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2012年9月16日 (日)

保昌正夫(文芸評論家) 芥川賞を通じてしか直木賞を見ることができない、なかばまっとうな文学賞観を示す。

保昌正夫(ほしょう・まさお)

  • 大正14年/1925年3月26日生まれ、平成14年/2002年11月20日没(77歳)。
  • 昭和24年/1949年(24歳)早稲田大学文学部卒。
  • 昭和24年/1949年(24歳)早稲田大学高等学院に助手として勤める。のち教諭(昭和43年/1968年まで)。
  • 昭和37年/1962年(37歳)日本近代文学館設立発起人に加わる。以後、評議員、理事、常務理事。
  • 昭和41年/1966年(41歳)初の著書『横光利一』刊行。

 Yahoo!百科事典というコンテンツのおかげで、へえ、保昌正夫さんが直木賞の歴史をまとめてくれているんだあ、と知りました。もちろん短い文量です。正確さに疑問符をつけたいところもあります。だけど、そこはそれ、彼もまた、直木賞をまとめるにあたって同賞の無定見ぶりに四苦八苦した口なんだろうな、と共感を抱かされます。

 で、保昌さんを拙ブログで取り上げるのは、このことばかりが理由ではありません。昭和43年/1968年に保昌さんが、日本の文学賞について短い連載を受け持って、その当時の文学賞史の姿を、まざまざワタクシたちに見せつけてくれたからです。

 『國文学 解釈と教材の研究』の昭和43年/1968年1月号から4回にわたって掲載された「文学賞物語」です。

 第一回「文学賞の数と質」(1月号)、第二回「選考委員の問題」(2月号)、第三回「受賞者よりも……」(3月号)、第四回「芥川賞と直木賞のあいだ」(5月号)。

 都合4回のうち、いちおう話は文学賞全般におよんでいるんですが、言及量の飛び抜けて多いのが芥川賞のことです。圧倒的です。悲しいです。せつないです。保昌さんに殺意すら覚えます。ウソです。

 っていうことで、21世紀を生きる我ら直木賞研究者たちが、20世紀の遺物を目にして必ずや憤怒せずにはいられない、文学賞に関する文献、その代表的な一発を放ったのが、誰あろう保昌正夫さんなのでした。

「文学賞はおおむね作品に授賞することを趣旨とするが、このところは作品が挙げられておりながら、その作よりも作者への授賞かといった感じが伴う場合が少なくない。一種の年期賞・努力賞のようなものもあってわるいわけではないが、どこか合点がいかない印象がのこることもある。文学賞検討がある程度心がけられてしかるべきかといった思いもする。文学賞の在りかたについてはこれまでにもいくつかの検討があって、それぞれに教えられるところもある。そこでそれらをも含めて各種文学賞に関してこれまでのところをふりかえり、いくぶんの意見をも添えようというのが、この小連載のおおよその見当である。」(「文学賞物語(1) 文学賞の数と質」より)

 その心構えに問題はまったくありません。いいでしょう。ガンガンやってください。

 しかしあなた、どんな文学賞話が飛び出すかとワクワクして第二回目を読んだ直木賞愛好家はドギモを抜かれます。出てくるサンプルは、芥川賞オンパレード。あ、この人、直木賞のことなど端から捨てているんだな、とバレバレだからです。

「文学賞選考委員の選任にあたってはそれ相当の配慮が要請される。その要は権威を保ち、かつ公平を期する構成に帰着しよう。現在の芥川賞選考委員の構成にもそのさまざまな配慮のほどがうかがわれる。しかもなおこの顔ぶれは芥川賞選考委員としてだけ文学賞の選考にたずさわっている人びとではない。この種の問題がここに一つ出てくるかと思われる。戦後、漸次文学賞の数がいやましにふえたことで兼任選考委員もまたすこぶる多いのである。権威保持に走って、その結果、公平路線の混乱は果たしてもたらされなかっただろうか。」(「文学賞物語(2) 選考委員の問題」より)

 この先、えんえんと芥川賞のハナシばっかりしています。さすが保昌さんのことだけはあって、芥川賞委員だった横光利一のことを持ち出してきて、どうのこうのと解説してくれます。直木賞ファン、おいてけぼりです。

 そのうえ、最後のほうでチラッと直木賞に触れる文章が、こんなかたちで書かれてしまっては、直木賞ファンが怒り出すのも無理ないでしょう。

「文芸春秋主催の文学賞の一つに文学界新人賞がある。(引用者中略)これらの作家・作品(引用者注:文學界新人賞をとった作家・作品)は芥川賞、ないしは直木賞を受けるか、あるいは有力候補に推されるかしている。つまり文学界新人賞は結果として芥川賞・直木賞の第一次審査の場としてあった形である。」(同)

 そこまで何ひとつ直木賞に筆を費やしてこなかった保昌さんが、唐突に直木賞を出してきています。直木賞だけの性質や歴史を、何ら考慮に入れずに「芥川賞・直木賞」と併記するこのやり方。当時、夜道を歩く保昌さんの背中を、街じゅうの直木賞ファンがナイフを手に狙っていた、というウワサもうなずけるものがあります。

 全国の直木賞ファンから脅迫状の類いがわんさか届いたはずの保昌さん、連載第三回になっても筋を曲げませんでした。文学賞に落選した候補作家の逸話を、さまざま紹介してくれているんですが、高見順の『文学随感』所載の「文学賞小論」で半分くらいの原稿を稼ぎ、そのあとも芥川賞の話題に終始。この号が発売されたあと、「ちょっとは徳川夢声宇井無愁長谷川幸延とかのエピソードを挿し込め!」っていうプラカードを手にもった群集が、保昌家のまわりを取り囲んだとか、取り囲まなかったとか。

 おそらく保昌さんも、世間の声に抗えなくなって妥協点を探し(……つうのはワタクシの妄想ですよ)、連載最終回で「芥川賞と直木賞のあいだ」を取り上げるに至りました。

 冒頭で、大佛次郎さんが井伏鱒二『ジョン万次郎漂流記』を推奨した理由、つまり直木賞は、いわゆる大衆文学を対象にするのではなく、伝記や報道記事などからも採り入れたい、と書いた文章を引用しています。

 それなのに、けっきょく視点の重きは、芥川賞の側に置かれたままです。

「直木賞受賞者一覧で昭和十年代(自第一回至十九回)の受賞者・受賞作を見わたした場合には芥川賞へ振り替わって行きそうなものはほとんど見あたらないが、いっぽう芥川賞一覧でその時期(自昭和十年至十九年)をみると、直木賞であってもよかったような作品もまじっていないではない」「「純文学」、「大衆文学」の別が相当きびしかったかのようである、その当時ではあったが、二、三十年もたってみると、それもずいぶんあいまいな感じである。しかも、「純文学」の、新人賞の受賞作について、この感じがつきまとうというところになおのことの問題がある。」(「文学賞物語(4) 芥川賞と直木賞のあいだ」より)

 そうですか? 「直木賞であってもよかったような」とか、直木賞をずいぶん舐め切っていませんか。じっさい、直木賞は戦前から舐められていたのは事実ですけども。

 まあ、保昌さんも文学賞の話題なんて、文芸の本筋から外れた余興だし、この連載にしてもあまり乗り気でなかったのかもしれません。ああ、文芸に専心する人が語る直木賞は、こうも情けなくて面白みがなく、悲惨な境遇におかれるものなのか、と気づかされる好連載だったと思います。

          ○

 むろん、保昌さんの遺した業績からは、教えられるところがたくさんあります。保昌さんも、直木賞うんぬんのことでケチなんかつけられたかないでしょう。あまりに低く不当に扱われる直木賞を見るに忍びない亡者の妄言と思って、許してやってください。

 保昌さんは、こんな文章も残してくれています。『昭和文学の風景』に収められた「懸賞小説と作家」です。

 こちらでは、芥川賞や純文学偏重、っていうことはなく、直木賞にもつながる数々の懸賞のことにも触れています。なので、かなり心穏やかに読むことができます。

「昭和十年代になっても懸賞文芸は多様な形で存続した。たまたま手許に在る厚生閣版『新文芸講座』の別巻『新文芸手帖』(昭和十五年刊)というのを見ると、そこには「懸賞案内」の一章があって、「アナ」を狙え、「最初の一枚」で決まるなどの注意書きがあり、また別に「投書物語」という一章もあって、名を成した「投書家」が列記されており、「大衆作家は大てい投書家だったようである」といった記述もみえる。懸賞への投稿は文学への見果てぬ夢そのものであった。厚生閣はそのころ、「月刊文章」という雑誌を出しており、そこには投稿欄もあって、かつての投書雑誌「文章倶楽部」を想起させる。

 たしかに大衆文壇には懸賞から出てきた作家が少なくない。」(平成11年/1999年12月・小学館/小学館ライブラリー『昭和文学の風景』所収 保昌正夫「懸賞小説と作家」より)

 まったくだと思います。直木賞の系譜をみても、たとえば戦前から、同人誌作家だけでなく懸賞出身作家が数々、候補になったりしていて、海音寺潮五郎橘外男大池唯雄村上元三木村荘十などが受賞しました。橘さんの場合は、懸賞出身と呼ぶにはアレすぎるほど異色ですけど。

 なので、直木賞ばかり追っている者からすれば、戦後、公募の新人賞から生まれた作家が持てはやされて「文学が投機的になった」と攻撃されている文献に出会うと、ふうん、そちらはずいぶん時代遅れだねえ、とふんぞり返りたくなってしまうわけです。

 直木賞のほうが芥川賞より新しい時代を先取りしてきたんじゃん。とも言ってしまいたいですが、これは暴論に近いので、言わずにおきます。

 あ、あと保昌さんの本のなかで、ワタクシお気に入りの文章があります。これです。

「要はやはり年譜といえども、その仕事――作品に基本を置くべきなのだろう。いくら直接に会って話を聴いても、その作家の暮らした土地に出かけて旧知から聞き書をとっても、あとは作品を並べればそれでよいということではない。その作品をほとんど読んでいない、つまりその作家、評論家とそれほどにつきあっていない作成者の編んだ年譜ほどあじけないものはない。近頃は文学全集ブームのおりから、そうしたお体裁だけの年譜もおりおり見かける。」(平成16年/2004年11月・河出書房新社刊 保昌正夫・著『保昌正夫一巻本選集』所収「年譜勉強」より)

 直木賞は、直木賞受賞作の名前を並べても、それだけでは足りないなあ、と感じてきたワタクシにも、すっと腑に落ちる保昌さんの言葉でした。受賞者、候補者、選考委員、受賞作、候補作、選評、報道記事、噂話、エピソード、エトセトラ・エトセトラ……それを含めて、どこまで、直木賞そのものとつきあっていけるか。それが直木賞研究の要諦でありましょう。おそらくは。

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