斎藤美奈子(文芸評論家) 権威の臭いがするものは取り上げずにいられない、文学賞の併走者。
斎藤美奈子(さいとう・みなこ)
- 昭和31年/1956年生まれ(現在56歳)。
- 昭和54年/1979年前後(23歳)成城大学経済学部卒。児童書・子育て雑誌などの編集に携わる。
- 平成6年/1994年(37歳)初の著書『妊娠小説』を上梓。
- 平成20年/2008年(51歳)各メディアに発表した書評をまとめ『本の本 書評集1994-2007』を上梓。
権威っぽいものを目の前にすると毒づきたくなる性分、とお見受けします。斎藤美奈子さんって方は。当然、直木賞も、斎藤さんの手にかかり、面白いように料理されてきました。その意味でこの方も、直木賞大好き人間、と言ってしまっていいでしょう。
いいわけないですか。
でもまあ、直木賞史を研究するうえでは絶対はずせない評論「林真理子 シンデレラガールの憂鬱」(平成14年/2002年6月・岩波書店刊『文壇アイドル論』所収)をお書きになった方です。あるいは、百々由紀男の奇書(キショい、とも言う)『芥川直木賞のとり方』に食いつくぐらいの方です。きっと斎藤さん、直木賞や芥川賞がかもし出す摩訶不思議な現象なんかは、お好きなんだと思います。おお、同志よ!
「百々由紀男『芥川・直木賞のとり方』も期待にたがわぬオトボケ本だ。タイトルを見て、だったらさっさと自分で賞をとればいいじゃない、とはだれもが考えつく台詞だが、そんな次元も超えているのね、この本は。志茂田景樹は直木賞をとれたがために先輩である自分をさしおいてどこぞのパーティーで乾杯の音頭をとっていた、やはり賞はとっておくものだ、とか。あとは想像に任せます。」(平成10年/1998年10月・マガジンハウス刊 斎藤美奈子・著『読者は踊る』「カラオケ化する文学 字さえ書ければ、なるほど人はだれでも作家になれる」より)
この文章につづく節が、「芥川賞は就職試験、選考委員会はカイシャの人事部」。初出が平成9年/1997年5月。節題から察せられるとおり、ほとんどぜーんぶ第116回(平成8年/1996年下半期)芥川賞の選評、受賞作、候補作などなどのおハナシで、直木賞については、芥川賞を買うとサービスでついてくるドリンク扱い。さすが、文芸評論家を名乗る方だ、直木賞・芥川賞の扱い方を心得ていらっしゃる。
本文9割程度、芥川賞のことだけ語り尽して、最後の段落で、いきなりこうカマします。
「そもそも芥川賞・直木賞とは何なのか。選考委員が全員作家である(批評家がいない)点に注目したい。つまり両賞は、新しい作品を見きわめて励ますためのものではない。新人作家の中から自分たちの仲間に入れてやってもよさそうな人材を一方的にピックアップする、一種の就職試験なのですよ。選考委員はいわば文壇の「人事部」で、だからこそ受賞予備軍の人たちが結果に一喜一憂したり、受賞者が記者会見で大袈裟な挨拶をしたりするんだよね。」(同書「芥川賞は就職試験、選考委員会はカイシャの人事部」より ―太字下線は原文傍点)
せっかくウマいこと言おうとしているんだから、「芥川賞・直木賞」などと節約した表現をしないで、芥川賞が就職試験なら直木賞は何なのか、もうちょっとガンバって比喩ってほしかったなあ、と思いつつ。
そんな直木賞ファンの歯噛みする思いを汲んでくれるところが、斎藤さんのやさしさです。芥川賞ばかりを可愛がって済ませるはずがありません。『趣味は読書。』(平成15年/2003年1月・平凡社刊 初出『月刊百科』平成11年/1999年7月号~平成14年/2002年10月号)では、直木賞受賞作では珍しく売れた本、浅田次郎『鉄道員』を分析し、直木賞候補作としては珍しく売れていた本、天童荒太『永遠の仔』にメスを入れる、という大サービス。
「初読の興奮がおさまってみると、新たな謎がふつふつとわいてきた。『鉄道員』は怪談だという事実を、なぜ今日までだれも教えてくれなかったのだろう。(引用者中略)『鉄道員』はそもそもが八編の小説を収めた短編集であって、八編全部が、死霊・生霊・幽霊のたぐいが出てくる幻想譚。本来ならば「浅田次郎の怪奇短編集!」とでも銘打って売るべき本なのである。」
「思いきってひと言で要約してしまおう。『永遠の仔』は「アダルト・チルドレン」の小説なのでした。(引用者中略)最近のミステリにはアダチル小説がやけに多くない? 『永遠の仔』といっしょに直木賞候補作になった福井晴敏『亡国のイージス』(講談社)もそうだったし。」
と、『永遠の仔』といっしょに『亡国のイージス』までも触れてくれるという。
そんな斎藤さんのやさしさに、さらに出会える本が『誤読日記』です(平成17年/2005年7月・朝日新聞社刊 初出『週刊朝日』平成12年/2000年4月28日号~平成13年/2001年12月28日号+『アエラ』平成14年/2002年12月30日・平成15年/2003年1月6日合併号~平成16年/2004年9月6日号)。
斎藤美奈子といえば歯に衣着せぬ爽快な物言い、その斎藤さんが新刊とリアルタイムに向き合う書評のお仕事をする、……となれば文学賞の受賞作群がその対象に入ってこないはずがなく、惜しみなく直木賞の土俵のうえに乗ってきてくれています。
「『長崎ぶらぶら節』映画化のニュースを聞いて、疑問が氷解した。愛八を演じる女優は吉永小百合。なるほど、そういう筋書きか。
それで思い出したのが、浅田次郎『鉄道員』(集英社文庫)である。『鉄道員』は主演は高倉健。『長崎ぶらぶら節』は吉永小百合。この2作は、とてもよく似ているのだ。
どっちも話題の直木賞受賞作。ホロリとさせる人情話。古いタイプの日本人が主人公(熟年の鉄道員/年増の芸者)。詩情豊かな土地が舞台(雪の北海道/大正ロマンのころの長崎)。お国言葉を多用(北海道弁/長崎弁)。健気な少女が登場。(引用者中略)
だけど、原作者としては、このキャスティングでいいのか。(引用者中略)小説の解釈としてはそれでいいんですかね。もともと人畜無害、いやほっと一息な作品を、もっと無害にしてどうすんだ。」(『誤読日記』「文学をめぐる現象 『長崎ぶらぶら節』なかにし礼」より)
たしかに『長崎ぶらぶら節』の愛八=吉永小百合は、違和感しかなかったですよねー。小説では「美人じゃない」設定ですからねー。というか、よくぞあの地味な小説が映画化なんかされましたよねー。「直木賞受賞作」の看板のおかげでしょうねー。
なんつう共感もさることながら、ここに斎藤さんのこんな一文がある点に、ワタクシは小躍りしちゃいました。
芥川賞候補作の読破より、直木賞候補作のそれのほうが、おそらく無益で無粋で、そのくせ時間だけがやたらとかかる作業だったことでしょう。がんばって全部読んでも、日本の文学を語るお仕事には、あまり役立たないですもんね。「文学現象を語る」ことにはつながっても。
ご本人いわく、
「斎藤美奈子には『読者は踊る』『趣味は読書。』といった類書もあって、そのころから(引用者注:『誤読日記』には)何の進歩も進展も見られないのはまことに遺憾だが、」(同書「『誤読日記』斎藤美奈子」より)
いやいや、「芥川賞・直木賞」の併記戦法を捨てて、人畜無害な直木賞まで目をかけるようになってくれた、っていう進展があるじゃないですか!
○
90年代から2000年代へ。この時代は、斎藤さんの遊び相手が、芥川賞だけでなく、直木賞にも広がっていくことを予感させる時代だった、と言ってしまっていいでしょう。
いいわけないですか。……って、同じようなボケとツッコみ、くどいですね。失礼。
つまり、平成ヒトケタから10年代の直木賞っつうのは、こういう時代だったからです。
「恋愛小説を得意とする若手女性作家の元気がいい。二、三十代の同性の共感を呼ぶ一連の作品をレディーやラブを意味する「L文学」として批評する動きも出てきた。(引用者中略)
彼女たちの活躍は最近の文学賞受賞の各氏をみても一目瞭然(りょうぜん)だ。山本文緒(直木賞)、江國香織(山本周五郎賞)など恋愛小説の人気作家が名を連ね、ミステリー畑の桐野夏生(直木賞)、ホラーの岩井志麻子(山本賞)も女性の心を描き定評がある。純文学の川上弘美の活躍も目立つ。
今年直木賞を受賞した唯川恵さんも、普通のOLの恋愛模様を軽快なタッチで描く売れっ子。(引用者中略)
文壇の主流から軽視されてきた少女小説的感性が、文学賞を選考する中高年の男性作家にも新鮮に受け止められていることも興味深い。斎藤(引用者注:美奈子)さんは「もはやマッチョの時代ではない。男性もそうした価値観を柔軟に受け入れるようになったのでは」と分析している。」(『読売新聞』平成14年/2002年7月2日夕刊「とれんどin小説 若手女性作家の恋愛小説 「L文学」が元気」より ―署名:佐藤憲一記者)
そうでした、そうでした。「直木賞に女性作家急増!文壇地図に異変!」みたいな、それこそオヤジたちが喜びそうなおハナシに、斎藤さんが無視を決め込むわけがないのでした。
『本の本 書評集1994-2007』(平成20年/2008年3月・筑摩書房刊)は、そんな斎藤さんがデビュー以来こつこつとおマンマのタネにしてきた、「新聞や雑誌の書評欄に、一冊ないしは複数の本を紹介する目的で書かれた「いわゆる書評」」(同書「あとがきにかえて」より)をどーんと集めた本です。紹介されている本を、読んだあとからひもといても楽しんで味わえる、斎藤さんの芸のみなぎった一冊ですが、ここでもいくつかの直木賞受賞作は、斎藤さんの筆のエジキになるっていう栄誉ある地位を与えられています。
「血でつながった母娘三世代のドラマが、『柔らかな頬』のじつは通奏低音なんですね。
したがって、このエンディングにブーブーいう人には「もうちょっと深読みしてね」といっておきたい。これ以外のどんな結末でも、母娘のドラマは完結したことにならないだろう。」(「『柔らかな頬』桐野夏生」より)
っていう評を、刊行直後に書いておいて、数か月後に行われる第121回直木賞の選評で「全体には推理的手法で、女の故郷喪失と、娘の突然の失踪などをからませて、読者を引きずっていくが、それにしてはラストの閉じかたが不親切である。」(『オール讀物』平成11年/1999年9月号 渡辺淳一選評)と書いちゃう委員がいるだろうことを予見していたり。
ほか、『ビタミンF』や『肩ごしの恋人』、候補作では『ツ、イ、ラ、ク』『ハルカ・エイティ』『コンセント』などの斎藤書評を堪能できます。
ただ、受賞作・候補作には直木賞にも視線を向けてくれているものの、選評を取り上げる姿勢については芥川賞びいき(?)が目につきます。それこそ、
「私は「文藝春秋」の芥川賞発表号はけっこう買う。選考委員の選評がベンキョーになるからだ。」(前掲『読者は踊る』より)
として芥川賞選評に注目していた頃から、何の進歩も進展も見られません。
直木賞の選評だって面白いと思うけどなあ。斎藤さんの好物「オヤジの言説」は、こっちにだってあるはずだし。大衆文学vs.純文学、とかいう古びた世界観では計れない世界が、「直木賞選評vs.芥川賞選評」のテーマには埋まっているはずだし。まだ本になっていないだけで、斎藤さん、どこかで直木賞選評ウォッチ、書いてくれているのかなあ。
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コメント
拝啓 斎藤美奈子様
あなたはいつから朝日の評論家になったんですか。
あなたは、顔が紙面に出ないほうがいいですよ。立派な最高学府を出てるんですから。
それで本題ですが「あなたは、朝日の投稿は勝手に出てるとお思いですか。」
朝日で選んだ投稿は、「うまいぐあいに添削してる。」のですよ。そこで朝日のイメージを作ってるというわけ。評論家が世論を動かさないようにしてください。といいたいですね。伊澤
投稿: 伊澤 | 2013年9月10日 (火) 09時22分
「どんな愚か者でも、他者の批判だけはできる」
斎藤美奈子という存在は、上記で全て理解できる。
投稿: たまねぎ | 2015年12月30日 (水) 11時18分