森荘已池(第18回 昭和18年/1943年下半期受賞) アノ有名人のことを語らずとも、この人には岩手文壇の牽引者としての立派な姿があります。
森荘已池。「山畠」(『文藝讀物』昭和18年/1943年12月号)、「蛾と笹舟」(『オール讀物』昭和18年/1943年7月号)で初候補、そのまま受賞。創作集『店頭』での小説家デビューから3年。36歳。
勢いを大切にしたいのです。前週は綱淵謙錠さんを取り上げました。となれば、その勢いで森荘已池さんにコマを進める(コマを戻す?)のは、直木賞研究界の定石と言えましょう。
名前を正確に書いてもらえない直木賞作家ランキングで、いまだ不動のトップクラスを維持しています。名は荘已池です。「そういち」と読みます。荘己池や荘巳池ではありません。
本名は佐一。その佐一さんと家族一同に、長いあいだ幸福な生活をもたらすにいたった、霊験あらたかな(?)筆名なのです。以後お間違えなきよう。
「「佐」のつく名前が三代続き、長男が短命で病弱であったことと、幼少の頃の惣門の占い師から習い覚えた易学と四柱推命学を研究し、名前も本名森佐一から惣一、荘已池と改姓しようとするのである。」(平成15年/2003年11月・未知谷刊 森荘已池・著『山村食料記録―森荘已池詩集』所収 森三紗「解説と解題」より)
それで荘已池さんといえば、十中八九、アノ有名人の関連人物として語られます。かつて『消えた受賞作 直木賞編』(平成16年/2004年7月・メディアファクトリー刊)っていうアンソロジーをつくったとき、ワタクシもその縛りから逃れることができず、アノ有名人との関わりを中心にして紹介文を書きました。
でも、せっかくなので今日のエントリーは、一切アノ有名人のハナシを排して書きます。主役は森荘已池さん、あなたです。
荘已池さん自身は、あまりオモテに出てきたくない人だったようなんですけど。まあ直木賞なんちゅうペンキが服に着いてしまったことを不運と思って、あきらめてください。
「父(引用者注:森荘已池)は写真を撮影するときには後ろに並んでいることが多く、無欲恬淡で自分の作品を出版するために出版社に足を運んだということを、ついぞ聞いたことはなかった。」(同)
無欲恬淡。おそらく、そんな方だったんでしょうねえ。
ただ、純粋に疑問に思います。無欲な人がなぜ、詩や小説を書くだけでは満足できず、公表したい欲求に駆られたのだろうかと。無欲恬淡な装いの内に、やはり自分の書いたものを他人に見てもらいたい、さらには評価されたい、褒められたい、みたいな野望も抱えていたのではないかと。
荘已池さんは旧制中学時代、自分のノートにひそかに詩を書きためていました。と同時に、それを新聞に投稿したり、校友会雑誌に発表したりしていました。この積極的な行動を知ると、荘已池さんって少なくとも若い頃は、そうとうなやり手で、表舞台に出ようとする欲もたんまり持っていたのだな、とワタクシには思えるのです。
つまり、みやこうせいさんが荘已池さんの本に寄せた解説文に、次のような一節があります。盛岡って街を表現した言葉です。これこそまさしく、盛岡人・荘已池さんの性格の一端をも表しているんだろうな、と感じます。
「今、この一文を盛岡の県立図書館で書いている。実にこの文を書きに、東京以北で一番しっとりと趣のある盛岡に来たのである。東京から離れるが故に、いささかコンプレックスにとらわれて、中央や世界に志向も高く、底にモダニズムを秘めた文化の街である。」(平成14年/2002年10月・未知谷刊 森荘已池・著『浅岸村の鼠』所収 みやこうせい「解説 南部の鼠のフォークロア、森荘已池の語り」より)
コンプレックスにとらわれて、中央や世界に志向が高い。……いいですねえ。荘已池さんも内に秘めながら、東京進出への強い思いを抱えていたんでしょう。
『消えた受賞作 直木賞編』の取材の折り、四女・三紗さんにいくつか聞かせてもらったハナシを思い出しました。
昭和4年/1929年、結婚するときに新妻に語った「きっと作家になって東京に連れていくから」の言葉。
昭和19年/1944年。ついに直木賞を得て、それを機に上京、友人の藤原嘉藤治さんに「家族を連れて東京に出てきたいのだが……」と相談したこと。
三紗さんも、荘已池さんのことを「おそらく小説を書きたい思いはずっとあったのではないでしょうか」と見ていました。しかし、うまく中央文壇のなかで泳いでいく器用な技を身につけていなかった、と言いますか。量産体制を強いられる文壇ジャーナリズムを「うさんくさいな」と感じてしまう反骨の心をもっていたのかもしれません(想像)。
ちなみに亡くなったときには、こんな記事が書かれました。
「創作集「店頭(みせさき)」に収めた「氷柱(つらら)」が四〇年の芥川賞候補になる。三年後の三十六歳のとき、「蛾(が)と笹舟(ささぶね)」と「山畠」で直木賞を受賞した。
その後、小説家としては思うにまかせなかった。「書かなくちゃならない」と知人に漏らし、再起をめざした時期もあったといわれる。」(『朝日新聞』夕刊 平成11年/1999年4月8日「惜別 直木賞作家・森荘已池さん」より 署名:伊藤裕香子 太字・下線は引用者による)
直木賞作家には、とかく読み物ふうの小説を大量に書くことが期待されたりもします。良くいえば、たぶん荘已池さんはそんな狭い世界で満足できる器じゃなかった、ってことでしょう。逆に悪くいえば……以下自粛。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント