文学賞メッタ斬り! 単なる賞批判にとどまらず、どうやったら賞を楽しめるかを例示しつづける。
去る1月5日、第144回(平成22年/2010年・下半期)の直木賞候補作5作が発表されました。17日(月)の選考会が、刻一刻とせまってきています。
昨年6月より、うちのブログでは毎週、「直木賞のライバルたち」と題するくくりで、さまざまな文学賞のことを取り上げています。今日は、その番外篇です。
ネットが生んだ「直木賞のライバル」……。と評してしまいましょう。文学賞のなかでもとくに直木賞・芥川賞をイジくり倒す企画、「文学賞メッタ斬り!」です。
少し歴史をおさらいします。
文学賞のライバル、いや逆に援護射撃にもなり得る存在として、昔から「文芸評論」を軸とした文芸・文壇ジャーナリズムがありました。
たとえば、昭和10年/1935年。直木賞・芥川賞の創設が発表されるや否や、『新潮』誌がコラムでそれをネタにする。さまざまな人が、第1回の受賞者予想をしはじめる。下馬評ってやつです。太宰治だろう、いやいや坪田穣治で決まりらしいよ、なんてことが、各媒体で公然と活字になっちゃったりしました。
貴司山治あたりは、「どうせすぐ、こんな賞やめるだろう」みたいな予測を述べて菊池寛を憤然とさせたりしています。
……と、挙げていったらキリがありません。
でも、キッパリ言わせてもらいます。昭和10年/1935年からこっち、ジャーナリズムが手厚く弄んでくれるのは、たいてい芥川賞です。
ここは「直木賞のすべて」のブログですよご存じでしょ。芥川賞しか相手にしないような連中に用はありません。どっか行っててください。
直木賞のことを、あれやこれやと、褒めたりケナしたり馬鹿にしたり持ち上げたりする方々。ようこそ。
次のように書いちゃう中野重治さんすら、何だかありがたく思えてきます。
「直木賞は対象が「大衆文学」であるため無名の新人というものがなく、けっきょく川口氏(引用者注:第1回受賞の川口松太郎)になったということである。その点で直木賞はその意義の半分を失ったことになるかも知れないが、無名の新人が真面目な意味で文学の世界へはいってくるさい「大衆文学」をねらうことがないということと、「大衆文学」というものが文学の真面目な発達に直接寄与するものでないということとのために、これはある意味で必然の結果だったかも知れない。直木賞がどういう作家に与えられたかは日本の現代文学にとって直接の興味にならない。」(平成9年/1997年1月・筑摩書房刊『定本版 中野重治全集第十巻』所収「文壇時事」より ―初出『中外商業新報』昭和10年/1935年8月14日号~16日号「二、三の文壇時事」)
ええと、重治さんいうところの「真面目でない」連中、戦前だと、つまり『文学建設』の同人みたいな人たちですか? 怒るでしょうなあ。海音寺潮五郎さんのもとに集結して、大衆文芸の質的向上を本気で考えていた一派なんですよ。
彼らはね、真面目に直木賞のことを考えていてくれました。
「直木賞委員会が、今期(引用者注:第10回 昭和14年/1939年下半期)「該当者無し」と決定したことは、明らかに失敗であった。こゝ二三年来、当該期間ほど新作家の力作が現われたことは無いのであって、最終候補の堤千代、大庭さち子、宇井無愁のみならず、前回直木賞作品の水準を抜く作品は殆んど十指を屈するに足るのである。にも拘らずこの決定を見たことは、遺憾であると同時に不可解でもある。
(引用者中略)
若し、委員(引用者注:直木賞委員と、この回から直木賞の選考にも加わることになった芥川賞委員)が大衆文学を能く理解し、その任務に、忠実、周到、公平であったならば、今回の如き失敗は演じていないであろう。」(『文学建設』昭和15年/1940年4月号「文学建設」より 無署名)
戦後になりますと、まず代表的なのは、『東京新聞』の匿名コラム「大波小波」でしょう。なにせイカガワしいコラムですから、イカガワしさを漂わせる文学賞のことが、大好物です。
「戦後第二回(引用者注:第22回 昭和24年/1949年下半期)の直木賞は山田克郎が獲得したが、第一回の富田常雄とは作家としてのハバが違い、常識からいっても同じハカリでは計れないばかりか、直木賞というマスの大きさが判らなくなった感がなくもない。
(引用者中略)
直木賞の在り方に対する選考委員間の意見不一致は賞そのものをもアイマイにする恐れがある。むしろ直木賞の性格は新人賞とはっきり規定した方がよい。」(昭和54年/1979年5月・東京新聞出版局刊『大波小波 匿名批評にみる昭和文学史2』所収「アイマイな直木賞の性格」より ―初出『東京新聞』昭和25年/1950年6月3日 署名:小原壮助)
1950年代以降は、新聞各紙とも、1月7月のこの時期になると、ぽつりぽつりと両賞のことを記事に仕立てるようになります。選考委員のなかには、その風潮にイラッと来て、ぶつぶつ文句を言う人も出てきます。バトルです。
「芥川直木賞の銓衡結果が、逸早く報道されることは大変結構なことだが、銓衡の経緯に就て、不用意な記事が掲載されることは、委員として迷惑である。」(『オール讀物』昭和31年/1956年10月号 永井龍男 第35回選評より)
やはりそれでも、ジャーナリズムのメインターゲットは芥川賞でした。
やがて中間小説誌がドカーンと売れるようになり、出版界でチヤホヤされるようになった1970年代。少し状況が変わります。『噂』誌のように、直木賞に特化した座談会を毎回、開催してくれるような現象も起きはじめました。
「D ぼくなんか、直木賞を見ると、いつも最近の相撲を思い出すわけ。だれを大関にするかなんていうのをね。(引用者中略)それでも、相撲の場合は、いちおうの基準はなきゃいけないんだけど、小説の場合、極端にいって、基準なんてないからね。運、不運がどうしてもあるし、それは仕方がないことでもあるね。
B だから、直木賞といったって、公平無私なものじゃないわけだ。それで当然ともいえる。ただ、野坂(引用者注:野坂昭如)さんが最初に候補になったときもそうだったけど、現在の生活に暗雲つきまとう感じのモノを嫌うのはよくないよ。たとえば色メガネであるとか、テレビに出ているとか、作品以外のところで評価するのは困る。」(『噂』昭和47年/1972年9月号「直木賞作家誕生!編集者匿名座談会 三度目の正直で生まれた受賞作」より)
この路線は、その後『本の雑誌』に受け継がれたと言っていいでしょう。「業界にくわしい人が、とにかく直木賞の駄目さ加減を叩きつづける」役割を担いました。
さて、ようやく本題にたどりつきましたね。前置きが長すぎました。
平成15年/2003年6月12日のことです。インターネットの片隅に、ひとつの企画ページが登場します。エキサイトブックス「ニュースな本棚」コーナー内に、「文学賞メッタ斬り!」なる対談(対談日は6月2日)が掲載されました。
対談者は、大森望さんと豊崎由美さん。
この企画がのちに単行本4冊を出すほどの強力インパクト企画にふくれ上がるとはなあ。まさか、二人とも予想していなかったに違いありません。ただ、この企画を影でまとめたカエルブンゲイのアライユキコさん一人だけは、最初から「イケル!」と確信していたのかもしれませんけど。
ウェブ上で、文学賞をサカナにあれこれ語る。……ってだけであれば、個人ブログから2ちゃんねるから、単発的にさまざまな場で行われていたでしょう。
この企画が一気にブレイクしたのは、単行本になったからです。PARCO出版の宮川真紀さんのアンテナに止まり、平成16年/2004年3月に発売。「文学賞メッタ斬り!」旋風のスタートでした。
発売5日で増刷、ガッツーンと売れたそうです。その年の一月、芥川賞のほうで美少女アイドル2人組、みたいな受賞があったことで、文学賞に対する興味がそうとう暖まっていた、つうラッキーなタイミングが功を奏した面もあったんでしょうけど。
ただ、マニアックな本なのに、一般受けしちゃいました。一般受け。文学賞を権威あるものとして過信したり、逆に、くだらない俗事といって無視したり、そんな立場でいる以上、まず到達できない地点です。
文学賞はウサンくさいし馬鹿バカしい、でも楽しいんだぜ、ってことをワタクシたちに教えてくれたわけですね。百年近い文学賞史のなかでも、そうとう意義ある試み、とすら言ってしまいましょう。枡野浩一さんの言う「バランス感覚」の勝利です。
「同書は一見マニアック。出版関係者が喜びそうなゴシップめいた話題満載だ。が、同時に「一般読者」の視線を意識するバランス感覚があって、そこが凄(すご)い。
芥川賞を「文芸春秋の賞と思われても仕方がない」と斬り、その根拠をきちんと語る。「歴代芥川賞受賞者を分析してみたんですけど、これまで百二十九回あった中で、『文学界』掲載作が一番多くて、五十人受賞者が出ています」(豊崎)。
だから芥川賞はインチキだと、結論してしまいたくなるのが素人だ。でも彼らはそうしない。あらゆる賞を分析し罵倒(ばとう)し絶賛し、面白がる。どんなものにも長所と短所があるから、それを知った上で楽しめばいいと悟っているかのようだ。」(『朝日新聞』夕刊 平成16年/2004年4月10日 枡野浩一「文学賞 芥川賞と文春の統計的関係」より)
まったくです。
文学賞というのは、世の小説のなかから推薦できるものを選び出して、読者に提供してくれるもの。選評なるかたちで、作家や評論家が小説に対するミニ批評を開陳してくれるもの。……そんな文学賞、選評、選考委員に関して、良否を判別して、これらを批評の対象にしてしまうという。メタな視点、ってやつですね。
そして、文学賞がある意味キワモノな存在であるように、「メッタ斬り!」企画も、キワモノ性を存分に帯びています。
文学賞騒ぎは果てしなく空虚です。そんな文学賞をネタにした企画は、一回二回のことであれば、カウンターパンチとして(イロモノとして?)十分な攻撃力が発揮されます。
たとえば、です。『メッタ斬り!』の発刊された平成16年/2004年、『ユリイカ』が8月号で「文学賞A to Z 獲る前に読む!」なる特集を組みましたが、まさしくこれなどは、一発の攻撃力の最たるもんです。
大森×豊崎コンビに、島田雅彦を加えた三人がA賞(芥川賞)に対抗して決める「Z文学賞」の選考鼎談とか。ほかにも、直木賞・芥川賞が決まる舞台裏(大河原英與)だの、過去の芥川賞選評総ふりかえり(千野帽子)だの、新人賞の選評にみる各賞分析(栗原裕一郎)だの、データによる新人賞ガイド(前田塁)だのと、強烈に面白い読み物が一堂に会しています。
でも、こんな企画は一ト月だけの特集だからいいのであって、何度も何度も継続的にやるもんじゃありません。
ほんとに何度もやるもんじゃない。ところが、文学賞そのものは、いつだって元気です。とくに直木賞と芥川賞。その影響力が衰退したってことはよく耳にしますけど、その候補発表や受賞記事が、新聞に載らなくなった、ってハナシは聞いたことがありません。
毒をくらわば皿までも。地獄の果てまで付いていってやる。ということなのかどうかはわかりませんが、「メッタ斬り!」は、もうやらなくたっていいのです。対談者の二人とも、ご自身たちがいいかげん飽きちゃっているというのに、忙しい身をおして、10作以上の候補作を、半年ごとに読まされて予想させられる、みたいな消耗戦に付き合う義理はないのです。
それでも続ける。だって直木賞と芥川賞のほうは、どれだけみんなに馬鹿にされようが、「もうおまえなんか要らない」と蔑まれようが、えんえんと公演を続けているんだもの。ならばいつまででも楽しんでやるわい覚悟しとけ、いひひひひ、の構え。
半年に一回、かならず予想して、かならず一般読者を巻き込んで楽しませる。この継続性が、過去の文学賞史を見返したときに、「メッタ斬り!」が尊いゆえんなんです。
○
むろん「メッタ斬り!」の対象は、日本のあまたある文学賞です。直木賞や芥川賞だけを斬っているわけじゃありません。
ただ、文学賞に関する話題で、一般読者の気持ちを、長いあいだ引きつけておけるもの、となれば、いまのところ直木賞と芥川賞が筆頭です。単行本の刊行が頓挫しても、両賞についての予想とフォローは、平成16年/2004年以来ずっと行われてきています。
とくに、芥川賞だけでなく直木賞にも同じ温度で接してくれている、と来たらあなた。直木賞研究(単に直木賞バカとも言う)の立場からすると、嬉しいことこのうえなし、なのです。
大森・豊崎両者の、直木賞予想が事前に公表されるようになったのは、第131回(平成16年/2004年・上半期)から。以来、今度の第144回で14回め。すでに、直木賞の歴史の十分の一に到達してしまった、という息の長さ。お疲れ様です。
前回第143回(平成22年/2010年・上半期)までに、この期間、直木賞作は17作ありました。両人の予想とその結果は以下のようになっています(太字は受賞作)。
▽大森望
- 第131回 ◎『空中ブランコ』 ○『語り女たち』 ▲『邂逅の森』『チルドレン』
- 第132回 ◎『対岸の彼女』 ○『グラスホッパー』『七月七日』 ▲『6ステイン』
- 第133回 ◎『いつかパラソルの下で』 ○『花まんま』 ▲『ユージニア』
- 第134回 ◎『容疑者Xの献身』『蒲公英草紙』 ○― ▲『死神の精度』『ハルカ・エイティ』
- 第135回 ◎『風に舞いあがるビニールシート』 ○『砂漠』 ▲『遮断』『まほろ駅前多田便利軒』
- 第136回 ◎『どれくらいの愛情』 ○『ひとがた流し』 ▲『四度目の氷河期』
- 第137回 ◎『玻璃の天』 ○― ▲『夜は短し歩けよ乙女』『まんまこと』『吉原手引草』
- 第138回 ◎『私の男』 ○『警官の血』 ▲―
- 第139回 ◎『愛しの座敷わらし』 ○『切羽へ』 ▲『鼓笛隊の襲来』
- 第140回 ◎『利休にたずねよ』 ○『いのちなりけり』 ▲『汐のなごり』
- 第141回 ◎『鷺と雪』 ○『きのうの神さま』 ▲―
- 第142回 ◎『鉄の骨』 ○『花や散るらん』 ▲『球体の蛇』
- 第143回 ◎『リアル・シンデレラ』 ○『小さいおうち』 ▲『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』
【的中率】
◎本命7作(41.2%)
○対抗3作(17.6%)
▲大穴3作(17.6%)
▽豊崎由美
- 第131回 ◎『チルドレン』 ○『邂逅の森』 ▲『幻夜』
- 第132回 ◎『対岸の彼女』 ○『火天の城』 ▲『十楽の夢』
- 第133回 ◎『逃亡くそたわけ』 ○『ベルカ、吠えないのか?』 ▲『むかしのはなし』
- 第134回 ◎『ハルカ・エイティ』 ○『容疑者Xの献身』 ▲『死神の精度』
- 第135回 ◎『遮断』 ○『風に舞いあがるビニールシート』 ▲『砂漠』
- 第136回 ◎『ひとがた流し』 ○『四度目の氷河期』 ▲『空飛ぶタイヤ』
- 第137回 ◎『玻璃の天』『まんまこと』 ○『吉原手引草』 ▲『赤朽葉家の伝説』
- 第138回 ◎『私の男』 ○『警官の血』 ▲『ベーコン』
- 第139回 ◎『千両花嫁』 ○『あぽやん』 ▲『切羽へ』
- 第140回 ◎『利休にたずねよ』 ○『いのちなりけり』 ▲『カラスの親指』
- 第141回 ◎『鷺と雪』『鬼の跫音』 ○『秋月記』 ▲『きのうの神さま』
- 第142回 ◎『廃墟に乞う』 ○『花や散るらん』 ▲『球体の蛇』
- 第143回 ◎『小さいおうち』 ○『リアル・シンデレラ』 ▲『天地明察』
【的中率】
◎本命6作(35.3%)
○対抗4作(23.5%)
▲大穴1作(5.9%)
ワタクシなぞ、直木賞が好きで、直木賞を調べることで生活の大半を浪費しているくせに、受賞作の予想などあまり当たったことがありません。本命での的中率が3割・4割超え、というのはさすがの一言です。
さらに二人の力を合わせて、どちらかの本命が当たった確率、なんてのを算出してみると、都合9作品。的中率53.9%になります。
(平成27年/2015年1月18日追記…お二人の予想は、このエントリーを書いて以降も、当然毎回行われています。その予想の的中率は、どうなっているのか。こちらの「直木賞のすべて 資料の屑籠」に「文学賞メッタ斬り!芥川賞・直木賞予想的中率」をつくり、まとめています)
文壇の裏事情とか、候補作に対するギャグまじりの評言、二人の掛け合いの面白さ、ぐらいのものであれば、きっとキワモノ企画として、文学賞以上に嘲笑のマトになっていたかもしれません。予想的中の結果を残してこそ、「メッタ斬り!」の株がここまで上がった面も、おそらくあるんでしょう。
○
文学賞の文献をひもといていますと、よく「文学賞の功罪」なんて表現が出てきます。文学賞によって、状況がよくなった部分もある、でも悪影響を及ぼしたところもある、ってハナシです。
そんなこたあ文学賞に限ったことじゃありません。この世のほとんどのものに、功罪があります。そして、「メッタ斬り!」にも功罪があると思います。当たり前のことです。
「(引用者注:『文学賞メッタ斬り!』の)シリーズ化の意義について大森は「賞の候補作は読んでいないけどメッタ斬りはおもしろいといわれるのが謎でした。ただ、読書ガイド的な使われ方をしている」、豊崎は「編集者にとってはある種の資料になっているのではないでしょうか」と話した。そのうえで、文壇で起こっている状況をある程度紹介するイエロージャーナリズム的な要素もあるとした。」(『産経新聞』平成20年/2008年6月16日 「話題の本 『文学賞メッタ斬り! たいへんよくできました編』」より 署名:酒井潤)
読書ガイド、現代の文学賞に関する資料、そして文壇にまつわるウワサ話(とくに悪口)に触れられる……これらは功の類と言っていいでしょう。
罪は何でしょうか。あくまでワタクシの感じる範囲で言います。あまりに両人が明けすけに語っているように読めてしまうことから、「文学賞のことは、大森望や豊崎由美の語ることが正しい」と信じたくなっちゃう点でしょうか。
それが企画の力であり、両人の力であることは言うまでもありません。ただ、『文学賞メッタ斬り!』に書いてあったから、という理由だけで、文学賞にまつわる感想を、まるで自分の感想のように思うことは慎みたいな、と感じるのです。
渡辺淳一さんや石原慎太郎さんだって、けっこういいコト言うときもあります。二人がA評価を付けたからって、その評価が選考委員たちの見方に比べてマトを得ているかどうかは、マユツバです。
ええ。けっきょく自分で小説読め、ってことですよね。自分で文学賞の歴史を調べて文学賞の今を感じて、そのうえで楽しめ、ってことですよね。
で、今回の第144回も「文学賞メッタ斬り!」があります。ラジオ日本の「ラジカントロプス2.0」で、1月15日(土)に予想篇、1月22日(土)に結果篇(ともに深夜24時か ら)の2週、オンエアされるそうです。ネットでの配信もありますから、早寝早起きの健全な文学賞マニア(?)でも、安心して聴けます。
そういえば、今回は、候補作発表の前の段階で、一度「メッタ斬り!」がありました。そこでは「第144回の芥川賞・直木賞はすでに決まっている!?」なんて解説があったりして。
「豊崎 (引用者注:朝吹真理子「きことわ」は)合評や新人評でも評判がよくて、けなしている人を見たことがないってくらいの評価の高さです。次の芥川賞は決まりって言われてますもんね。
大森 メッタ斬り予想するまでもなく。
豊崎 思うに、今度一緒に候補になる人はすごくかわいそうですよ。捨て駒になるのが目に見えてる。
(引用者中略)
豊崎 芥川賞も直木賞もすでに決まってると言われてるわけですよね。芥川賞が朝吹さんで、直木賞が道尾秀介さんの『月と蟹』。
大森 4期連続候補になってて、今度候補になれば、5期連続は戦後初。『月と蟹』は文春だし、候補入りは確実と言われてますが、はたして受賞するかどうか。本人はあえてビッグマウスを引き受けて、「次で獲ります!」と宣言してますけどね。」(平成22年/2010年12月・書評王の島制作委員会刊『書評王の島 vol.4』所収「文学賞メッタ斬り![どっこい生きてたぜ編]」より 構成:三浦天紗子)
さあて。みなさんの予想は済みましたか? 今期も自分なりの視点をもって、直木賞と芥川賞、楽しみましょう。
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