ランキングもでっかいものになると、ほぼ文学賞と同類になる。……っていうのは、今年の「このミステリーがすごい!」第1位作家も指摘していました。いや、「このミス」が生まれて数年後には、その領域にまで達していたそうです。
「貴志(引用者注:貴志祐介) 今回の作品については、バッシングのほうが多いのではないかと懸念してましたから、本当に嬉しいかぎりです。『このミス』の一位にしても、ひとつの文学賞に匹敵する価値があると私は思っていますから、ありがたいですね。」(平成22年/2010年12月・宝島社刊『このミステリーがすごい!2011年版』所収「貴志祐介インタビュー」より 取材・文:友清哲)
「ちなみにこの当時(引用者注:『ホワイトアウト』がこのミス1位になった平成8年/1996年ごろ)、大沢在昌さんとの対談のなかで、「『このミス』で一位になるというのは、文学賞をひとつもらうのと同じくらいの価値がある」という言葉をいただいたんです。実際には言われるほど環境に変化はありませんでしたが、周囲からの目はあれから少し変わったかもしれません。何より、自信になったのは事実です。」(平成20年/2008年3月・宝島社刊『別冊宝島 もっとすごい!!『このミステリがすごい!』』所収「真保裕一インタビュー」より 聞き手・文:友清哲)
【このミステリーがすごい!投票結果一覧】
ランキングと文学賞は、ある種、お仲間と言っていいかもしれません。
まず、素人にとっては目でみてわかりやすい指標である。ゆえに、俗な空気がからだじゅうから発散してしまっている。「そんなもんで、小説が評価できるわきゃねえだろ」と、顔をしかめて軽蔑する人が出てきてしまうところ、とか。
商業臭・営業臭を否がおうでもまとってしまうところ、なんかもソックリですね。これもまた、馬鹿にされるゆえんなんでしょう。
いわく「お遊びにすぎない」。いわく「大量の本を前にして、迷う読者たちの参考になる、程度のもの」。いわく「1位と2位に、さしたる票差などないのに、1位ばかり売れるのは弊害がある」。いわく「選ぶ連中に偏りがある」。いわく「このミスの歴史的役割は、もう終わった」。うんぬん。
ランキングなんてくだらない、という声が挙がることは、きっと「このミス」自身も最初から想定していたんでしょう。最初のベストテン発表のときには、つぶやきとも叫びともとれる、こんな一文を付していました。
「順位付けなど無意味、なんて言わないで、年に1度の読者のお祭りなのだから。」(昭和63年/1988年12月・JICC出版局刊『このミステリーがすごい!』より)
出たー。「お祭り」宣言。
何なんでしょうね。「お祭り」と言っておけば、多少のことは許容されると感じてしまう感覚。文学賞は文壇(と出版業者)のお祭り。本屋大賞は書店員のお祭り。騒げば騒いだモン勝ち、みたいなやぶれかぶれな側面もあったりして。
かようにランキングと文学賞は、似たもの同士。とくに「このミス」と直木賞は、つかず離れず、異なる道を歩みながら、かなり近しいあいだがらです。
何つったって「このミス」は、書名に「ミステリー」と付けているものの、副題には2009年版まで長いこと「ミステリー&エンターテインメント」なる用語を使ってきたヌエですもん。&エンターテインメント。何のこっちゃ。その後も、2010年版の表紙では「面白小説」、2011年版では「最高小説」と、どこまでもミステリーを拡大解釈しちゃうぞ、の構え。これで直木賞とカブってこなきゃおかしいわけです。
「このミス」と直木賞、おお、その甘美なる関係性の歴史。今日はそれを23年分、サックリおさらいしちゃおうじゃないか、と思います。
●昭和63年/1988年12月
「このミス」誕生。昭和52年/1977年に『週刊文春』が始めた年末の「ミステリーベストテン」が、日本推理作家協会員のアンケートをもとにつくられていたことに対抗して、別冊宝島編集部が独自に、「読書の達人」を選定。読み手の立場からのベストテンを決めようと始められた。
「評論家、大学研究会など、“読み手のプロ”を選者に、88年から、はっきり「文春ベスト10へのアンチテーゼ」と銘うって始められた。
「最初、文春が始めた時はうれしかったんですが、だんだん出ている作品がピンとこなくなってきたんです。うちが対象にしているのは『面白い小説』。ですから、純粋ミステリーファンの方からは『なぜ、これが』と抗議がくるようなものも入っています。小説には『面白いか、そうじゃないか』の違いしかない。たまたま、ほかに言葉がないので『ミステリー』としているだけ。(引用者中略)」(JICC出版局・石倉笑氏)」(『DIME』平成4年/1992年2月20日号より)
公称4万部を発売。アンケート回答者は26名。この年、投票のあった61作品のうち、直木賞候補作はわずか2作だった。
●平成1年/1989年12月
2年目にして早くも、「このミス」1位&直木賞作が誕生。原尞『私が殺した少女』だ。原さんいわく、直木賞よりも「このミス」1位のほうが嬉しかったと。
「元来ミステリー全般が好きだったということもあって、今から思うと、つい謎解きとして複雑な構成のある作品を書いてしまったところがあると思っています。それが幸いしたのか、ハードボイルドファンにも、普通のミステリーファンにも、広く受け容れられて、『このミス』の年間ベストワンに選ばれたのは、年が明けて直木賞をもらったことよりも、はるかに嬉しかったです。」(前掲『別冊宝島 もっとすごい!!『このミステリーがすごい!』』所収「原尞インタビュー」より 聞き手・文:三橋暁)
この年「このミス」で7点以上を獲得した42作中、直木賞候補は3作。
もうひとつ、「このミス」が「このミス」ここにあり、と名を知らしめたランキング以外の重要要件、「覆面座談会」が始まったのがこの年だった。ただし1年目の座談会では、直木賞に関する言及なし。
●平成2年/1990年12月
「このミス」7点以上獲得の44作中、直木賞候補3作。ようやく直木賞をとれた泡坂妻夫の『蔭桔梗』が11点で30位、というのは、ややご祝儀的な感あり。
●平成3年/1991年12月
「このミス」7点以上獲得の39作中、直木賞候補3作。
覆面座談会で、ノベルス中心に圧倒的な読者を持つ作家を、「二時間サスペンス・ドラマ原作リーグ」として、ミステリー・リーグとはリーグが違うと発言。また『産経新聞』夕刊の匿名コラム「斜断機」との論戦(泥仕合?)勃発。
●平成4年/1992年12月
「このミス」7点以上獲得の37作中、直木賞候補2作。
覆面座談会で、高村薫のことを女王様、宮部みゆきを王女様と見立てた発言あり。これがはからずも、翌年の座談会への伏線となる。
●平成5年/1993年12月
「このミス」7点以上獲得の41作中、直木賞候補4作。
高村薫『マークスの山』がこのミス1位&直木賞。ところが、高村が直木賞授賞式で「自分の書くものをミステリーとは思っていなかったが、常にミステリーといわれて、すっきりしないものを感じていた」と発言したことが、匿名座談会の面々にもイラッときたらしく、「直木賞おかしいんじゃないか」発言を誘発する。
「A 今年、高村薫が初ノミネートで直木賞をすんなりとれたのは、去年宮部みゆきが落ちたおかげじゃないかな。(引用者中略)『火車』を落とすにしても、何人かの選評がピント外れだった……。
D 某黒岩重吾だとか(注、「私が納得出来なかったのは、新城喬子が説明でしか書かれていないことだった。大事な人物なのに人物像が不明確である」――「オール讀物」九三年三月号の黒岩重吾氏の選評より)。
A やっぱり直木賞は畏れ多いせいか、選考のおかしさを表立って批判したのは「本の雑誌」だけだったと思います。でも、巷でもあれはおかしいとか、声なき声が出て、『火車』を落としたのは失敗だったかなと選考側も思ったんじゃないかな。」(平成5年/1993年12月・宝島社刊『このミステリーがすごい!'94年版』所収「ついに最終回か!?緊迫の匿名座談会 暴言かましてすみません」より)
●平成6年/1994年12月
「このミス」7点以上獲得の52作中、直木賞候補4作。
覆面座談会のなかで、ミステリー出身作家のいわゆる文芸作品について、直木賞をからめた冗談が飛ぶ。
「B ミステリー作家がいわゆる文芸作品を書くというのが、今年の一つの特徴といえるでしょう。
C 志水辰夫の『いまひとたびの』とか、北村薫の『水に眠る』……。
D これで直木賞をとらせようっていう、出版社の陰謀じゃないの(笑)。まあ力量のある人は、たまにはミステリーでないものも書いてみたくなるんだろうね。」(平成6年/1994年12月・宝島社刊『このミステリーがすごい!'95年版』所収「'94年を総まくり、進め匿名座談会 あの『照柿』はシブかった!?」より)
●平成7年/1995年12月
「このミス」7点以上獲得の45作中、直木賞候補5作(5作選ばれたのは初)。
明けて1月の直木賞(第114回)選考では、ミステリー系統の作品が多数候補作を占めた。そのことから、「直木賞がこのミス風になった」との揶揄が投げかけられる。
「第百十四回直木賞の最終選考を通過した作品リストは一見、「このミステリーがすごい!」風だった。
(引用者中略)
確かに、ここ数年は高村薫さん、大沢在昌さんなどミステリー作家の受賞が相次いでいる。けれども作家自身にはもはや、そうしたジャンルにこだわる意識はないようだ。藤原(引用者注:藤原伊織)さんは「自分の中には純文学とエンターテインメントを区別する意識はない。物語はすべて伝承から始まったものであって、垣根はなかったはず」という。小池(引用者注:小池真理子)さんも「自分の好きなものを頑固に書いてきただけ」と、自作が「心理ミステリー」とジャンル分けされる戸惑いを漏らした。」(『毎日新聞』夕刊 平成8年/1996年1月22日文化欄「余白ノート このミステリーがすごい!」より 署名(由))
●平成8年/1996年12月
「このミス」7点以上獲得の45作中、直木賞候補5作。
覆面座談会にO森某(大森望)、初参加。さすが文学賞の話題でも盛り上がり、とくに直木賞の候補作選びに異論がぶつけられる。
「B どう考えても納得できないのは直木賞。『蒼穹の昴』が受賞しないとは。『火車』が落ちたときにも言ったけど、バカだね。選考委員の、とくに……。
O 今回の直木賞は、すでに候補作からしてまちがっている(笑)。宮部みゆきが『人質カノン』、篠田節子が『カノン』、鈴木光司が『仄暗い水の底から』でしょ。作家の名前だけでそろえたとしか思えない……。(引用者中略)
D 直木賞選考委員には文壇の将棋大会で活躍してればいいような人もいるし。」(平成8年/1996年12月・宝島社刊『このミステリーがすごい!'97年版』所収「匿名座談会国内編 絶賛帯はホントに信じていいのか 覆面5匹、地雷を人に踏ませるの巻」より)
●平成9年/1997年12月
「このミス」7点以上獲得の56作中、直木賞候補6作(6作選ばれたのは初)。
公称16万部を販売するまでに部数増加。
……と、ここまでで10年。ふう。「このミス」に登場する小説の1割は、確実に、直木賞候補でもある、っていう地点まで達するにいたりました。
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