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2013年1月の5件の記事

2013年1月27日 (日)

安藤満(『オール讀物』編集長) 直木賞って無理に受賞者を出さなくてもいいんだよ、の時代を演出した編集者。

安藤満(あんどう・みつる)

  • 昭和6年/1931年生まれ(現在81歳)。
  • 昭和30年/1955年(23歳)文藝春秋新社入社。『オール讀物』編集部員となる。
  • 昭和49年/1974年(42歳)『諸君!』編集長ののち、『オール讀物』編集長(昭和49年/1974年~昭和52年/1977年)を務める。その後は文春文庫部長や『文藝春秋』編集長などを歴任。
  • 平成7年/1995年(63歳)文藝春秋社長に就任(平成11年/1999年まで)。

 当然ですけど、「直木賞(裏)人物事典」と言ったら、『オール讀物』編集長を含めないわけにはいきません。過去20数名いる編集長全員を取り上げたっていいくらいです。しかし、そんなものは文春の社史か何かでやってもらうとして、今日は、当テーマでは二人目となる『オール讀物』編集長。上林吾郎さんにつづき、安藤満さんに光を当てたいと思います。

 上林さんと同様、のちに安藤さんは社長にまでなった方です。田中健五社長のあわただしい引責に近い辞任、みたいなことがあって、タナボタのような就任劇でしたが、外からの非難のはげしい前任者のあとを受け、立て直しを任されるにふさわしい穏健なイメージが、安藤さんにはあります。

 そんな安藤さんが、『オール讀物』史において、どのような役割を果たしたか。もちろんワタクシなどが偉そうに語れるハナシではないですけど、直木賞史と重ね合わせてみると、非常に興味深い像が浮かび上がってきます。

 安藤さんが同誌の編集長をしていたのが、昭和49年/1974年~昭和52年/1977年。奥付の「編集人」としては、昭和53年/1978年にも少しハミ出しています。直木賞でいえば、第71回第78回ぐらい。

 どうですか。直木賞史のなかで、第71回~第78回といえば、受賞者がなかなか出なかった時代、として有名です。8回のうち、〈受賞者なし〉が、じつに半分の4回。

 そして、受賞者が出るか出ないかは、候補作の並びや選考委員の考えだけでなく、司会者=文春マンの進行ぶりにそうとう影響される、と巷間言われます。つまり、文春としては営業戦略上、また賞の盛り上がり上、受賞者を出したいわけですから、仮に選考委員たちが〈受賞者なし〉の結論に流れそうになっても、再考を促したり、少数意見をピックアップしたりしながら、〈受賞者あり〉の着地になるよう司会進行する、というわけです。

 ところが安藤編集長の時代は、無理に〈受賞者あり〉に誘導しなかった。はたから見ているかぎりでは、そこが安藤編集長×直木賞の大きな特徴だと思います。

 ちなみに社史において、安藤さんという人は、こう表現されています。

「平成十一年、安藤は社長を退任し、会長にもならず顧問に就任。六十七歳になっていた。それまで形骸化していた役員定年制を厳しく守るために、みずからが範を示した安藤らしい身の処し方だった。

 安藤自身は翌十二年には顧問も辞め、退社していった。」(平成18年/2006年12月・文藝春秋刊『文藝春秋の八十五年』より)

 今回、安藤さんが各所で書いたり発言したりしている回想文をいくつか読んだんですが、上記に挙げたようなこちらの勝手な思い込みがあったためか、どうにも平穏な安藤さんの姿が印象に残りました。平穏というか、きちっとしているというか、デキた人というか、大人というか。

 たとえば直木賞委員の池波正太郎さんの姿を見て、頭を下げちゃうところとか。

安藤 きちんと候補作を読みこんでくる人だったからねえ、池波さんは。

豊田(引用者注:豊田健次) いや、もちろん池波さんだけじゃないけれども(笑)、非常に熱心にノートをとられていて、手帳を見ながら滔々と論じられるわけですよ。

安藤 本当に真剣勝負をやるんだ。大御所の作家たちが、「そんな読み方はおかしい」なんてやりあう姿には、本当に頭が下がりました。

豊田 池波さんは候補作を必ず二回お読みになっていましたよね。

安藤 届くとすぐにお読みになって、しばらく置いておくんだって。選考会が近くなると、もう一ぺんお読みになる。ただ、晩年になると、選考会で喋るのをめんどうくさがって、「これは上品だ」「下品だ」なんて、ひと言、ふた言しかおっしゃらなくなったということはありましたが。」(『オール讀物』平成22年/2010年5月号「「オール讀物」と作家たち」より)

 そうなんです。安藤さんは基本、頭が下がっちゃう人なんです。

安藤 海音寺(引用者注:海音寺潮五郎さんにしてもそうだし、山本周五郎さんにしてもそうだけど、あの頃の作家は、会うと何となく頭が下がるようなところがあったんだ。今の作家にそういう人がいないというんじゃなくてね。陳(引用者注:陳舜臣さんも人格者だからね。」(『オール讀物』平成12年/2000年11月号「編集長が語る あの作家・この作家 オールとっておきの話」より)

 自然と相手に頭を下げさせるほうの資質も重要です。ただ、人間関係は表裏一体。やはりここでは、頭が下がると表現せずにいられない安藤さんのほうの資質にも注目しておきたいところです。

 なにぶん、そういった方ですから、過去の直木賞に関する発言もかなり穏便。どうあっても直木賞を悪者として見たがる人にとっては、興味を抱かせるようなことを言ってはくれません。そして、一般的に、直木賞を悪者として見たがる人の声のほうが、威勢がよくて通りがいいものです。なので、安藤さんのような人の存在は、かき消され、忘れられがちです。おお。悲しいですね。

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2013年1月20日 (日)

佐藤憲一(読売新聞文化部記者) 2000年代、新聞紙上の文学賞ニュースを牽引する、強烈な文学賞脳。

佐藤憲一(さとう・けんいち)

  • 平成9年/1997年ごろ(--)『読売新聞』記者として同紙に署名記事が掲載されはじめる。
  • 平成17年/2005年(--)この年より、年末の文学回顧記事のうちエンターテインメント小説分野を担当(~平成24年/2012年まで・継続中)

 直木賞が終わった週は、いつもうちのブログからは疲労困憊の色が漂います。直木賞の打ち鳴らす太鼓に合わせて、ひたすらバカのように踊り狂うことに忙しいもんですから、ブログ記事に割く余力が、あまり残っていないわけです。

 と言い訳しつつ、今日の「(裏)人物事典」は、百目鬼恭三郎さんにつづき、二人めの新聞記者を取り上げることにしました。2000年代の新聞界に突如あらわれた直木賞(+文学賞)大好き記者。佐藤憲一さんです。

 当然これまで、うちのブログでも佐藤さんの書いた記事を何度も引用しています。文学賞あるところ、かならず佐藤さんの記事あり。っていうのはオーバーですが、何百万と発行されているマスのメディアに、こんなに文学賞ネタ放り込んで大丈夫なのか、と心配になるほど佐藤さんの記事は際立っています。

 まず、ワタクシが「直木賞愛好家」としての佐藤さんを最初に意識したのは、平成16年/2004年のことでした。意識した、と言いますか、実際に一度だけお会いしたわけですが。

第百三十一回直木賞の発表が六日後に迫ってきた。六十九年の歴史を誇る大衆文学最大の賞の季節になると、今度は誰が栄冠を射止めるのかという話題で出版界は持ちきりになる。

 新聞社の文芸記者もその一員なのだが、うわついてばかりではいけないと諭されるような本に出合った。『消えた受賞作 直木賞編』(メディアファクトリー)というアンソロジーだ。」
(『読売新聞』平成16年/2004年7月9日夕刊「直木賞受賞作、3分の1が“消失”」より ―署名:佐藤憲一記者)

 自己宣伝色が強くならないように気をつけて書きますけど、まあ、だいたいその本を見て一本コラム記事を書こう、っちゅう発想がもう。佐藤さん、けっこうな直木賞病です。

「同じ大衆小説の賞でも、江戸川乱歩賞や日本推理作家協会賞は文庫で全集が刊行されている。「直木賞でも全集を」(川口さん(引用者注:『消えた受賞作 直木賞編』の編著者))という願いは多くの小説ファンの共通した思いなのではないか。」(同)

 そんなこと言ったのだっけ、とまったく思い出せません。それにしたって、インタビューで語るほうも語るほうなら、それを記事にするほうも、するほうです。二人の直木賞病患者の思いが融合しちゃって、そうとう病的なコラム記事に仕上がっています。

 『読売新聞』の文化部には、石田汗太さんという先輩記者がいます。石田さんも直木賞報道史にたびたび登場する、なかなかの人です。しかし佐藤さんの場合は、脳の中枢にまで「文学賞」に対する興味が染み渡っていて、その面では石田さんを軽く超えています。

 佐藤さんが次々と放ちつづけている、直木賞を中心とした文学賞関連記事。そのほんの一部を紹介します。

「短編復権の兆し 人生の断片、切り取る力」(『読売新聞』平成13年/2001年2月13日夕刊)

第124回直木賞のことを引き合いに出して、「「大長編が続いて読者は食傷気味なのでは」。先月の直木賞の結果発表の席上、記者席からこんな質問がとび出した。二〇〇〇年下半期の作品が対象となる候補六作中、山本文緒『プラナリア』、重松清『ビタミンF』の受賞二作を含む五作を短編集が占めたからだ」と。

「女子高生候補を気遣う・ミステリー業界批判 異例の芥川・直木賞選考会会見」(『読売新聞』平成15年/2003年1月22日夕刊)

※記者会見した林真理子選考委員が、他の委員から出た意見として、横山秀夫『半落ち』に対して、「各賞の対象となり、批評も出ているのに、これまで誰も見つけられなかったのは甘い」「ミステリー業界がよくない」と言ったと紹介。その件に触れて「「このミス」「文春ベスト10」が評論家や推理作家らプロのアンケートであることを考えれば、ミステリー関係者には耳の痛い話ではないだろうか」と。

「三島&山周賞20年・下 優れた先見性 直木賞と蜜月」(『読売新聞』平成19年/2007年6月5日)

※山本周五郎賞と直木賞との関係に触れ、「ファンタジー、SF、伝奇小説など幻想色の強い作品は、リアリズム志向の強い直木賞の選考会では最も評価されにくい。先見性を持つ山周賞の結論を、近年、蜜月(みつげつ)状態にあった直木賞はどう受け止めるのか。エンターテインメント小説の今後を占う意味で関心が持たれる」と。

「大学が大衆小説を研究対象に 乱歩の講義や横溝の専門誌創刊も」(『読売新聞』平成20年/2008年11月18日)

※成蹊大学を紹介するところの文章、「この十数年で卒業生から小池真理子桐野夏生石田衣良井上荒野と直木賞作家4氏を輩出した成蹊大(東京都武蔵野市)では、図書館に10万冊を目指す「ミステリSFコレクション」(仮称)の整備を進めている」と。

「本屋大賞と2位に新人 周到な宣伝、異例の手段」(『読売新聞』平成21年/2009年4月7日)

※本屋大賞の湊かなえ『告白』と2位の和田竜『のぼうの城』の記事のなかで、「本屋大賞は、恩田陸(第2回)、佐藤多佳子(第4回)、伊坂幸太郎(第5回)の各氏ら直木賞を逃してきた人気中堅作家を評価し存在感を高めてきた」と。

「プロの底力見せた新人賞」(『読売新聞』平成24年/2012年6月5日)

※江戸川乱歩賞を高野史緒がとったことから、藤原伊織の『テロリストのパラソル』のことに触れ、「翌年に直木賞をダブル受賞、ハードボイルドの名作となった」と。

「「伝説」のSF新人賞復活」(『読売新聞』平成24年/2012年8月28日)

※創元SF短編賞の山田正紀賞を受賞した宮内悠介の、デビュー短篇集『盤上の夜』のことを「直木賞で異色の候補作として話題になった」と。

 どうですか。ほんの一部ですけど、直木賞周辺の文学賞が面白くてしかたないワタクシみたいな人間にとっては、たまらない切り口&記事ばかりですよね。

 こういうのを平気な顔して『読売新聞』に書いちゃうんだから、ほんと、佐藤さんって気持ち悪いよなあ。……あ、すみません、入力をミスりました。打ち直します。ほんと、佐藤さんって仕事熱心で頼もしいよなあ。

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2013年1月16日 (水)

第148回直木賞(平成24年/2012年下半期)決定の夜に

 安部龍太郎さんが57歳での受賞。すごい! 素晴らしい! 安部さんの正統派歴史人物評伝『等伯』が、直木賞に新時代を切り開きました。今晩決まった第148回(平成24年/2012年・下半期)の直木賞もまた、期待どおり、心おどりましたよねえ。

 おっと。受賞者はもうひとりいたんでした。朝井リョウさんです。朝井さんを後回しでご紹介しましたけど、他意はありません。ウソです。意図的です。そりゃあ、うちみたいな辺鄙な専門サイトが、とくに声を重ねることもないですもんね。

 とか言いつつ、直木賞騒ぎで明け暮れる当日の夜に、わざわざブログエントリーを書いて、声を重ねているわけでして、どうもすみません。ささっとすませます。

 まずは、当然この方たちがいなかったら「楽しい直木賞の夜」は訪れなかった、直木賞の主役といっていい4つの候補作について、です。

 各所で大評判の作家なのに、どうにも手を出しかねていて、『ふくわらい』が直木賞の候補になってはじめて、西加奈子さんの小説、読みました。他の西さんの小説にも、これで抵抗なく進んでいける気がして、ああ、ワタクシみたいなオジさんでもしっかり楽しませてくれる西さん、頼もしいです。今後、うちのサイトの候補作家(あ、受賞作家になるかも)の群像ページにある「受賞歴・候補歴」欄を更新していくのが、いまから楽しみです。

 いやあ。ワタクシは個人的に、今回は伊東潤さんでバシッと決まり、と思っていたんだけどなあ。『城を噛ませた男』からのグレードアップ、『国を蹴った男』。ホント面白い小説集だし、がんがん読まれるようになってくれると嬉しい。いずれ、伊東さんのほうが直木賞を超えちゃう予感がぷんぷんするんですが、その折りには、ぜひ直木賞をもらって「直木賞のほうの」名を高めてやってください。

 志川節子さん。『春はそこまで』の本のナリからは想像もつきませんでしたけど、設定も筋の運びも、そうとうなチャレンジャーとお見受けしました。チャレンジ精神あふれる小説、ワタクシは好きです。だいたい直木賞なんちゅうものは、人の欠点をあげつらわなければ成り立たないご商売です。そんなものに落とされたぐらいで、どうということはありません。今作で見せてくれたような挑戦意欲あるかぎり、志川さんの未来は明るいぜい!

 うちみたいな辺鄙な専門サイトが、とくに声を重ねることもないですもんね、パート2。ええ、多くは語りますまい。ただただ、有川浩さんには感謝です。どう考えたって、直木賞を毎回注目している稀少人種より多い、『オール讀物』の読者よりもっと多い、圧倒的に多い有川さんの固定読者の目を、一回だけでも直木賞のほうに向けさせた功績。これはもう、礼、拍手、礼、拍手、礼、拍手、礼、……。

          ○

 礼、拍手、といえば、はい。これからしばらく朝井リョウさんには、直木賞のほうがお世話になります。直木賞は根はイイ奴です。だけど、たびたびイヤな下郎になり下がることがあります。数々ご迷惑をおかけすることになるかと思いますが、どうぞ適当に付き合っていっていただければと思います。

 今回、偉大なる記録を樹立したのは、安部龍太郎さんです。twitterでも書きましたが、前回の候補が第111回(平成6年/1994年上半期)、そこから長い長い年月を経て18年半。これだけ長く候補にもならず、次の候補で受賞したのは、直木賞史上、安部さんが最長です。つまり、これはひとえに、直木賞メの不徳の致すところでありまして、18年半も直木賞はどこに目を付けていたのか、直木賞の恥ずかしい醜態でもあります。

 安部さんこそ、直木賞などとらなくてもずーっと愚直に作家道を歩まれるだろう方です。メディア対応は若いモンに任せて、ぜひ己のめざすところを邁進していってください。

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2013年1月13日 (日)

第148回直木賞(平成24年/2012年下半期)候補作を、装幀者から楽しんでみる。

 半年に一度、直木賞の選考会直前の日曜日がやってきました。いつも当ブログでは、冗談のようなバカバカしいような、〈ネタ〉系のエントリーを書いて、訪問者のご機嫌をうかがっています。

 今回は何にしようか。ふざけてばっかりいるのもアレだし。などと考えまして、いまちょうど、うちのブログで毎週取り上げているテーマに即した内容にしようと思い至りました。

 「直木賞(裏)人物事典」です。

 直木賞ってやつは、決して候補作家や選考委員たちだけがつくってきたわけじゃない、その周辺に(いろんな意味で)支えてきた人たちがいるから、いまワタクシたちの目の前にある「直木賞」になっているんだ、って思いでエントリーを書いています。

 ……ということで今週は、第148回(平成24年/2012年下半期)直木賞の候補作となっている6つの作品の、装幀家たちに、主役を務めてもらいます。

 せわしない現代社会です。候補作が6つもあるのか、そんなくだらない読み物、読んでるヒマないよ。という方は多いでしょう。今日のエントリーは、そんな方に送ります。6つの本をオモテ側から見るだけでいいのです。どの装幀家の作品が、直木賞をとったら、テレビ画面映えするだろう、本屋に積まれて絵になるだろう、と想像をめぐらすだけでいいんですから。ほんと、直木賞レースは、小説を読まなくたって楽しめますよね。

■第148回(平成24年/2012年下半期)直木賞候補作

  • 芦澤泰偉 『国を蹴った男』(平成24年/2012年10月・講談社刊)
  • カマベヨシヒコ 『空飛ぶ広報室』(平成24年/2012年7月・幻冬舎刊)…ブックデザイン
  • 菊地信義 『等伯』(上)(下)(平成24年/2012年9月・日本経済新聞出版社刊)
  • 新潮社装幀室 『何者』(平成24年/2012年11月・新潮社刊)
  • 鈴木成一デザイン室 『ふくわらい』(平成24年/2012年8月・朝日新聞出版刊)…カバー装丁
  • 野中深雪 『春はそこまで』(平成24年/2012年8月・文藝春秋刊)
Ashizawa Taii
あしざわ たいい
芦澤 泰偉
くに おとこ
国を 蹴った 男』
平成24年/2012年10月25日・講談社刊

短篇集
295頁
四六判上製
本体価格1,600円(税別)
ISBN 978-4-06-217991-1

著者伊東潤
装画
北村さゆり
発行者
鈴木哲
印刷所
豊国印刷株式会社
製本所
黒柳製本株式会社
ハミダシ情報
芦澤さんといえば、当然、彫刻家・御宿至の作品集で縁ぶかい安部龍太郎さんの作品で候補ですよね。と思っていた大方の予想がくつがえされました。今回は伊東さんのほうに加担です。

3年前、PHP研究所にまさかの直木賞をもたらした〈魔法の手〉は今も健在かしら……。と、今日電車に乗っていたら隣のおばさんたちが話し合っていました。やはり芦澤さん、注目の人です。

10数年前の芦澤さんの発言に、こんなものがあります。「新人には気を使う。幾分誇張になってもいいから強さを出してやりたい。伸びてほしいという願いも込めてね」(『静岡新聞』平成13年/2001年7月15日「表現ゼロワン」より)。ほんとだ。『国を蹴った男』、強さが存分に出ている! よっ。千両役者!
年齢(平成25年/2013年1月現在)
64歳
経歴
昭和23年/1948年、静岡県静岡市生まれ。昭和46年/1971年、東京都美術館第10回「毎日現代美術展」に出品。美術集団ニルヴァーナに参加し、広告会社を経て、昭和55年/1980年より荒川洋治の主宰する紫陽社の装幀を手がけ始める。
過去10年の直木賞候補歴
  • 第128回『似せ者』(平成14年/2002年8月・講談社刊、松井今朝子著)
  • 第140回【受賞】『利休にたずねよ』(平成20年/2008年11月・PHP研究所刊、山本兼一著)
  • Kamabe Yoshihiko
    カマベヨシヒコ
    そらと こうほうしつ
    空飛ぶ 広報室』
    (ブックデザイン)
    平成24年/2012年7月25日・幻冬舎刊

    長篇
    462頁
    四六判上製
    価格1,600円(税別)
    ISBN 978-4-344-02217-1

    著者有川浩
    カバー写真
    藤岡雅樹(小学館)
    発行者
    見城徹
    印刷・製本
    中央精版印刷株式会社
    ハミダシ情報
    怒られる前に言い訳しておきます。右の「経歴」は「鎌部善彦」さんのものです。「カマベヨシヒコ」さんのことがわからなかったので、暫定的に載せました。

    ……しかし、どっちのカマベさんにしても、直木賞ファンたちの期待感は一致しています。ラノベの装幀にコノ人あり、の地位を築いてきたカマベさんが、ついに直木賞作装幀家になるの、どうなの!? あの桜庭一樹さんでさえ、直木賞受賞は、それまで数多くの受賞歴・候補歴を誇ってきた鈴木成一デザイン室とタッグを組んでようやく果たしました。カマベ&有川、いったいどうなるのでしょう。

    選考委員の誰か、選評でブックデザインに言及してくれないかなあ。「ひととおりはできているものの、いかにも軽すぎる」みたいな選評が載ったら、それはそれで、大事件ですもの。

    年齢(平成25年/2013年1月現在)
    47歳
    経歴
    昭和41年/1966年生まれ。多摩美術学園グラフィック卒。主に雑誌のエディトリアルデザインに携わるかたわら、1990年代からライトノベルのブックデザインを手がける。(平成16年/2004年8月・日経BP社刊『ライトノベル完全読本』より)
    過去10年の直木賞候補歴
  • なし
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    2013年1月 6日 (日)

    桂三枝(『週刊読売』対談ホスト役) 1990年代前半、直木賞をとった渋いオジサンたちとよく対談していた、といえばこの人。

    桂三枝(かつら・さんし)

    • 昭和18年/1943年7月16日生まれ(現在69歳)。
    • 昭和41年/1966年(22歳)関西大学商学部卒。桂小文枝(のちの五代目桂文枝)に入門。
    • 昭和62年/1987年(43歳)長篇小説『ゴルフ夜明け前』(サンケイ出版刊)を上梓。
    • 平成1年/1989年(45歳)『週刊読売』誌上(6月25日号)で対談企画「三枝のホンマでっか」スタート(~平成8年/1996年4月7日号まで、337回分)。
    • 平成24年/2012年(69歳)六代目桂文枝襲名。

     昨年、平成24年/2012年10月、このブログで阿川佐和子さんを取り上げました。『週刊文春』の対談「この人に会いたい」を平成5年/1993年から19年間やりつづけ、数々の直木賞受賞者と対談した人、としてです。

     これの評判がよかったもので(……と勝手に思っているだけですけど)、同じジャンルからもうひとり誰か。と欲をかいたまではよかったものの、「直木賞」のよく出てくる週刊誌対談といえば、阿川さんの『週刊文春』と林真理子さんの『週刊朝日』が両巨頭です。しかし林真理子さんは、さすがに「直木賞(裏)人物事典」には似つかわしくありません。

     まあ、ここは新年一発目ですし、「(裏)人物」とはいえハデめな方にスポットを当てるのもいいかな、と思いまして、桂三枝さんに目を向けたいと思います。1990年代前半の直木賞モノ週刊誌対談を牽引した方です。

     ごぞんじのとおり、いまでは違う芸名ですけど、当エントリーでは「三枝」で通します。

     桂三枝さんがホスト役を務めた『週刊読売』の「三枝のホンマでっか」は、平成1年/1989年6月25日号~平成8年/1996年4月7日号、7年弱つづきました。ゲストの人選は主に、役者、歌手、タレントなどなど。テレビでおなじみの顔が多く、とくに後半はその傾向の強い企画でした。それでも前半期には何人か、「直木賞を受賞したばっかりの作家」を招いていたのです。

     芥川賞をじゃなくて、直木賞を。ここ重要です。

    • 第101回  ねじめ正一(平成1年/1989年8月27日号、9月3日号)
        前編「「禰寝」が「ねじめ」になった理由」、後編「乾物屋のにおい ねじれたハエ取り紙」
    • 第102回  原尞(平成2年/1990年7月15日号)
        「ジャズからハードボイルドへ、でも、書く時はモーツァルトがいい」
    • 第104回  古川薫(平成3年/1991年3月17日号)
        「25年という“長距離マラソン”を完走したことが、また重荷になってきまして……」
    • 第102回  星川清司(平成3年/1991年9月29日号)
        「素顔は明るい人でしたが、雷蔵ほど不幸せのよく似合った役者はいませんね」
    • 第108回  出久根達郎(平成5年/1993年6月27日号)
        「お客さんの背中に人生を想像する。その「想像」が作家になったようなもんですね」
    • 第110回 大沢在昌(平成6年/1994年2月20日号)
        「昔は「大沢在昌の本あります?」と聞くと「ああ、あれ、台になってます」って」
    • 第109回  高村薫(平成6年/1994年5月8日・15日合併号)
        「OL時代はメチャクチャ真面目でした。真面目でもうどうしようもないというやつ」
    • 第113回  赤瀬川隼(平成7年/1995年10月22日号)
        「野球好きの“鬼平さん”に好かれました!」

     『週刊文春』の場合は、受賞熱の冷めないうちになるべく早く受賞者をゲストに呼ぶ、っていう慌ただしさがありました。対して、こちらは直木賞そのものの宣伝に乗ってやる義理はありません。ゲストの登場もかなりのんびりです。

     だいたい、あれです。古川薫とか星川清司とか出久根達郎とか赤瀬川隼とか、彼ら自身に光のない人たち(って、コラコラ。「渋い人たち」と言い換えます)が出てきて、はたして読者は嬉しいのか!? と心配になりますよね。でも直木賞ファンならだいじょうぶ。古川薫さんの「新婚さんいらっしゃい」評と、三枝さんの返しが見られて、それだけで満足です。

    三枝 ほんとに待ちに待った賞でしたねえ。

    古川 ええ。ざっと直木賞の歴史が五十年として、私は二十五年かかりましたね。もう、長い長い(笑)。(引用者中略)

     ぼくはね、あなたの実はファンなんですよ。

    三枝 あ、エヘヘヘ。

    古川 田舎ですから、高座を聞いたりする機会はないんですけど、「新婚さんいらっしゃい」というの、あるでしょ。あれはね、だいたい欠かさず見てます。(引用者中略)ずっと前は、新婚夫婦のまあ多少露悪的な、セックスにかかわるようなものがありましたけど、最近はそれがなくてもおもしろい。人生を感じさせますねえ、あれは。

     まだ続けられるんですか?

    三枝 ええ、あれ、二十年続けてきましたけど。

    古川 ああ、すごいなあ。

    三枝 でも、古川さんの二十五年に比べたら、まだまだ(笑)。

    古川 しかし、ぼくの場合は、全然人から見向きもされない部分が、三分の二ですから、アハハ。」(『週刊読売』平成3年/1991年3月17日号より)

     いや、アハハ、って古川さん。あなたの25年を前にしたら、ご本人以外は誰も、手放しで笑い合えませんって。

     「三枝のホンマでっか」は、直木賞受賞者びいきで、芥川賞軽視のきらいがある、と先ほど言いました。芥川賞受賞者でゲストになったのは石原慎太郎さん、田辺聖子さん、荻野アンナさんのたった三人のみ。おわかりのとおり、田辺さん以外のお二人は、作家枠っていうより、「テレビで顔なじみの人」枠です。

     対して直木賞受賞者ゲスト。何と豊潤なこと。上記に挙げた近年受賞者にくわえて、長部日出雄青島幸男藤本義一阿部牧郎難波利三つかこうへい志茂田景樹渡辺淳一野坂昭如村松友視と、総勢18名。

     豊潤っちゅうか、こちらも「テレビで顔なじみ」一派が多いんですけどね。それでも阿部牧郎さんとか難波利三さんとかが入っているぞ、マジか! 顔なじみ感においては決して全国区とは言えない二人が、混ざっている。こんなところが三枝対談の特徴だと思います。

     とくに阿部さんの対談は、直木賞の話題もガッツリからまっていて、うれしいかぎり。

    三枝 どうですか、(引用者注:直木賞を)七回も滑られて八回目にもろうた時の感激は。

    阿部 ま、流行作家時代の十年間が空いてたわけだけど、ほんとうまいこといったなあと思ったね。編集者と作戦練って、「そろそろ獲りに行こうか」とやったやつがピタッとはまったわけやから。

    三枝 そういうのって、あるんですね。直木賞獲るための書き方ってありますか。

    阿部 まあ、材料とか姿勢やね、何を狙うかという。要するに傑作を書けばいいんです。」(『週刊読売』平成2年/1990年10月21日号より)

     『それぞれの終楽章』が傑作かどうかはアレですけど。でもまあ、ふつうあそこで阿部さんが候補になるとは思いませんよね。

     三枝さんの対談は、平成8年/1996年4月7日号で終了しました。翌週からは宮崎緑さんに引き継がれます。宮崎対談における直木賞関連ネタも、もちろん見逃せません。見逃せないんですが、三枝対談のワクワク感は、それとは比べようもないくらい大きかったと思います。

     そりゃ何つったって。そもそも、ホストがホスト、あの桂三枝さんですよ。三枝さんの長い芸能生活のなかには、一瞬、「直木賞」の影が横切ったことがあるんですもの。

    続きを読む "桂三枝(『週刊読売』対談ホスト役) 1990年代前半、直木賞をとった渋いオジサンたちとよく対談していた、といえばこの人。"

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