小池真理子(第114回 平成7年/1995年下半期受賞) 話題先行の〈きわもの〉のイメージを背負いながら、売れない小説を書きつづけた10年が、ドラマをドラマたらしめる。
小池真理子。『恋』(平成7年/1995年10月・早川書房/ハヤカワ・ミステリワールド)で初候補、そのまま受賞。『第三水曜日の情事』『あなたから逃れられない』での小説家デビューから10年半。43歳。
今年の芸術選奨[文学部門]は小池真理子さんですかあ。すっかり大御所の格ですね。よかったよかった。
それで今日の主役は小池さんなわけですけど、今から16年前、直木賞をとったときに小池さんはこう言われました。「もはや〈知的悪女〉を持ち出す必要がなくなった」と。
「知り合いの編集者に「実は小説が書きたいんです」と申し出たが、「小説など書かずに、結婚した方がいいよ」とにべもなく言われたのは、七八年の初エッセー集『知的悪女のすすめ』がベストセラーになった時だった。「でも、そのころの私は、そう言われても当然だった」と振り返る。小説に専念したのが八四年。そんなマスコミタレント的イメージとの戦いだったという。しかし今、この人を語るのに「知的悪女」を出す必要はもうないだろう。」(『読売新聞』平成8年/1996年1月12日「顔」より ―署名:文化部石田汗太)
まったくです。もう必要はないでしょう。
ただ、小池さんの直木賞までの道のりに、〈知的悪女〉の件が重要な役割を果たしたのは事実です。うちのブログは直木賞関連オンリーです。おさらいしないわけにはいきません。
昭和53年/1978年10月、小池さん25歳のとき、山手書房から『知的悪女のすすめ――翔びたいあなたへ』が出版されました。これが大層売れまして、同シリーズのエッセイを続々と刊行、講演会に呼ばれるは、テレビのコメンテーターの仕事が舞い込むはで「人気エッセイスト」の座をつかみました。
ただ、先の引用文にもあったように、小池さんにとっては「マスコミタレント的イメージとの戦い」でした。数々のエッセイやインタビューなどで明かされているとおりです。いや。シリーズ3冊目の段階ですでに、自分の考えと、世間の受け取られ方とにギャップを感じていました。
「私が今まで書いたり語ったりしてきた“知的悪女”という一つの女の像が、果たして私の思っていた通りの形で読者に伝わっていたかというと疑問である。
(引用者中略)
私の“知的悪女”はマスコミの男どもの手を経てかなり勝手に解釈され、ファッション化された。あるときはセックスのことのみ強調して語られ、またあるときは、不倫の恋のすすめがメインテーマであると言わんばかりに、不自然に本そのものが歪曲化された。」(昭和54年/1979年3月・山手書房刊 小池真理子・著『素肌でシェリー酒を――新・知的悪女のすすめ』より ―引用文は昭和57年/1982年4月・角川書店/角川文庫より)
なにしろ〈知的悪女の小池真理子〉の印象は鮮烈でした。何かにつけ知的悪女、知的悪女と言われる日々を送ります。
若いネエチャンが威勢のいいこと言ってるぞ、と世のオジサンたちの好奇の目にさらされ、もてあそばれる構図ですね。もちろん、小池さんの虚像を楽しんだのはオジサンだけではありません。あとに続く若いネエチャンからも、違ったかたちで標的にされたのでした。
「最近、小池さんと同じ名前のコピーライターの林真理子さんが、小池さんとは逆の〈結婚願望〉をテーマにした著作を次々発表してマスコミをにぎわしています。
〈やっぱり女はカワイくて愛される方が幸せだ……〉
として、時代の保守化の波にのってベストセラーを出している姿をみるとき、益々小池さんの存在の重さを感ぜずにはいられません。
会田雄次氏や渡部昇一氏のような男性天敵のみならず、同性天敵とも闘っていかねばならぬからです。」(昭和58年/1983年9月・角川書店/角川文庫 小池真理子・著『結婚アウトサイダーのすすめ』所収 ばばこういち「解説」より)
そうです。小池さんより数年遅れて現れた〈若いネエチャンエッセイスト〉希望の星、林真理子さんからの突き上げでした。
「こういう女の下半身打ち明け話っぽいものが本になりはじめたのは、いったいいつ頃からだっただろうか。
私が思うに、小池真理子さんの「知的悪女のすすめ」なんかが先鞭をつけたと思う。(引用者中略)最初にあの本を読んだ時、
「へえー、こんな卒論のできそこないみたいなものが本になるわけ――」
と当時の私はかなりふんがいしたものである。彼女の美人ぶるのと、悪女ぶるのも、私には気にいらなかった。(引用者中略)
成功した有名女性の悪口をいうのは、彼女(引用者注:成蹊大出身の、林の友人)と私の共通の趣味なので、それから二時間以上も電話でエンエンと彼女の悪口をいってしまったのだ。
「だいたいねぇー、自分にちょっとバカな男が何人か寄ってくるからって、それにどうのこうの意味をもたせたり、カッコつけんの間違ってるわよ」
「それにさ、女同士でやるようなナイショ話を、本にするって根性セコイわね」
「よくいたじゃん、小学校の時、みなの話を聞くだけ聞いて、あとでひとりで先生にいいつけに行くコ」
「いた、いた、そういうコにかぎってわりと可愛いから、先生にかわいがられたりして」
「あらっ、小池真理子って可愛い?」
「よくいるタイプ、タイプ、赤坂のスナックなんかで塩コンブをつまんでほこりかぶってる……」
「あなたのほうがゼーンゼンいい女よん」
「ま、ありがと。色気だったらマリコ(私の方の真理子)の方があるわね」
小池さん、ごめんなさい。市井の女たちというのは、こんなひどいことばっかりいってるものなんです。
しかし、あのテの本を書く女性たちが、女たちから嫌われているのは事実ですね。」(昭和57年/1982年11月・主婦の友社刊 林真理子・著『ルンルンを買っておうちに帰ろう』「打ち明け話はもう古いつうもの」より ―引用文は昭和60年/1985年11月・角川書店/角川文庫より)
なある。小池さんを目のカタキにしていたのは、良識派を気取る旧世代のおじさんおばさんだけじゃなかったのですなあ。林さん言う「女たち」も、また嫌っていたと。
でもまあ、林さんも「ごめんなさい」とフォローを打っているわけで、心底嫌っているっていうより、〈知的悪女の小池真理子〉像を題材にして茶々入れて、面白がっていたのかもしれません。
直木賞受賞後の対談では、即行、詫びを入れちゃっていますし。
「林 (引用者中略)私、小池さんに謝らなきゃ。十四年前の『ルンルンを買っておうちに帰ろう』で、失礼なこと書いちゃって……。
小池 ハハハ。いいですよ、そんなこと。(引用者中略)
林 私もそうですけど、小池さんも『知的悪女のすすめ』みたいな、小説以外のもので一世を風靡しちゃうと、作家デビューしづらいところ、ありますよね。その後、小説書いても「お前なんか作家ヅラするな!」って。
小池 お互い最初、「きわもの」って感じで受け取られましたよね。でも、林さんの『ルンルン~』は、若い女のコの視点で素直に書いた本だから、あまりたたかれなかったでしょ?
林 そんなことないですよー。「こんな下品な女、許せない」とか。
小池 ほんとに? 私も新宿のゴールデン街に行けなかった。「石投げて追い返してやる」とか言われてたらしいです。」(『週刊朝日』平成8年/1996年10月25日号 林真理子「マリコの言わせてゴメン! ゲスト・作家小池真理子」より)
なごやかで微笑ましいですね。〈知的悪女〉からの数年、小池さんは相当、精神的に苦しい思いをしたはずですけど、笑って話せてくれて、ホッとするヒトコマです。
〈きわもの〉エッセイストから小説家への転身。林さんの場合はすでにそのとき、直木賞騒ぎの渦中にいましたので、賑やか通しの転身でした。対して小池さんは状況が違っていました。スポットライトを浴びる舞台から、あえてひっそりした世界にもぐり込んだ、といったふうに思える転身でした。
「初めて長編小説を書き出したのは、一九八四年ころ。集英社の担当編集者だったN氏に励まされ、書き直しを命ぜられたのもたった一度で済んだ。それが翌八五年に刊行された『あなたから逃れられない』というミステリ長編である。“悪名高き”エッセイを出してから七年後。二度目のデビューは、初めのデビューと違って静かなスタートを切った。騒々しいことが苦手な私にとって、これはとても嬉しいことだった。」(平成3年/1991年1月・角川書店/角川文庫 小池真理子・著『猫を抱いて長電話』所収「二度目のデビュー?」より ―初出『別冊小説宝石』平成1年/1989年9月)
ううむ。初めのデビューのときは、よほど嬉しくない騒々しさだったのだな、と思うことしきり。
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