山本文緒(第124回 平成12年/2000年下半期受賞) 直木賞の候補になりそうにない本は意識的に出さないようにしていたとは。おお。ダークだ。
山本文緒。『プラナリア』(平成12年/2000年10月・文藝春秋刊)で初候補、そのまま受賞。「プレミアム・プールの日々」でのデビューから13年。38歳。
ここ数年の直木賞(いや、芥川賞)は、受賞者の記者会見がキーポイント。……だそうでして。11年前、平成13年/2001年1月の第124回のときにも、当然、記者会見は行われていました。
このときもひとりの記者が、会見の様子に苦言を呈しました。いまではあまり知られていないはずですので、ご紹介しておきます。
「芥川・直木賞の最近の受賞者を見ると、ダブル受賞が相次ぎ、盛況だ。ただし、文芸書の不振を反映してか、受賞者の会見にはいまひとつパワーが感じられない。
(引用者中略)
直木賞は重松(引用者注:重松清)氏と山本(引用者注:山本文緒)氏がおおかたの支持を集めた。二人とも活躍は間違いないだろう。重松氏は、師の中上健次を意識してか、「まいっちゃった。僕の考える作家は、少なくとも僕ではないよ」と座りごこち悪そうに語るし、山本氏も「文壇では私はまだヒヨっ子」と謙そん。二人とも売れっ子なのだから、作家としての自負をもっとみせてほしかった。」(『日本経済新聞』平成13年/2001年1月20日「文化往来 芥川・直木賞の受賞者会見、迫力足らず」より)
まったくもう。この日経の無署名子は、たかが文学賞の記者会見に何を期待しているのだか……。さらに「記者会見が波乱なく済んだこと」を語るのに、なぜか「文芸書の不振」を持ち出したりして。何の因果関係もないに決まっている二つの事象を、よくもまあ強引に結びつけるよなあ。ほとほと感心します。
いや、そんなことはどうでもよくて、ですね。
山本文緒さんです。直木賞を受賞してまで、謙虚だ何だと文句を言われた山本さんです。わずか11年前の出来事でした。しかしそれ以降の短い間にすでに、聞くも涙、語るも涙の、山あり谷ありの作家人生を築いてきているのは、はい、ご承知のとおりです。
何でしょう。直木賞をとったのだから、一層活躍してくれるかと思えば、小(?)休止。トントントーンとステップアップしていきそうに見えたのですが、一歩、二歩戻ってからの再出発。山本さんに「直木賞」の物差しを当ててみると、前進しているのか止まっているのか、何ともわからない、イライラもじもじする感じが漂ってきて、しかたありません。
と思っていたら、何だ、山本さんご自身がこう書いてくれているじゃありませんか。
「新連載です。日記エッセイです。うっかりやるって言ってしまったので、こうして書いています。過去の私はだいたいにおいてうっかり者で、現在の私は常にその尻ぬぐい。」(平成19年/2007年5月・角川書店刊 山本文緒・著『再婚生活』「人恋しいのか違うのか」より 太字下線は引用者によるもの)
過去の自分が思ったこと、考えたこと、発言したことを、どんどん忘れて前進していける人もいるんでしょう。でも、山本さんはどうやら、そうではないようです。前の自分を捨てておけない。つい振り返らざるを得ない、そんな歩み。
ええ、山本さんご自身、「過去を振り返り慣れている」とも言っています。
「作家の仕事というのは「過去を振り返る」という作業が案外多いです。(引用者中略)エッセイの依頼がくれば、やはり過去にあった出来事などを書くことが多いです。そう考えると、なんだか後ろ向きな仕事です。」(平成21年/2009年2月・角川書店/角川文庫 山本文緒・著『かなえられない恋のために』「まずはここからお読みください」より)
どうしたって山本文緒さんとくれば、「振り返り」が付いてまわるようです。前を見るより、後ろに目を向けてしまう、という。
そうですか。じゃあ、ここはひとつワタクシも、今日は山本さんと直木賞のことを振り返らせてもらうことにしましょうか。……って、今日にかぎらず、いつも振り返ってばかりいますけど。
さて。山本さんといえば、「なぜ直木賞を意識するようになったか」問題、っつうのがあります。山本さんにとって直木賞とは、ある日突然天から降ってきた贈り物、などではありませんでした。
「直木賞候補はこの仕事を始めた時の私の夢であり、ここ数年の目標だった。私は何が何でもそれが欲しかった。誰を傷つけようと誰に嫌われようと、直木賞の候補になってみたかった。誤解を恐れずに言うと、欲しかったのは「候補」で「受賞」ではない。いや、もちろん受賞したいから候補になりたいわけだが、受賞は時の運である。でも候補までは努力でいけるかもしれないと希望をもっていた(というか希望をもつしかなかった)。」(平成16年/2004年4月・文藝春秋刊 山本文緒・著『日々是作文』所収「愛憎のイナズマ」より ―初出『オール讀物』平成13年/2001年3月号)
疑問に思います。なぜ「直木賞」だったのでしょうか。なぜ他の賞は「夢」や「目標」たりえないのでしょうか。そこがワタクシは知りたい。
直木賞を目標に定めた時期についてならば、山本さんは、こう答えてくれていました。
「Q21 「直木賞をとる」と決めたのはいつでしたか?
吉川英治文学新人賞をいただいたら、周りの編集者から「次は直木賞ですね」と言われるようになって。とれば言われずに済むという一心で。」(『ダ・ヴィンチ』平成13年/2001年6月号「今、山本文緒が読まれる理由 山本文緒への31の質問」より)
ふうむ。山本さんは「次は直木賞ですね」の言葉に、がぜん興奮してくれたからいいんですけど、やっぱり疑問が残ります。どうして吉川新人賞では駄目なのでしょう。まわりの編集者たちに聞いてみたいですよ。……とか問うと、自分に跳ね返ってきそうですけど。
けっきょくのところ、なぜ直木賞じゃなきゃ駄目だったのかは、よくわかりません。
わからないんですが、山本さんは直木賞をとるために小説を書く道を選択してしまいました。過去、いろんな人が罹ってきた直木賞病の患者のひとりに、山本文緒さんもその名を刻むこととなったわけです。
「山本 直木賞ってホントに化け物か魔物のような賞で、ここ二年ぐらい囚われてしまってたんです。(引用者中略)こういう文学賞とは関係ないところで小説を書いているんだと思っていたけど、一昨年の春に『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞をいただいた瞬間、手の届くところにブドウがあったことが分かって。で、吉川ブドウの上に、もうちょっとおいしそうなブドウがあるなと(笑)。
(引用者中略)
阿川(引用者注:阿川佐和子) 直木賞という目標を決めたことによって、書くことが定まったところはあったんですか。
山本 絶対直木賞の候補にはならないだろうなという本はしばらく出さないでおこうというダークな気持ちが……。ごめんなさい(笑)。」(『週刊文春』平成13年/2001年2月15日号「阿川佐和子のこの人に会いたい 山本文緒 コメカミの血管が切れそうなほど直木賞が欲しかったんです」より)
ダークなダークな文学賞の世界。
それまでも、登場人物たちのダークな心理が売り(?)だった山本さんが、ダークな文学賞に惹かれたのだそうです。おお。直木賞そのものが好きな人間からしてみれば、たいへん好ましく、楽しい状況ですよね。文学賞嫌いの、山本文緒ファンからは、石を投げつけられるかもしれませんけど。
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