日本冒険小説協会大賞 賞を形容する言葉はいろいろあれど、「熱くて清い」文学賞といえば、これ。
祝、西村健さん日本冒険小説協会大賞受賞! 先日の同協会全国大会で受賞が発表されたそうです。めでたいめでたい。
で、ワタクシは日本冒険小説協会の会員ではありません。野次馬です。遠巻きでみているだけです。意見も苦情もありません。バンバンやってください。
にしても気になります。日本冒険小説協会大賞とは何でしょうか。ちょうどここに、12年前、その西村さんが同賞を説明してくれている文章があります。
「全国の会員(“公称”五百有余名)から寄せられた投票により、「昨年出版された本の中でこれが一番面白かった」一冊を決定する。内藤陳会長と言えど、その集計結果に異を差し挟むことは許されない厳正さだ。どんな基準で指名されたか定かではない選評者達が、様々な思惑と圧力の中で選出するどこかの作品賞とは全く違う。自らのお金で本を買う読者達の純粋な思いが結集する、最も気高い賞だと我ら会員は自負している。」(『ミステリマガジン』平成11年/1999年7月号 西村健「日本冒険小説協会全国大会レポート」より)
だはは。うちのブログとしては、面目ない、としか言いようがありませんな。「どんな基準で指名されたか定かではない選評者達が、様々な思惑と圧力の中で選出するどこかの作品賞」のことばかり注視しちゃって。ほんと恥ずかしい。
本来、日本冒険小説協会大賞(長いので「冒険小説大賞」と略す)のことは、協会員の方が歴史・展開・問題点・すったもんだをまとめていただければいいわけです(もうすでに、あるのかな?)。ワタクシがご紹介する同賞の歴史は、内藤陳さんの『読まずに死ねるか!』全5巻に書かれていることをなぞっただけのものです。ご容赦ください。
同賞は、次のようなことが発端だったそうです。
1. 内藤陳さんの呼びかけで協会ができた。2. 陳さんが新宿に酒場をオープンして協会員たちがたむろった。ってところから、
「ま、ちいと身体はすりへるが、『深夜+1』はオープンして正解だったみたい。どこからこんなに集まるのか! と思えるぐらいに心優しきAF(引用者注:アドベンチャー・フィクション)好きが、ハードボイルド狂が押しかけてくる。(引用者中略)とくにうれしいのが、我らが日本冒険小説作家軍の意気込みのすごさ。今年から国内・海外各1作の『日本冒険小説協会大賞』を決定し、黄金のネームを入れた最高のモデルガン=ガヴァメントをAFの会が送るのだ。――というわけで、日本軍の大賞はオレがとる、いやオレだと、大変な騒ぎ。」(昭和58年/1983年5月・集英社刊 内藤陳・著『読まずに死ねるか!』「航空小説2題。空を飛ぶのって楽しいだろうナ」より)
SFファンの集まりである「日本SF大会」は、ファンの手による賞を始めるまでに約10年かかりました(星雲賞のエントリーを参照のこと)。しかしここでは、結成したその年から早くも、投票で賞を決めようぜ、と決定してしまっています。
しかも、この冒険小説大賞、昭和58年/1983年から毎年春に協会が行う全国大会では、堂々のメインイベントなのだそうです。小説を愛する人たちが、仲間たちとともに作品・作家に感謝を捧げることで、心を躍らせ大いに盛り上がる。美しいじゃないですか。文学賞。
考えてみますと、文学賞に対する褒め言葉、って何種類もあります。
たとえば「信頼できる」。シブいですね。小説を読んでいるからって、誰でもかれでも、正しい判断が下せるわけじゃないぞ。この賞は、道を究めた者のみに許された領域に達してる!……みたいな感じで、高貴ですね。
あるいは、「売れる」。即物的なにおいがします。バカっぽいです。でも、これで文学賞の良し悪しをはかる人種もけっこういますから、案外あなどれない「讃辞」です。
それらと同じような褒め言葉として、「美しい」文学賞、「清廉な」文学賞、って表現もまたアリでしょう。
熱くてかつ清い。なにせ「冒険小説の」協会ですから。この団体にしてこの賞あり。ハマり具合、ぴったりです。
「日本には、本について、いろいろなナントカ賞がすでに多い。そのほとんどは、選考委員(つまりプロ(原文ルビ:ベテラン)の作家や評論家です)があれやこれやとリクツをつけて、ふり落したり当選させたりするものだ。ところが、ウチの場合、まず、読者の反響(原文ルビ:コウフン)がダイレクトに、作家に伝わるのだから、これはこたえられない感激だろうと思うノダ。
(引用者中略)
名誉と誇りなら大手出版社の○×賞にも負けやしない。」(昭和62年/1987年8月・集英社刊 内藤陳・著『読まずに死ねるか!PART3』「冒険小説協会風雲録」より)
ついでに、もうひとつだけ、文学賞の褒め言葉を挙げさせてください。「権威ある」。よく聞きますね。意訳すると、「文学賞界の悪者、ガン、嫌われ者」という意味です。この言葉の付いた賞を見ると、多くの人が興奮します。「権威」なる言葉に反応して、それーっ、やっつけろーと飛びかかっていきます。澄んだ目と心で、賞の実態を見ようとする行為を阻みます。おそろしい言葉です。
それは置いときまして。
冒険小説大賞ができたのは、昭和58年/1983年でした。ちょうどそのころは、北上次郎さん言う「黄金の80年代」。日本において冒険小説の流れが一気に怒濤と化した、と見立てられている時代です。
「昭和五十年代の冒険小説ムーブメントは、まず昭和五十二年谷恒生『喜望峰』『マラッカ海峡』で幕を開ける。(引用者中略)そういう作品がこの年に生まれたことの背景にはその前年、生島治郎『夢なきものの掟』、三浦浩『さらば静かなる時』、伴野朗『五十万年の死角』、小林久三『灼熱の遮断線』、山田正紀『謀殺のチェス・ゲーム』、田中光二『失なわれたものの伝説』という活劇寄りのサスペンス・ミステリーやアクション小説が数多く書かれていたことが伏線としてある。昭和五十一年に突如してこれらの活劇小説がいっせいに書かれた事実は記憶されていい。」(平成5年/1993年12月・早川書房刊 北上次郎・著『冒険小説論』「八〇年代のオデッセイア」より)
北上さんは「ブーム」とは言わず「ムーブメント」と表現しています。
そうでしょう。昭和50年/1975年に入ったあたりから、冒険小説と名のつく活劇、ハードボイルドと名のつく物語が、読者に受け入れられて、発展し成長し……という過程は、とうてい「一過性のブーム」と切り取ってはいけない気はします。
時に『本の雑誌』の創刊が昭和51年/1976年。「冒険小説」(だけじゃないけど)の楽しさを伝えつづけ始めます。片や、内藤陳さんが『月刊PLAYBOY』で連載を始めたのが昭和53年/1978年。
昭和50年代初頭。冒険小説の開花まぢか。
と一般的には思いますよね。でも、世の中にはいろんな人がいます。「直木賞(の受賞作)こそ、日本の大衆小説界を映している鏡」と頑なに信じる人がいたとしたら。きっと彼らにとっての昭和50年代はコレです。笑わないでください。
……昭和50年代、日本の大衆小説は低迷していた。……
ぷっ。すみません、ワタクシが先に笑ってしまいました。失礼。
直木賞では、昭和50年/1975年~昭和54年/1979年の5年間、全10回あったうち何と半分も、受賞作なし、だったんです。ど、どういうことですか。
ええと、そこに見えてくるのはつまり、「冒険小説では直木賞がとりづらい」歴史があったということです。
よく言われます。「推理小説・ミステリーでは直木賞がとれない」(いつの時代だ?)。「SFでは直木賞がとれない」(継続中)。冒険小説もまた、そのお仲間でした。
直木賞ファンにとっては、大変心の痛む歴史です。昭和50年代。冒険小説の素晴らしさに気づいて、わっさわっさと盛り上がりだした人があんなに多くいたのに。なにほども手を出せなかっただらしのない直木賞を見るのは、ほんとうに、せつない。
でも現実です。
○
内藤陳さんは、きっとオトナな人です。乱暴に直木賞を責め立てることはしません。
「陳メ予告通りに高橋治氏が直木賞を取った。マア俺が予告せずとも良いから取るのでともあれメデタイ。ツヅケ! 我らが北方(引用者注:北方謙三)。西木(引用者注:西木正明)。樋口(引用者注:樋口修吉)。」(昭和60年/1985年8月・集英社刊 内藤陳・著『読まずば二度死ね!』「ジグソーパズルの語り口『地雷』」より)
ああ。北方さん。樋口さん。……と遠い目になってしまうのもさることながら、この記述に続いて陳さんは、何を語っているか。自分は受賞した「秘伝」よりも「地雷」のほうが好きだ、として「地雷」のよさを熱っぽく力説しているのです。その「地雷」を半年前にバッサリ落としたのが同じ直木賞なんですから、いやはや何とも……。
「直木賞、2人同時授賞というテがあるのなら、なんで『檻』の時おやり下さらない? ヒトゴトながらこまめに歯ギシリの連チャンで、陳メの美顎も少しデッサンが狂ってきた。で、北方謙三さんなのだが、賞は逃したものの売れ行きは並じゃない。」(同書「北方、気迫の『渇きの街』」より)
北方さんの直木賞三連敗は序の口なほう。その後の、冒険小説が蒙った直木賞による手ひどい扱いに、陳さんの「美顎」は持ちこたえられたのでしょうか。
「八四年期待の新人! というにはすこーし年を経たかなとも思うが、今年こそッ、とガンバッテ決定打がほしい、売れてほしい、二刷が出てほしい作家を紹介しよう。
まず、大沢在昌。「冒険小説界の貴公子」と呼ばれ、自らもその気に、半分テレながらなっている、八四年度下半期直木賞候補作家(?)であります。」(同書「野獣駆けろ 夜のオデッセイア」より)
いいですか。昭和59年/1984年段階の文章ですよ、これ。ほとんど陳さん、予言者の域です。
冒険小説を愛す人たちを狂喜させ、「これぞ傑作!」と太鼓判を押された小説が、次から次へと直木賞で落とされていく……。
むろん80年代だけの特徴じゃありません。そもそも生島治郎さんの直木賞受賞作が、なぜ『黄土の奔流』(第54回候補)ではなかったのか。ってところに始まりまして、以下、直木賞で落とされた人たち(冒険小説の候補作ではとれなかった人を含む)。
田中光二、谷克二、西村寿行、三浦浩、谷恒生、西木正明、北方謙三、胡桃沢耕史、樋口修吉、森詠、志水辰夫、隆慶一郎、佐々木譲……。
それと、番外編というか、注目すべき作家として大沢在昌と船戸与一。
なぜ注目すべきなのか。二人の登場は冒険小説好きを熱狂させ、盛んに「これはすごい、これはすごい」との声が続き、その声援に励まされながら二人は多くの作品を生み、当然文学賞のほうでも放っておくはずはなく、吉川英治文学新人賞は二人を称賛したし、山本周五郎賞も船戸さんを認めたし、っていう歳月がン十年。ええ。ン十年。……そのあいだ、直木賞はいったい何をしていたんでしょう。
そう考えると、吉川新人賞はほんと、アンテナが効いているよなあ。……っていうのは一か月前にほざいたことの繰り返しですから、もう言いません。
直木賞が、意外に狭い視野しか持てていないことは、昭和50年代に始まったことじゃないですか。それこそ角田喜久雄や小栗虫太郎を落とした昭和10年代からの伝統なのかもしれませんね。直木賞はいつだってそうです。突然、何かを境にダメになったわけじゃありません。……というのがワタクシの見かた。
直木賞は変わらない。でも、周囲の状況はどんどん変わる。結果的に、以前よりダメな賞になったように見える、っていうことはあると思います。昭和50年代に起こったことは、たぶん、そんな現象なんでしょう。
冒険小説にも寛大に目をくばる吉川新人賞の出現。あるいは、面白い小説が読みたい読者と、胸躍らせる小説を書く作家とが、「賞」という一つのシンボルをめぐって、相乗効果で冒険小説界を盛り上げていく、冒険小説大賞の誕生。これら昭和50年代の出来事が、相対的に、直木賞を「信頼できない」「ズレている」「胡散くさい」ものへと見せていくことになりました。
○
ところで冒険小説大賞。その名称が気になります。ほかに、日本推理小説協会賞とか、日本SF大賞など。賞名に小説ジャンルが含まれています。
いっぽうで、人名を冠した賞があります。直木賞を筆頭に、出版社主催から、地方公共団体主催から、たくさんあります。
これらの賞名がかもし出す、何つーか、妙な雰囲気を感じたことはありませんか。
つまり、冒険小説大賞だから、選ばれるのは冒険小説なんだね。推理作家協会賞は推理小説だし、SF大賞はSFなんだね。と。正直者はそう思っちゃいます。
「『エトロフ発緊急電』(佐々木譲)というスパイ小説はなかなかのものだった。(引用者中略)この小説に、推理作家協会賞、冒険小説協会賞、山本周五郎賞が授けられたのである。
推理、冒険の二賞は当然として、なぜ山本周五郎賞が与えられなければいけないのか、私にはどうしてもわからないのだ。また出版社側は帯で、「山本周五郎賞受賞」を大きく出し、推理と冒険は左右に小さく配している。私には、それも理解できない。」(平成7年/1995年10月・リブリオ出版刊 櫻井秀勲・著『出版界・表通り裏通り』所収「松本清張賞と山本周五郎賞は何が違うか」より)
著者の櫻井秀勲さんは、文芸畑ではないながら、長いこと出版業界にいる方です。なぜ山周賞だけがデカい字なのか。どこに『エトロフ発緊急電』と山本周五郎のつながりがあるのか。変だよね、という。けっこうまっとうな問題提起をされています。
冒険小説大賞や推理作家協会賞、これら小説ジャンルを名称に含んだ賞の場合は、評価軸がハッキリしています。……もとい。ハッキリしているように、はたからは見えます。
しかし、人名賞は、そうとう曖昧です。地方自治体のものであれば、人物に光を当てていることが多いので、それとの連関で賞の意味づけも具体性を帯びていたりするものですが、出版社(や新聞社など)がやり出すと、急に曖昧になります。
意識的に曖昧にしているんじゃないか、そうなんだろうな、と疑いたくなるくらい。
あくまでイメージですけど、たとえばです。冒険小説がある。推理小説がある。SFがある。時代小説がある。恋愛小説がある。それぞれに、各ジャンル内のものしか受賞できない賞がある。……それらを包括して、各ジャンルの代表選手が集まって決められるのが、ノン・ジャンルの出版社系賞。
気持ち悪いですね。ピラミッド型。いかにも、直木賞や山周賞その他が、すべてのジャンルを見渡して、そのなかの優秀なものを選んでいるかのように見えてしまう姿。
ええ。当然ですけど、そんなの幻です。直木賞はそこまで上級じゃありません。
ただ、名称がもたらす影響っつうのは多分にあるとは思います。
「現代の日本で一般に使われている「冒険小説」の用語は、アリステア・マクリーン、ジャック・ヒギンズ、デズモンド・バグリイなど、第二次大戦後になってから登場してきたイギリス作家たちの作風を指す場合が多い。一方また、現代日本の推理作家の一部についても用いられる。だが、いうまでもなく「冒険小説」の言葉が意味する概念は、もっとずっと古い時代から歴史を刻んできた。
たしかにマクリーンらの作品は「冒険小説」と呼ぶにふさわしい。しかしながら彼らの作品が、翻訳を通してわが国の読者に受け入れられたとき、その斬新な作風に対して「冒険小説」の呼称を奉られたのが、そもそも二重の誤りだったのではあるまいか。なぜ二重の誤りなのかというと、斬新と思われたものに古くかつ曖昧な呼称を与えた誤りと、見かけの斬新さが決して作風の新しさではなかった誤りとが、ややこしく絡まり合っているからである。そしてまたその「冒険小説」という用語を、推理小説の中の一ジャンルに位置づけようとしたことが追い討ちをかけた。」(平成5年/1993年8月・日本経済新聞社刊 長谷部史親・著『日本ミステリー進化論』「第I章 日本ミステリーの現在」より)
こんなふうに冒険小説とは何か、と日ごろから真剣に考えている人たちは(ひょっとしたら)ジャンル定義にまどわされたりしないのかも。あるいは、内藤陳さんみたいに、
「ジャンルにこだわって、そのジャンルしか読まないヤツは嫌いだ。面白ければヨイのだ。素敵な本に出会えたら、シアワセなのだ。面白本ならばジャンル不問で委細面談の陳メなのでアル。」(平成6年/1994年11月・集英社刊 内藤陳・著『読まずに死ねるか!第5狂奏曲』「面白本ならばジャンル不問で委細面談の陳メ自信の十四連発!」より)
と、何のかんの言っても、けっきょく「オモシロ本」であればいいじゃん、と理解している人なら問題ないでしょう。「このミステリーがすごい!」を取り上げたときも、発行元の石倉笑さんが言っていましたね。「小説には『面白いか、そうじゃないか』の違いしかない。たまたま、ほかに言葉がないので『ミステリー』としているだけ。」と。
しかし、言葉つうのは、そんな思いまで乗せてきてくれません。のんきに生きている受け取り手にとって、「このミステリーがすごい!」が推理小説を扱った本ではない、と理解するのは至難の業です。
直木賞は幸か不幸か、そういった賞名を背負っていません。知らない人から見たら、たぶんミステリアスです。何の賞なのかがわからない。しかも、二重にも三重にも罠がしかけられています。冒険小説大賞みたいな賞は、そのジャンルのなかで最も優秀な(あるいは投票の多かった)ものに授けられる。うん。じゃあ直木賞もきっと、そういう評価軸で決められているのだろう、と勘違いさせてしまう罠が。
まったく。ジャンル限定の賞よりも直木賞のほうが視野が広いわけでもありません。しかも直木賞は、その半期で最も優秀な作品を決める場ではありません。
ですから、冒険小説大賞よりも直木賞のほうが格が上、だなんて、直木賞ファンのワタクシですら、恥ずかしくて言えません。
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