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2011年3月20日 (日)

星雲賞 SFは文学の枠には収まらない。SF賞は文学賞の枠に収まる、のか?

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 SFファンは、何か特殊なのだそうです。

 ジャンルに対する盲目的な愛。「SFか・そうでないか」ですべてを計ろうとする価値観。あるいは、SFファン同士の強烈な仲間意識。そこから生じる閉鎖性。……みたいなものが、ハンパないのだそうで。

 そういう方々の賞、を今日は取り上げます。星雲賞です。昭和45年/1970年に創設され、以来40ン年。現存する日本SFの賞のうち、最古・最長のものになりました。

【星雲賞受賞作一覧】

 ワタクシはSF愛の薄い人間です。がっつりSFに魂を抜き取られてしまった方が読んだら、「んなこと知ってるわい!」程度のことしか、おそらく書けません。

 けへへ、文学賞偏愛者ってのは、その程度しか「星雲賞」のことを知らないのか、と思って笑っておいてください。

 さて。

 日本におけるSF賞。そのいちばん初めは、昭和40年/1965年にできた「日本SFファンダム賞」だったそうです。これが5年ほど続きます。昭和45年/1970年、奇しくもそれに取ってかわるがごとく、「星雲賞」が創設されました。

 どちらも、日本SF大会……SFファンたちが主体となって運営される年一回のイベントで企画されたものでした。

「――「SFファンダム賞」は「トーコン5」(引用者注:第9回日本SF大会)が最後になりましたね。

柴野(引用者注:柴野拓美) そうです。そしてこの時に今の「星雲賞」がスタートしました。(引用者中略)

 実は何年か後になって、この時のことを伊藤(引用者注:伊藤典夫)さんから謝られて面食らったことがあるんです。「自分が『星雲賞』を作ったことが、結果的に『日本SFファンダム賞』を潰した形になって、申しわけない」ってね。こっちは初めからそんな風には思ってなかったから、そこまで気をつかってくれていたのかと、かえって恐縮しました。

――第一回「星雲賞」のお膳立ては誰がやったのですか?

柴野 僕はよく知りませんけど、そもそものアイデアからすべて伊藤さんが中心になってやったんだと思います。確かあの時は事前に候補作品を示すのじゃなくて、会場に来た参加者に自由に投票してもらったんじゃなかったかな。」(平成9年/1997年11月・出版芸術社刊『塵も積もれば―宇宙塵40年史』「6 一つの節目――第一〇〇号とそれ以降」より)

 たぶんSF界隈では重大な事件だったと思います。独自の賞が立ち上がったんですもの。歴史のなかの一大事に違いありません。

 何つっても1970年代です。一般人の無理解に悩まされていた「SF迫害」の時期です。既存の文学賞の世界も、そういった一般の風潮から逃れることはできず、SFに対して賞が与えられることは稀でした。たとえば石川喬司さんは、昭和48年/1973年に半村良さんが泉鏡花賞受賞した折りに、このような紹介をしています。

「とくに注目されるのは、半村良の活躍である。秘境での宝探しという伝奇小説のパターンに新しい時代の息吹きを通わせたSF推理小説『黄金伝説』で第六十九回直木賞候補(SF作家としては五人目、九回目――星新一小松左京筒井康隆三回、広瀬正三回)、途方もないホラ話を繰広げたSF日本史『産霊山秘録』で第一回泉鏡花文学賞を受賞した。SF作家が賞をもらったのは、星新一の日本推理作家協会賞(68年)以来のことである。(昭和52年/1977年11月・奇想天外社刊 石川喬司・著『SFの時代』「SF界展望 SF界1973」より 太字下線は引用者)

 「五人目、九回目」といちいち指折り数えているサマが目に浮かぶようではありませんか! その姿を想像して、胸がジュンとしない人がいるとは思えません。涙がこぼれてきます。

 半村さんが『黄金伝説』で候補になったときに……いや、星新一さんや小松左京さんが出版界をにぎわせ始めたときに、直木賞が彼らに賞を与えていたら……。おそらくSF胎動期における、文学賞の様相は、すこし違っていたんじゃないかと思うわけです。

 ええ。文学賞なんて、たかが小さな文壇内の一行事にすぎません。そんな評価軸に何ほどの価値もないことは、年端もゆかぬチビッコでさえ知っています(たぶん)。それでも、SF界にぞくぞくと生まれる力作たちが、何ら表彰されないのは、さびしいかぎりです。

 そんな状況下、日本のSF賞は誕生しました。文壇のひとたちは誰もつくっちゃくれないので、アマチュアたちが自分の手でつくりました。偉いですね。しかもです。ファン投票の順位で決める、っていう既存の文学賞とは性質を異にした姿で生まれました。小説の部門だけでなく、「映画演劇部門」なんてものも設定しました。SF賞は、凡百の文学賞とはまったく違う路線を歩みはじめることになるのです。

 いいですねえ。SFは文学の一ジャンルなんかじゃないですもの。SF賞が既存の文学賞っぽくない誕生を遂げ、成長を続けていったのも当然かもしれません。SFジャンルの特質が如実に表れています。

 ほんとはSF賞も、プロの作家や評論家が選考するかたちで創設されて、おかしくありませんでした。以前、日本SF大賞のエントリーで取り上げた、福島正実さんによる賞創設の計画です。日本で最初のSF賞の計画、それは昭和40年/1965年。星雲賞ができる5年前でした。

「残念ながらこの賞は、けっきょく正式に制定されず今日に到っている――その間にさまざまの事情は介在したが、これが実現していれば、日本SF界のその後はまた、ちがったニュアンスをもつ発展のしかたをしたかもしれないのである。」(昭和52年/1977年4月・早川書房刊 福島正実・著『未踏の時代』「'65」より ―引用原典は平成21年/2009年12月・早川書房/ハヤカワ文庫JA)

 この肩の張りようが、福島正実さんだなあ、と微笑んじゃうところではあります。それはそれとして。

 福島さんの場合は、まず戦略を練る。賞がどの層にどういった効果を及ばすかを考える。そのために人選をして、舞台を整える……。イベント企画として非常に正しい進み方をしたと思います。

 しかし、想定どおりにいかないのが世の習い。といいますか、文学賞の習い、です。準備をこつこつ積んだプロのSF賞は途中で頓挫。いっぽうでは、何かとりあえず始めちゃったアマのファン投票の賞が、着実に根付いていく、という。

 最初はファン同士の集まりだったものが、なりゆきのまま運営していたら、次第に組織化して〈日本SF大会〉になり、それを10年つづけるうちに、これもおのずと「賞」が生まれていったわけです。この自然な感じが、星雲賞の特色であり、強みだと思います。

 星雲賞の特色といいますか、ファン同士がいつの間にか集まって結束し、そのジャンルを盛り立てる、っていうこの姿こそ、SF界では常識なのかもしれません。誰に教えられたわけでも、誰に影響されたわけでもない。SF者の本能として、愛好者同士の集合→グループ化→拡大→「賞」の創設、っていう過程を踏んだ、っつうことでしょうか。

「SFというものは読むためにあるのだから、一人で読んでりゃよさそうなものをわざわざあつまったり、ファンジンを出したりするのは、なにもアメリカがそうだから日本で真似をしてみたわけではない。日本最初のファングループ《宇宙塵》――といってもこれは同人誌的なカラーが強かったが――が結成された当時、アメリカでどんな風にやっているのか知っていたのは矢野徹さんだけだったのだし、《SFマガジン同好会》にしてもまったく独自の出発点からスタートして、いざアメリカの実情を知ってみたらおどろくほどよく似てた――ということなのである。」(平成7年/1995年8月・東京創元社刊 野田昌宏・著『「科學小説」神髄―アメリカSFの源流』「第6章 今昔ふあん気質考」より ―初出『SFマガジン』昭和43年/1968年3月号~8月号)

 と野田昌宏さんは、日本SF界のファングループの発生を回想しています。アメリカでも、プロ作家の決めるネビュラ賞より先に、ファンの決めるヒューゴー賞がつくられました。日本でも奇しくも同じ展開をたどり、日本SF大賞より先に、星雲賞ができました。

 そう。「奇しくも」かもしれません。ただ、「必然的に」と見たほうが面白いので、ワタクシは「星雲賞は自然のながれのなかで、必然的にできた」っていう見方を採用したいと思います。

          ○

 前段の最後で、ヒューゴー賞のハナシを出しました。せっかくなので、ちょっと本題から外れますが、ヒューゴー賞のことも少しだけ。

 おいおい、ヒューゴー賞を語るのであれば、アメリカのSF史に詳しくなければいけないのはもちろんのこと、アメリカの文学賞に関する知識も必要なんだぞ小僧。っていうのは理解しています。

 とうていワタクシは、そこまでの文学賞狂者に到達していません。と白状しまして、先を続けます。

 約30年前、横田順彌さんがヒューゴー賞のことを説明してくれた、こんな文章があります。

「毎年アメリカで開かれる世界SF大会で、前年度に発表されたSF小説、絵画、映画など、各部門の最優秀作品に対して贈られる、最も古く、権威ある賞。アメリカSFの祖ヒューゴー・ガーンズバックの名にちなんだこの賞は、あるファンがアカデミー賞授与式を見ておもいついたといわれるが、一九五三年の第十一回世界SF大会で、はじめて授与され、翌々年から正式のものとなった。

 この賞の特色は、ファンによる人気投票で受賞作品が決まること。他の分野ではちょっと見ることのできないこのシステムは、いかにもアメリカらしい。」(昭和52年/1977年5月・廣済堂出版刊 横田順彌・著『SF事典』「ヒューゴー賞」より)

 「あるファン」。ネットで調べると、どうも Harold 'Hal' Lynch さんって方らしいです。半世紀以上前のアメリカにも、ひとり、賞好きな人間がいたのですね。嬉しいぜ同志よ。

 それはともかく。

 なるほど。投票で最多の票を得たものに賞を与えよう、ってのは、いかにも民主的っぽくて、公平っぽいです。商売っ気たっぷりの出版社が恣意的に選んだ選考委員が、数人だけで閉鎖的に決める文学賞なんかより、断然、開かれている感じがします。

 だったらヒューゴー賞みたいなかたちが、いちばん優れた賞なんだね。星雲賞が日本の賞のなかではナンバーワンだね。……とは、ならないところが、けっきょく人間のやっていることの限界(?)と言いましょうか。賞は、「賞」っていう衣裳を身にまとっただけで、やいのやいの攻撃される性質を持ち合わせてしまいます。星雲賞に対しても、「けっきょく人気投票にすぎないしね」「ハテナマークを付けたくなる受賞作もけっこうあるよね」と、ぶーぶー文句を言う観客は後をたちません。「直木賞よりはマシだよ」っていう意見はあるでしょうけど。

 「賞」といえば、さらにハナシは逸れてしまうんですが、先の横田さんの説明のなかに「アカデミー賞」の件が出てきました。へえ、ヒューゴー賞のアイデアの源泉はアカデミー賞だったと言われている、んですって?

 当然「アカデミー賞」をこのブログで扱うのは、ほとんど無謀です。アカデミー賞と直木賞。天と地ほども違います。あちらの派手派手しさに比べて、日本の文学賞全般のあまりのみすぼらしさったら……、んもう、ちょっぴし恥ずかしくなります。

 アカデミー賞に関しては、エマニュエル・レヴィ『アカデミー賞全史』(平成4年/1992年3月・文藝春秋刊 濱口幸一・訳)っていう、ものすごい本があります。何がすごいって、レヴィさんの、賞オタクぶり。アカデミー賞ひとつで、これだけの資料をあさって、分類して、何かをいぶし出そうとする馬鹿バカしいほどの情熱。すごい本があったもんです。

 で、『アカデミー賞全史』をもとに、無理やり直木賞との共通点を探すとすれば、何でしょう。「権威」と不可分な存在だ、っつうことでしょうか。レヴィさん、やや小難しく、賞が「権威をもつ」「有名になる」っていうのは、どういうことなのかを説明してくれています。

「アカデミー賞は、民主主義、平等、個人主義、競争、上昇志向、勤勉、職業上の業績、金銭的な成功といった、基本的なアメリカの立場を体現してきた。オスカーは、それが再現する文化的な価値と同様に、これらの価値の達成に内在している矛盾を強調している。これら基本的な価値は、それらが体現する文化的な神話と対応する現実との間に存在する、内的なディレンマによって特徴づけられる。オスカーにより例証されるおのおのの価値は、正反対の立場を二分するものとして定めることができる。すなわち、民主主義とエリート主義、平等と差別、普遍性と排他性、個人主義と集合主義、競争と協力、努力と運、成功と失敗などである。」(『アカデミー賞全史』「終章 アカデミー賞、映画、アメリカ文化」より)

 難しすぎてよくわかりません。ただ、直木賞もまた「正反対の立場を二分」の要素を、確実に持たされてしまっているとは言えそうです。卑近な例でいえば、「実力ある新進作家を見極める」はずのものが、「権威」の枠に縛られすぎて、実際は「すでに商業的に実績のある人のなかからしか選べない」賞になっちゃっているところとか。つまり、冒険があまりできない、ってことです。

 ひるがえって星雲賞はどうでしょう。まったく自由です。天衣無縫です。たぶん。直木賞オタクなんてものをやっていると、逆にうらやましく見えます。いつの間にやら「権威」なんてものを付けられて、視野が狭くなっていった賞を見るにつけ、そういったものから自由であろうとする星雲賞の姿は、なんとも得難い魅力に映って仕方ありません。

          ○

 文壇臭の最も凝縮されたような直木賞とは、星雲賞は基本、別ものです。

 ただ、そんな星雲賞でも、万人を満足させる万全な賞ではない。……みたいなハナシを聞くと、何だかホッとします。

 直木賞や芥川賞を例に出すまでもありません。あまねく魅力ある賞というのは、かならず批判を受けるものなのだ、とくに後世になって「何であのころ、こんな授賞してたんだろ。馬鹿だなあ」と嘲笑されるものだ、とワタクシは固く信じているからです。

 その文学賞の一例として、確実に星雲賞も含まれている。っていうのは、twitterで牧眞司さんがつぶやかれたもの(Togetterにも「牧眞司氏のSF思い出話」としてまとめられています)を読んだだけでもわかります。

 文学賞の枠に収まりきれない星雲賞も、多少は(?)文学賞っぽいところを持っていたんですね。よしよし。

 そして、星新一さんに賞をあげられなかった、っていう限界もまた。

「大阪万博以降、新一周辺のSF界で微妙な変化が生じ始める。

 昭和四十五年の第九回日本SF大会で、ファン投票によって選ばれる星雲賞が創設されたが、まずはその結果に顕著に現れた。一九七〇年代は、一部のマニア的読者の知的な読み物だったSFが、商業化の過程で小説ばかりでなく映画、漫画、テレビへと拡散し浸透していき、神戸で開催された日本SF大会「シンコン」(昭和五十年八月)で筒井(引用者注:筒井康隆)が「SFの浸透と拡散」と名づけた時代である。星雲賞を企画した伊藤典夫によれば、その過程で、星新一は「偉大なるマンネリ期」に突入し、SFファンの星新一離れが起きていた、というのである。」(平成19年/2007年3月・新潮社刊 最相葉月・著『星新一 一〇〇一話をつくった人』「頭の大きなロボット」より)

 今岡清さんは証言しています。「星雲賞は時代の雰囲気と同じ流れにあるものを評価して、ファンも投票していました」と。

 そうですか。直木賞みたいに、いつもワンテンポ・ツーテンポ遅い賞も、妙な結果を生みますけど、時代の雰囲気をつかんだ賞でも、問題視されることがあるんですね。こわいなあ、賞ってやつは。

「SFを牽引してきたにもかかわらず、SFが盛り上がるころには、SFの読者は自分から離れている。なんとも皮肉な話ではないか。

 柴野拓美は、

「ぼくは星雲賞もらえないの?」

 と新一に訊かれ、

「ブラッドベリもヒューゴー賞もらってないよ」

 といってなぐさめるのだった。」(同『星新一 一〇〇一話をつくった人』より)

 星雲賞もまた、至らないところを抱えて生きているのですね。ほっ。だとすると直木賞のお仲間です。SFだ、SFじゃない、などと目くじら立てずに、同じ業を背負った文学賞同士、仲良くしていってほしいなあ。

 ……ん? 文学賞を擬人化しすぎて意味不明なことになってしまいました。失礼。

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コメント

もう見ました、面白いですね

投稿: Kanon 同人誌 | 2011年3月29日 (火) 18時19分

はじめまして

ネット検索で
「廣済堂出版 SF事典」
であたっていたところ、こちらがHITしたので覗かせていただきました。
(ちなみに「SF事典」は33年前に購入し、現在も捨てずに所有しております。)

わたしのハンドルネームの「Ralph」は、ヒューゴー・ガーンズバック氏の
「Ralph124c41+」
から採っているので、それが通じる人にはSFファンであることがバレバレですね。
(麻雀ゲームでのアバターネームも「124C41+」を使っています。重症w。)

最近SFコンは行っていないのですが…
何度か顔を出した者として、懐かしく読ませていただきました。

これからも楽しい記事を、期待しております。

失礼します。


Ralph Rdlizer

投稿: Ralph Rdlizer | 2013年10月10日 (木) 23時09分

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