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2010年11月21日 (日)

オール讀物推理小説新人賞 本流のようなオーラを発しつつ、意外に傍流。

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 まさか。自分の目の黒いうちに、この賞が世の中から消える日がくるとはなあ。

 直木賞といえば『オール讀物』。『オール讀物』の新人賞といえば三つ思い浮かびます。

 まずは「オール讀物新人賞」。昭和27年/1952年創設以来、58年。これは今も続いています。

 「大衆演劇「一幕物」脚本募集」。昭和34年/1959年に始まって10年。あっさり終わってしまいました。

 そして「オール讀物推理小説新人賞」。昭和37年/1962年スタート。48年前ですって。以下、全回の最終候補および受賞一覧です。

【オール讀物推理小説新人賞受賞作・候補作一覧】

 おお、懐かしの推理小説ブームよ。推理小説新人賞は、『オール讀物』昭和37年/1962年3月号において、創設が発表されました。その創設宣言、とくとご覧いただきましょう。

オール讀物による 文壇への三つの登竜門

推理小説新人賞 新設!

 今日ほど推理小説が隆盛を極めている時はありません。老若男女を問わず現代に生きる人々にとって欠くべからざるものになっております。単なる謎解きから脱却して、人間の苦しみ、社会の矛盾に素材を求め、読者に共感を与えたからでありましょう。しかし、このブームの時こそ、更に新分野を開拓する新人の出現が待たれるのではないでしょうか。オール新人賞によって大衆文学に新人をおくり続けてまいりましたが、この時に当り推理小説部門の強化拡充をはかり、新人発掘の資として、「推理小説新人賞」を新設いたしました。いわゆる本格ものに限らず、広義の推理小説の募集をいたします。皆様のご支援をお待ちします。」(『オール讀物』昭和37年/1962年3月号より)

 それから20年くらいたったときに、ミステリー評論家の関口苑生さんが、このころの状況を概説してくれました。推理小説新人賞が生まれ出たのは時代の必然だ、とおっしゃっております。

「昭和三十七年前後は、空前の推理小説ブームであった。その引き金となったのは、当然のことながら松本清張である。昭和三十二年、彼が『点と線』及び『眼の壁』を連載し始め、単行本化されるや、それまでの“探偵”小説はガラリと一変した。

 単なる謎ときだけではなく、事件の背景や動機など、人間や現実を盛り込んだ、いわゆる“社会派”と呼ばれるものの登場だ。さらにはスパイ小説、ハードボイルドなど、推理小説の枠は急激に広がっていったのである。(引用者中略)

 新人作家も続々と登場していた。戸川昌子『大いなる幻影』、佐賀潜『華やかな死体』は江戸川乱歩賞受賞作で、この年惜しくも落選した作品が塔晶夫(中井英夫)の『虚無への供物』であった。また梶山季之は『黒の試走車』でさっそうと登場し、産業スパイという言葉を世間に知らさしめた。

 そんな時期に「新人出よ!」の声があがるのも無理はない。本賞の創設は必然だったとも言えるのだ。」(昭和59年/1984年11月・文藝春秋/文春文庫『疑惑の構図 「オール讀物」推理小説新人賞傑作選II』 関口苑生「解説」より)

 ブームの最中っつうのは恐ろしいですね。黙っていれば、怒濤のごとく新人作家は生まれ続けるでしょうに。大衆小説の牽引役を(勝手に)自認する一中間小説誌までもが、手を出さざるを得ないほどの熱狂の渦、だったのでしょうか。

 まあ、昭和30年代後期のバブリーな推理小説ブームについては、いろいろな研究文があることでしょう。ここでは突っ込みません。あえて関心の目を向けるとするなら、『オール讀物』がわざわざ推理小説専門の新人賞をつくった意味、です。

 当時、同誌は新人賞をやっていました。年二回も。そのうえ、さらに推理小説新人賞です。気でも狂ったのかと疑いたくなります。

 いや。『オール讀物』といえば、大衆文学の発展を心から願う良心的な雑誌だと思います。その雑誌が、推理小説にも本腰いれるぞ、と宣言しただけのことなのかもしれません。素晴らしいことです。ただ、そんなの既存の新人賞の枠を広げてやればいいのじゃないかい?

 『宝石』が新人を募集するのはわかります。『ミステリマガジン』だって、新しい書き手が欲しいでしょう。『推理ストーリー』だの『小説推理』だのも、手垢のついてないピッカピカの推理小説を欲して当然です。

 そこに『オール讀物』がしゃしゃり出てくると、とたんに場が混乱します。

 場が混乱する、というより、推理小説が混乱します。おそらくミステリー大好き人間の目からすれば、『オール讀物』なんぞ、カネになる「推理」の看板に目がくらんで、推理もどきの傍流を、推理小説だ推理小説だと強弁して売りつける大悪党に見えかねません。

 推理小説はいずれ大衆文学の一翼を立派にになうはず、と期待する。これはいいです。ときに直木賞をあげる。許せます。だけど、おのれの中間小説観や直木賞観で推理小説にモノサシをあて、「小説としてなっていない」などと断じる姿勢は、いやはや、混乱を助長するだけでしょう。

 ねえ。水上勉さん。

「推理小説はトリックや手法の斬新さも必要だが、文章力と、作家がなぜ、その殺人を書かねばならなかったのか、意図の不在なのは困るのである。(引用者中略)文章力と作家の内面的なもの、つまり「顔」が出ている見事な殺人を、懸賞小説で望むのは無理なのだろうか。オール讀物だからこそ、望みたい気がしたのであった。」(『オール讀物』昭和37年/1962年9月号「第一回推理小説新人賞選評」 水上勉「後半の殺しが安易」より)

 そう。『オール讀物』の推理小説。……「広義の推理小説」とか言い始めた段階で、うすうす気づいてはいたんです。まったくこれこそ、『オール讀物』の得意とする戦術じゃありませんか。

 昭和初期。白井喬二らが言い出して、言葉だけが先行していた「大衆文芸」。その賞をつくってはみたものの、けっきょく大衆文芸が何を指すのか、誰もわからないまま走り始めて、いろんなジャンルの散文を大衆文芸だと強弁しつつ、直木賞を運営してきた歩み。

 ……いや、いまのハナシじゃありませんよ。少なくとも推理小説新人賞が始まった昭和30年代後半の直木賞は、そうでした。膨張を始めた「推理小説」に、オレにも一枚噛ませろと、とりあえずちょっかいを出す『オール讀物』。このオッチョコチョイで、定見なしの、自由きままなやり口。ワタクシ、嫌いじゃありません。

          ○

 はなっから、存在価値が不明な歩み出しでした。やがて40数年たって、「オール讀物新人賞」に吸収合併されちゃいました。

 はたから見ますと、まあ文春には「松本清張賞」ができていましたからね。推理小説(時代小説もですが)を求める公募新人賞、一社に二つも要らないんじゃないの? ってことで推理小説新人賞のほうは、スッキリと消滅できた感があります。

 歴史ってのは面白いもんです。オール讀物推理小説新人賞って、最初の最初、構想段階では「松本清張賞」と名づけようかとアイデアがあったらしいですから。50年弱も前に。

安藤(引用者注:安藤満) 実は、推理小説新人賞をつくった時、初めは「松本清張賞」にしようという案があったんです。

藤野(引用者注:藤野健一) もうその時点で?

安藤 そう。でも結局、「芥川賞、直木賞というのがあるから、バランス上、それはまだちょっと早いんじゃないか」ということで推理小説新人賞になった。

鈴木(引用者注:鈴木文彦) 清張ブームのすごさがよく分かる話ですね。」(『オール讀物』平成12年/2000年11月号「編集長が語る あの作家・この作家オールとっておきの話」より)

 46年にわたる格闘のすえに、落ち着くところに、しっかり落ち着いた、ってことかもしれません。

          ○

 『オール讀物』は、推理小説新人賞を大切に育てていきたい、と願っていたのでしょう。第1回、受賞作の「あるスカウトの死」を、直木賞の候補にしていることからも、よくわかります。うちの懸賞に応募すれば直木賞をとれるかもしれませんよ、という呼び込みは、『オール讀物』の伝家の宝刀です。

 第1回からして、受賞者・高原弘吉さん。プロ作家として書き続けられる作家を見つけられたのは大きかった。小泉喜美子さんが最終候補に残って、これがきっかけでデビューにつながったのも意義あることでしょう。石沢英太郎さんや、斎藤栄さん(二次予選通過)、西東登さん(一次予選通過)などが応募者のなかに混じっているのを見るだけでも楽しいことです。

 この賞はこの賞で、いくぶんかでも新しい推理作家を生み出す機能を果たしてきました。

 ただ、途中までは、あまりパッとしない受賞者群ばかり輩出してきた、つうのも事実です。

 西村京太郎さん(第2回受賞)がブレイクするのは、この賞をとってからずっと後のことですし。高柳芳夫さん(第10回受賞)も含めて、「乱歩賞をとる前の、ちょっとした小休憩」みたいな雰囲気が、ぷんぷん漂っています。

 山村正夫さんも指摘していますね。

「現代の推理小説界は新人の登龍門に恵まれていて、長短編を合わせると、かなりの数の懸賞募集が行われているが、私の見るところ短編部門から登場しても、その後これといった長編を発表しない限り、大物の作家になった例はきわめて少ないのだ。(引用者中略)

 例えば西村京太郎氏や高柳芳夫氏などが、そのいい例といえるだろう。両氏とも短編賞を受賞した段階では、さほど注目はされなかった。その後、江戸川乱歩賞を受賞して、はじめて脚光を浴びたのである。」(平成1年/1989年6月・双葉社刊 山村正夫・著『推理文壇戦後史〔4〕』「驚異のベスト・セラー作家・赤川次郎」より)

 あるいは、ようやく推理小説新人賞が満を持して直木賞候補を生み出すことになった、第12回受賞の康伸吉さん。またの名を壱岐光生さん。……ああ、いま、どうされているのでしょうか。

 赤川次郎さん(第15回)がとってくれた辺りから徐々に、賞に運が向きはじめたのか、第19回にはもりたなるお逢坂剛の二大(?)作家を、世に送りだすことに成功します。

 宮部みゆきさん(第26回)は日本推理サスペンス大賞作家でもありますから別格としまして。石田衣良さん(第36回)なる大スターを誕生させるまでに、吉村達也さん、鈴木輝一郎さん、大倉崇裕さんなどには苦渋をなめさせつづけました。

 最後の光芒は、朱川湊人さん(第41回)、門井慶喜さん(第42回)あたりだったのでしょうか。もはや「推理小説」を名に掲げている違和感がぬぐえない時代のころです。

 赤川次郎さんは、この賞が消滅するとき、エッセイでこんなことを言っていました。

「この度、「推理小説新人賞」が姿を消すことになったと聞くと、少々寂しいが、それはこの三十年の間に推理小説の世界が広がり、今やエンタテインメントの中核を担うに至ったことの証明だろう。」(『オール讀物』平成19年/2007年11月号 赤川次郎「その夜の電話」より)

 ああ。推理小説の勝利を祝うべきか。それとも、「人間が描けていない」だの選評で罵倒されながら直木賞と遠く離れたところで苦闘を重ねていた、創設から十数年のころを顧みて、あれは何だったんだろうと思い返すべきか。……複雑な気持ちです。

 でも、こういう賞の歩みこそ、ワタクシは惹かれるんです。オール讀物推理小説新人賞は、主催が有名誌だし、名前に「推理小説」って付いているし、有名作家を何人も送り出しているし、いかにも順風満帆、何の欠点も障害もない推理小説の賞だ。……というように一般的には見えながら、どうも中途半端感がぬぐえない、あるいはイマイチ感が後にのこる感じ。

 ね。直木賞に何か似てなくないですか。

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