唯川恵(第126回 平成13年/2001年下半期受賞) 並の直木賞作では到達できない、名誉ある称号を与えられた。
唯川恵。『肩ごしの恋人』(平成13年/2001年9月・マガジンハウス刊)で初候補、そのまま受賞。「海色の午後」でのデビューから17年。46歳。
直木賞の選考会で『肩ごしの恋人』の評価は割れました。そして受賞が決まったあとも、何人かの人が、この作に名誉ある称号を授けたのだそうです。
いわく、「近年の直木賞にはない駄作」。
唯川さんもちょっぴりヘコみました。
「まさかこれで直木賞を頂くとは。“近年にない直木賞の駄作”という評を読んで、なるほどなと思った。いやメゲますよ、やっぱり。でも確かにこれまでだったら受賞するタイプの作品ではないですから。」(『ダ・ヴィンチ』平成14年/2002年7月号 唯川恵「解体全書NEO第39回 唯川恵」より)
ワタクシは冗談や皮肉を言うつもりはありません。「直木賞史に残る駄作」と言われるほどの、強烈な特異性が『肩ごしの恋人』にはあり、並の直木賞作には到達できない次元に位置する受賞作である、と思っています。
正直申します。ワタクシは唯川恵さんの作品が苦手です。努力なしには一冊読み通すことができません。ほとんど嘔吐感さえ覚えてしまいます。読み手にこれほどの拒否反応を起こさせるのです。唯川作品の底知れぬパワーを知り、こういう異端の受賞作が誕生したことに、ワタクシは直木賞ファンとして喜びを感じます。
当時の酷評のひとつ、中条省平さんの「仮性文藝時評」から。
「男を共有する女の親友同士。きわめて不自然な設定だが、本人たちはそれを不自然なこととは感じていない。その不自然さで読者を驚かそうというわけだ。だが、読者の頭のレベルに高を括るこの露悪趣味はいただけない。それなのに、この調子でヒロインたちの内心が延々と描かれるのである。
(引用者中略)
このラストで読者が感動するとすれば、それは、セックスよりも純愛、専業主婦よりも労働者、キャリアウーマンよりも育児する母親のほうに共感できるという前提があってこそである。どう見ても時代錯誤の価値観の押しつけではないか。
この本はすでに二十万部近く売れているという。こんな説教くさい話に本当に感動しているとすれば、はっきりいって読者のレベルも低い。」(平成15年/2003年11月・春風社刊 中条省平・著『名刀中条スパパパパン!!!』「時代の危機を回避する純文学の能天気」より ―初出『論座』平成14年/2002年4月号「仮性文藝時評」第53回)
登場人物やストーリー展開について、ボロクソ言われています。加えて『肩ごしの恋人』のキモといえば、男女や恋愛についてのアフォリズムめいた文言が時おり挿入されている部分でしょう。これがまあ、いかに空想の物語内とはいえ、小刻みに差し挟まれると、小っ恥ずかしい。
しかしその小っ恥ずかしさこそ、その世界に心地よさを感じる者と、門前できびすを返す者とをふるい分ける唯川作品の武器でしょう。ほんと心憎いかぎりです。
だれかにとっての「駄作」は、だれかにとっては「傑作」であるかもしれない。以前、石田衣良さんの小説を取り上げたときにも言いました。唯川さんのも、まさに「読者を選ぶ小説」の一級品だと思います。
ワタクシとは正反対に、唯川作品に一生ついていく読者はたくさん存在します。唯川さんは、そんな彼女ら彼らに喜んでもらうために、小説を書きつづけています。潔いかぎりです。
「私が書いてきた小説は、学園ラブコメの読者がそのまま大人になったら、こういうものを読みたくなるだろうな、という路線です。(引用者中略)
私は芸術家ではないので、表現欲というより、読んでもらってそこで何かしらの思いを持ってもらうことがうれしくて書いています。だから、常に読者を意識する。」(『婦人公論』2005年/平成17年8月7日号 唯川恵「ジタバタの20代、焦りの30代、波瀾の40代 足りないものを数える日々から卒業して」より 構成:平林理恵)
素晴らしいですね。職人ですね。
「唯川さんの小説は、「物語作りは巧みだが、一般受けする少女小説風の成長物語の手法が抜けない」「まるでトレンディードラマのよう」と批評されることもある。
しかし唯川さんは「私は当時の少女から小説の書き方を学び、鍛えられた。だから一生、彼女たちを思い声を聞きながら書きます。時代が忘れてくれてもいい。『あの時、あの本に励まされたよね』と、いつか読者が懐かしんでくれるような作品を書きたい」と言い切る。」(『朝日新聞』平成14年/2002年2月20日「少女小説は作家の“ゆりかご” 多作で成長、次々に文学賞獲得」より 署名:河合真帆)
自分が死んだら作品は残らなくてもいい。……ってコレほとんど、直木三十五や川口松太郎のセリフですがな。
そんな唯川さんが、直木賞をとってしまいました。何が起こったでしょうか。
日ごろ、直木賞のほうは「読者の好みをまるで反映していない死に体だ」とさんざん馬鹿にされています。
一部読者に圧倒的人気を誇る唯川さんが直木賞をとりました。すると、桐野夏生、山本文緒、角田光代らといっしょにくくられて、「少女小説の書き手たちが、ぞくぞく文学賞で評価されはじめたぞ。少女小説ってスバラシイ!」と、一気にマスコミがとびついたわけです。
「2年連続で、少女小説出身の作家が直木賞を受賞した。(引用者中略)
コバルト文庫の田村弥生編集長は、少女小説から多くの才能が輩出することは驚くに足らないと話す。小説を書こうと思う女性にとって最も身近な存在だから、多様な才能が集まる。デビューから数年にわたり唯川さんを担当した集英社の辻村博夫さんは、文壇との没交渉が逆に、名前や受賞経験などにかかわらず、面白いかどうかだけを問われる世界を作っているといい、直木賞の選考委員をつとめる作家の阿刀田高さんも、少女小説の「貢献」を認める。」(『AERA』平成14年/2002年2月4日号「直木賞なら少女小説で 唯川恵も山本文緒も桐野夏生も…」より 署名:片桐圭子)
むむ。直木賞って、選考委員の老化が激しいだの、かつての輝きは失われただの、悪口の対象だとばっかり思っていましたよ。
直木賞に、少女小説出身の作家が何人も選ばれた。だから、少女小説はスゴかったんだと言いたいんでしょうか。それとも、読者を喜ばせて金を稼ぐことに徹底する狭窄視野に、直木賞もまた陥っている、と言いたいんでしょうか。……ふふ、どっちも正しいかもしれません。
○
ワタクシは少女小説には詳しくありません。氷室冴子さんや新井素子さんの小説を楽しく読んだ経験がある程度です。コバルト・シリーズが、のちの小説界に大きな足跡を残した、ってハナシを聞いて、ふーん、そうなんだあ、と寝ぼけた反応を示すことしかできないボンクラです。
コバルトの偉大さ。何となくわかります。ただ、それを表現するのに、直木賞作家(つまり直木賞)を引き合いに出す人がいるんですよ。そこには、ちょっと違和感を覚えます。
「コバルトは、主人公が若いという以外に縛りはなくて、ファンタジーもあるし推理ものもあるし社会派みたいなものもあるし、もちろん少女小説の伝統を踏まえたものまで全部入っている。(引用者中略)そういういろんなジャンルをごちゃ混ぜにしてなんでも呑み込んじゃえるというコバルトの流れと一般文芸の流れとが徐々に接近していったというのが、この三十年の日本文学の大きな流れのように思うし、コバルト出身の唯川さん、山本文緒さん、角田光代さんが直木賞を受賞されたということでもそれは証明されている。」(『青春と読書』平成18年/2006年5月号 唯川恵×大岡玲「対談 日本文学史の中の“コバルト”」より 大岡玲の発言部分)
証明? ああ、要は大岡さんは直木賞のことを「日本文学の大きな流れ」の一部だと考えているんですか。な、なんちゅう日本文学観だ。
直木賞が体現している「文学の流れ」なんて、ありましたっけ。候補作は、一営利企業から給料をもらっている一部の人間たちだけで決める。作品一作勝負よりも、作家としての歩みのほうに重みが置かれている。基本、四六判のものしか選ばない。……こんな制限だらけの賞が流れを生み出せると考えるほうが、よっぽどオメデたいと思います。
いや。
「少女小説の分野から直木賞作家が続出している、なぜなら少女小説も立派な文学のひとつだからだ」と言いたい人のほとんどは、直木賞の内情や性質や歴史なんて、どうでもいいのかもしれません。おそらく。直木賞=多くの読者に喜ばれる文学の最高峰、みたいな幻想があれば、それでイイんでしょう。そういう記号があれば、ハナシもしやすいですし。
直木賞をとれば、何か日本社会の大部分に認められた気分になってしまう病。ワタクシもその病気をなかなか治癒できずにいます……。
で、とにかく唯川恵さんといえば、少女小説、つうかコバルト出身作家の代名詞に躍り出まして、いまやコバルトの歴史を語るにおいては欠かせないひとりになりました。
「ティーンエージャー向け文庫の草分け、コバルト文庫(集英社)が創刊30周年を迎える。(引用者中略)
82年に雑誌「Cobalt」が創刊され、翌年から〈ジャンル不問〉で新人公募を開始。文庫オリジナル作品によるラインアップどころか、若者向け文庫そのものが珍しかった。
このコバルト・ノベル大賞(現在はノベル大賞)から、後に直木賞作家となる唯川恵、山本文緒、角田光代(当時の筆名は彩河杏)の各氏らがデビュー。唯川さんは「新人でも300枚の書き下ろしをこなすなど、コバルトで修業をさせてもらったようなもの。読者の反響が大きく、読み手を楽しませる書き方を学びましたね」と振り返る。」(『読売新聞』夕刊 平成18年/2006年3月30日「コバルト文庫30年 ティーンズが育てた2億5900万部」より 署名:西田朋子)
コバルト30周年のときには、唯川さんはほとんどコバルト宣伝大使のごとく、いろんなところでコメントを求められています。なぜ唯川さんが選ばれたのか。直木賞作家だから……?
唯川さんはおそらく、コバルト作家のなかでも落伍者のひとりでした。彼女の回顧文などを読むかぎり、意図的に一般文芸に移行したわけではなさそうです。つまり、コバルトの枠のなかでは人気が下降線をたどりはじめ、書き場を失ったところからのシフト、だったみたいで。
「29歳で少女小説の作家としてデビューした私は、昼も夜も原稿を書き続け、あっという間にうわーっと売れっ子になり、その後、あっという間に売れなくなりました。
少女小説の読者ってだいたい3年で卒業していくんですね。その前後1、2年は余波があるにしても、まあ5年くらいで次のブームがくる。私の書いていたのは「学園ラブコメ」というジャンルで、次にきたブームが「ファンタジー」。こりゃ、ダメだ、と思いました。私にファンタジーは全然書けなかった。ブームの終焉は、目に見えて落ちていく売れ行きがはっきりと物語っていました。」(前掲『婦人公論』「足りないものを数える日々から卒業して」より)
もし唯川さんにファンタジーを書く力量があったら、その先に直木賞はなかったのかもしれません。現代モノを書く資質と努力に長けた人の一部が、直木賞をとったりとらなかったりして、ファンタジーを書ける人はそれはそれで、別の領域で活躍したりしなかったりする。
そのなかで直木賞だけが特別ピックアップされて、その受賞者は何かを成し遂げたような空気を醸し出しちゃうんだもんなあ。直木賞ってのが胡散くさく見える特徴的な場面と言えましょう。
○
唯川さんの『肩ごしの恋人』は、賛否両論のすえ、ギリギリ黒川博行『国境』をおさえて、受賞にすべり込みました。
なかでも田辺聖子さんの選評が、ワタクシにとってはわかりやすく、そして唯川さんの作品の魅力、というか性質を、うまく指摘しているなと思わされます。
「何だか「するする」と運んでゆかれて、ストン、と落されたような書物(ルビ:ほん)だ。この感じは若い人としゃべったときに持たされる感情である。自分の縄張りや結界の内だけの感性と反射神経で生き、波長の合う人にだけわかればいい、――という。――その世界は波長の合わない人にも面白いが、それは情報の面白さというもの。しかし文学には異質の分子も続々生れるべきだろう。――こういう小説を読むと、現代の若者が今やメールすらまどろかしくて、みな略語で打ちあうというのもわかる気がする。」(『オール讀物』平成14年/2002年3月号 田辺聖子選評「蛮勇引力」より)
基本ワタクシは、日本の文学がどうなっていこうが構わないと思っています。と言いますか、直木賞には、日本の文学を牽引してきた実績はないし、これからもそんなことを期待できるタマじゃない、と常づね感じています。
それこそ、その瞬間にたくさん読まれはするけど、時代が経れば消えていく類いの小説が選ばれる賞だと思います。
なのに、直木賞は歴史に残る傑作が選ばれる場ではないのか、といった過剰な期待が(幻想が)漂っているような気がするのです。なので、唯川恵さんの小説が直木賞に選ばれたとき、そんな堅苦しくて仰々しいイメージをぶち壊してくれた気分になり、楽しくなったものです。
「直木賞に関してはなんと言っていいのか(絶句)。そんなこと考えてもいなかったし、なんで私が入ったのかなぁ、と本当にびっくりしました。」(前掲『ダ・ヴィンチ』「解体全書NEO」より)
ご本人がびっくりしているんですもん。それほどに意外で唐突な受賞風景が見られてワクワクしました。
そして期待にそぐわず、唯川さんの受賞は、直木賞周辺の報道や批評を、思いっきりかき回してくれました。当エントリーでいろいろ引用してきたように。直木賞っていう賞のもつ力量と空疎さを、しっかりワタクシたちに見せてくれた、得難い受賞作だと思います。皮肉じゃありませんよ。本気で言っています。ありがとう、『肩ごしの恋人』。
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