松田哲夫(ブックコメンテーター) どこまで伝わるかわからない土曜の朝のお茶の間に、直木賞の話題を流しつづけた人。
松田哲夫(まつだ・てつお)
- 昭和22年/1947年10月14日生まれ(現在65歳)。
- 昭和45年/1970年(22歳)筑摩書房に入社。『終末から』編集部員を経て、〈ちくまぶっくす〉編集長。
- 平成8年/1996年(48歳)TBS系テレビ番組『王様のブランチ』放送開始時より、出版コーナーのコメンテーターを務める(平成13年/2001年~平成14年/2002年の中断を経て、平成21年/2009年まで)。
直木賞の時期になると、ときどき、土曜の朝っぱらから「直木賞」なんちゅうダークなキーワードが公共の電波にのって流れます。「日本人は賢くなったので、もう誰も、権威的なものには影響されない」はずなのにです。このシュールな図をつくり上げた立役者、と言えば、TBS系『王様のブランチ』番組スタッフであり、本のコーナーの顔を長年にわたって務めた松田哲夫さんでしょう。
まあ、シュールです。過去の遺物だの、時流にとりのこされた存在だのと言われ、「直木賞」という単語を口から発するだけで羞恥を覚えなくてはならないこの世の中、きらびやかで爆発的影響力をもつ(と言われている)TVショーのなかで、直木賞の話題なんか取り上げて、だいじょうぶなんでしょうか? テレビ局にじゃんじゃん苦情・抗議の電話が殺到しているんじゃないかと、心配です。
松田さんだって、「そんなクサレ文学賞のことなど、口にできるか!」と怒って席を立ってもよかったと思うのです。『永遠の仔』を落としたぐらいの賞ですから。しかしそこで、深く突っ込まず、かといって身を引かず、冷静に直木賞と向き合うところが、松田さんのやさしさです。
「ぼくは、(引用者注:平成11年/1999年4月17日の)「気になる一冊」に取り上げ、こうコメントした。
《これは、ぼくが、ここ数年の間に読んだ小説の中で、間違いなくベストワンの作品です。(引用者中略)下巻の途中からは随所で涙がほとばしり出て、最後に近づいたころには、嗚咽までもらしていました。でも、読み終えたときには、たとえようもない爽快感がありました。(単行本では)上下二冊で千ページ近い大作ですが、ぼくは、この時代に生きるすべての人に読んでもらいたいと思っています。》
すると、木村郁美アナウンサーは「登場する人たちを抱きしめたくなった」、関根(引用者注:関根勤)さんは「これを読んだ後は、他の軽い小説がしばらく読めなくなりました」と、ぼくの言葉を熱くフォローしてくれた。その後、寺脇康文さん、はなさん、恵俊彰さんなどの出演者たち、岩村隆史プロデューサーはじめスタッフの多くもこぞって読み、何週間にもわたって、『永遠の仔』の話題で盛り上がっていった。」(松田哲夫・著『「王様のブランチ」のブックガイド200』より)
ちなみに『王様のブランチ』放送開始は平成8年/1996年4月。毎週、本のコーナーはあったんですが、はじまって数年は、特別に売上と直結するものではなかったといいます。平成10年/1998年11月の『朝日新聞』の記事では、NHK衛星第二「週刊ブックレビュー」、『ダ・ヴィンチ』とともに、『王様のブランチ』本のコーナーが取り上げれらた上で、こう言われています。
「このような面白さを伝える工夫は続いているが、実際の売れ行きにつながるかといえば難しい。昨年から書評で取り上げた本の棚を設けた東京・神田の三省堂書店によると、これらメディアの情報に「問い合わせはあるが、飛び抜けて売れるとはいえない」という。
出版科学研究所の佐々木利春さんも「売れる、という点からいえば、有名人がワイドショーなどで紹介する本にはかなわない。本を紹介するメディアの功績は大きいが、視聴者層の広がりがほしい」と指摘する。」(『朝日新聞』平成10年/1998年11月15日「本の快楽じわ~り伝える 受け手の広がりに課題」より ―署名:馬場秀司)
それが翌年、『永遠の仔』の紹介→売上増、なんていうつながりもあり、徐々に『王様のブランチ』での紹介=売れる、の図式が築かれていきます。
平成13年/2001年夏の段階で、『永遠の仔』の一件は、売上を伸ばした代表例の扱いをされるまでにいたりました。
「一昨年のベストセラー、『永遠の仔』(天童荒太)もブランチが火付け役といわれる。番組では松田氏が紹介した後で出演者の関根勤氏や寺脇康文氏が興味を抱いて読み、翌週の放送では『永遠の仔』に関するトークで大いに盛り上がった。さらに、そのトークを聞いてレポーターの女性たちも次々に読み始め、次の週ではさらにトークが盛り上がった。
「その場の空気を伝えることができるのはテレビならではの特徴だと思いますが、本の話題で盛り上がっているスタジオのノリや、台本にはない出演者のコメントは、“生きた情報”として視聴者に伝わるのではないでしょうか。そんな生きた情報を意図的にではなく提供できているからこそ、本の売上に影響するのでしょう」(松田氏)」(『放送文化』平成13年/2001年8月号「テレビで奮闘する出版人・松田哲夫氏に聞く 本とテレビの相性」より)
『永遠の仔』は第121回(平成11年/1999年・上半期)の直木賞候補になって、これだけ売れているし、読者のハートをつかんでいるし、本命でしょうね、などと思われながら、選考会ではさほど高い評価が得られず落選します。
ちなみにワタクシの感想を言っておきますと、他の候補作に比べて、なにか特別に飛び抜けて感動できるとか、泣けるとか、そんなことはなかったものですから、『永遠の仔』が落ちても平穏に受け止めました。むしろ、読者人気みたいな風を読まない直木賞、さすがだ! などと、そっちに感動を覚えたくらいです。
松田さんは『王様のブランチ』での紹介が縁で、天童さんと交流がはじまり、その後の天童作品もフォロー。第140回(平成20年/2008年・下半期)に『悼む人』が受賞したときには、天童さんの口から、受賞を一番伝えたいのは『王様のブランチ』のみなさん、っていう冗談なのか本気なのかよくわからない言葉を引き出しました。
「谷原(引用者注:谷原章介) 松田さん、天童さん、直木賞受賞しましたね。
松田 嬉しいですね。この本のコーナーでは、10年前の『永遠の仔』以来、折に触れて、天童さんの作品を応援してきたので、本当に、ともに歓びを分かち合いたいという気持ちですね。」(「松田哲夫の王様のブランチ出版情報ニュース 「王様のブランチ」本のコーナー(2009.1.17)」より)
オトナだよなあ、松田さんは。直木賞を単なる、作家に対する祝福の場としてのみとらえ、そこにひそむ至らぬ点、短所、害には触れようともしません。あるいは、そんなことをいちいち考慮するのは無意味、ということでしょうか。文学賞なんて、選ばれても落とされても、さしたる意味はないのだから。「受賞した」という事実をもって、喜んだり、本の紹介に活かせばいい。そんな思いが、ひしひし伝わってきます。
「ぼくは「ブランチ」のコメントでは、ネガティブなことは一切言わない主義でいる。自分自身、編集者という本を作る立場にいるので、これまでに、けなす書評を読んで、「世の中に本はたくさんあるんだから、わざわざ悪口を言うために取り上げることはないだろう」と腹が立っていたからだ。」(松田哲夫・著『「王様のブランチ」のブックガイド200』より)
ネガティブなことは一切言わない……。そうですか。「けなしてナンボ」の直木賞には、とうてい到達できない領域です。うらやましい。直木賞も、絶対に候補作をけなさずに、褒めることに終始して、候補に挙がった作品は全部受賞! とかできたら、少しは怒る人も減って、直木賞を見直してもらえるんでしょうか。
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