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2013年2月 3日 (日)

十返肇(文芸評論家) 一般読者を対象にせっせと文学賞のことを語りつづけた、「文学賞(軽)評論」の巨人。

十返肇(とがえり・はじめ)

  • 大正3年/1914年3月25日生まれ、昭和38年/1963年8月28日没(49歳)。
  • 昭和10年/1935年(21歳)日本大学芸術科卒。
  • 昭和16年/1941年(27歳)初の単著『時代の作家』(明石書房刊、十返一名義)上梓。
  • 昭和29年/1954年(40歳)『文壇と文学』(東方社刊)刊行以降、文壇に関する著書を数多く発表。

 巨人です。「大十返」と呼んでもいいです。過去生まれては死んでいった無数の日本人のなかで、「文学賞評論家」の肩書きを付けてもよさそうな人は、あまりいないと思いますが、十返肇さんは稀少なるその有資格者です。

 十返さんのお仕事は、戦前の分から含めれば山脈をなすほどにあります。そのうちの何割が文学賞関連のお仕事なのか。数えたこともなければ数えようとも思わないのでわかりませんが、全体からすれば微々たる割合かもしれません。しかし、1950年代から60年代にかけて、ひとりであれだけの量の文学賞評論を発表した人がいるでしょうか。

 文学賞の歴史は古いです。文学賞に対する批評も、明治の頃から散々おこなわれてきました。しかし、「文学はよくわからないけど、文学賞には目を惹かれる」っていう常識的な一般人にとって、たとえば作家や評論家の書く文学賞評論って、小難しい。また、散発的に新聞や雑誌で放たれる評論が、彼らの生活圏内に入ってくることは稀でした。つまり、「昭和20年代までの文学賞は、文壇内の一行事にすぎなかった」と、誰もかれもが得意げに語っているのは、そういうところから来ているわけです。

 そこに十返肇さんが現われました。「軽評論」の若き志士です。みずから軽評論家と名乗りました。そして十返さんは叫びます。これからは軽評論の時代だ!と。

(引用者注:アカデミックな専門評論家は)軽評論は、読者から考える能力を奪い、いたづらにその場限りの面白さをあたえるに過ぎない、あのようなものは評論ではなく読物にほかならぬと非難している。当然この私なども非難される側に属する。

 しかし、私は評論もまた読物であつてよいと思つている。専門的領域内の読者をのみ対象として書かれる評論は別として、一般読者を対象として書くべき雑誌や新聞の評論は、むしろ一種の読物でなければならないと信ずる。(引用者中略)小説において純文学にたいして中間小説が存在するように、中間評論ともいうべき軽評論が存在することは当然であり、そうした風潮の起るのが遅過ぎたともいえよう。広汎な読者層をもつ週刊雑誌に、いたづらに独断的で観念的な難解な評論を書いたところで誰が読むであろう。」(昭和30年/1955年6月・三笠書房刊 十返肇・著『文壇風物誌』所収「文壇風物誌 18軽評論の流行」より)

 ほんと、アレです。純文壇から軽蔑されつづける大衆作家が、そもそも多くの読者に読まれる小説を書いて何が悪い、とキレているのとほとんど同じです。

 十返さんが「軽評論家」として多くの仕事をかかえた時代。それはちょうど、文学賞が市民権を獲得した時代でもありました。石原慎太郎さんの芥川賞受賞が、昭和31年/1956年1月のことです。

 それまで十返さんは、一般読者を対象として、文学賞のことにしつこく言及していたんですが、それが功を奏すときが来た、とも言えます。「文学賞評論家」としての十返さんの存在価値が、にわかに高まりました。

 さて、そんな十返さんですが、どのような文学賞観をもっていたのでしょうか。確認しておきましょう。

 ひとことでいえば、「文学賞全面賛成」派でした。

「以前から、文学賞の功罪ということは、しばしば問題になっているが、私には“罪”とよぶべき弊害は、ほとんど認められない。ことに、文学賞が作家を堕落させるものであるかのようにいう一部の道徳的な意見は、まったく本末を転倒したものに過ぎない。もしも、そうした事実があったとすれば、それは文学賞の罪ではなくて、作家自身の罪ではないか。」(昭和36年/1961年10月・白凰社刊 十返肇・著『十返肇の文壇白書』「第二章 文壇ぱとろーる 文学賞罪ありや」より)

 何とまあ頼もしい。十返さんは「軽評論」の「軽」について、軽蔑の意もたくぶん含まれている、と書いていましたが、まったく。文学賞に功はあっても罪などない、と胸を張って言うのですから、まじめなお歴々からそうとう軽蔑されるでしょうなあ。

 こうも言っています。

「文学賞は、いかに多くても多すぎることはない。ただ、“受賞作家”ということで世間が彼らを特別視する必要はない。受賞しようとすまいと、作家としての彼にはなんの価値変化もないはずだ。ただ文学賞は、作家によろこびと励ましを与えるに役立つから意義があるので、出版社の宣伝ショーであるかないかは作家の知るところではない。もちろん、そうであっても別に悪いことではない。」(同)

 基本、作家視点で文学賞を語っています。読者視点が薄いのが惜しいところです。まあ60年代にここまで文学賞の肩をもってくれる人がいただけで、ワタクシは爽快です。

 十返さんの文章を借りて言えば、ワタクシはこう思います。「出版社の宣伝ショーであるかないかは読者の知るところではない。もちろん、そうであっても別に悪いことではない。」……悪いわけがありますか。これほど楽しい行事を、馬鹿にしたり無視したりする人の気が知れません。

 ええと、ワタクシの戯れ言はこれぐらいにして、十返さんに戻ります。

 ここまで十返さんの「文学賞」応援隊長ぶりを見てきました。しかし、ここは直木賞専門ブログです。文学賞のなかでもとくに憐れな扱いを受けてきた直木賞です。十返さんは直木賞をどのように考えていたのでしょうか?

 十返さんの書いたものをざーっと見ていくと、やはり最初は芥川賞のことばかり語っています。

「文壇といふものは、現在では文壇だけでは成立してゐないのである。それはジャーナリズムに密着してゐるとともに、更に読者といふ広汎な層をも含めて成立してゐるのである。芥川賞作家の中に、現在ほとんど活動してゐない作家が幾人もゐるといふ事実は、極言すれば、「文壇に出ても、それだけでは、なんにもならない」事実を示してゐるではないか。文壇のいふがままにジャーナリズムが動き、読者がまたそれをそのまま受け取つてゐた幸福な時代は終つた。」(昭和29年/1954年12月・東方社刊 十返肇・著『文壇と文学』所収「文壇天気図(二)」より ―初出『中央公論』昭和29年/1954年8月号)

 直木賞については、影もかたちもありません。これじゃあ普通の文芸評論家と同じです。「文学賞評論家」十返肇の名折れです。

 しかし、そこはそれ、並の評論家とは違います。「芥川賞・直木賞の作家群」(『別冊文藝春秋』昭和28年/1953年12月号)をはじめ、十返さんには直木賞を語った文章も数多くあります。そこでも、十返さんの「一般に(文学に詳しい人たちから)言われていることに、とりあえず反発しておきたい」病が、美しいまでに発症しています。

          ○

 たとえば第30回(昭和28年/1953年下半期)。直木賞受賞作なしの回です。

 このとき十返さんは、一般的にあまりにも有名な「芥川賞は作品に、直木賞は作家に与えられる」の風説を紹介。その説に対し、違和感を洩らしました。

「巷間きくところによれば、芥川賞は作品本位の傾向が強く、その一作さえすぐれていれば受賞されるが、今後の作家的成長の如何はあえて問題にしないといわれているようだ。それに対して、直木賞は作品を重視するのは勿論だが、それとともに受賞後に果して、作家としてそのひとがやってゆけるか否かを問題とするようにいわれている。果して、そのような明瞭な区分が介在しているとは私には考えられないが、芥川賞作家に現在活躍していないものが案外多く、直木賞作家は大体活躍しているという事実に照らしてみるとき、或いは銓衡委員にも暗暗裡にそういう意識が働いているかとも想像されぬでもない。」(前掲『文壇風物誌』所収「文壇風物誌 6芥川・直木賞の流産」より ―太字・下線は引用者によるもの)

 たいていの人は、巷間いわれている「芥川賞は作品に、直木賞は作家に」っていう、よそから聞いた基準に満足して、それをもとに直木賞を見ます。十返さんは違います。そして「そのような明瞭な区分が介在しているとは考えられない」と、疑義を呈してみる。その姿勢が、じつに貴重な直木賞観だと思い、引用させてもらいました。

 あるいは、先に引用した「文学賞罪ありや」では、直木賞のことにも触れられています。「純文学作家が直木賞をとったあと」についての言及です。

「たとえば、純文学作家たろうとしていた作家が、はからずも芥川賞ならぬ直木賞を受けた結果、娯楽雑誌に大衆文学ばかり書くようになったという例はある。それをさして、文学賞に罪ありとするかのごとき、また、それをただちに作家の堕落とみるような偏見はあやまちだ。直木賞を受けたからといって、その作家の性格が変わるものではない。井伏鱒二今日出海今官一は、依然として受賞以前と変わりがない。以上のような説をなすものは、たとえば柴田錬三郎などの場合をさしているのであろうが、柴田氏が剣豪作家になろうとは、自他ともに予想しなかったところではあるにしても、それが作家の堕落とはいえまい。」(前掲「文学賞罪ありや」より)

 そういえば、前に紹介した瀬沼茂樹さんが「文学賞をめぐる諸問題」で、「直木賞の功罪」なんてことを言っていましたね。純文学作家を直木賞に受賞させることは、芥川賞の方向から見れば迷惑だ、とか何とか。

 ワタクシなんかは、芥川賞のほうから「直木賞め。まったく迷惑なんだよ」とどんどん罵倒されるような直木賞が好きです。直木賞は純文学作家を堕落させる、なんて言葉を聞くと、胸がゾワゾワします。

 しかし十返さんは、そこまでは言ってくれません。残念。さすがに直木賞に(文学賞に)それほどの力がないことがわかっていましたか。まっとうな人です。

 まっとうな人なんですが、それでも文学賞に対する世間の論調を、黙って見過ごすことができない。ついつい、文学賞に関する自説を披露しようとしてしまう。その姿勢が、「まっとうな評論家」を超えて、彼を稀有な「文学賞評論家」の地位へと押し上げた(押し下げた?)のでした。

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