日本推理作家協会賞 どこを目指しているかはともかく、変革を続けて60ン年。
エンタメ小説を対象にする文学賞は、たくさんあります。過去にも、いっぱいありました。
それらのうち最も長い期間、直木賞と併走してきた賞は、どれでしょう。これですかねえ。日本推理作家協会賞。長い名前なので以下、推理協会賞と略します。
第1回が昭和23年/1948年ですから、すでに半世紀を優に超えて64年。長すぎます。エピソードも盛りだくさん、直木賞とのバトルだって一度や二度にとどまりません。ここでササッと取り上げて済ませるのは忍びない賞です。
どなたか、推理協会賞のことをメインにホームページでもつくってくれないかなあ。
むろん、日本推理作家協会のサイトが、涙が出るほど充実していますから、アレで十分って感じはしますけど。でもほら、たとえば、日本文学振興会の語る直木賞だけじゃ、直木賞の1割2割もカバーできていないわけですから。やっぱり主催者以外の視点は、それだけで意味あるものだと信じます。
そのハナシはおいときまして。
推理協会賞です。昭和22年/1947年6月。江戸川乱歩さんを中心に、探偵作家クラブができました。そのときの規約に、すでに賞のハナシが含まれているのですよご同輩。直木賞が中断していた昭和22年/1947年前半、この時期に文学賞を興そうと発想するとはなあ。
規約の作成に携わった人として知られる4名。保篠龍緒さん、延原謙さん、水谷準さん、江戸川乱歩さん。あなた方の文学賞熱に、ほんと頭が下がります。
「探偵作家クラブ賞については、委員会を作って具体案を練るつもりであるが、これは各年度に於ける最高作品の推薦といふ意味で、十分賞金も出したいし、尚出来ればその作品をクラブの名によって再出版し、クライム・クラブやディテクティヴ・ブック・クラブの例に習ひ、ベストセラーにするといふやうなことも考へてゐないではない。」(『探偵作家クラブ会報』1号[昭和22年/1947年6月] 江戸川乱歩「クラブ成立の経過と今後の事業について」より)
「各年度に於ける最高作品の推薦」。……言葉にすると、何と短く簡潔なことでしょう。しかし、多くの文学賞はたいてい、最初に決めたこういう簡潔な規定を、実際にどのようなかたちで実現していくのか、ってところに問題を抱えながら生きていく宿命にあります。
推理協会賞もしかり。前身である探偵作家クラブ賞もまた、その宿命から逃れることはできませんでした。
創設当初に早くもひとつ、ケチがついてしまいます。いわゆる「短編賞って何を基準に決めるんだ」問題です。
「今度のクラブ賞では短篇の決定が問題であったと思ふ。(引用者中略)“新月”は小説としては立派な作品かも知れないが、凡愚な探偵小説ファンにとっては、もう一つうなづきかねるところがある。」(西田政治「クラブ賞の決定に就て」より)
「短篇賞については、結局旧人の間での盥廻しが予想される意味で、僕は異論があったが、別に新人賞を設けるといふので、一応賛意を表した。併し次回からは、真に受賞の意義に徹した「新しさ、強さ」が認められぬ限り、単なる努力賞的形式主義は、旧人に関しては遠慮さるべきものと思ふ。」(水谷準選評より)
長篇と短篇とをあえて別枠で選考しよう、っていうのは、文学賞の上ではなかなか新しい試みです。しかし、どうやら長篇ならば作品本位で優劣を決めやすいが、短篇となると、同じ土俵では決め難いらしい。となると、どうしたって昔から書いている先輩格の作家に票が流れやすいのではないか……なんちゅう問題が露呈してしまいました。
こうなってくると、作品本位なはずの長篇部門のほうも、疑いの目で見始める輩が出てきます。「探偵作家クラブ賞ってさ。つまり、クラブの上層部たちに有利なお手盛りの賞にすぎないんじゃないの?」って指摘です。
当時、関西探偵作家クラブが『KTSC』誌って会報を出していました。そこで匿名批評子の「魔童子」が、大下宇陀児の第4回クラブ賞受賞(昭和26年/1951年)を「タライ回し」と批判したわけです。
「大坪氏(引用者注:大坪砂男)の文中に示してあるクラブ賞問題(大下宇陀児先生が長篇「石の下の記録」で受賞された、昭和二十六年度の第四回日本探偵作家クラブ賞のことを指す)については、氏が書いている通り、大下先生がKTSCの「賞のタライ廻し」という批判に対して、個人的にかなり感情を害されたことは事実だったらしい。
(引用者中略)
大下 輪番制という見方、去年ぼくはあれで腹を立てたよ。輪番制だなんていわれる賞なら貰わないと、乱歩に言ったんだ。
香住(引用者注:香住春吾。関西探偵作家クラブ書記長) それは、聞いております。しかし、ぼくたちが輪番制と非難したのは、クラブ賞の選考方法に対してであって、作品自体への非難じゃないんです。クラブ賞はもっと権威のあるものであるべきだと、ぼくたちは考えていますから、妥協的な授賞なら、むしろしない方がいい。
(引用者中略)
大下 しかし、なんだね。ああいう批判をするにしても、君たちのやり方は、どうも不真面目すぎると思うんだ。もっと真面目にやれば、論争する気にもなれるがね。真剣味を欠いているようだね。」(昭和48年/1973年10月・双葉社刊 山村正夫・著『推理文壇戦後史』「魔童子論争」より)
そうですか大下さん。不真面目はいけませんか。
推察するに、KTSCのメンバーも文学賞を前にして、ついつい冗談めいた態度になってしまったものと思うので許してやってください。何つったって文学賞が内から発する力は絶大ですもん。どんなに真面目で堅苦しい賞でも、自ずと笑いをまぶしてイジりたくなってしまう、という。
ええ。おそらく、賞をやっている当のご本人たちは、みなまじめでしょう。たとえば、木々高太郎さんとか。別名「疑義高太郎」(延原謙さんによる命名)。探偵クラブ賞についても、事あるごとに疑義を呈し、さまざまな提案をしてくれています。
「クラブ賞などはどうでもいゝと考へてはいけないと思ふ。そうなら、クラブ賞をやめた方がよい。
私共は、クラブ賞の価値を認め、光輝あらしめたい。そのためには詮考方法が合理的で、慎重でなければならぬ。」
と筆を起こして、選考手順のさまざまな改革案を提示したあとで、
「最後に、そんなめんどうなことをする価値があるか、といふ人があるかも知れない。クラブ賞に価値を認めず、ほんの政治的のもの、小説や文学を重んじないもの、と考へるなら、それでよいが、そうならない方がよい。
作品価値を最大目標にしないやうな文学賞は、凡そ文学賞を恥かしめるものである。もっとも、クラブ賞は文学賞ではない、何故なら探偵小説は文学ではあり得ないから――といふにしても、やっぱり同じ慎重さを欲しい。」(『探偵作家クラブ会報』40号[昭和25年/1950年9月] 木々高太郎「クラブ賞の方法」より)
うわあ出たよ。木々さん。「探偵小説は文学たれ」を持論とする人ならではの、この探偵クラブ賞観。文学賞観。
「作品価値を最大目標にしないような文学賞」かあ。ううむ、将来職業作家としてやっていけるかどうかが第一義、とか言っている場合じゃないよなあ、どこかの文学賞の選考委員は。
文学賞には、年々実施していくなかで自然と性格が決まっていく、って側面があります。それは否定できません。ただ、多くの文学賞は、運営者側自身がかなり意識的に運営方法を考え、見直しながら、賞をつくっていっているものだと思います。
推理協会賞(探偵クラブ賞)も当然その例に洩れません。とくに初期のころは毎年のように選考方針や選考方法が変わっていました。しかも、この賞は他に比べて、その見直しの過程を、わずかばかりでもオープンにしようって心意気があったりします。
そのオープンにされた過程からワタクシが最も強く感じるのは、実際に運営に携わっている人たちの、賞に対する愛情がハンパない、ってところです。
同じことを、日本エッセイスト・クラブ賞を紹介したときにも感じました。たかだか文学賞に、これだけ熱い思いで生きていた人たちがわんさかいる、とその様子を見るだけで、ちと感動してきますぜ。
そのなかで一人だけご紹介しますと。中島河太郎さんって方がいましてね。この方、クラブ賞改革に相当な熱意をおもちだったようです。
昭和38年/1963年、日本探偵作家クラブは社団法人日本推理作家協会へと改組します。その準備が進んでいたころ、「社団法人に対する御意見・御感想」っていうハガキアンケートがあったのですが、そこで中島さんは即座に(?)こう答えているぐらいです。
「中島河太郎
協会設立の許可が得られたらできる限り実現して貰いたいことを箇条書にします。(引用者中略)
一、クラブ賞授賞対象者の再検討」(『日本探偵作家クラブ会報』183号[昭和37年/1962年12月] 「ハガキ随想」より)
探偵クラブ賞ができて、このとき15年目。すでにいろいろな改革を行ってきていました。そのうえで、さらなる「再検討」を要求する河太郎さんったらもう。……いつでもどんなときでも再検討していく、それが確かに推理協会賞の大きな性格のひとつ、と言ってしまっていいでしょう。
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