れたとか売れないとか、そんなことは、直木賞全体の魅力からすれば、まったくチッポケなことです。オマケ程度のことです。

 ……というわけで、小説の評価から離れて「直木賞らしい直木賞の楽しみ方」を満喫できるよう、うちのブログでは毎回、選考会の前にネタ系のエントリーを書いています。ときに、今週水曜日7月17日の第149回(平成25年/2013年・上半期)選考会がせまってきました。今回もやはり、6つの候補作それぞれの位置づけを確認して、来たる選考会を迎えたいと思います。

 で、全国の字組ファンの方、お待たせしました。これまで当ブログでは、候補作の重量だの、表紙の色だの、装丁家だの、いくつかの切り口から候補作を紹介してきました。だけど、アレです。候補作品の「体裁」と言って、最も選考委員の脳に影響を与えるもの。それは「字組」に他なりません。

 まず、パッとページを広げたときの印象。スカスカで安っぽいな、と思わせるか。逆にギッチリ詰め込まれていて、読みごたえがありそうだな、と思わせるか。ちょっと他とは違う個性を感じさせるか。あえてオーソドックスさを選ぶことで、版面から滲み出る主張を抑えるか。……印象は大事です。

 さらに、文字を追う「作業」のなかでも、字組の違いは大きくモノを言います。天地・小口・ノドからの余白、フォントの種類や大きさなどが、どれほど重要な役割を占めるか、本づくりに携わっている方なら、当然ご存じでしょう。とくに直木賞なんてものは、基本どれが受賞してもおかしくないぐらいの小説ばかりが候補になります。選考委員たちの脳の奥底に残ったわずかな印象が、最終的に当落を決める分かれ目になります。

 じつは、全国には長年にわたって趣味で直木賞の予想をしている人たちがたくさんいて、おのずとネットワークが形成されています。ワタクシは、そのなかの20名ぐらいを知っていますが、うち一人から、こんな話を聞いたことがあります。「福井のある町に、伝説の予想屋と呼ばれている人がいて、その人は候補になった本をパラパラとめくって字組の感じを見るだけで、当落の可能性を割り出すらしい。しかもそれが、けっこう当たるらしい」と。世の中は広いです。

 そのハナシを聞いてからというもの、ワタクシも、候補作の字組に注目するようになりました。直木賞をとりまく字組にも流行があり、あまりに古いデータは参考にならないと思うので、ここでは過去5年分の、受賞作・候補作を並べてみました。本来、頁四辺の余白や、書体・文字の大きさまで考慮すべきですが、一頁の行数×一行の文字数、だけにフォーカスしてあります。これだけでも、だいたい、直木賞の好む字組かそうでないか、を見るには十分でしょう。

 今回、直木賞で好まれるのは、湊かなえ『望郷』と宮内悠介『ヨハネスブルグの天使たち』の二作、次いで桜木紫乃『ホテルローヤル』だ、ということがわかります。

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 最近の候補作は、一頁行数18行・19行のあたりにひしめき合っています。なかで18行のほうが直木賞では有利に働き、さらに行あたりの文字数が少ないと、概して受賞率が上がります。要するに、幾分ゆったりとした組み方をしたり、大きめの文字を使ったりしている本です。選考委員たちに心地よく感じられるゾーンが、ここにある、というわけです。

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2013年7月 7日 (日)

宮部みゆき〔選考委員〕VS 原田マハ・桜木紫乃・伊東潤・宮内悠介・恩田陸〔以上候補者〕…受賞者も落選者も傷つけない魔性の女。

直木賞選考委員 宮部みゆき

●在任期間:4年半
 第140回(平成20年/2008年下半期)~第148回(平成24年/2012年下半期)在任中

●在任回数:9回
- うち出席回数:9回(出席率:100%)

●対象候補者数(延べ):51名
- うち選評言及候補者数(延べ):47名(言及率:92%)

 第149回(平成25年/2013年・上半期)の選考会まで、あと10日です。こういうときこそ、だーれも興味のないような昔の直木賞バナシを繰り出して、ひとり悦に入るのが、直木賞オタクとしての正道だと思います。

 ただ、リアルタイムの直木賞もやっぱり面白い。今度の直木賞、だれがとるんだろう。考えるだけで夜も眠れず、気が狂いそうだ。……っていう内なる声に素直に耳を傾けまして、今日は10日後の選考会をにらんだエントリーを書くことにしました。

 主役の選考委員は、宮部みゆきさんです。

 毎回毎回、誰ひとり傷つけないような選評を書き、もはやそれは「選評」と呼ぶには違和感のある別次元の読み物と化した、直木賞選評界の革命児……とまで言ったら言いすぎですけど、ともかく真の顔を見せない魔性の女です。

 どんなに選考委員が「いいひと」であっても、結局、文学賞では、受賞作とともに落選作を選び出さなければいけません。およそ社会では、ここで受賞作も落選作も一様に褒めちぎるような人は、「なんだよ、ひとり、いい子ぶりやがって」と反感を買ったりします。そういう反感すら回避しようと、文章が長くなることも厭わずに、あの手この手を使い、受賞者、候補者、そして我が身までも保護するような「選評」を書いてしまう、という。とうてい「選評っぽくないもの」になっていくのは、当然のことでしょう。

 宮部さんには、直木賞の選考委員に就任するに当たって『オール讀物』に寄せた「驚きと喜びと」(『オール讀物』平成20年/2008年12月号)という文章があります。基本、委員としての決意が語られたものです。

「私は、候補作品と向き合うときであっても、他の書物のページを繰るときとまったく同じように、あの安らぎに満ちた孤独に浸ることに、このうえない喜びを感じると思います。

 今、私は一人きりだ。独りぼっちの私に、この本は、この書物のなかにいる孤独の王は、何を語りかけてきてくれるだろう。その声音はどんな響きだろう。

 驚きと喜びを求め、胸をときめかせて耳を傾けることに、何ら変わりはないと思います。」(「驚きと喜びと」より)

 なるほど、文壇事情とか仲のいい作家の作品だとか、そういうハナシは一切持ち込まない、っていうことを宣言しているわけですね(……って違うか)。

 ただ、この「就任エッセイ」の宮部さんらしさは、他のところにも表われています。〈謙虚な宮部みゆき〉を、どうしても宮部さんは抑えられません。次のような場面を描いてしまいます。

「今般、第百四十回の選考会より、直木賞選考委員の末席に連なることとなりました。自由業である小説家に、〈拝命〉という言葉はそぐわないものでありますが、日本文学振興会からの要請に、

「どうぞよろしくご指導ください」

 とお返事した際の私の心境には、まさにこの〈拝命〉という言葉がぴったりでした。」(同)

 ご、ご指導……。こういうことをさらりと言えるのが宮部さんのスゴみであり、しかも、それを「就任エッセイ」で書けちゃうのが、宮部さんの魔性ぶりハンパないとこだよなあ。

 宮部さんが選考委員となってまだ5年。その間にも、貴志祐介『悪の教典』をひとりで熱烈に推したりと、〈孤独な読者〉ならぬ〈孤独な選考委員〉の姿を垣間みせたりしてくれています。ただ、今日はせっかく第149回の直前です。しかも今回の候補者は、湊かなえさんを除いて、みんな候補になった経験のある人たちばかり。宮部さんは、それら候補作たちにどんな温かい言葉をかけてきたのか。それをおさらいすることで、来たる選考会をやさしい気持ちで迎えたいと思います。

 まずは原田マハさんからいきます。対象となるのは第147回(平成24年/2012年・上半期)候補の『楽園のカンヴァス』です。これは宮部さん、第1位に推しました。以下、読んでもらえればおわかりのとおり、『楽園のカンヴァス』を褒めつつ、辻村深月『鍵のない夢を見る』までも真綿にくるむ芸当を見せています。

「辻村さん、ご受賞おめでとうございます。初期作品からの読者の一人として、私もとても嬉しい。

 ところが今回、皮肉なことに、私は賛成票を投じていませんでした。(良い意味で)大風呂敷を広げ、知的な興奮を与えてくれた『楽園のカンヴァス』を推していたからです。こうした、日常から離脱する大きなエンジンを持つ候補作が登場したのは、現代小説では久々のことですので、そちらに心を奪われてしまいました。

 でも(弁解がましいですが)、反対意見を押し戻すだけの強い賛意を集め、会心の受賞になったのではないでしょうか。」(『オール讀物』平成24年/2012年9月号「日常から離脱する力」より)

 〈知的冒険劇〉として原田さんの作を絶賛しています。ひるがえって、今度の候補作『ジヴェルニーの食卓』はどうでしょう。同じ観点から、宮部さんが再び推す、といった作品ではないでしょうが、なにしろ宮部さんです。きっと言葉を尽くして、穏やかな評で包み込んでくれることでしょう。

 桜木紫乃さんの『ラブレス』は第146回(平成23年/2011年・下半期)の候補でした。宮部さん、この物語に「惚れた」と言っています。

「桜木さんの『ラブレス』には、完全にやられました。徹夜で読み、何度も笑い、泣きました。百合江と幼い綾子が母娘で歌う「情熱の花」は、今も耳の奥に響いています。どうして受賞に届かなかったのか、振り返って考えてみると不思議で仕方ありません。個人的には、全身全霊でぶつかってくるこの物語に惚れてしまい、駆け落ちしようと決めた刹那にふと我に返り、「出会ったばかりのこの人と、このまま突っ走ってしまっていいのかしら」と急に腰が引けてしまったのよ――と説明するしかないようで、まことに申し訳ありません。」(『オール讀物』平成24年/2012年3月号「さまざまな試み」より)

 申し訳ないついでに、その2か月後、第33回吉川英治文学新人賞に『ラブレス』が候補に残ったときも、宮部さん、この作に一票を投じました。そしてまた「『ラブレス』を落選させた文学賞の選考委員のひとり」になってしまうのです。涙。選評は、受賞した西村健『地の底のヤマ』との比較で進行しています。

「受賞作『地の底のヤマ』は、実は私のイチ押しの作品ではありません。もちろん、質・量ともにすごい小説ですが、私の想いは『ラブレス』と『ジェノサイド』の上にあったからです。できるならばこの二作に受賞させたいと思いつつ選考会に臨み、でも最初の投票結果を見たとき、「『ヤマ』は強し!」とあらためて震撼しました。そこからは何とか「『ヤマ』と、もう一作を」とおろおろしているうちに、機を逸してしまいました。

(引用者中略)

(引用者注:『ラブレス』と『地の底のヤマ』は)あらゆる意味で好対照であり、好一対でもある二作ですが、小説としての構造は『ヤマ』の方が堅牢かつオーソドックスです。『ラブレス』には、「百合江と里実の娘たちは、いつ誰から母親の人生について聞いたのか。あるいは彼女たちはほとんど知らずにおり、知るのは読者だけであって、それが『愛を欠いている』というタイトルに繋がるのか」という根本的な疑問を生み出す曖昧さが残されています。これを小説的虚構の歪みといってもいいかもしれません。

 ただ、この曖昧さは、再読三読して初めて気になるくらいの潜在的なもので、作品の疵ではないと、私は思いました。何より、『ラブレス』が与えてくれた読後の圧倒的な幸福感に、私は票を投じずにいられませんでした。」(『小説現代』平成24年/2012年5月号「〈血〉のなかに流れる物語」より)

 『ラブレス』一作だけに添い遂げることに躊躇があった、とも言う宮部さんです。二作目の『ホテルローヤル』をしっかり受け止めて、心中する気持ちになってくれるでしょうか。作中「心中事件」が出てくることでもありますし。……ええ、こじつけです。

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