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2011年8月28日 (日)

金城一紀(第123回 平成12年/2000年上半期受賞) カッコよさとカッコ悪さの勝負。どちらに軍配が上がるか。

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金城一紀。『GO』(平成12年/2000年3月・講談社刊)で初候補、そのまま受賞。「レヴォリューションNo.3」でのデビューから2年。31歳。

 「直木賞作家はなぜか自信家でビッグマウス」。っていう川口松太郎以来の伝統を忠実に受け継ぐ男、金城一紀さんです。

 金城さんの直木賞受賞から、まだ10数年しかたっていません。なのでこの先、どのような勝負結果になるかは、まだわかりません。

 ……勝負。そうです。金城一紀 VS. 直木賞、の壮絶な闘いのことです。

 カッコよさとカッコ悪さとの闘い、と言い換えると少しはわかりやすいでしょうか。

 金城さんの小説『GO』は、「カッコいいってのはこういうことだろ?」と、カッコよさの価値観を読者に問いかける物語になっていました。

「世界の、どんな文化圏の人も心を動かされるものはカッコいいし、特定の地域でしか通用しないものはカッコ悪い、そういう基準。

 主人公に求めたカッコよさにしても、そういうことなんです。」(『週刊ポスト』平成12年/2000年9月1日号「POST BOOK WONDER LAND 著者に訊け!」より 構成:橋本紀子)

 カッコいいですね。マジョリティもマイノリティも超越する。純文学も大衆文学も線引きしない。小説も映画も表現方法にこだわらない姿勢。

小熊(引用者注:小熊英二) 貼られたレッテルに逆らうというかたちで、逆にそれに縛られてしまうというのは、もっとつまらないでしょう。僕は金城さんのいろんなインタビューを読んで、「在日じゃない、コリアン・ジャパニーズだ」とか、「純文学じゃなくてエンターテインメントだ」とか言っているのをみて、気持ちはわかるけど、なんか逆にそれに囚われないかなというのが、ちょっと心配だったんだけど。

金城 そう。だからそれがわかっているから、もう「コリアン・ジャパニーズ」もやめようという。」(『中央公論』平成13年/2001年12月号「それで僕は“指定席”を壊すために『GO』を書いた 対談・金城一紀×小熊英二〈在日文学への挑戦〉後篇」より)

 誰かに決められた枠組みのなかで生きるのは、カッコよくないぜと。そう考えると、金城作品の、いや『GO』っていう作品の、いちばんカッコ悪い点は、直木賞を受賞したことなのじゃないか、と思ってしまうわけです。

 だって「特定の地域にしか通用しない」とか言われたらねえ。文学賞なんて、それそのものじゃないですか。文学賞をとった作品と、候補で落ちた作品、候補にすらならなかった作品、といった尺度で小説を語るのは、ほんとダサい。カッコ悪いですよね、peleboさん。

 金城さん自身、「流行語は嫌いです」と言っているぐらいの方です。おそらく、みんなが話題にしている、という理由だけで小説を読んでしまう、多くの直木賞受賞作読者の行動も、きっと嫌いでしょう。カッコ悪く見えるでしょう。

 本来、『GO』の世界にどっぷり親近感をもつような読者は、老齢で偉そうにふんぞり返っている選考委員たちとか、「直木賞受賞」の帯が付いただけで手を伸ばす人が一気に増える世界とか、そういうカビくさい固定化した直木賞を、嫌うものじゃないんでしょうか。権威とか伝統とか猿芝居とか、そういうものを唾棄するものじゃないんでしょうか。

 でも、残念なことに、彼らの好みに反して『GO』は「直木賞受賞作」っていう、重苦しくてカッコ悪い看板を背負ってしまいました。

 みんなの悪役、渡辺淳一さんがイのいちばんに『GO』を激賞して、一票を投じているわけですし。

 直木賞をとってしまったがゆえに、こんな言いがかりを付ける人間まで現われてしまいます。それもこれも「直木賞」っていう穢れた存在があるせいです。

「金城一紀については、受賞作が実質的なデビュー作であるため、断定は控えたいが、大した作家にはなりえまい。前回の芥川賞受賞者の一人が、玄月という在日朝鮮人作家だったのと相即して、直木賞でも在日韓国人作家を入れておこうといった配慮がもたらされた受賞といえよう。(引用者中略)

 いうまでもなく、前回の芥川賞と今回の直木賞に在日コリアンが受賞したことは、日本にもいわゆるクレオール文学、ポストコロニアル文学の波が押し寄せてきた証左ではある(引用者中略)。にもかからわず、それが韓国や台湾の映画や音楽、芝居といったサブカルチャーの水準に遠く及ばないところに、日本の現代文学のレベルの低さが露呈している。」(『VERDAD』平成12年/2000年8月号「タガが外れた「文学」の“延命装置” 大盤振る舞いされた今年度上半期の芥川賞・直木賞」より)

 ワタクシ自身はカッコいいものよりカッコ悪いもののほうが好きです。なので、『GO』よりも、この無署名子の遠吠えふう文章のほうに心を寄せてしまうのですが、まあ、それはそれとして。

 金城さんが、直木賞のカッコ悪さを振り払って、ゆくゆくは著者紹介のどこにも「直木賞受賞」の文字が登場しなくなり、「文学賞基準で作家を語らなくなったのは金城一紀から始まった」とか、「いまの直木賞が続いているのは、むかし金城一紀がとったおかげ」とか、そんなふうに言われる未来は、楽しいでしょうね。

 いますぐは無理です。当分、無理な雰囲気です。直木賞ってやつもなかなか強敵。そのドス黒い力はしぶといですからねえ。

          ○

 金城さんが作家になろうと決意して、デビューするまで、約10年かかりました。

一九八九~九三年(大学時代)

 大学に入学してはみたものの、まったく大学生活に馴染めず。大学一年の夏に幼い頃からの友人が死に、将来について深く考えたのをきっかけに小説家を志すことに。大学の四年間を《物語の勉強》にあてることに決め、一日に映画を一本、小説を一冊、などのノルマを課し、コツコツと続ける。この時期、アルバイトや賭け事で得たお金のほとんどを映画、本、CDに注ぎ込んだ。」(『青春と読書』平成19年/2007年8月号 金城一紀「年譜(もしくは極私的映画鑑賞記)」より)

 大学卒業後、平成6年/1994年ごろからいくつかの公募文学賞に応募。そのなかで最初に最終候補に残ったのが第18回小説推理新人賞(平成8年/1996年)。2回前に、大学からの友人、本多孝好さんが受賞した賞です。

 その後、小説現代新人賞、坊っちゃん文学賞の最終候補に残りつつ、受賞を逃しつづけて、平成10年/1998年に第66回小説現代新人賞を竹内真とともに受賞しました。

「某月某日

 最終選考会当日。極度の緊張から映画を観る気にもなれず、昼間はポカポカ陽気の中、神保町の古書店街を無目的に歩き回って時を過ごす。夜、編集の方から受賞の報をいただく。喜びのあまりバック転をすると着地に失敗して首の骨を折った、というのは嘘で、ウッヒャーと叫びながら、床の上をゴロゴロと犬のように転げ回っただけ。」(『小説現代』平成10年/1998年5月号 岡田孝進「酒中日記 浴びるほど映画を」より)

 しかし、とくに原稿依頼が舞い込むわけでもなく、実家暮らしでほとんどプー太郎のような生活。それでも、短篇を書きためて短篇集を出すのは難しいから長篇を書いて持ってきてくれ、と講談社の編集者に言われたことを真に受けて、

一九九九年

(引用者中略)梅雨が明けた頃、どうにかこの状況を打開しなくては、と策を練り始め、《長編執筆→単行本刊行→なんかの賞をもらう→映画化→お金が入る→沖縄に遊びに行く→はしゃぐ→楽しい》という中学生レベルのプランを構築する。そして、真夏の頃、プランのとおりに長編執筆を開始し、どうにか書き上げる。

 年末、単行本の刊行が決まる。」(前掲「年譜(もしくは極私的映画鑑賞記)」より)

 カッコ悪くはありませんが、特別カッコよくもない、努力と雌伏と忍耐とあせりを経た道のりです。

 で、平成12年/2000年に直木賞を受賞。それまでの生活を一変させる出来事となり、ああ、こんな直木賞のあり方、なつかしいなあ、昔ながらだなあ、と思わせる展開に、金城さんも乗っかることになりました。

 ただ、たとえば直木賞の受賞を見て、何か目新しいことを言わなきゃいけない、と強迫観念に襲われている人たちもいます。ワタクシもそうですが。「初候補で受賞した作家列伝」シリーズではおなじみの方々。新聞記者の方です。

「金城一紀さんの『GO』に関しては、「新人だからもう一作見たい」という声に対し、「いや、この一作で消えたって構わないじゃないか」というやりとりが選考会であったそうだ。今回は、人生の機微を描く、いわゆる「直木賞的」な候補作が多かったにもかかわらず、(引用者注:船戸与一『虹の谷の五月』を含めて)ある意味で「らしくない」両作品が選ばれたことで、保守的とされてきたこの賞も、随分柔軟になったと感じる。」(『読売新聞』夕刊 平成12年/2000年7月26日「直木賞、選考に柔軟性 「作家の値うち」で酷評の船戸与一作品に授賞」より 署名(汗))

 感じるのは人それぞれの自由ですので、何も言いますまい。

 ただ、直木賞は、『GO』受賞から10数年、今でも「保守的」とされていますし、あるいはまた、ある種「柔軟」です。創設期から現在まで、さまざまな時期に、こういう指摘をされつづけるのが、直木賞の特徴なのじゃないか、とすら思います。

 何十年かたって、ああ、やっぱり『GO』あたりから直木賞は何かが変わった、と思えるようになればいいんですけど。 

          ○

 金城一紀 VS. 直木賞。って言ったって結局は勝負の世界じゃないんだから、勝ち負けなんて関係ないでしょ。

 などと言うのはつまらないことです。無論、勝った負けたは比喩です。どこに勝敗基準を置くかで、どうとでもなります。

 しかし、金城さんもそういう表現を好んで使っていますしね。勝つとか負けるとか。金城 VS. 直木賞、って見立てもアリでしょう。

金城 『GO』の父親は腕力も知性もあるヒーロー、すごい在日の象徴というか、神様を作ったようなものですよ。僕は常に、神様を殺すような小説を書きたいんです。

小熊 でもこの小説では神様を殺しそこなって負けている。最後まで、主人公の杉原は父親に勝てないわけだから。

金城 そう、まだ殺せない。だから僕はここで、上の世代の在日の強さを、在日一世のオヤジのかたちで表現したかったんです。やっぱり何だかんだ言っても、強いんですよ、連中は。まだ僕らの世代は勝ってないんです。

小熊 つまりさっきも言ったように『GO』はまだ在日小説の系譜のなかにいる。

金城 でも次からは勝っていく。まだ入門書だから、勝っちゃいけない。」(『中央公論』平成13年/2001年11月号「それで僕は“指定席”を壊すために『GO』を書いた 対談・金城一紀×小熊英二〈在日文学への挑戦〉前篇」より)

 要は『GO』は、従来の在日文学やそれを取り巻く風土にケンカを売ろうと思って書いた、みたいなことも言っています。おそらく、まだまだ在日文学の根は深く、たかがエンターテイメントの分野で、いっときの売上が伸びたからといって、勝利宣言はできないでしょう。闘いは続いています。

 在日文学と直木賞じゃ、真面目さが違う、深刻さがまるで違う、おなじような土俵で語るなよ、と思うかもしれません。でも、根深いところや、底力があるところ、何より「ポップでも革命的でもない」ところは、在日文学も直木賞も似ています。

(引用者注:林真理子 私、『GO』を読んで、コリアン・ジャパニーズの若い世代のことがよくわかったんですけど、あの一冊で今までのジャンルを変えた、と言われてますよね。

金城 確信犯的にやろうと思ったんです。タイトルを英語にして、装丁も暗い感じじゃなくてジャズのCDジャケットをイメージして、帯のコピーも「僕はアッケなく恋に落ちた」とか。(引用者中略)日本名で書いて、経歴のところに「在日」とかいっさい書かないで。徹底的にケンカ売ってやろうと思って。

(引用者中略)

 高校から初めての慶応合格もそうだし、小説もそうだし、人がやってないことを最初にやるってカッコいいですね。

金城 生意気ですけど、そういうことを狙ってるんです。今までコリアン・ジャパニーズが主人公のSFはないし、ハードボイルドもないから、それを僕が全部やって、「金城から変わった」みたいに言われたいんですよ。そのあとは、国籍に関係なく、ふつうの小説に戻ってこようと思ってるんです。」(『週刊朝日』平成12年/2000年10月27日号「マリコのここまで聞いていいのかな」より)

 そうか。人がやっていないことを最初にやるのがカッコいい、のか。

 直木賞も芥川賞も、昭和10年/1935年ごろはカッコよかったのかな。その時代に「カッコいい」と感じられたものも、70数年たつと、ダサい存在になってしまうものなのかな。

 金城一紀 VS. 直木賞。闘いはまだ始まったばかりです。もちろんワタクシは、誰が何といおうと、ひとりになっても直木賞のほうを応援しますけど。金城さんの活躍ぶりもなかなかのもんです。好勝負となることでしょう。

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コメント

こんな時代に、直木賞オンリーで・・・。
それも、ココログで・・・。

お笑い^^

せいぜい、無い知識、振り絞って頑張りたまえ~。

君、どこかで、出会ったような。
多分、気のせいだけど:;

投稿: 通りすがり | 2011年9月 2日 (金) 23時05分

ちょっと気になるんだけど、君のこれ、一体、何?
メモ、覚書?まさか感想?

雑誌からの引用を書き写した苦労は認めるけど・・・。
こんな程度の記事、次々、アップされると・・・。

もぅ、ネットのパンパンなんだけど。
接続業者の苦労も分かってやらないと。

君みたいな幼稚園レベルを、蓮實のいう“凡庸”に、カテコライズしなければならないなんて、難しい時代だね。

学生時代から、何一つ進歩の跡が見えない。

投稿: イロハにポテト | 2011年9月 3日 (土) 01時55分

どうも、いろいろとコメント、恐れ入ります。

メモなのか覚書なのか、自分でもよくわかっていません。

こんな駄文が連ねてあるだけでのブログを、わざわざ読んでいただき、
貴重な時間を奪ってしまったようで申し訳ないことでした。

せいぜい、無い頭をしぼって、ほそぼそ続けていきます。

投稿: P.L.B. | 2011年9月 3日 (土) 10時01分

ふと気になったんですが、
「在日文学」があるなら、「反在日文学」なるものってあるんでしょうか?

というのも、勝手な私見なんですが、現代に蔓延ってる在日の問題についてまともに描いている小説がない気がします。
つまり、在日の立場から描かれた被差別や反骨の日常の物語はあっても、
在日によって不利益を被っている日本人の立場から書いた小説がないんじゃないか、ということです。

これは中国人においても同じです。
中国人は偉大だというような言葉は、いろんな作家先生らが書かれていますが、
いまのように、海賊版が横行して、目先の自己利益しか考えていない国民が多く、
かつて騒動になった中国冷凍食品など、日本にも災いをもたらしていることを交えて、
反中国的に描いている作品を私は見たことがありません。

現代日本人は、過去の人らがおこなった差別に対していつまでも卑屈になっていますが、
「世間の常識的などしったことか」という世界であるはずの小説で、
在日や中国人の横暴さを浮き彫りにした小説がほとんどみられないのは、日本の文学界の問題とも思えます。

「おかしいことはおかしい」とハッキリ言えない文学に、発展はないと思います。

投稿: _ | 2011年9月 3日 (土) 10時30分

いやはや、金城一紀を取り上げたとたんに、新顔のコメントが3つもつくとは。
これまさに、「カッコよさとカッコ悪さ」という今回の話題に直結する風景じゃないですかね。
見ていて大変愉快です(笑)

・・・と、常連顔をして偉そうにコメント。これもまた、「カッコ悪い」。

投稿: 毒太 | 2011年9月 7日 (水) 14時27分

毒太さん、

コメントありがとうございます。

いえいえ、まったく
「こういうエントリーを書いてしまうブログがいちばんカッコ悪い」見本のようなかたちで。

なにがしか毒太さんが愉快になってくれたのでしたら嬉しいことです。

投稿: P.L.B. | 2011年9月 8日 (木) 00時02分

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