北上次郎(ミステリー評論家) 「直木賞をとったものには、もう興味ない」。というのは、直木賞病のひとつの症状です。
北上次郎(きたかみ・じろう)
- 昭和21年/1946年10月9日生まれ(現在66歳)。
- 昭和45年/1970年頃(23歳)明治大学文学部卒。いくつかの会社に就職するが長続きせず。
- 昭和51年/1976年(29歳)『本の雑誌』創刊、同誌の発行人となる。
- 昭和58年/1983年(36歳)『冒険小説の時代』(集英社刊)刊行、以後著書多数。
まずは肩書きのハナシから。これまで取り上げてきた人同様、北上次郎さんの場合も、なかなか肩書きをつけるのが難しい人物です。ここでは目黒考二・著『一人が三人――吾輩は目黒考二・藤代三郎・北上次郎である。』(平成12年/2000年7月・晶文社刊)にある「著者について」の記述をそのまま使用しまして、「ミステリー評論家」と付けさせてもらいました。他意はありません。
いや、他意はやっぱりあります。北上さんを、たとえば「文芸評論家」としてもイイんでしょうが、何といいましょう。「文芸評論家」っていう五文字からは、メジャー観、本流観、正統観みたいなものを感じてしまうのです、ワタクシ。
そもそも北上さんを、なぜ直木賞専門ブログで取り上げるのか。北上さんは特別、直木賞に関する言及の多い人ではありません。というか逆に、あまり直木賞をとらないような本を猛烈プッシュしてきた方です。
いわば、「文芸? んなもん、しゃらくせえぜ」の匂いが、(一時期の)北上さんの文章からは存分に発散されていました。そういう方に「文芸評論家」の肩書きをかぶせるには、どうしても違和感があります。
直木賞を文芸の、大衆文芸の本流と見なす向きには、北上さんの選書眼って、まるでそんな流れとは無縁なものに見えるに違いありません。北上さん自身、べつに直木賞のことなど意識していないのは事実でしょう。
しかしワタクシは、どうしても直木賞を念頭に置いてしかモノを考えることのできない直木賞病重症患者です。そんなワタクシの目から見ると、北上さんも、やはり直木賞の関連人物としか見えないのです。
たとえば北上さんは、第117回直木賞受賞作の篠田節子『女たちのジハード』を大・大・大援護しています。なのに年度ベスト10のなかには入れようとしません。そんな北上さんの姿勢を見るにつけても。
要は、なるべく光の当たらないものにこそ光を当ててみせたい北上さんの心理が、直木賞と微妙に重なったり、離れたりして垣間見える、と言いますか。
「現代ミステリーの一部の作品が普通小説にかぎりなく接近して、各賞を席巻しているとのは他誌で書いたのでここでは繰り返さないが、皮肉なことにその普通の現代小説は、ミステリーやSF、ホラー小説、時代小説などのジャンル小説と違って、なかなか注目を集めにくい。つまり、ミステリーから接近した普通小説は注目を集めても、もともとの普通小説は死角に入っているのである。(引用者中略)
ではどういうものを普通小説というのかというと、具体的に言えば、篠田節子『女たちのジハード』である。(引用者中略)
篠田節子『女たちのジハード』は直木賞を受賞した作品であるから、全然、埋もれていないし、可哀相でもない。したがって、普通小説だって注目を集めてるじゃないのと言われるかもしれないが、これは特例であることも書いておいたほうがいいだろう。直木賞受賞作で、中身も本当にいい作品は最近珍しいのだ。なにしろこの賞は、過去に宮部みゆき『火車』と、浅田次郎『蒼穹の昴』を落とした前科があるのだから、九七年は例外と思えばいい。
しかし、九七年度の一位に『女たちのジハード』をあげることにはやはり抵抗がある。もうこれだけ注目を集めているんだもの、できれば違う作品にスポットライトを浴びせたい。」(『一人が三人』所収「エンターテインメント・ベスト10 一九九七年度」より)
本来の〈普通小説〉が埋もれてしまって可哀相、でも〈普通小説〉の傑作『女たちのジハード』は直木賞をとって十分に認められたし、ほかの作品を挙げなければ可哀相、……。という姿勢。北上さんのおすすめ法の根底には、どれもそんな心境があるみたいです。
で、直木賞オタクの視点から、ちょっと上の引用文を見返してみます。
たしかに北上さん、直木賞の「前科」に触れていて、直木賞に対して厳しい意見を言っているようにも見えます。ただ、ほら、直木賞ほど〈普通小説〉に寛容で、かつ世間にスポットライトを浴びせる力を備えた賞は、他にはないよなあ、とも思ってしまうのです。
赤瀬川隼『白球残映』、海老沢泰久『帰郷』、出久根達郎『佃島ふたり書房』、伊集院静『受け月』、ねじめ正一『高円寺純情商店街』、と平成9年/1997年から数年さかのぼっただけでも、〈普通小説〉の受賞作はボロボロ出てきます。これらに替わって、全部の回の直木賞が、ミステリーや時代小説ばかりに与えられていたら、北上さんはいったいどんな感想を抱いたことでしょう。
北上さんはともかくとして、ワタクシはそんな偏向した直木賞、イヤです。読者の興味が「ミステリー風の日常小説」に移ってきたからといって、時代の空気を読んで、そんな受賞作ばかりを生んじゃう賞になど、魅力は感じませんもん。
まあ、1980年代の冒険小説隆盛のころからしばらく、まるでそれらジャンルを認めようとしなかった直木賞の頑固さは、やりすぎの感がなくはありません。胡桃沢耕史さんには『黒パン俘虜記』よりも前の、ヘンテコリン小説で直木賞をとってほしかった、と胡桃沢さんのためにも、直木賞のためにも、悔まれます。
「胡桃沢耕史『天山を越えて』は不思議な小説だ。(引用者中略)
この著者の小説は、特に直木賞受賞前の作品にこういう不思議な味わいの作品が多い。他の作家が考え得ないホラ話すれすれの物語と言ってよく、その自由奔放な小説は小さくまとまった小説が多い中では大変爽快である。(引用者中略)
胡桃沢耕史は直木賞受賞作『黒パン俘虜記』より、受賞前のこれらの作品のほうが段違いにすぐれている。」(平成9年/1997年11月・本の雑誌社刊 北上次郎・著『面白本ベスト100』所収「波瀾万丈小説 ホラ話すれすれの奇妙な物語」より)
ですよね。段違いにすぐれているはずの小説を落として、シマッタとあわてて次の候補作に賞をおくる直木賞。何度指摘されても、いつまでも同じことを繰り返す直木賞。どんくさくて、オチャメで、ほんと憎めないやつです。大目にみてやってください。
○
オチャメで憎めない、といったら、あれです。北上さんも、ひょっとしたら直木賞といい勝負かもしれません。
たとえば、大森望さんとの対談『読むのが怖い!』(ロッキング・オン刊)シリーズ。ここでの北上さんは、オチャメさ連発です。平成15年/2003年のブック・オブ・ザ・イヤーについて語る回では、冒頭、直木賞に関するやりとりがあります。
「大森 石田衣良って、作家性うんぬんより、ジャーナリスティックなセンスがずば抜けた人で、たぶんすごく頭がいい。今一番ウケるテーマとそれにふさわしい語り方を見つけ出す才能もある。でも特に何か言いたいことがあるわけじゃなく、「仏作って魂入れず」の天才みたいな人。常に見事な仏像ができるけど、別に魂はこもってない。本当に技術だけで――。
北上 誉めてねえな、それ(笑)。
大森 いやいや、高く評価してるんですよ。(引用者中略)
――北上さんいかがですか?
北上 いや、すごくうまいんだけど、いかにも直木賞向き。石田衣良のこれまでの最高傑作は、やっぱり『少年計数機』(文春文庫)だと思うんだよ、俺は。それに比べるとなあっていう。やっぱり計算が目に見えちゃうんだよね。
大森 いや、『少年計数機』も同じでしょう。
北上 いやいや、計算の仕方が、これは一歩直木賞のほうに向かって踏み出しちゃってるわけ。(引用者中略)
大森 考えたらこんなにとんとん拍子の作家はいないんじゃないですか。世の中すべてが石田衣良の思い通りに動いてる感じ。その意味でやっぱり天才としか言いようがないけど、読者として「参った」とは思わない。
北上 まあ直木賞とっちゃったんだかもういいじゃない。
――(笑)。じゃあ次は、『グロテスク』。泉鏡花賞を獲って、桐野夏生の最高傑作とも言われてますが、いかがでしたか?
北上 僕はね、久々なんですよ、桐野さん読むのは。やっぱりすっごいうまい。びっくりした。だからうまさは認めます。
――内容は?
北上 直木賞とった作家っていうのはあんまり興味ないんで。
大森 (笑)」(平成17年/2005年3月・ロッキング・オン刊 北上次郎、大森望・著『読むのが怖い! 2000年代のエンタメ本200冊徹底ガイド』所収「第11回 (2003年 冬) ブック・オブ・ザ・イヤー2003」より ―司会:有泉智子 太字は原文ママ)
絶妙な「あるあるネタ」と言いますか。直木賞とるまでは好きで応援していたのに、とったら何だか興味が失せてしまう、ありますよねえ。北上さんもそんな「直木賞反発病」患者のおひとりでしたか。
森絵都さんに関しては、北上さんの発言は露骨な「直木賞反発病」の一症状を現わしています。たとえば、第133回(平成17年/2005年上半期)候補作の『いつかパラソルの下で』。
「――では、大森さんの二冊目は全然男くさくない、森絵都の『いつかパラソルの下で』。
大森 これも直木賞落選作なんですけど、うまいなあと思って。(引用者中略)
北上 直木賞を獲らなかったんで意地でもAプラスでプッシュします。」(平成20年/2008年4月・ロッキング・オン刊 北上次郎、大森望・著『読むのが怖い!帰ってきた書評漫才~激闘編』所収「第18回 (2005年 秋)」より)
この病根が相当ふかいところまで達しているな、と思わされることには、北上さん、『風に舞いあがるビニールシート』が第135回(平成18年/2006年上半期)直木賞をとったときに、こう申告しているからです。
「――では、森絵都の『風に舞いあがるビニールシート』。直木賞受賞作です。
(引用者中略)
北上 僕は森絵都の作品がずっと好きでAプラスを連発してきたんだけど、直木賞獲ったらなんだか冷めちゃった。みんなのものになっちゃったなあって(笑)。」(同書所収「第22回 (2006年 秋)」より 太字は原文ママ)
根深い。
かと思えば、北上さんは唯川恵『肩ごしの恋人』を猛絶賛して、平成13年/2001年エンタメ小説のベストの太鼓判まで推していました。これが年明けに直木賞を受賞。いつもの病気が発症するのかな。と思えばそんなことはなく、平成15年/2003年には唯川『今夜 誰のとなりで眠る』にA評価を付けたりして、「直木賞とった作家には興味がなくなる」病を忘れていたり。
オチャメですね。北上さん。もしかして、この病気さえ取り払ってみれば、北上さんと直木賞って、すすめる本のカブるところもあるし、意外と似た者どうしなんじゃないかなあと思ったりします。
直木賞が束になってかかっても、北上さんの読書量や、いい本をすすめたいという熱い思いにはかなわないかもしれません。ただ、それほど注目度の高くない作家や小説、ジャンルに少しでも光を当てたい、っつう精神は、直木賞のほうにも多少は残っているはずです。その部分は、北上さんに負けることなく、直木賞も枯らさずに堅持していってほしいです。
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コメント
直木賞ばかり読み漁ろうとしていた自分にとって、いろいろと考えさせてくれる記事でした。ありがとうございます。
投稿: | 2016年5月 7日 (土) 01時06分