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2010年12月19日 (日)

このミステリーがすごい! 「アンチ権威」のはずが「権威」になってしまった、直木賞の同類項。

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 ランキングもでっかいものになると、ほぼ文学賞と同類になる。……っていうのは、今年の「このミステリーがすごい!」第1位作家も指摘していました。いや、「このミス」が生まれて数年後には、その領域にまで達していたそうです。

貴志(引用者注:貴志祐介 今回の作品については、バッシングのほうが多いのではないかと懸念してましたから、本当に嬉しいかぎりです。『このミス』の一位にしても、ひとつの文学賞に匹敵する価値があると私は思っていますから、ありがたいですね。」(平成22年/2010年12月・宝島社刊『このミステリーがすごい!2011年版』所収「貴志祐介インタビュー」より 取材・文:友清哲)

「ちなみにこの当時(引用者注:『ホワイトアウト』がこのミス1位になった平成8年/1996年ごろ)大沢在昌さんとの対談のなかで、「『このミス』で一位になるというのは、文学賞をひとつもらうのと同じくらいの価値がある」という言葉をいただいたんです。実際には言われるほど環境に変化はありませんでしたが、周囲からの目はあれから少し変わったかもしれません。何より、自信になったのは事実です。」(平成20年/2008年3月・宝島社刊『別冊宝島 もっとすごい!!『このミステリがすごい!』』所収「真保裕一インタビュー」より 聞き手・文:友清哲)

【このミステリーがすごい!投票結果一覧】

 ランキングと文学賞は、ある種、お仲間と言っていいかもしれません。

 まず、素人にとっては目でみてわかりやすい指標である。ゆえに、俗な空気がからだじゅうから発散してしまっている。「そんなもんで、小説が評価できるわきゃねえだろ」と、顔をしかめて軽蔑する人が出てきてしまうところ、とか。

 商業臭・営業臭を否がおうでもまとってしまうところ、なんかもソックリですね。これもまた、馬鹿にされるゆえんなんでしょう。

 いわく「お遊びにすぎない」。いわく「大量の本を前にして、迷う読者たちの参考になる、程度のもの」。いわく「1位と2位に、さしたる票差などないのに、1位ばかり売れるのは弊害がある」。いわく「選ぶ連中に偏りがある」。いわく「このミスの歴史的役割は、もう終わった」。うんぬん。

 ランキングなんてくだらない、という声が挙がることは、きっと「このミス」自身も最初から想定していたんでしょう。最初のベストテン発表のときには、つぶやきとも叫びともとれる、こんな一文を付していました。

「順位付けなど無意味、なんて言わないで、年に1度の読者のお祭りなのだから。」(昭和63年/1988年12月・JICC出版局刊『このミステリーがすごい!』より)

 出たー。「お祭り」宣言。

 何なんでしょうね。「お祭り」と言っておけば、多少のことは許容されると感じてしまう感覚。文学賞は文壇(と出版業者)のお祭り。本屋大賞は書店員のお祭り。騒げば騒いだモン勝ち、みたいなやぶれかぶれな側面もあったりして。

 かようにランキングと文学賞は、似たもの同士。とくに「このミス」と直木賞は、つかず離れず、異なる道を歩みながら、かなり近しいあいだがらです。

 何つったって「このミス」は、書名に「ミステリー」と付けているものの、副題には2009年版まで長いこと「ミステリー&エンターテインメント」なる用語を使ってきたヌエですもん。&エンターテインメント。何のこっちゃ。その後も、2010年版の表紙では「面白小説」、2011年版では「最高小説」と、どこまでもミステリーを拡大解釈しちゃうぞ、の構え。これで直木賞とカブってこなきゃおかしいわけです。

 「このミス」と直木賞、おお、その甘美なる関係性の歴史。今日はそれを23年分、サックリおさらいしちゃおうじゃないか、と思います。

●昭和63年/1988年12月

 「このミス」誕生。昭和52年/1977年に『週刊文春』が始めた年末の「ミステリーベストテン」が、日本推理作家協会員のアンケートをもとにつくられていたことに対抗して、別冊宝島編集部が独自に、「読書の達人」を選定。読み手の立場からのベストテンを決めようと始められた。

「評論家、大学研究会など、“読み手のプロ”を選者に、88年から、はっきり「文春ベスト10へのアンチテーゼ」と銘うって始められた。

「最初、文春が始めた時はうれしかったんですが、だんだん出ている作品がピンとこなくなってきたんです。うちが対象にしているのは『面白い小説』。ですから、純粋ミステリーファンの方からは『なぜ、これが』と抗議がくるようなものも入っています。小説には『面白いか、そうじゃないか』の違いしかない。たまたま、ほかに言葉がないので『ミステリー』としているだけ。(引用者中略)」(JICC出版局・石倉笑氏)」(『DIME』平成4年/1992年2月20日号より)

 公称4万部を発売。アンケート回答者は26名。この年、投票のあった61作品のうち、直木賞候補作はわずか2作だった。

●平成1年/1989年12月

 2年目にして早くも、「このミス」1位&直木賞作が誕生。原尞『私が殺した少女』だ。原さんいわく、直木賞よりも「このミス」1位のほうが嬉しかったと。

「元来ミステリー全般が好きだったということもあって、今から思うと、つい謎解きとして複雑な構成のある作品を書いてしまったところがあると思っています。それが幸いしたのか、ハードボイルドファンにも、普通のミステリーファンにも、広く受け容れられて、『このミス』の年間ベストワンに選ばれたのは、年が明けて直木賞をもらったことよりも、はるかに嬉しかったです。」(前掲『別冊宝島 もっとすごい!!『このミステリーがすごい!』』所収「原尞インタビュー」より 聞き手・文:三橋暁)

 この年「このミス」で7点以上を獲得した42作中、直木賞候補は3作。

 もうひとつ、「このミス」が「このミス」ここにあり、と名を知らしめたランキング以外の重要要件、「覆面座談会」が始まったのがこの年だった。ただし1年目の座談会では、直木賞に関する言及なし。

●平成2年/1990年12月

 「このミス」7点以上獲得の44作中、直木賞候補3作。ようやく直木賞をとれた泡坂妻夫の『蔭桔梗』が11点で30位、というのは、ややご祝儀的な感あり。

●平成3年/1991年12月

 「このミス」7点以上獲得の39作中、直木賞候補3作。

 覆面座談会で、ノベルス中心に圧倒的な読者を持つ作家を、「二時間サスペンス・ドラマ原作リーグ」として、ミステリー・リーグとはリーグが違うと発言。また『産経新聞』夕刊の匿名コラム「斜断機」との論戦(泥仕合?)勃発。

●平成4年/1992年12月

 「このミス」7点以上獲得の37作中、直木賞候補2作。

 覆面座談会で、高村薫のことを女王様、宮部みゆきを王女様と見立てた発言あり。これがはからずも、翌年の座談会への伏線となる。

●平成5年/1993年12月

 「このミス」7点以上獲得の41作中、直木賞候補4作。

 高村薫『マークスの山』がこのミス1位&直木賞。ところが、高村が直木賞授賞式で「自分の書くものをミステリーとは思っていなかったが、常にミステリーといわれて、すっきりしないものを感じていた」と発言したことが、匿名座談会の面々にもイラッときたらしく、「直木賞おかしいんじゃないか」発言を誘発する。

 今年、高村薫が初ノミネートで直木賞をすんなりとれたのは、去年宮部みゆきが落ちたおかげじゃないかな。(引用者中略)『火車』を落とすにしても、何人かの選評がピント外れだった……。

 某黒岩重吾だとか(注、「私が納得出来なかったのは、新城喬子が説明でしか書かれていないことだった。大事な人物なのに人物像が不明確である」――「オール讀物」九三年三月号の黒岩重吾氏の選評より)。

 やっぱり直木賞は畏れ多いせいか、選考のおかしさを表立って批判したのは「本の雑誌」だけだったと思います。でも、巷でもあれはおかしいとか、声なき声が出て、『火車』を落としたのは失敗だったかなと選考側も思ったんじゃないかな。」(平成5年/1993年12月・宝島社刊『このミステリーがすごい!'94年版』所収「ついに最終回か!?緊迫の匿名座談会 暴言かましてすみません」より)

●平成6年/1994年12月

 「このミス」7点以上獲得の52作中、直木賞候補4作。

 覆面座談会のなかで、ミステリー出身作家のいわゆる文芸作品について、直木賞をからめた冗談が飛ぶ。

 ミステリー作家がいわゆる文芸作品を書くというのが、今年の一つの特徴といえるでしょう。

 志水辰夫の『いまひとたびの』とか、北村薫の『水に眠る』……。

 これで直木賞をとらせようっていう、出版社の陰謀じゃないの(笑)。まあ力量のある人は、たまにはミステリーでないものも書いてみたくなるんだろうね。」(平成6年/1994年12月・宝島社刊『このミステリーがすごい!'95年版』所収「'94年を総まくり、進め匿名座談会 あの『照柿』はシブかった!?」より)

●平成7年/1995年12月

 「このミス」7点以上獲得の45作中、直木賞候補5作(5作選ばれたのは初)。

 明けて1月の直木賞(第114回)選考では、ミステリー系統の作品が多数候補作を占めた。そのことから、「直木賞がこのミス風になった」との揶揄が投げかけられる。 

「第百十四回直木賞の最終選考を通過した作品リストは一見、「このミステリーがすごい!」風だった。

(引用者中略)

 確かに、ここ数年は高村薫さん、大沢在昌さんなどミステリー作家の受賞が相次いでいる。けれども作家自身にはもはや、そうしたジャンルにこだわる意識はないようだ。藤原
(引用者注:藤原伊織さんは「自分の中には純文学とエンターテインメントを区別する意識はない。物語はすべて伝承から始まったものであって、垣根はなかったはず」という。小池(引用者注:小池真理子さんも「自分の好きなものを頑固に書いてきただけ」と、自作が「心理ミステリー」とジャンル分けされる戸惑いを漏らした。」(『毎日新聞』夕刊 平成8年/1996年1月22日文化欄「余白ノート このミステリーがすごい!」より 署名(由))

●平成8年/1996年12月

 「このミス」7点以上獲得の45作中、直木賞候補5作。

 覆面座談会にO森某(大森望)、初参加。さすが文学賞の話題でも盛り上がり、とくに直木賞の候補作選びに異論がぶつけられる。

 どう考えても納得できないのは直木賞。『蒼穹の昴』が受賞しないとは。『火車』が落ちたときにも言ったけど、バカだね。選考委員の、とくに……。

 今回の直木賞は、すでに候補作からしてまちがっている(笑)。宮部みゆきが『人質カノン』、篠田節子が『カノン』、鈴木光司が『仄暗い水の底から』でしょ。作家の名前だけでそろえたとしか思えない……。(引用者中略)

 直木賞選考委員には文壇の将棋大会で活躍してればいいような人もいるし。」(平成8年/1996年12月・宝島社刊『このミステリーがすごい!'97年版』所収「匿名座談会国内編 絶賛帯はホントに信じていいのか 覆面5匹、地雷を人に踏ませるの巻」より)

●平成9年/1997年12月

 「このミス」7点以上獲得の56作中、直木賞候補6作(6作選ばれたのは初)。

 公称16万部を販売するまでに部数増加。

……と、ここまでで10年。ふう。「このミス」に登場する小説の1割は、確実に、直木賞候補でもある、っていう地点まで達するにいたりました。

          ○

 平成10年/1998年で「このミス」第一期は終焉を迎えます。2000年を前にして、リニューアルの機運が高まっていました。笠井潔さんとのいざこざがあったり、覆面ぬげぬげ言われて面倒になって正体を明かす人が出てきたりと、『このミス99年版』で覆面座談会は最終回となります。

 当時、千街晶之さんが、そこまでを総括して、覆面座談会および「このミス」の抱えてしまった行き詰まり感を指摘しました。

「なぜ彼らは匿名座談会という形式に窮屈さを覚えるようになったのか。おそらく、『このミス』自体の変貌と無関係ではないだろう。「週刊文春」の年末アンケートに対するアンチテーゼとしてスタートした『このミス』だが、投票者がかなりダブってきたこともあって「文春」の投票結果と大差ない状態になったばかりか、結果が先に出るぶん、『このミス』の投票結果は「文春」以上に、書店や読者に対する大きな影響力を持つようになってしまった――つまり、ある意味で不可避の事態とはいえ、ランキングが大きな権威として一人歩きするようになってきたのだ。

(引用者中略)

ランキングしか気にしない読者を「バカな読者」と見なしつつ、一方で『このミス』はその売上げを彼ら「バカな読者」に頼ってきた。その二重性は、匿名座談会の二重性に通底している。」(平成10年/1998年12月・宝島社刊『このミステリーがすごい!99年版』 千街晶之「右も左も一刀両断!」より)

 もう、こんなことの繰り返しですな。ランキングも文学賞も。権威的なものがあって、それに満足できない勢力が、新たな視点で企画を始める。企画が当たる。しかし数年つづけるうちに、それが権威になって、また満足できない勢力が生まれる……。

 第2期の「このミス」はこの状態で始まり、なんとか新方面を模索しながら、歩んできました。

 ほんとうはここからの10数年もまた、「このミス」vs.直木賞、面白い関係性がありそうです。でも、この調子でやっていくと、エントリーが長くなってしまうことに気づきました(すでに長い)。

 まあ、いちおう、直木賞専門ブログなので、平成10年/1998年以降の、「このミス」作品と直木賞候補作数の推移だけ、ざーっと並べることで今日はお茶を濁させてもらいます。

●平成10年/1998年12月 「このミス」43作中、直木賞候補5

●平成11年/1999年12月 「このミス」47作中、直木賞候補7作(過去最高)

 ちなみにその7作とは、天童荒太『永遠の仔』(このミス1位、直木賞落選)、東野圭吾『白夜行』(このミス2位、直木賞落選)、福井晴敏『亡国のイージス』(このミス3位、直木賞落選)、桐野夏生『柔らかな頬』(このミス5位、直木賞受賞)、真保裕一『ボーダーライン』(このミス6位、直木賞落選)、服部まゆみ『この闇と光』(このミス12位、直木賞落選)、久世光彦『逃げ水半次無用帖』(このミス30位、直木賞落選)。

●平成12年/2000年12月 「このミス」64作中、直木賞候補4

●平成13年/2001年12月 「このミス」55作中、直木賞候補4

●平成14年/2002年12月 「このミス」60作中、直木賞候補2

●平成15年/2003年12月 「このミス」61作中、直木賞候補4

●平成16年/2004年12月 「このミス」57作中、直木賞候補6

●平成17年/2005年12月 「このミス」56作中、直木賞候補4

●平成18年/2006年12月 「このミス」62作中、直木賞候補3

●平成19年/2007年12月 「このミス」60作中、直木賞候補5

●平成20年/2008年12月 「このミス」67作中、直木賞候補2

●平成21年/2009年12月 「このミス」66作中、直木賞候補5

●平成22年/2010年12月 「このミス」47作中、直木賞候補1作+?

 このなかで、特筆すべきは、「このミス」2003年版(平成14年/2002年12月)で1位をとった『半落ち』が、明けて1月の直木賞選考でダメ出しを受けた一件でしょう。翌回の「このミス」でも、ブーブー文句言っています。

 逆に選考委員の想像力の貧困さを糾弾したいね。実在の社会問題に対して、その程度の認識しかないのか。

隠居 林真理子発言には、ミステリー界に対する偏見を感じるな。この人は以前にも、倫理観が気に食わないという理由で高見広春の『バトル・ロワイアル』に日本ホラー大賞を受賞させなかった前科がある。だいたい三十万部を超えるベストセラーの、読者の声を無視していいのか。ミステリー・ファンの意見なんて知ったことじゃないのかね。」(平成15年/2003年12月・宝島社刊『このミステリーがすごい!2004年版』所収「ミステリー長屋」より 文・構成:迷亭推理)

 さかのぼること10数年前、大沢在昌さんの『新宿鮫』が91年版の1位を獲得しました。しかしそのころ出版社は、まだ「このミス1位」よりも「文春3位」のほうを重視していたそうです。以来、「このミス」は継続することで徐々に権威を上げていきました。文春ランキングもどっこいしぶとく生き残りました。1990年代~2000年代、ランキングのほうが文学賞よりも信頼できる、と本気で思った読書子もいたでしょう。

 『半落ち』にしても『警官の血』にしても、ランキング1位だもの、文句ないだろ。といった空気がただよった中で、直木賞はあっさり落選させてしまい、直木賞ボロクソ言われるの図。

 かと思いきや、今となっては、年末ミステリーランキングは以前ほど売上げに結びつかないらしいです。

「年末にミステリー小説のランキングを発表する出版社が増えた。ミステリーバブルに伴走してきたランキングも、かつてのお祭りムードは失われ、「多様化」が進んでいる。

(引用者中略)

 ミステリー評論家の池上冬樹さんは「投票する側の立場でいえば、すでに人気のある中堅・大家より、新人の才能を評価しがち。かつてほどランキングが市場に影響を与えないので、マニア向けの『このミス』と、本来は一般向けだった『週刊文春』の差がなくなってきた」と分析する。」
(『朝日新聞』平成20年/2008年12月27日「観流 ミステリーランキング 多彩さで読者そそれ」より 署名:加藤修)

 で、今は何ですか。本屋大賞の時代でしょうか。そうよそうよ私たちの声を代弁してくれるのは本屋の人たちしかいないのだわ涙、な展開。いやあ、また10年20年もたてば、本屋大賞も権威となって、市場に与える影響が落ち込んでいくのかもしれませんなあ。そうしたら、また新しく、うさんくさくて俗っぽくて、一般読者から喝采を浴びる企画が飛び出して、主役交代となるんでしょう。

 俗と俗の争い、ええい上等だあ。こうなったら、つぶされないように我慢くらべですよ。権威だ馬鹿だと指さされながら、生き延びていってほしいものです。「このミス」も。直木賞も。

          ○

 最後に、かなーり昔の人の言葉を引用しまして、ケムに巻いておきたいと思います。

 100年ほど前。もちろん、当時の人たちもランキング、大好きでした。『太陽』って雑誌がありましてね、明治32年/1899年に「明治十二傑」、明治42年/1909年に「新進二十五名家」つうのを、読者投票で決める企画を開催したわけです。

 いちおうここでは文学の部門だけ紹介します。

 「明治十二傑」の「文学家」で最も票を集めたのは加藤弘之(17,141票)当選。ついで坪内雄蔵(16,453票)次点。

 「新進二十五名家」は、こんな順位でした。

  • 夏目漱石 14,539票(当選)
  • 中村不折 14,269票(当選)
  • 幸田延子 13,324票(当選)
  • 島村抱月 13,110票(当選)
  • 大町桂月 12,699票
  • 和田三造 12,385票
  • 島崎藤村 12,115票
  • 徳富蘆花 10,450票
  • 正宗白鳥 9,120票
  • 小杉天外 8,385票
  • 上田敏 5,572票
  • 東儀鉄笛 5,035票

 当選者には、『太陽』の発行元・博文館より金杯(金製頌徳盃)が贈られる予定だったんですが、おのれの主義に反するとして頑として受け取りを拒否した人がいます。夏目漱石です。

「天下に投票の種類も多かろうし、又其主意も沢山あろうが如何なる場合でも、其結果は優劣の相場を定める事に帰着して仕舞う。(引用者中略)投票なるものは、己れの相場を勝手次第に、無遠慮に、毫も自家意志の存在を認める事なしに他人が極めて仕舞う。多数の暴君が同盟したと同じ事である。是を公平と云うのは、他を自分よりえらいと認めた場合か、然らずんばたゞ投票するものゝ言草で、投票されるものは、自分の主意の少しも貫徹しない点から見て、尤も不公平な運動(ある場合には)と号して差支ない。

(引用者中略)

全体人に対して誰と誰とは何方がえらい抔と聞くのは必ず、其道に暗い素人である。素人は真暗だから、何でも自分に覚え安い様に無理無体に物の地位関係を知りたがるの結果として、かゝる簡単極まるとば口の返答を得て満足するのである。つまりは自分は到底知る権利のない問題に首を出して、知ったか振りをしたがるので、要するにどっちがえらいのかと活版で極めて貰わなくては不安心なのである。」(『太陽』明治42年/1909年9号「新進二十五名家」 夏目漱石「太陽雑誌募集名家投票に就て」より)

 よくわかっているじゃないですか漱石さん。「このミス」と、『太陽』の投票、大して関係はないんですが、素人は活版で決めてもらって、それを見て、ああこっちが上なんだなと知ったかぶって満足する。まったく。そういうものですなあ。

 100年後、「このミス」や直木賞が残っているかはわかりません。わかりませんが、ランキングしたがる欲望は絶えないでしょう。そしてそれを見て、読む本を選んじゃう俗なる人間――つまり、ワタクシのような人種もまた、きっとゴキブリのごとく、したたかに生き延びることでしょう。

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直木賞のライバルたち」カテゴリの記事

コメント

>要するにどっちがえらいのかと活版で極めて貰わなくては不安心なのである。

つまりは、ランキングなどを気にする読者の大半が、自分の読書力(?)に自信を持てない人々であり、
それは、他人が買うから読む&みんなが面白いと言うから買う、という人が多いからかも知れませんね。

各文学賞を参考にして買っている私もそのひとりなのですが、なんでこれが受賞作!?って思う作品も多々あって、
なんだか選考会なるものに不信感を抱くときもあります。
ただ、「文学賞は、読者の意見や売り上げ数を考慮すべき」というほうがもっと不審だと思うんです。

『食堂かたつむり』や『1Q84』などを見て思うに、
「売れる本=万人向きの面白い本、読者の声を無視せずに受賞させるべき」という考えは、果たしてどうなのでしょうか。
『人気』なんか、宣伝広告でいくらでも作りだせちゃうと思うんです。

出版数が多すぎますし、読まないと面白いかどうか判断できないからこそ、
映像で直ぐに判るテレビの宣伝効果や、プロの書店員の声の力が大きくなるのでしょうが、
そんななかでも文学賞なるものには、ますますいい目利きを期待したいところです。

投稿: tak | 2010年12月22日 (水) 12時26分

takさん、

>「文学賞は、読者の意見や売り上げ数を考慮すべき」というほうがもっと不審だと思うんです。

これ同感です。
読者の好みや売上げに寄り添う、いろんな種類の文学賞ができていくのは、
今後も絶えることはないでしょう。
ただそのいっぽうで、
作家の決める文学賞が、古典芸能のように、しっかり残っていってくれることを祈ります。

投稿: P.L.B. | 2010年12月23日 (木) 21時50分

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