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2012年9月 9日 (日)

植田康夫(『週刊読書人』編集者) 直木賞・芥川賞とひと口に言っても、本の売れ方、全然違うんですよね。

植田康夫(うえだ・やすお)

  • 昭和14年/1939年8月26日生まれ(現在73歳)。
  • 昭和37年/1962年(22歳)上智大学文学部新聞学科卒。読書人に入社し、『週刊読書人』編集部在籍。
  • 昭和43年/1968年(29歳)初の著書『現代マスコミ・スター――時代に挑戦する6人の男』を刊行。
  • 平成1年/1989年(49歳)読書人を退社、上智大学文学部新聞学科の助教授となる(平成3年/1991年~平成20年/2008年まで教授)

 もしかして、出版研究の世界からなら、植田康夫さんじゃなくて、お仲間の塩澤実信さんや清田義昭さんのほうが、ここで取り上げるにふさわしい人物かもしれません。ただ、植田さんも相当、直木賞との関わりが深かった方です。そして直木賞の盛り上げに一役買ってくれました。

 と言いますのも。

 植田さんはこれまで、数々の著書を世に問い、大学教授だの、学会会長だの、お偉い地位を築くまでになりましたが、若き時分は一介の書評紙編集者。単なる本好きの裏方に徹することに飽き足らず、ぐいぐい前に出ていく行動派の植田さんが、まず最初に上梓した本は、6人の人物や時代風俗に取材したルポ物でした。

 『現代マスコミ・スター――時代に挑戦する6人の男』(昭和43年/1968年12月・文研出版刊)です。

「この本はあまりに巨大化したマスコミ機構のなかで、“一匹狼”として自己の最大限の力をふりしぼり、果敢なる挑戦をつづける六人の猛烈な男たちの人間ドラマを再現しながら、マスコミのヒーローと呼ばれる情報社会の演出者たちのシークレットな面を伝える一編の“インサイド・レポート”なのである。」(同書「プロローグ」より)

 その6人とは、いずみたく、五木寛之、永六輔、梶山季之、草柳大蔵、野坂昭如

 どうですか。直木賞受賞者が2人、候補者が1人含まれています。とくに受賞者の五木さんと野坂さんについては、表舞台への登場シーンにガッツリ直木賞が関与していたものですから、植田さん、おのずと直木賞に向き合わざるを得ませんでした。

 結果、この書の冒頭部、プロローグは野坂さんが直木賞を受賞する場面から書き起こされています。

「彼は、これまで黒メガネで、ヌーッとテレビのブラウン管に現われ、早口で、世のヒンシュクを買うような意見をぶちまけるマスコミ・タレントであった。そして、その反応を楽しみながら、「おれはプレイ・ボーイだ」などとうそぶき、適当にポーカー・フェイスを装っていた。そのポーズが良識家には、たまらない嫌悪を感じさせたことも事実である。

 そんな野坂が、直木賞という文壇における市民権を得たのだからおもしろい。」(同書「プロローグ」より)

 ええ、おもしろいといえば、当時の人が、イカガワシイ野坂なにがしが、権威の象徴たる直木賞をとるとは何とおもしろい、と感じていたこそがおもしろいのです。それはもう、コピーライター上がりのネエちゃんがついに直木賞をとった!とか、少女小説レーベルの書き手が続々と直木賞をとる世の中!とか、エロゲーライター&ラノベ作家が直木賞だってよ!とか、〈直木賞を何かエラいものと見なし、そこに至る登頂ルート〉を思い描いてしまう思考が、70年代にもしっかり存在していた、っていう時代の証言と受け取るべきでしょう。

 その意味で、植田さんがかつてやっていたライター仕事は、貴重なんだよなあ、と思わざるを得ません。とくに、直木賞にばかり目がいくワタクシのように者にとっては。

 植田さんの第二著書も、やはり直木賞に関連したものでした。『白夜の旅人 五木寛之』(昭和47年/1972年3月・大成出版社刊)です。

 これは『現代マスコミ・スター』のなかで取り上げた一人、五木寛之さんのことを集中して描いたもので、時も時、五木さんが昭和46年/1971年に「休筆宣言」をして話題になったことを受けて書籍化にいたったようです。植田さんの証言によれば、五木さんの休筆宣言は、文壇をにぎわせたこと三島由紀夫自決以来だった、とのことで。

「五木の“休筆宣言”ぐらい、最近の文壇をにぎわしたニュースも珍しい。大げさにいえば、一昨年の三島由紀夫の自決以来のことかもしれない。そのうえ、他の作家に与えた影響も大きかった。

 というのは、五木の“休筆宣言”以後、これにならう作家が続々とあらわれたからである。」(同書「プロローグ」より)

 五木さんの直木賞がいかにインパクトをもたらしたか、についての植田さんの同時代証言は、「第4章 華々しきデビュー」にまとめられています。いやあ、これほど受賞→即流行作家の事例を間ぢかに見ちゃうと、そりゃあ直木賞ってバカにできないんだな(そして、あの当時の直木賞は、よかったな)と思わされるのも、無理ないかもしれません。

「五木の受賞を発表した日、柴田錬三郎はマスコミ関係者に、「どうか、五木君の才能を食い荒さないでほしい」と頼んだくらいである。しかし、そうはいっても、本来人気作家の素質をもった五木を、マスコミが放っておくわけがない。(引用者中略)

 適度にニヒルで男っぽい美男子である五木は、石原慎太郎と並んで、文壇ではもっとも鑑賞価値のある作家だが、それだけに、マスコミにとっては、もっとも話題にしやすい作家である。

 そもそも、作家をこのように一種のスター扱いする風潮は、昭和三十一年に芥川賞を受賞した石原慎太郎以来のことだが、あれから、ちょうど十年たった時点で、文壇はまた、一人のスターを生んだのである。」(同書より)

 ワタクシなんぞはどうしても、直木賞受賞者といっても、地味で光が当たらない、ワーキャー騒がれないような人物に興味が走ってしまいます。そのため、五木さんの受賞シーンには、あまり心ひかれず、このブログでも取り上げてきませんでした。

 植田さんは違います。ライター時代の植田さんは、とにかく五木寛之のオッカケでした(たぶん)。なぜ五木は人気があるのか、なぜ五木は売れるのか、と突っ込んでいきました。

 ご存じのとおり五木さんは、その後もベストセラーを何冊も生み出し続けながら、いまも現役、売れっ子作家の様相を呈したまま、厳然とそこに立っています。そうすると、ワタクシみたいな、表層に視線をとらわれる人間は、いまある五木さんからの類推で、直木賞受賞者・五木寛之のことを考えてしてしまいがちです。思い込みとかで。

 華やかに誕生して日の浅い作家にも目を配る、植田さんのような方がいてくれて、まったく助かります。

          ○

 植田さんといえば、いっぽうで出版文化やベストセラー史などの著作があります。そちらのほうでは、芥川賞の名前は、たとえば石原慎太郎や村上龍などを引き合いに、重要な位置を占めるものとして登場するんですが、ほんと面白いぐらい、直木賞のことはほとんど出てきません。

 ほとんど出てこないことを引用するのは難しいんですが、とりあえず、戦後ベストセラー史のテッパンネタ、『太陽の季節』について、植田さんの文章をかいつまんでみます。

「「太陽の季節」は、文藝春秋が刊行すると思われたが、五編の作品を収録した単行本の『太陽の季節』は、新潮社から刊行された。(引用者中略)

単行本は芥川賞を受賞して一ヵ月余で新潮社から刊行され、一年間で二十六万七千部が売れた。文藝春秋は雑誌掲載だけだった。『ベストセラー物語』上で単行本出版の経緯を伝えた杉浦明平は、新潮社での単行本刊行は、文学における《有能な新人のスカウト》であったと指摘し、《文学は有能な才能が活動するに足る利益と名誉とをそなえた事業となった》と述べ、出版企業も《ベストセラーズをつくりだし、大きな利潤をうみだす産業となろうとしていた》と指摘している。」(平成21年/2009年3月・水曜社刊 植田康夫・著『本は世につれ――ベストセラーはこうして生まれた』より)

 さて、先に若き日の植田さんは、五木寛之オッカケ人だったと紹介しました。引用文のなかでも、五木さんの文壇登場を、石原慎太郎さんのそれになぞらえ、あたかも〈直木賞における石原慎太郎現象〉のようにも受け取れる文でした。

 マスコミの過剰な直木賞・芥川賞に対する注目が生んだスター作家。……となれば、ベストセラー史のなかに、直木賞受賞と五木寛之、の項が書かれてもおかしくありません。でも、書かれていない。なぜか。

 ということを、70年代当時の植田さんはすでに指摘してくれていたのでした。

 五木寛之はスターはスターでも、受賞作が突出してベストセラーになるような、よくある直木賞・芥川賞受賞者とは違うのだ、というのです。

「彼(引用者注:五木寛之)は、よくベストセラー作家といわれるが、実際はどうなのかと、増刷の部数をあたってみると、右の表のようになる。

 このデーターで興味深いのは、昭和四十二年に刊行された『さらばモスクワ愚連隊』と『蒼ざめた馬を見よ』が現在約二〇万部と、どちらも大体同じ数字だということである。(引用者中略)四十二年から四十七年の六年間で約二〇万部という数字は、一年間の平均増刷部数が三三〇〇〇部ということである。これでは、ベストセラーとはいえない。(引用者中略)

 五木はむしろ、ベストセラー作家というより、ロングセラー作家と呼んだ方がよい。」(『新評』昭和48年/1973年3月号 植田康夫「白夜のエンターティナー・五木寛之ズームイン」より)

 ってことで、その「右の表」を同記事から一部転載すると、次のようになります。ちなみに五木さんの直木賞受賞作は「蒼ざめた馬を見よ」のほうです。

「◆『さらばモスクワ愚連隊』(講談社)

〈42年〉 72,000部

〈43年〉 20,000部

〈44年〉 17,000部

〈45年〉 41,000部

〈46年〉 23,000部

〈47年〉 28,000部

〈合計〉201,000部

◆『蒼ざめた馬を見よ』(文芸春秋)

〈42年〉 33,000部

〈43年〉 27,000部

〈44年〉 34,000部

〈45年〉 41,000部

〈46年〉 31,000部

〈47年〉 40,000部

〈合計〉206,000部」(同記事より)

 なある。ほんとだ。てっきり、五木寛之さんは直木賞をとってマスコミに一気に紹介され、受賞作がどっと売れたんだと思ったけれど、大して売れなかったんですね。

 さすが直木賞、爆発力のなさが露呈していると言いますか。ときどき大ベストセラーを輩出してきた芥川賞のイメージにひきずられて、直木賞も似たようなもんだと思われているのに、この違い。直木賞が生んだ希代の大スター五木寛之さんですら、この有り様だものなあ。

 若き日の植田さん、貴重なレポート、ありがとうございます。

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