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2013年1月27日 (日)

安藤満(『オール讀物』編集長) 直木賞って無理に受賞者を出さなくてもいいんだよ、の時代を演出した編集者。

安藤満(あんどう・みつる)

  • 昭和6年/1931年生まれ(現在81歳)。
  • 昭和30年/1955年(23歳)文藝春秋新社入社。『オール讀物』編集部員となる。
  • 昭和49年/1974年(42歳)『諸君!』編集長ののち、『オール讀物』編集長(昭和49年/1974年~昭和52年/1977年)を務める。その後は文春文庫部長や『文藝春秋』編集長などを歴任。
  • 平成7年/1995年(63歳)文藝春秋社長に就任(平成11年/1999年まで)。

 当然ですけど、「直木賞(裏)人物事典」と言ったら、『オール讀物』編集長を含めないわけにはいきません。過去20数名いる編集長全員を取り上げたっていいくらいです。しかし、そんなものは文春の社史か何かでやってもらうとして、今日は、当テーマでは二人目となる『オール讀物』編集長。上林吾郎さんにつづき、安藤満さんに光を当てたいと思います。

 上林さんと同様、のちに安藤さんは社長にまでなった方です。田中健五社長のあわただしい引責に近い辞任、みたいなことがあって、タナボタのような就任劇でしたが、外からの非難のはげしい前任者のあとを受け、立て直しを任されるにふさわしい穏健なイメージが、安藤さんにはあります。

 そんな安藤さんが、『オール讀物』史において、どのような役割を果たしたか。もちろんワタクシなどが偉そうに語れるハナシではないですけど、直木賞史と重ね合わせてみると、非常に興味深い像が浮かび上がってきます。

 安藤さんが同誌の編集長をしていたのが、昭和49年/1974年~昭和52年/1977年。奥付の「編集人」としては、昭和53年/1978年にも少しハミ出しています。直木賞でいえば、第71回第78回ぐらい。

 どうですか。直木賞史のなかで、第71回~第78回といえば、受賞者がなかなか出なかった時代、として有名です。8回のうち、〈受賞者なし〉が、じつに半分の4回。

 そして、受賞者が出るか出ないかは、候補作の並びや選考委員の考えだけでなく、司会者=文春マンの進行ぶりにそうとう影響される、と巷間言われます。つまり、文春としては営業戦略上、また賞の盛り上がり上、受賞者を出したいわけですから、仮に選考委員たちが〈受賞者なし〉の結論に流れそうになっても、再考を促したり、少数意見をピックアップしたりしながら、〈受賞者あり〉の着地になるよう司会進行する、というわけです。

 ところが安藤編集長の時代は、無理に〈受賞者あり〉に誘導しなかった。はたから見ているかぎりでは、そこが安藤編集長×直木賞の大きな特徴だと思います。

 ちなみに社史において、安藤さんという人は、こう表現されています。

「平成十一年、安藤は社長を退任し、会長にもならず顧問に就任。六十七歳になっていた。それまで形骸化していた役員定年制を厳しく守るために、みずからが範を示した安藤らしい身の処し方だった。

 安藤自身は翌十二年には顧問も辞め、退社していった。」(平成18年/2006年12月・文藝春秋刊『文藝春秋の八十五年』より)

 今回、安藤さんが各所で書いたり発言したりしている回想文をいくつか読んだんですが、上記に挙げたようなこちらの勝手な思い込みがあったためか、どうにも平穏な安藤さんの姿が印象に残りました。平穏というか、きちっとしているというか、デキた人というか、大人というか。

 たとえば直木賞委員の池波正太郎さんの姿を見て、頭を下げちゃうところとか。

安藤 きちんと候補作を読みこんでくる人だったからねえ、池波さんは。

豊田(引用者注:豊田健次) いや、もちろん池波さんだけじゃないけれども(笑)、非常に熱心にノートをとられていて、手帳を見ながら滔々と論じられるわけですよ。

安藤 本当に真剣勝負をやるんだ。大御所の作家たちが、「そんな読み方はおかしい」なんてやりあう姿には、本当に頭が下がりました。

豊田 池波さんは候補作を必ず二回お読みになっていましたよね。

安藤 届くとすぐにお読みになって、しばらく置いておくんだって。選考会が近くなると、もう一ぺんお読みになる。ただ、晩年になると、選考会で喋るのをめんどうくさがって、「これは上品だ」「下品だ」なんて、ひと言、ふた言しかおっしゃらなくなったということはありましたが。」(『オール讀物』平成22年/2010年5月号「「オール讀物」と作家たち」より)

 そうなんです。安藤さんは基本、頭が下がっちゃう人なんです。

安藤 海音寺(引用者注:海音寺潮五郎さんにしてもそうだし、山本周五郎さんにしてもそうだけど、あの頃の作家は、会うと何となく頭が下がるようなところがあったんだ。今の作家にそういう人がいないというんじゃなくてね。陳(引用者注:陳舜臣さんも人格者だからね。」(『オール讀物』平成12年/2000年11月号「編集長が語る あの作家・この作家 オールとっておきの話」より)

 自然と相手に頭を下げさせるほうの資質も重要です。ただ、人間関係は表裏一体。やはりここでは、頭が下がると表現せずにいられない安藤さんのほうの資質にも注目しておきたいところです。

 なにぶん、そういった方ですから、過去の直木賞に関する発言もかなり穏便。どうあっても直木賞を悪者として見たがる人にとっては、興味を抱かせるようなことを言ってはくれません。そして、一般的に、直木賞を悪者として見たがる人の声のほうが、威勢がよくて通りがいいものです。なので、安藤さんのような人の存在は、かき消され、忘れられがちです。おお。悲しいですね。

          ○

 以前、このブログで鮎川哲也『死者を笞打て』を取り上げたことがあります。そのあとで、鮎川哲也と直木賞の関係について、安藤満さんの話された文献が出ましたので、紹介しておきます。

戸川(引用者注:戸川安宣) 昭和三十二年に、文春を訪ねた際、安藤さんが不在で次長の方――と、日記にありますが――から、今度は鮎川さん、あなたに直木賞を取っていただきたい、と言われたとあります。

北村(引用者注:北村薫 ちょうど多岐川恭さんが直木賞を取り、土屋(引用者注:土屋隆夫さんあたりが候補になるのでは、という、そういう時期だったんですね。

有栖川(引用者注:有栖川有栖) 鮎川先生は直木賞を取れるような雰囲気というのはあったんでしょうか。

安藤 それは当然あったと思いますよ。

北村 よく聞きますが、木々(高太郎)さんがミステリ系の小説に対して大変厳しかったといいますが。

安藤 その頃は下っ端でしたから、選考委員が何を考えているかまではわからなかったけれど、そんなことがあったのかなあ。別にライバルになるから蹴落とそうというんじゃないと思いますが、まだその水準に達していない、といったふうに……。そのジャンルには特に厳しかったんでは。

(引用者中略)

安藤 鮎川さんが直木賞をとってもなんら不思議はないんだけれど、今度取りましょう、とか取りたいとか、といった生な話は鮎川さんがなさった覚えはないんですね。

有栖川 秘めていたんですよ。表には出さないんです、ダンディだから。」(『ミステリーズ!』第43号[平成22年/2010年10月]「鮎川先生との思い出」より)

 鮎川さん、直接はっきりと『オール讀物』関係者から「直木賞を」の言葉を聞いていたのかあ。そのことがどの程度、『死者を笞打て』の土台につながっているかはわかりませんけど、少なくともQ賞=直木賞と、推理文壇のことを書く人が、鮎川さんであって何の不思議もなかったんですね。

 まあ、それにしても安藤さんの直木賞に対する穏便さが、ここにも表われていて、おお、と思いました。直木賞を悪者に仕立てたい視点と、かつての木々高太郎委員を悪者化する視点は、けっこう重なります。そういった直木賞批判=木々批判に対した安藤さんが、さらりとかわしつつ、推理作家だから推理小説を見る目が厳しかっただけなのでは、というまっとうな意見を発しているところ。……つまらない見方でしょ? そりゃそうだけどさ、と思うでしょ? ジス・イズ・安藤、そのものの受け答えです。

 そんな〈つまらない〉安藤さんではありますが、直木賞についてかなり踏み込んだ意見を発している文献がありましたので、最後に挙げておきます。現場から離れ、偉くなっちゃったあとに、それまでの直木賞の反省と今後向かうべき姿について語ってくれています。

「『オール讀物』編集長の時、すでに作家たちは長篇小説を書く傾向にあり、短篇を載せるのに苦労した。それは直木賞を長篇を書く作家に与えるようになったことと無関係ではない。

「芥川賞も直木賞も短篇にこだわるべきなんです。『オール讀物』にとって直木賞受賞作を掲載できるということは、じつに有難いことなんです。菊池(引用者注:菊池寛さんが与えてくれた年に二回のチャンスを自ら棄ててしまった。短篇なら全文掲載できるけれども、一部掲載では誰が読んでくれるだろうか。直木賞が短篇にこだわれば、作家も編集者も短篇にこだわるようになる。そういうものなんです。(引用者中略)オールや文學界、別册も出版部の受皿的な連載や連作ばかり載せるようになって、雑誌で勝負しなくなった。出版も小説は雑誌の連載に頼って、書き下ろしはノンフィクション路線ばかり重点を置いているように見えましたね」(安藤)」(前掲『文藝春秋の八十五年』より)

 老いたる人が空に向かって弱々しくひとり言を放っているよ、っていう感じでしか扱われなかったのが惜しいほどの提言です。短篇にこだわるってことは、究極的には昔に帰って、単行本ではなく雑誌に掲載されたばかりの作品を候補にするってことですから、選考前の盛り上がりだの、営業部門や小売業からの圧力だのを考えても、もはや実現までのハードルが高すぎます。

 ただ、直木賞を直接的で短絡的な営利に結びつけようとする意識を抑えた、安藤さんらしい発言だなあと思います。ほんと。さすが第70回台の〈受賞者なし〉時代を牽引した方ですなあ。

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