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2012年3月11日 (日)

山本一力(第126回 平成13年/2001年下半期受賞) 「直木賞はエンターテインメント文学の最高峰」と信じる(誤認も含む)全国ン万人の作家志望者たちの憧れの的。

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山本一力。『あかね空』(平成13年/2001年10月・文藝春秋刊)で初候補、そのまま受賞。「蒼龍」でのデビューから4年半。53歳。

 おっとっと。佐藤雅美さんにつづき2週連続で、またまた食い扶持を稼がなきゃいけない50代お父さんの登場です。

 以前に触れた北原亞以子さんもそうでした。時代作家の直木賞受賞には、長年の苦労が年をとってようやく結実した、っていう図が似合います。その最たる例が、山本一力さんでしょう。

 最たる例、と表現するのは他でもありません。「苦労してきた」という状況が、「二度の離婚」だの「バブル崩壊」だの「2億円の借金」だの、そういうわかりやすいキーワードを伴って、各種マスコミにどんどん取り上げられたからです。

(引用者注:直木賞受賞時の)おのれの言動が別の事態を引き起こした。

「小説を書き始めた動機は、仕事でこしらえた借金を返済するためです」

 わたしのコメントが報道されて以来、この動機に多くのひとが注目してくれたらしい。問われるたびに何度も同じことを答えたが、詳細に語る機会はなかなか得られなかった。」(山本一力・著『家族力』所収「三度目の所帯に嘘はなし」より)

 なるほど、その後、山本さんやその妻、二人の息子のエピソードや写真が、週刊誌や小説誌や総合誌や新聞などにあふれることになっちゃうわけです。もう腹が膨れるくらいに。飽き飽きするほど。

 これがネタになる!と思ったときのジャーナリズムは、たいてい「やりすぎだろ」のレベルまで行かないと気が済みませんからね。50歳すぎのおじさんが、いかにしてドン底まで落ちたか、いかにしてそこから這い上がって直木賞を射止めたか、みたいなジャパニーズ・ドリームふうの記事が、さんざん書かれました。

 「いまや失われかけた家族の絆の大事さ」とか、「こんな世の中だからこそいま時代小説がブーム」とか、そういうおハナシをまぶしながら。

 ここで山本さんのエラいのは、しっかりとその風潮に乗っかったところだと思います。望まれるとおり、期待どおりの役を演じ切ったと言いますか。

 ある種、クサい話になってしまうのも厭わずに。率先して、クサい大人像を全面に押し出しました。

 え。山本一力さん、クサくありませんか? 泥クサいと言い換えてもいいです。だって、直木賞受賞数か月後に出した初エッセイ集のタイトルが『家族力』ですよ。家族力。受賞後に『文藝春秋』に寄せた文は「私のプロジェクト直木賞」。ど、どうですか、このセンス。こういうことを恥ずかしげもなく発信するクサさ。もうたまりませんね。

 ……ええと、誤解なきよう言っておきますけど、ワタクシはクールなものより、暑苦しくてウザッたくてクサいぐらいのもののほうが好きです。直木賞ファンはきっと、そういう性質の人のほうが多いんじゃないでしょうか。芥川賞ファンになったことがないので、あくまで推測ですけど。

 だいたい、人情味あふれる、滋味に満ちた時代小説ってのは、クサーいシロモノですからね。そんな時代小説に対して、やさしいまなざしを向けてくれる直木賞がワタクシは好きなのですよ。推して知るべしです。

 山本一力さんに話を戻します。貧乏してて、それでも夢をもって小説を書き続け、直木賞受賞で一気に脚光を浴びた、その山本さんの姿がバンバン報道されました。そうなると、どうなるか。直木賞をバカにする人は、平成14年/2002年にもたくさんいましたが、そういう人たちの思いを尻目に、直木賞の虚名は、ぐんぐん上がるいっぽうなのでした。

 果てには、こんな記事まで組まれちゃいます。「山本一力さんに勇気づけられた 苦労乗越え、目指せ直木賞」。

「「一度は、どん底を見た人なのに、そこからはい上がって大輪の花を咲かせた。励みになります」

 昨年12月、作家としての第一歩を踏み出したばかりの大倉文明さん(36)は、こう話す。(引用者中略)大倉さんはもともと、俳優志望だった。テレビや映画のエキストラとして数々の場面をこなし、認められる日を待ったが、現実の壁は高く、俳優の夢は事実上あきらめざるを得なかった。

(引用者中略)

「現役のエキストラのままで、直木賞を取りたい」

 そう話す大倉さんは、映像の世界で最も弱い立場にあるエキストラとしての豊富な経験をもとに、人間の心の弱さを、軽妙な文章で描く小説の構想を練っている。」(『週刊読売』平成14年/2002年3月24日号「苦労乗り越え、目指せ直木賞」より)

 ははあ。そんなに直木賞が魅力的ですか。「権威は失墜した」「直木賞作は売れない」などと言われる世界で生きていると、心が洗われる思いです。

「出版された著作はまだないが、「直木賞を取りたい」と周囲に公言している岡部美穂さん(25)も、山本さんの受賞に意を強くした一人だ。

(引用者中略)

 出版社が募集する賞には、たびたび応募しているが、今のところ芳しい結果は出ていない。しかし、山本さんにだってそういう時期があった。落ち込むこともあった岡部さんだが、今は違う。

「(山本さんに)パワーをもらった気がします。今年中には出版してもらえるような作品を仕上げたい」」(同)

 山本さんが与えたパワーが決して空疎でも微弱でもなかった証拠として、岡部さんがこの年、何か小説を出版していたことを、切に祈るばかりです。

 彼ら二人は氷山の一角でしょう。なにしろ、この記事を書いている『週刊読売』の新井庸夫さんにしてからが、

「直木賞といえば、エンターテイメント文学の最高峰である。」(同)

 などと、とんでもない間違いを書いちゃっているぐらいです。違う違う。直木賞はエンターテイメント文学の最高峰じゃないですよ。

 もちろん、勘違いされたり買い被られたりも、直木賞のほうは織り込み済みかもしれません。それで新たに小説を書いてみようと思い立つ人が増え、のちの小説家がどんどん生まれてくるのであれば、直木賞もやっている価値があるってもんでしょう。

 失敗つづきの人生から逆転した山本一力さんの受賞が、逆に、人生の落伍者を増加させる結果にならなきゃいいんですけども。まあ、それは言いっこなしで。

          ○

 山本さんの活躍ぶりはすさまじいものがあります。小説の数もさることながら、エッセイ集の類もコンスタントに増えつづけています。

 そして、エッセイのほうが、より一層、山本作品のクサさが如実に味わえます。

「江戸の家族小説『あかね空』で(引用者注:直木賞を)受賞する山本一力氏(53)は「ここで扱った家族同士のかっとうを現代小説で描いたら、あまりにリアルであざとくなりすぎる。時代小説だからこそできた」と語る。」(『朝日新聞』平成14年/2002年1月20日「現代ではリアル過ぎる「時代もの」なぜか人気」より)

 なるほど、現代小説で描くと、リアルであざとくなりすぎるのですか。そのリアルであざとい感じが、山本さんのエッセイには満載なわけですね。

 ちなみに、山本さんが最初に書いた小説を、ある新人賞に応募して、その結果にドキドキする場面。

「六月末締切の小説新人賞一次予選結果は、十月号で発表された。発売日は九月二十二日である。六月末日、祈るような気持ちで東京中央郵便局から投函し、書留控えをその日の日記に貼り付けた。

 もちろん七月一日以降は空白の日記だ。パラパラめくると九月二十二日が出てくる。他のページと何ら変わらぬ白紙だ。しかしそのページの空欄すべてに夢が詰まっていた。あたまから尻尾まで、一行漏らさず「やったぞ一次予選通過」と書き込むことができる、という希望が詰まっていた。

 ときが流れ、発売当日の朝が来る。前日まではすでに埋まっている。が、その日はまだ空欄だ。夜、日記を書くときには結果が出ている。その日が喜びの言葉で締めくくれるのか、哀しみを吐き出すことになるのか。朝、白いページを見詰めながら様々な想いが錯綜した。」(前掲『家族力』所収「来年版の日記を購入した」より)

 うわあ。クサい。しかもこのエッセイが「さきの日々に希望を託しにくい時代。そんないまだからこそ言おう。明日はあなたの味方である、と。」で締められている日にゃあ、あなた。何か宗教家に騙されている気分になってきますよ、一力さん。

 うんうん、ワタクシは山本さんになら騙されてもいいかも、と思っちゃいます。お金を貸すのは勘弁ですけど。

 ところで、ここでいう「小説新人賞」とは、第1回小説新潮新人賞のことです。のちに「小説新潮長篇新人賞」と賞名が変わりますが、第1回(平成7年/1995年発表)の段階では、昔ながらの名前「小説新潮新人賞」をそのまま名乗っていました。さすが新潮社だ。文学賞史のわかりづらさは天下一品です。

 このときの選考会は平成7年/1995年1月18日。選考委員は井上ひさし北方謙三高樹のぶ子、縄田一男、林真理子の5名。応募総数613篇のうち、最終候補に残ったのは、和泉ひろみ「あなたへのプレゼント」(受賞後「あなたへの贈り物」に改題)、玉利信二「虚栄の石橋」、小橋幸一郎「『僕の世界』・『わたしの世界』」、そして山本健一「大川わたり」の4つでした。

「結果は落選だった。

 しかし選考委員の方々に「物語作者としての期待が持てる」と評価されたことで、書き続ける気力が萎えずにすんだ。」(前掲『家族力』所収「私のプロジェクト直木賞」より)

 受賞式には、最終候補者の3人も出席を許され、選考委員と言葉を交わす機会があったそうです。そのときに、他の委員からも「物語作者としての期待」を言われたのかもしれません。しかし、選評上でこのことを指摘したのは、井上ひさしさんだけでした。

 他の委員のものも合わせて、『小説新潮』平成7年/1995年4月号より引用しておきます。

(引用者注:「大川わたり」と「虚栄の石橋」について)時代小説は活劇的要素が不可欠だという通念がどこかにあるのだろうか、悪者の設定が現代小説より安易に行われやすいのが気になった。勿論そういう小説があってもいいが、ならば悪をどれだけ魅力的に描けるかだろう。また、史実を使う場合には、説明になっては面白くない。」(高樹のぶ子「想像力と創造力」より)

「「大川わたり」は、熟練した達者な筆である。小説として姿は整い、完成度もある。(引用者中略)ただこの作者の問題は、小説の内容より、熟練した技倆そのものにあると私は思った。新人に求められるのは、既成作家が日常の仕事の中で示す技倆ではない。だから、危険なところにいるのだ。もっと破壊的になってみること、技倆の及ばないところまで筆をのばしてみること。」(北方謙三「破綻を恐れずに」より)

「「大川わたり」は、手練れの時代小説である。が、これはほとんどの選考委員からクレームがついたが、肝心の「大川わたり」はどうなったのであろうか。この小説のテーマは、決して大川を渡らないという約束を賭けての物語だったはずである。それが何とも安易な方法で、大川渡りに成功し、読者を裏切ってしまう。(引用者中略)時代小説ブームの中、かなりのレベルのものでないと読者には受け容れてもらえないのではないか。」(林真理子「快い緊張感」より)

「新人賞の選評ではいちばん損をするタイプの作品である。つまりは悪達者であり、現役作家が忙しいさ中に書きとばした作品であるならば、まァそこそこ楽しめるか、ということですませられようが、新人がこれから世に問おうというデビュー作だとそうはいかない。」(縄田一男「読者の先を歩め」より)

「読者は、この「大川の東へ足を踏み入れてはならない」というきまりをめぐってどんな危機が銀次を襲うのか、そしてどんな手を用いて彼はそこから脱出するかを期待します。しかし作者は自分で決めた基本のきまりに案外、無頓着でした。「大川わたり」に紙幅を割きすぎましたが、それはこの作者に物語作家としての未来を感じたからで、次作に期待いたします。」(井上ひさし「生身の人間がいる」より)

 受賞した主婦作家・和泉ひろみさんってどうしちゃったんでしょうね。……ってハナシは置いておきまして、すでに処女作にして山本さんはプロとしてやっていける筆力を備えていたのだろうな、とは各選評を読んでいてもわかります。

 まかり間違ってこのとき、山本さんが受賞していたら、どうなっていたのだろう、と夢想してしまいますよね。「パッとしない小説新潮の賞」vs.「家族や周囲の人たちの温かい励まし」。どちらが勝っていたのだろうと。

          ○

 さて、『あかね空』です。山本さんが、オール讀物新人賞をとる前から、書き続けていた小説です。何としてでも完成させたいと強く念じ、作家志望者だった頃から、何度も何度も書き直してきた原稿。……もうそれだけで、重くて息苦しい物語が背後に詰まっている感じです。

 当然、そのことを書いた山本さんのエッセイも、やはり一力ブシ全開です。嬉しいことです。

「『あかね空』を書き進める片方では、新人賞への投稿も続けていました。新人賞は応募締切も枚数もはっきり定められています。どうしても精力は応募原稿を書くことに注がれてしまいましたが、それでも『あかね空』は何度も何度も推敲を重ねました。

 なにがあっても完成させる。

 この気持ちに押されて、投稿するでもなく、編集者に読んでもらえる可能性も皆無の作品なのに、優に三十回はリメイクしました。それほどに思い入れがありました。」(『新刊ニュース』平成14年/2002年4月号「近況」より)

 おお、これだこれこそ山本さんのエッセイの真骨頂だ、と思わせるのは、このあとです。担当編集者が登場してからです。

「書き進めたのは作者です。しかし編集者の適切な導きがあって、初めて完成させ得た作品でもあります。

 『あかね空』を決定原稿へと水先案内してくださった担当編集者は、わたしに手直しを指示するときには、作者以上に肚をくくって対峙してくれました。

 わたしも文字通り、命がけで食らいつきました。すでに記した通り、この作品にはとにかく深い想いを抱いていたからです。

(引用者中略)

 運良く直木賞をいただけました。

 しかし受賞の栄誉は、印刷所から駄目押しの原稿修正を指示してくれた、担当編集者と等分にシェアすべきものであるとわきまえています。」(同)

 あんまり「クサいクサい」言うと、語弊がありそうなので、別の言い方をします。周囲への感謝を忘れない。のみならず、そのことを率直に表明する謙虚さ。こういう人が直木賞を受賞して、全身で喜びを表現してくれる。さらには、

第百二十六回直木賞をいただいた。物書きにとってはこの上がない文学賞である。」(前掲『家族力』所収「このたび第百二十六回直木賞をいただいた」より)

 と、直木賞に対する誤解スレスレの文章まで書いてくれる。直木賞ファンとしては、楽しくもあり嬉しくもあり、ほんとに山本さんが受賞してよかったなあ、と思えるのです。これは正直な感想です。

 そのうち、『直木賞力』ぐらいのクサーい題名を付けて、エッセイ集、出してくれないかな。そうしたら山本さんの、まっとうで健康で、胸にジーンとくる匂いに埋もれて、ワタクシ、失神しちゃうかも。

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