豊島澂(光風社社長) 3つの受賞作を出しても、なお版元は火の車。それが直木賞。
豊島澂(とよしま・きよし)
- 大正9年/1920年8月19日生まれ、昭和53年/1978年12月9日没(58歳)。
- 昭和19年/1944年(23歳)早稲田大学文学部卒。在学中の昭和18年/1943年に学徒出陣。
- 昭和20年/1945年(24歳)大地書房に入社、その後同社の倒産に伴い、同光社磯部書房に移る。
- 昭和32年/1957年(36歳)光風社を創業。昭和40年/1965年に倒産し、まもなく光風社書店として再建。
※こちらのエントリーの本文は、大幅に加筆修正したうえで、『ワタクシ、直木賞のオタクです。』(平成28年/2016年2月・バジリコ刊)に収録しました。
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コメント
元・光風社社員。豊島社長には、上野(御徒町の間)の居酒屋によくお伴しました。その店は、豊島社長の同級生の店。今でも(2014年)ありますが、いつの間にやら建物は、ビルになっていた。さらに、その同級生は既に亡く、娘婿?が切盛りしている。豊島社長から多くのことを学ばせていただいたが、この居酒屋では、お互いに日本酒を1合づつ頼んで、手酌で呑むことだ。けして、ついだりつがれたりはしない。それが、豊島流でもあった。
投稿: 湯本隆信 | 2014年2月 7日 (金) 16時34分
湯本 様
貴重なコメントを頂戴しましてありがとうございました。
もちろん私は豊島さんとはお会いする機会はなかったんですが、
光風社再建の際のエピソードなどからも、豊島さんが相当に作家たちに愛されていたことがうかがわれ、
そんな人柄を想像しながら、このエントリーを書きました。
投稿: P.L.B. | 2014年2月11日 (火) 01時24分