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2013年2月17日 (日)

小田切進(日本近代文学館理事長) 「現代文学に大きな役割を果たしてきた」芥川賞の資料を集めるついでに、どうせだからと直木賞もとりあえず。

小田切進(おだぎり・すすむ)

  • 大正13年/1924年9月13日生まれ、平成4年/1992年12月20日没(68歳)。
  • 昭和23年/1948年(23歳)早稲田大学文学部卒。改造社に入社、『改造』の編集総務を担当。
  • 昭和30年/1955年(30歳)立教大学講師となり、以後、助教授を経て教授(昭和39年/1964年より)。
  • 昭和36年/1962年(38歳)立教祭に際して「現代文学芸術雑誌展」を開催。翌年から日本近代文学館の設立運動を主導し、同館事務局長(昭和38年/1963年)、専務理事(昭和39年/1964年)、理事長(昭和46年/1971年より)を歴任。
  • 平成1年/1989年(64歳)日本近代文学館、「芥川賞・直木賞100回記念展」を日本文学振興会と共催。

 同じ小田切でも、兄・秀雄とごっちゃになっちゃう人は、「文学賞マニアなほうの小田切」と覚えるとわかりやすいと思います。

 進さんは、まぎれもない文学賞マニアです。そして、「芥川賞にばかり興味がある」感覚から逃れられなかった人でもありました。昭和の時代を生きた文学賞マニアの典型であり、限界といっていいんでしょう。

 ワタクシのような直木賞ファンからすれば、小田切さんのような存在は大変貴重です。彼の遺したさまざまな文学賞関連の文章を読むことで、自分の感覚が小田切さんと同じ方向性を向いていないか、を確かめられるからです。ああ、よかった、だいじょうぶだとホッとしたり、つい芥川賞中心の視点に陥りそうになっている自分の思考回路にダメ出ししたり。偏した文学賞観をあぶり出すのに、小田切さんの文章はもってこい、なわけです。

 昭和43年/1968年10月。いま何かと話題の神奈川県立図書館が、「文学賞展―神奈川県にゆかりの作家と作品―」っていう資料展を開催しました。それに際して『日本の文学賞』と題する資料集を、編集・刊行。巻頭に小田切さんの「日本の文学賞について」を載せました。

 全文読んでいただければわかるんですが、「日本の文学賞」と言いつつ、主役は芥川賞です。いちおう、一部だけ引用してみます。

「歴史も古く、長く権威をもちジヤーナリズムの花形的な存在になっているのはやはり芥川賞である。この賞は、昭和10年に菊池寛が芥川龍之介と直木三十五の、早世した二人の「亡友を記念するかたがた、無名若しくは無名に近き新進作家を世に出したい」として、直木賞とともに創設したもので、第1回は石川達三の「蒼氓」に授賞された。いらい石川淳尾崎一雄中山義秀八木義徳井上靖安部公房堀田善衛松本清張五味康祐安岡章太郎吉行淳之介小島信夫庄野潤三遠藤周作開高健大江健三郎北杜夫らの有力作家を次々と送りだし、現代文学に大きな役割をはたしてきた。(引用者中略)

 しかし最初の頃の文学賞は、芥川賞のように権威をもつものも、文壇内部ではさまざまな議論や反響を呼んだものの、社会的には今日のようには注目されることがなかった。」(昭和43年/1968年10月・神奈川県立図書館刊『日本の文学賞』所収 小田切進「日本の文学賞について」より)

 うんぬん、と続いていきます。戦前にあった他の文学賞、新潮社文芸賞、野間文芸賞、渡辺賞、各紙の懸賞小説、『改造』懸賞、などなどを親切に紹介していくわけですが、話のベースには芥川賞があります。そして最後のほうでは、こうなっていくのです。

「芥川賞は現代文学に新風を送りこんだが、反面太平洋戦争下には政治的判断が加わったことがあり、また戦後は直木賞との区別がつかないような授賞がなされたこともある。戦後のマス・コミが巨大な発行部数をもつところから、おのずと商業主義的要求が強まり、授賞作品を「つくりだす」傾向もないではない。」(同)

 おそらくまじめに真摯に、文学賞を語ろうとしているんでしょうけど、その分、よけいに苦笑さぜるを得ません。

 「直木賞との区別がつかないような授賞」とか言っておきながら、直木賞がどんな賞だったかにまったく触れようともしないバランスの悪さ。ほんとにアナタ、直木賞と芥川賞のことなんて語れるの? とツッコむしかないじゃないですか。

 まあ、そりゃあ小田切さんほどの方なら語れるんでしょうけど。でしょうけど、直木賞のこと、語っていないからなあ。小田切さん視点で、ぜひ書き残しておいてほしかったですよ。とほほほ。

 小田切さんは、一般には「文芸評論家」です。しかし、ワタクシにとっては断然「日本近代文学館のひと」です。なぜなら、日本近代文学館は直木賞研究にとっても重要施設のひとつなんですが、同館と直木賞の縁もまた、やはり小田切さん抜きには語れないからです。

 同館と直木賞、っていうより、同館と文春、同館と芥川賞の縁、そのついでに直木賞、って感じですけど。

 縁その一。初の直木賞・芥川賞展のおかげで、同館の設立基金が少し増えた件。

「去る(引用者注:昭和39年/1964年)七月末から八月上旬へかけて二週間、東京池袋の西武百貨店で「芥川・直木賞三十年展」が開かれた。(引用者中略)

 芥川・直木賞展では、同時にまた選考委員と受賞作家の色紙展を開いたが、その売り上げ全額が近代文学館に設立基金として寄付される。芥川・直木賞展はそうした大きな意義をもち、文学館関係者には格別にまた有難い行事だったわけだが、それだけにその成功はうれしかった。」(『公済時報』昭和39年/1964年9月号 小田切進「芥川・直木賞展のことなど」より)

 今度、同館を訪れたさいは、ぜひ「この一部は直木賞のおかげでつくられているんだなあ」と感慨にひたりながら、壁や床を撫で撫でしたいと思います(←単なる不審者)。

 縁その二。直木賞・芥川賞の選評や受賞作の肉筆原稿、なんちゅう、両賞マニアでなきゃ何の価値もなさそうなコレクションを、同館できちんと収蔵している件。

「文化遺産の保存という仕事には意外な盲点がある。芥川・直木賞受賞作品の肉筆原稿も、そのひとつ。このほど、文芸春秋社などが積極的に原稿の保存を呼びかけたところ、合計百五十点の大半が日本近代文学館(東京・駒場)に保管できる見通しがついた。(引用者注:小田切進いわく)「文学館におさめるのが永久保存には最適だと認められてきたからでしょう」とうれしそう。」(『朝日新聞』昭和50年/1975年3月12日「ひと 芥川・直木賞原稿の保存をすすめる日本近代文学館理事長 小田切進」より)

 いや、小田切さんだもん、芥川賞(とオマケで直木賞)に関する生の原稿を目にすることができたから、うれしそうだったんでしょう。……というのは冗談ですが、「文化遺産」とやらのお仲間に直木賞を加えてくれたことが、ワタクシはうれしい! その勢いで、『サンデー毎日』懸賞や『新青年』懸賞、千葉亀雄賞やユーモア賞、新潮社文芸賞第二部、野間文芸奨励賞などなどもひっくるめて「文化遺産」扱いしてもらえると、もっとうれしいです。

          ○

 縁その三は、何といっても、日本近代文学館が、日本文学振興会(=文藝春秋)と手に手を取り合って「芥川賞・直木賞100回記念展」を催したことです。

 前にも紹介したことがありますが、いちおうここでも、同展にあたって小田切さんの寄せた文章を見ておきます。小田切さん64歳、理事長職18年目のとき。純文学偏重の「昭和文学」研究に邁進しきったあとのことですから、いまさら新たな直木賞観をもつことは難しかっただろうな、とは思います。

「日本には全国でほぼ五百に達する文学賞があります。その数ある賞の中で、〈元祖〉といわれる芥川賞・直木賞が、半世紀以上にわたって常に大型の新人を発掘し、現代文学の展開にはかり知れないほど大きな役割を果して来たのは何故か? 豊富な、多種多様な資料による本展から、二つの賞の〈魔力〉とまでいわれる魅力、その秘密をさぐっていただければ幸いです。

 なお本展は、日本文学振興会をつうじて受賞作家・選考委員各位から日本近代文学館に寄贈された原稿・関連資料を中心とし、ほかに受賞者・関係者多数の方々に出品協力をいただいて企画構成しました。」(平成1年/1989年3月・日本近代文学館・日本文学振興会刊『芥川賞・直木賞100回記念展』所収 小田切進「芥川賞・直木賞100回記念展に当って」より)

 でも、いいのです。オマケでも何でも、「芥川賞原稿コレクション」ではなく、「芥川賞・直木賞原稿コレクション」を築き、資料を大事にしてくれたおかげで、いまに生きる直木賞研究者もまた、その恩恵に浴させてもらっているんですもん。ええ、ええ、芥川賞なかりせば、直木賞なんてヤクザな賞は、まず文化遺産とは認定してもらえなかったでしょうからね。

 頼みの文藝春秋といえば、資料を後世にのこす、って点では無理解で、相当いい加減だったわけですし。いまはどうか知りませんけど、少なくとも、かつては。

「文藝春秋社には、いまでは『文藝春秋』創刊号依頼(原文ママ)全巻がちゃんと保存されていると思いますが、創立三五周年に社史をお出しになったときは、いったい何号出していたのか、号数もよくわからないという状態だったそうです。

(引用者中略)

佐々木さん(引用者注:佐佐木茂索のこと)も最初、文学館に関してソッポを向かれ、「滅びるものは滅びりゃいいんだ。学者や作家が時間潰してそんなことする必要はない」と相手にしてくださらなかったのですが、高見順さんがガンを押して文学館活動に奔走していらっしゃるのに打たれて、それからは一生懸命になって援助してくださいました。

 そういうようなわけで、現在では一二一のコレクションが収められています。これは無条件に日本一です。」(『花も嵐も』平成4年/1992年4月号 小田切進「月曜倶楽部の公演より 日本近代文学館の三〇年」より)

 昭和に生きた研究者の直木賞観が貧弱なのは、それはもうしかたのないことです。小田切さんを責めても、何も返ってきません。直木賞に関する資料が、少しでも多く、あとの世代に残っていることが重要です。ワタクシもそうですけど、いずれ直木賞ファンが続々現われたとき、そこに直木賞関連資料が保存されていることに、どんなに救われた気持ちになれることか。

 日本近代文学館設立の影の功労者が、文学賞マニアであってくれて、ほんとよかった。

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