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2013年1月 6日 (日)

桂三枝(『週刊読売』対談ホスト役) 1990年代前半、直木賞をとった渋いオジサンたちとよく対談していた、といえばこの人。

桂三枝(かつら・さんし)

  • 昭和18年/1943年7月16日生まれ(現在69歳)。
  • 昭和41年/1966年(22歳)関西大学商学部卒。桂小文枝(のちの五代目桂文枝)に入門。
  • 昭和62年/1987年(43歳)長篇小説『ゴルフ夜明け前』(サンケイ出版刊)を上梓。
  • 平成1年/1989年(45歳)『週刊読売』誌上(6月25日号)で対談企画「三枝のホンマでっか」スタート(~平成8年/1996年4月7日号まで、337回分)。
  • 平成24年/2012年(69歳)六代目桂文枝襲名。

 昨年、平成24年/2012年10月、このブログで阿川佐和子さんを取り上げました。『週刊文春』の対談「この人に会いたい」を平成5年/1993年から19年間やりつづけ、数々の直木賞受賞者と対談した人、としてです。

 これの評判がよかったもので(……と勝手に思っているだけですけど)、同じジャンルからもうひとり誰か。と欲をかいたまではよかったものの、「直木賞」のよく出てくる週刊誌対談といえば、阿川さんの『週刊文春』と林真理子さんの『週刊朝日』が両巨頭です。しかし林真理子さんは、さすがに「直木賞(裏)人物事典」には似つかわしくありません。

 まあ、ここは新年一発目ですし、「(裏)人物」とはいえハデめな方にスポットを当てるのもいいかな、と思いまして、桂三枝さんに目を向けたいと思います。1990年代前半の直木賞モノ週刊誌対談を牽引した方です。

 ごぞんじのとおり、いまでは違う芸名ですけど、当エントリーでは「三枝」で通します。

 桂三枝さんがホスト役を務めた『週刊読売』の「三枝のホンマでっか」は、平成1年/1989年6月25日号~平成8年/1996年4月7日号、7年弱つづきました。ゲストの人選は主に、役者、歌手、タレントなどなど。テレビでおなじみの顔が多く、とくに後半はその傾向の強い企画でした。それでも前半期には何人か、「直木賞を受賞したばっかりの作家」を招いていたのです。

 芥川賞をじゃなくて、直木賞を。ここ重要です。

  • 第101回  ねじめ正一(平成1年/1989年8月27日号、9月3日号)
      前編「「禰寝」が「ねじめ」になった理由」、後編「乾物屋のにおい ねじれたハエ取り紙」
  • 第102回  原尞(平成2年/1990年7月15日号)
      「ジャズからハードボイルドへ、でも、書く時はモーツァルトがいい」
  • 第104回  古川薫(平成3年/1991年3月17日号)
      「25年という“長距離マラソン”を完走したことが、また重荷になってきまして……」
  • 第102回  星川清司(平成3年/1991年9月29日号)
      「素顔は明るい人でしたが、雷蔵ほど不幸せのよく似合った役者はいませんね」
  • 第108回  出久根達郎(平成5年/1993年6月27日号)
      「お客さんの背中に人生を想像する。その「想像」が作家になったようなもんですね」
  • 第110回 大沢在昌(平成6年/1994年2月20日号)
      「昔は「大沢在昌の本あります?」と聞くと「ああ、あれ、台になってます」って」
  • 第109回  高村薫(平成6年/1994年5月8日・15日合併号)
      「OL時代はメチャクチャ真面目でした。真面目でもうどうしようもないというやつ」
  • 第113回  赤瀬川隼(平成7年/1995年10月22日号)
      「野球好きの“鬼平さん”に好かれました!」

 『週刊文春』の場合は、受賞熱の冷めないうちになるべく早く受賞者をゲストに呼ぶ、っていう慌ただしさがありました。対して、こちらは直木賞そのものの宣伝に乗ってやる義理はありません。ゲストの登場もかなりのんびりです。

 だいたい、あれです。古川薫とか星川清司とか出久根達郎とか赤瀬川隼とか、彼ら自身に光のない人たち(って、コラコラ。「渋い人たち」と言い換えます)が出てきて、はたして読者は嬉しいのか!? と心配になりますよね。でも直木賞ファンならだいじょうぶ。古川薫さんの「新婚さんいらっしゃい」評と、三枝さんの返しが見られて、それだけで満足です。

三枝 ほんとに待ちに待った賞でしたねえ。

古川 ええ。ざっと直木賞の歴史が五十年として、私は二十五年かかりましたね。もう、長い長い(笑)。(引用者中略)

 ぼくはね、あなたの実はファンなんですよ。

三枝 あ、エヘヘヘ。

古川 田舎ですから、高座を聞いたりする機会はないんですけど、「新婚さんいらっしゃい」というの、あるでしょ。あれはね、だいたい欠かさず見てます。(引用者中略)ずっと前は、新婚夫婦のまあ多少露悪的な、セックスにかかわるようなものがありましたけど、最近はそれがなくてもおもしろい。人生を感じさせますねえ、あれは。

 まだ続けられるんですか?

三枝 ええ、あれ、二十年続けてきましたけど。

古川 ああ、すごいなあ。

三枝 でも、古川さんの二十五年に比べたら、まだまだ(笑)。

古川 しかし、ぼくの場合は、全然人から見向きもされない部分が、三分の二ですから、アハハ。」(『週刊読売』平成3年/1991年3月17日号より)

 いや、アハハ、って古川さん。あなたの25年を前にしたら、ご本人以外は誰も、手放しで笑い合えませんって。

 「三枝のホンマでっか」は、直木賞受賞者びいきで、芥川賞軽視のきらいがある、と先ほど言いました。芥川賞受賞者でゲストになったのは石原慎太郎さん、田辺聖子さん、荻野アンナさんのたった三人のみ。おわかりのとおり、田辺さん以外のお二人は、作家枠っていうより、「テレビで顔なじみの人」枠です。

 対して直木賞受賞者ゲスト。何と豊潤なこと。上記に挙げた近年受賞者にくわえて、長部日出雄青島幸男藤本義一阿部牧郎難波利三つかこうへい志茂田景樹渡辺淳一野坂昭如村松友視と、総勢18名。

 豊潤っちゅうか、こちらも「テレビで顔なじみ」一派が多いんですけどね。それでも阿部牧郎さんとか難波利三さんとかが入っているぞ、マジか! 顔なじみ感においては決して全国区とは言えない二人が、混ざっている。こんなところが三枝対談の特徴だと思います。

 とくに阿部さんの対談は、直木賞の話題もガッツリからまっていて、うれしいかぎり。

三枝 どうですか、(引用者注:直木賞を)七回も滑られて八回目にもろうた時の感激は。

阿部 ま、流行作家時代の十年間が空いてたわけだけど、ほんとうまいこといったなあと思ったね。編集者と作戦練って、「そろそろ獲りに行こうか」とやったやつがピタッとはまったわけやから。

三枝 そういうのって、あるんですね。直木賞獲るための書き方ってありますか。

阿部 まあ、材料とか姿勢やね、何を狙うかという。要するに傑作を書けばいいんです。」(『週刊読売』平成2年/1990年10月21日号より)

 『それぞれの終楽章』が傑作かどうかはアレですけど。でもまあ、ふつうあそこで阿部さんが候補になるとは思いませんよね。

 三枝さんの対談は、平成8年/1996年4月7日号で終了しました。翌週からは宮崎緑さんに引き継がれます。宮崎対談における直木賞関連ネタも、もちろん見逃せません。見逃せないんですが、三枝対談のワクワク感は、それとは比べようもないくらい大きかったと思います。

 そりゃ何つったって。そもそも、ホストがホスト、あの桂三枝さんですよ。三枝さんの長い芸能生活のなかには、一瞬、「直木賞」の影が横切ったことがあるんですもの。

          ○

 テレビに出ている人が、直木賞の候補になって騒ぎとなる。っていう事象は、野坂昭如さんや藤本義一さんが候補にあがった昭和40年代からお目見えしまして、昭和50年代なかばごろから本格化。中山千夏さんや阿久悠さん、芥川賞のほうで高橋洋子さんが候補となり、「直木賞・芥川賞のタレント化」と、さんざんイジくられました。

 その間、青島幸男さんが第85回(昭和56年/1981年上半期)直木賞をホントにとってしまうわけですが、それをピークとして、芸能業界人の直木賞進出は減退していきます。

 それでもテレビ(やラジオ)と直木賞との縁は、途切れることなくほそぼそと続きました。ラジオDJだった落合恵子さんが直木賞まであと一歩とせまったり、直木賞をとった林真理子さんがテレビでおちょくられたり。村松友視さんがテレビCMに出て大いに顔を売ったのも、80年代なかばのことでした。

 昭和62年/1987年3月、桂三枝さんが書下ろし長篇『ゴルフ夜明け前』を刊行しました。版元はサンケイ出版。

 そのサンケイは『週刊サンケイ』の誌面を使って、三枝さんをこう表現しました。

「処女小説『ゴルフ夜明け前』で直木賞狙う落語家“文士”」(『週刊サンケイ』昭和62年/1987年4月16日号)

 これは「上之郷利昭の現場取材」という、上之郷さんがインタビュアーとなった記事での表現です。この記事、最後もまた、直木賞のハナシで締めくくられています。

 (引用者中略)漢字を辞書や資料で引きながらの作業で、かなりしんどかったですな。その分、小説が出来上がった時の感動は、ええもんですな。

――これで、直木賞をもらえると胸算用されてますか。

 もらえるもんなら、喜んでもらいたい(笑い)。それよりも、今は自分の念願をかなえられたので、満足しています。」(同号)

 もちろん、小説を書いたあとに何の根拠もないのに「直木賞を狙う」というのは、半分冗談のたぐいかとは思います。ただ、『ゴルフ夜明け前』を出して、まわりから直木賞、直木賞の声が三枝さんの耳にいくつも届いたのは、事実みたいです。

「横浜で落語会があったとき、SM作家の団鬼六先生にお目にかかったので、この本をおそるおそるお渡ししたところ、「うわあ、これはこれは」などと驚いたり喜んだりして下さりながら、ぺらぺらと本をめくる手を止めて、いきなりこうおっしゃったんです。

「三枝さん、あんた、女を柱に縛り付けて酒飲んだことありまっか?」

「???!!!」

「山賊がお姫さんを奪って来て、柱に縛り付けた前で酒飲んでいるような気分でいっぺん味おうてみなはれ。よろしいで。もの書くんやったら何事も経験だっせ。いっぺん一緒にやりまひょ。あんた、ええサドになる素質あると思うたわ。で、いっそのこと直木賞でも狙いなはれ」」(平成17年/2005年3月・ぴあ刊 桂三枝・著『桂三枝という生き方』「第十二章 夜明け前」より)

 どういう意味なのかよくわかりませんけど、とにかく団さんは三枝さんに、もっと書け、直木賞を狙えるぐらいにもっと書け、と言いたかったんでしょうか。

 あるいは横澤彪さんから届いた手紙にも、「直木賞」の文字が。

「横澤さんのはがきには、

「さんま君や紳助君のキャラクター(注・彼等をモデルにした人物も登場するのです)もとてもよく描かれていて、一気に読んでしまいました。文才に脱帽という感じです。あとは、売って、売って、売りまくって、直木賞をもらって印税成金の“先生”になることを切望しております。」」(同)

 じっさいには、『ゴルフ夜明け前』は直木賞候補になりませんでした。その後、三枝さんは数冊の小説を出しましたが、いずれも直木賞にひっかかることはありませんでした。

 しかしです。ビートたけし、山田邦子、劇団ひとり、太田光などなど……お笑い芸人が小説を出したら、まず「直木賞」の話題が躍る、っていう文化を後世にのこす存在となりました。ええ。もはや現代日本に定着した文化といっていいでしょう。その意味で、「作家・桂三枝」は直木賞史上、偉大なる存在なのでした。

 その三枝さんが、ときに直木賞を受賞した人、候補になった人を招いて、直木賞に関するアレコレを語り合う。……「三枝のホンマでっか」は、かなーり地味な対談企画だったことは確かです。だけど、ぞんぶんに直木賞マニア心をくすぐる好企画でした。

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コメント

「三枝のホンマでっか?」はこのブログでもちょくちょく出てきてましたよね。

難波利三さんはですねぇ、実は90年代に
関西で藤本義一さんともどもお笑い新人コンテストの審査員を数多くされてまして、
たぶん三枝師匠ともそういう関係でつながりがあったんじゃないかと思います。
だからボクみたいに関西人で漫才をけっこう見る人、っていう
局地的なゾーンでは難波さんは「テレビで顔なじみの人」枠です(笑)
(ちなみにお二人とも審査員として紹介される時は、単に「作家の…」って言われるより
「直木賞作家の…」って言われる方が多かった気がします)

それにしてもいよいよ直木賞候補が発表されましたねぇ~。
候補入りは99%固い、と思われていたアノ作品が選ばれず、
政界に負けじと「あべ」さんの返り咲きもあり、
(たぶんアノ作品は「人物伝」対決で一騎打ちになって負けちゃったのかも)
いきなりドラマティックな始まりで、すでに目が離せないです。

あと管理人さんの3冊目の本がアチラの賞だったのもちょっとサプライズでした(笑)
でもアチラの賞の知識はあまりナイのでこれを機に勉強したいと思います(^^)

投稿: しょう | 2013年1月 8日 (火) 23時45分

しょうさん、

……ですよねえ、東京近辺の事情しか知らないワタクシのような人間が、
軽々に「テレビで顔なじみの人」とか、そうでないとか、言うのは正確さに欠けますね。

関西圏における難波さんの存在感について、ご教示いただき、ありがたいです。


そうそう、もうじき直木賞の選考会ですよ。
今期も直木賞のおもしろさは健在です!
いつもながら話題性において芥川賞に大きく後れをとった姿など、愛おしくて、胸が熱くなります。

そして、サイト発3冊目の本のことにも触れていただき、恐縮です。
直木賞ファンの同志から猛反発を受けることを覚悟しながら、
(いや、直木賞のことに少しでも時間を割きたい自分自身の思いと葛藤しながら)
どうにかこうにか書きました。

どこかで読んでいただければ、嬉しいです。

投稿: P.L.B. | 2013年1月 9日 (水) 00時27分

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