浜本茂(NPO本屋大賞実行委員会理事長) 思いつきで「打倒直木賞」の名ゼリフを吐き、本屋大賞vs.直木賞の構図を(無意識裡に)予見する。
浜本茂(はまもと・しげる)
- 昭和35年/1960年生まれ(現在53歳)。
- 昭和58年/1983年(23歳)中央大学法学部在学中に、本の雑誌社に入社。昭和63年/1988年に一度退社するが、平成2年/1990年に復社。
- 平成13年/2001年(41歳)目黒考二のあとを受けて『本の雑誌』発行人に。
- 平成14年/2002年(42歳)書店員の有志で、書店員が決める文学賞の案が語られる。その案が具体化し、平成15年/2003年に本屋大賞の創設が決定。同賞事務局は本の雑誌社内におかれ、浜本、本屋大賞実行委員会の代表となる。
- 平成17年/2005年(45歳)本屋大賞実行委員会がNPO法人化するにあたり、理事長に就任。
風のウワサによると、いまは直木賞といっても振り向く人はおらず、本屋大賞というと人が群がるそうなので、うちのブログもその霊験あらたかな本屋大賞の威光に頼りたいと思います。
で、(裏)人物は杉江由次さんとか嶋浩一郎さんとか、全国の書店員とか、誰でもいいんですけど、いちおうの代表者、浜本茂さんで項目を立てさせてもらいました。何といっても「打倒直木賞!」の名言を残した人ですから。拙ブログにはうってつけの人なのかもしれません。
本屋大賞のことは3年前、「直木賞のライバル賞」のテーマのときに取り上げたことがありました。ちなみに当時すでに、「本屋大賞は直木賞を抜いた!」と、口角に泡ためて叫び狂っている人がたくさんいました。いつか、そんなことは自明の事実として定着して、誰もそういう煽り方をしなくなるんだろうな、と思うと、直木賞オタクとしてはすでに寂しさを感じています。
ええと、ひとまず外野の声はおいといて、浜本さんです。本屋大賞を運営するにあたっての浜本さんの、直木賞観はずーっと一貫しています。「打倒直木賞、なんて冗談」です。
「――“打倒直木賞”というのはどこまで本気ですか。第一回目の授賞式で、浜本さんが言っていましたが。
浜本 なんで打倒直木賞だったんだろう。思いつきですよね。前もって考えていたわけじゃない。横山秀夫さんが『半落ち』で賞をとれなかったことに対する憤りが書店員の間にあった、という経緯もありますが。選考に対する不満はずっとありましたね。それがピークになったのが『半落ち』でした。ただ、べつにそういう声を反映したわけじゃないんですけれど。」(『小説トリッパー』平成18年/2006年秋号「本屋大賞の真実」より ―インタビュー・構成:永江朗)
出ました。半落ち騒動。浜本さん自身はともかく、その騒動が、書店員たちにくすぶる熱い反抗心を一気に噴き出させたのでした。
「本屋大賞のそもそもの始まりは、日ごろの営業活動中、あちこちの書店員から聞いた既存の文学賞に対する不満である。とくに直木賞が槍玉に挙がることが多かった。
(引用者注:本の雑誌社、杉江由次いわく)「みんな不満があるんですね。そのうち、自分たちで選んでみたいよね、なんていう声も聞こえてきました。あくまでお茶を飲みながらの愚痴なんですが」
とくに書店員の不満が沸騰したのが二〇〇二年下半期(二〇〇三年一月決定発表)。このときは横山秀夫『半落ち』や角田光代『空中庭園』といった候補作がありながら、受賞作なしという結果に終わってしまった。書店員にとっては、受賞して欲しい作家・作品が選ばれなかったというショックに加え、受賞作がない、つまり売場が盛り上がらない、売上が伸びない、というショックが重なる。」(『図書館の学校』74号[平成18年/2006年12月] 永江朗「本はどのように読まれているのか?」より)
カネの恨みはおそろしい、と言いますか。売上が伸びないのを直木賞のせいにする、というほとんど濡れ衣に近い発想ではありますけど、それだけパワーがあると見なされていたんですね直木賞。しっかりせにゃあかんよ。
『半落ち』騒動の前の受賞作が、第127回(平成14年/2002年上半期)乙川優三郎『落ちる』。うわー、売れなさそう。書店員の興味ひかなそう。その前、第126回(平成13年/2001年下半期)は山本一力『あかね空』と唯川恵『肩ごしの恋人』。これは2作とも結構売れたって記録が残っているんですけど、それでも不満ですか。その前、第125回(平成13年/2001年上半期)は藤田宜永『愛の領分』。うーん、バカ売れするような作品じゃないでしょうね、たしかに。
だけど、世に文学賞はあまたあります。そのなかで、なぜか直木賞だけが標的にされる展開がひき起こされました。心ふるえない直木賞オタクがいるでしょうか。直木賞に、「書店員の不満を暴発させた文学賞の代表格」という、他の出版社主催の文学賞が手に入れることのできない新たな称号が与えられることになったんですもの。ありがとう書店員。
第1回授賞式に出席した永江朗さんは語ります。
「これは私の解釈なのだが、あの場に集まった人たちに共通してあったのは、芥川賞・直木賞など既存の文学賞に対する不満と、新しく誕生する賞への期待だったのではないか。とにかく異様な熱気だった。浜本茂『本の雑誌』編集長がスピーチで言った「打倒!直木賞」は拍手喝采された。」(同 太字下線部は引用者による)
浜本さんの真意は、思いつき、あるいは冗談だったのかもしれません。だけど、言葉はひとり歩きします。賞そのものが、ひとり歩きします。
たとえば、本屋大賞2回目を終えたあとの、直木賞報道。
「直木賞を取り巻く環境は大きく変化している。
「打倒直木賞」を掲げ、全国の書店員らが選ぶ「本屋大賞」は、昨年の第1回受賞作「博士の愛した数式」の売り上げを30万部以上伸ばし、直木賞に匹敵する宣伝効果を発揮。321万部の「世界の中心で、愛をさけぶ」など、賞の権威に頼らないメガヒット作も増えている。」(『読売新聞』平成17年/2005年7月7日夕刊「直木賞候補、グーンと若返り」より 太字下線部は引用者による)
受賞作が売れなきゃ直木賞の意味がない、みたいな視点ですね。そんなこと言い出したら、直木賞史のいったいどこの時代に、意味があったのか、という。
この記事では、なぜか浜本さんがコメントを求められています。おカネのことで頭がいっぱいの記者をしりめに、浜本さんはしごく冷静です。
「書評誌「本の雑誌」発行人の浜本茂さんは、「本来新人賞だった直木賞が中堅作家の“上がり”の賞になり、旬の作品が受賞できなくなっていた。世代交代などで本来の形に戻るなら歓迎したい」と話す。」(同)
さすが、直木賞売れなくなったから落ち目だよねー、などとは言いません。そもそも受賞作を売るための賞でないことをわかっているからでしょう。
とはいえ、運営する人の思いが、なかなか伝わらないのは本屋大賞も直木賞も変わりません。周囲にいる人たちの、事実を無視した妄想はとどまるところを知らず。本屋大賞のひとり歩き、突っ走ります。
「全国の書店員が投票で売りたい本を選ぶ本屋大賞が創設されて5年。直木賞など作家選考の既成の文学賞を脅かすユニークな賞の課題とは。(引用者中略)
伊坂(引用者注:伊坂幸太郎)さんの『ゴールデンスランバー』の受賞は、作家が選考委員を務める文学賞に先駆けて賞を授けたという点で、やっと「本屋大賞らしさ」が表れたと言えるが、一方で、この賞の難しさもあらわにした。」(『読売新聞』平成20年/2008年4月9日「本屋大賞「らしさ」出た 「旬」逃さず伊坂幸太郎さんに 作品発掘なお課題」より 太字下線部は引用者による)
こらこら。「作家が選考委員を務める文学賞に先駆けて賞を授けた」とか事実に反することを言って、大衆文芸新人賞界の良心「吉川英治文学新人賞」を、なかったことにしないでください。
しかし、です。さっき「本屋大賞のひとり歩き」と表現しましたが、これはちょっと正確ではありませんでした。浜本さんら実行委員会の手を離れて、記者だのライターだの読者だの(ワタクシだの)が、なにか本屋大賞の現象を語るときに、多くの場合で引き合いに出される同伴者がいるわけですから。
そう。直木賞です。
去年は去年で、
「本屋大賞は、「売りたい本が直木賞で選ばれない」という書店員の飲み会での不満から始まった。1回目の発表会では、浜本茂理事長(「本の雑誌」発行人)が「打倒! 直木賞」と打ち上げた。」(『朝日新聞』平成24年/2012年4月16日「本屋大賞、売れ筋が本命 「埋もれた本に光を」から変化」より)
と、しっかりと定番の役者を揃えつつ、
「今回変わったのは(引用者注:投票の)ルールだけではない。受賞者の三浦しをんは2006年に直木賞を受けている。直木賞作家が本屋大賞に選ばれたのは初めてのことだ。
「直木賞をとれない、候補にもならない埋もれた作品を顕彰するのが当初の意図だった。しかし人気投票で選ぶ以上、候補作を決める段階からあらゆる読者に読まれて、売れている本が点を集めやすい」と文芸評論家の大森望さんは言う。」(同)
と、本屋大賞の歩みの横には、常に直木賞の影あり、の構図を堅持していました。
ワタクシは「直木賞なんて、いまでは話題にもならない」という話をよく耳にします。へえ、そうなのかあ、直木賞について話題にするのなんてワタクシひとりなのかあ、と思っていましたら、本屋大賞のおかげで、受賞の時期でも何でもないのに、直木賞が話題になっているではないですか。まったく、本屋大賞実行委員会には足を向けて寝られません。
○
永江朗さんにしても、上記を含めた記者にしても、あるいはワタクシにしても、どうしても本屋大賞を、直木賞たち先輩文学賞と比較する視点で見てしまいます。しかし、浜本さんはそういう泥仕合に持ち込もうとはしません。
「――本屋大賞はいまや有名になって成功例ですよね。同時に、初期に見られた独自性も薄れたという批判もありますが。
浜本 来年で第10回です。「東京タワー」が受賞した頃から、これではほかの文学賞と同じだとか、「出る杭は打たれる」という感じになっています。
――今年の三浦しをん『舟を編む』はなかなかいい受賞作だったと思います。
浜本 直木賞をとっても本屋大賞の対象になるんだ、とか言われましたけどね。でも最初から本屋大賞って、既成の文学賞に対するアンチテーゼとか、そういうことではなかったのです。普段本を読まない人でも本を読むひとつのきっかけになればいい、少しでもお客さんが本屋さんに来てくれるように店頭でお祭りをやろう、ということで始めたんです。」(『創』平成24年/2012年11月号「雑誌ジャーナリズムの現状を語る(3)」より ―聞き手:篠田博之 太字下線部は引用者による)
こういうお話を読むと、ワタクシはつい思いを馳せるのです。菊池寛さんが最初、直木賞は(芥川賞と合わせて)、半分は雑誌の宣伝のためにやっているのだ、と書いたばっかりに、いまだにその言葉を直木賞・芥川賞の歴史の最初にもってこようとする人が後を絶たない状況に。このエントリーの冒頭に、浜本さんの真意とは言えない「打倒直木賞」の発言から始めてしまって、ああ、ワタクシは反省します。
でも、思いつきでも直木賞との対立軸を、第1回のときに口走った浜本さんの才というか、功績は消えません。「だいたい小川洋子さんだって、商売のためにやっている、しかも密室で能なしの選考委員が決める芥川賞が、先にちゃんと評価してるじゃん」という攻撃を、「直木賞」の名前を出すことでかわし、いかにも直木賞だけが読者のハートをつかんで売れた時代がかつてあって、ほとんどのベストセラーはそれら旧弊の文学賞が生んできたかのように錯覚させ、出版社が商業主義で賞を決めることの悪を想起させることで、書店が商業主義で賞を決めることの悪が目立たないようにする。……
いや、わかりますよ。本屋大賞の中核をなすのは、ひとりひとりの参加書店員の「この本を売りたい!」という熱い思いであって、第1位になったもの以外の、すべての得票作を含めて、この賞の得難い素晴らしさがあることは。でも、それを言ったら直木賞だって同じで、予選を担当している人たちには、「この作家に光を当てて、これからもっともっといい小説をたくさん書いていってもらいたい!」という思いがあるわけでしょう。……って、なんでワタクシが彼らの代弁をしているんだ。
下で支える人びとの思いは、残念ですけど、かき消されます。昔の直木賞(と芥川賞)がずいぶん言われた悪口は、「受賞しても、あとに残る人が少ない」とか「あげるべき人にあげそこねている」ってことでしたけど、全体的に本が売れない時代(90年代後半に入って)マスコミの関心は、売れた・売れない、宣伝効果がある・ない、とそういう観点に集約していきます。そこに、本屋大賞は登場しました。文学賞の大好きな新聞やら雑誌やらが飛びつき、余計に「受賞作の売上げ」が重大な関心事になっていった、って寸法です。
浜本さんは泥仕合を望んではいない(のかな?)んでしょうけど、まあ、本屋大賞も直木賞も、弱点や欠点をもつ文学賞どうしです。目くそ鼻くそ、五十歩百歩です。周囲の喧騒に舞い上がることなく、それでも無理やり煽り立てられたり、馬鹿にされたりして、末永く続けていってほしいと願います。
今年も『朝日新聞』で、本屋大賞が記事になっていました。やっぱり直木賞ネタも盛り込まれつつ。
「「書店で本屋大賞と書いてあるのを見ると、手に取ってみたくなる」。東京都内に住む会社員の女性(36)はそう話す。
芥川・直木賞はニュースで知る程度で、あまり読むことはない。「作家が選ぶ賞なので文学的にすばらしいのかもしれないが、私にとって面白いかはわからない。本屋さんが面白いと思った本の方が良さそう」」(『朝日新聞』平成25年/2013年4月10日「本屋大賞、売れて10歳 出版社、受賞へ躍起 投票に向け刊行・書店員を接待」より)
これなんか、明らかに記者が「直木賞や芥川賞の本は読みますか?」みたいな質問をしているわけでしょう。じゃなきゃ、良識ある36歳の会社員が、売れもしない直木賞のことなんか口にするはずないですもんね。
あ、そうそう。この記事では実行委員会の杉江さんが、自分のところの賞で精一杯なのに、親切にも直木賞のことを、わざわざ口にしてくださっています。
「賞創設に関わった本屋大賞実行委員会理事の杉江由次さん(本の雑誌社)は「いろいろな批判はあるが、出版社の推薦に関係なく面白い本を選んでいる」と反論する。「我々の賞も直木賞への不満から始まった。不満がある人がまた新しい賞を作って出版業界全体が盛り上がればいい」」(同)
いいですねえ。不満があるなら文学賞をつくれ、と泥仕合上等、の構えです。今日のエントリー、杉江さんが主役でもよかったなあ。
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