山田風太郎賞 旧来型を踏襲して埋没するか。新たな文学賞のかたちを提示して巻き返すか。
今週金曜日、10月29日に、新しい文学賞の最初の受賞結果が判明します。
山田風太郎賞。略して「山風賞」が、すでにいま、どのくらい盛り上がっているのかはわかりません。少なくとも、三島賞・山周賞ができた当時に比べたら、そうとう静かなものです。
新潮社が二つの賞をつくったあの頃、昭和63年/1988年には「文学賞ウォーズ」などと言って、一部でワイワイ盛り上がりました。芥川賞 vs. 三島賞、直木賞 vs. 山周賞、文藝春秋 vs. 新潮社、だとか何とか。でも、文藝春秋 vs. 新潮社 vs. 講談社 vs. 角川書店、つうのは、あんま面白くないんでしょうか。
山風賞に先行して角川書店には、一度、文学賞を始めてつぶした経験があります。「角川三賞」です。以前とりあげましたね。以来24年。いよいよ第二幕です。
先日、候補作が発表されました。かなりの部分で、「角川版直木賞」の様相を呈しています。うちのブログにとっては格好の材料です。温かい目で、その船出を見守って差し上げたいと思います。
……にしても、この賞はスタート前から、相当ハードルが高いです。文学賞マニアの間では、かなり期待値が高まっていると言いますか。
なにせ、山田風太郎っつう名前の魅惑的なこと。しかも「ミステリー、時代、SFなどジャンルを問わず」と、わざわざ宣言しちゃっている。既存の文学賞ですくい取れない小説も視野に入れますぞ、と言っているかのような構えです。
さて、どんな小説、どんな作家にとらせる腹積もりなのか。運営を担当する角川書店編集局が、どのような候補作を並べてくるか注目が集まっていました。
第1回候補、綾辻行人、有川浩、海道龍一朗、貴志祐介、森見登美彦。……ははあ、他の文学賞をとっている人でも、除外されないのだな。少なくとも、山本周五郎賞を受賞しても、まだ山風賞の対象で取り上げよう、って寸法らしいです。
山周賞は、まあいいでしょう。ワタクシの興味のひとつは、直木賞や芥川賞の受賞者でも、山風賞候補になり得るか、って点にありました。要は、山周賞・吉川新人賞・大藪賞、そういった方面に行くのか。それとも泉鏡花文学賞ぐらい振り切るのか。……第1回については、前者の道が選択された、ということのようです。
期待が高かっただけに、この点はガックリ。こういう「直木賞ライン」を引いた文学賞の構造は、作家や出版社やその界隈の人たちには、何か恩恵があるのか知らないですけど、観客からしたら、大して面白みがないからです。
ただ、海道龍一朗さんを候補に選んでいてくれて、ホッとひといき。危うく、角川っ子オンパレードの、角川グループの在庫本を売ろうぜキャンペーンを、大々的に見せつけられるところでした。さすがに、往年の角川小説賞を繰り返す気はないんでしょう、そうでしょう。と見たいところです。
角川小説賞に比べて、良心的だと思えることを、もうひとつ挙げますと。風太郎さんの旧作を、「山田風太郎ベストコレクション」と銘打って、順次、新刊として手にとりやすくしていってくれていることでしょう。
「今年(二〇一〇年)、新たな文学賞、山田風太郎賞が創設されたのを記念して、角川文庫から山田風太郎の作品が、まとまって刊行されることになった。山田風太郎に興味を持った若い読者のための入門篇となるシリーズにしたいという版元の意向を受けて、選りすぐった代表作を取り揃えたのが、この〈山田風太郎ベストコレクション〉シリーズである。」(平成22年/2010年7月・角川書店/角川文庫 山田風太郎・著『虚像淫楽』 日下三蔵「編者解題」より)
ええと、若い読者のための入門篇ですか。にしても、新しく書き下ろされた文庫解説はひとつもなく、すべての解説が、昔だれかが書いたものの再録でしかない、ってのは、いくら何でも若い読者を舐めすぎているぞ。と思わないでもないですが、まあ、若い(?)読者がピピッとくるような作家たちに、帯の推薦文を依頼しているその戦略で、許しちゃいましょう。
『甲賀忍法帖』(平成22年/2010年7月刊)帯…冲方丁「なぜ今なお、/これほどまでに新しいのか!?」
『虚像淫楽』(平成22年/2010年7月刊)帯…綾辻行人「今なお――否、現代(ルビ:いま)ゆえにこそ、/いっそう香り立つ/妖しき探偵小説(ルビ:ミステリ)の華々。」
『警視庁草紙』上(平成22年/2010年8月刊)帯…森村誠一「元江戸南町奉行と警視庁の対決を借りて/これほど見事に日本近代化の/陣痛を描出した作品はない。」
『警視庁草紙』下(平成22年/2010年8月刊)帯…作家推薦文なし
『天狗岬殺人事件』(平成22年/2010年9月刊)帯…有栖川有栖「山田風太郎を読めば、/人生がより楽しく豊かになります。/もうご存じでしたか?」
『太陽黒点』(平成22年/2010年9月刊)帯…道尾秀介「肉声よりも肉声に近い叫びを/聞いてみたい人たちへ。」
『伊賀忍法帖』(平成22年/2010年10月刊)帯…有川浩「「小説にルールなんざねえ!」/と墓の下から怒鳴られた。」
『戦中派不戦日記』(平成22年/2010年10月刊)帯…石田衣良「風太郎青年の目から見る戦時は、/そのまま現代ニッポンの姿だ。」
※以上、「/」は改行
で、このうち二人の作家が、山風賞候補に選ばれていて、これまた角川っ子の特権なのか、と勘ぐらせるような仕掛けが効いています。角川グループも、イキなことをやりよるよのう。
イキなことといえば。そもそも、山田風太郎さんを賞の冠にしようって発想が、イキです。「反骨の作家」。ってことで、この文学賞の色彩を決めようとしているようです。
反骨の作家イメージを、そのまま文学賞に。直木賞に対抗しようってときには、これほど適切なイメージはありませんよね。そんな面では、やや山本周五郎さん+山周賞とカブっているところもあります。
周五郎さんは、さまざまな文学賞を拒否った作家の代表格。そして風太郎さんもまた、数いる「文学賞辞退作家」のひとり、ですもの。
○
風太郎さんの場合は、反骨っていうより、自然体なんでしょうけどもね。
昔むかし、風太郎さんの新人時代、「みささぎ盗賊」が直木賞に推薦されたことがあります。推薦したのは、大下宇陀児さん。昭和23年/1948年4月、戦後復活第1回の選考委員会が開かれたときです。
ただ、あくまでも、文壇人から寄せられた推薦回答のひとつ、だけでしかありませんでした。推理畑からただひとり、木々高太郎さんが直木賞選考会に加わっていましたが、彼がこのとき熱心に推していたのは、久生十蘭さん。選考会でも、風太郎さんのことはあまり議論の対象にはならなかった様子です。
風太郎さんが直木賞に収まる作風だとは、とうてい思えない。それは、うなずけます。ただ、一度くらい直木賞候補にあげてもらって、当時の委員たちがどんな反応を示したか、見たかったぞ。島田一男とかを候補にしている場合じゃないだろ。と悔やんでみても詮なきことです。
ここに一人、作家が登場します。筒井康隆さんです。
風太郎と直木賞は、まるで交わることのない異世界の住人どうし。その疎遠なる両者のあいだに、筒井さんの存在が媒介することで、おぼろげに風太郎 vs. 直木賞、山風賞 vs. 直木賞、の対立の構図がうかびあがってきます。不思議ですね。
「かつて私は自分の作を「アイデアだけだ」と或る人に評されたことがある。これを私は悪口とは受取らない。アイデアというものが大変なものであることを充分に知っているからだ。(引用者中略)小説というのものは何もそんな風に人間や人生を描かなくてもいいのである。いや、全然人間や人生を描かなくても、人間が読んで面白い小説もあっていいのである。
さて、筒井さんは、何となく気にかかる作家の一人であった(私にとってそんな作家はあまり多くない。今思い浮かぶもう一人は、これは作風に類縁があるのかないのか見当もつかないが、野坂昭如さんである)。そして、何かのはずみで何かを読んだと見えて、「ことしの直木賞は筒井さんにあげるといいな」とその賞を出す雑誌社の人にいったこともある。むろん直木賞などに縁のない私のいうことだから何の権威もない雑談だが、それだけにそんな要らざることをいったのも珍らしい。」(平成19年/2007年7月・筑摩書房刊 山田風太郎・著、日下三蔵・編『わが推理小説零年―山田風太郎エッセイ集成』所収「筒井康隆に脱帽」より ―初出『新宿祭 筒井康隆初期作品集』昭和47年/1972年7月・立風書房刊)
このエッセイの結びが、またいい。思いっきり深読みすれば、年くった筒井さんが、どんな選考を山風賞でしてくれるのか、こちらまでワクワクしてきます。
「とにかく、いろいろな意味で、現在はもとより、十年後が、さらにジジイになってからがいよいよ愉しみな作家である。私はどこかのなるべく異常のない星でそれを拝見いたしたい。」(前掲「筒井康隆に脱帽」より)
それで、ご自分でも「直木賞などに縁のない私」と風太郎さんは書いていました。文学賞といえば、デビュー直後の昭和24年/1949年に探偵作家クラブ賞を受けて以来、まったく無縁に活動しました。
平成9年/1997年、75歳で菊池寛賞を受賞することになります。それより前、まったく文学賞のハナシがなかったのかといえば、今のところ知られている限り、一度、ありました。
柴田錬三郎賞。その受賞を辞退したそうです。
インタビュー三部作の棹尾『ぜんぶ余禄』(平成13年/2001年6月・角川春樹事務所刊)にも、その話題は出てきます。ただ、このときの風太郎さんは相当に物忘れが激しく、柴田錬三郎賞を吉行淳之介賞、集英社を新潮社と勘違いするありさまで、以下のような「辞退の理由」も、ほんとうはどうかはわかりません。
「――柴田錬三郎賞ならば、先生に合わなくはないんじゃないですか。
そのときは、まだ僕が威張ってるときだからね。
――先生が威張っているときだから、そんな賞はいらないということですか。
うん(笑)。
――昔から賞をもらうのはお嫌いなんですか。
その賞よりも僕のほうが偉いからね(笑)。
――賞の名前についている、たとえば柴田錬三郎賞の柴田錬三郎よりも、先生のほうが偉いと思ってらっしゃったからということですね(笑)。」(『ぜんぶ余禄』「第17回 二〇〇一(平成十三)年一月十九日 僕の人生で最大の事件は、僕が作家になったことだね。」より)
それよりもまだ、3年ほど前のインタビューのほうが、多少は信用できるかもしれません。
「――この度は菊池寛賞の受賞おめでとうございます。
実をいうとね、こういうのは好きじゃないんですよ。前に、柴田錬三郎賞をやるっていってきたんだけれども、断ったくらいなんです。(引用者中略)
――柴田錬三郎賞は断ってしまったんですか。
そうそう。僕はもらう資格がないって断ってしまった。別に、柴田錬三郎賞に不平があって、もらわなかったんじゃないんですよ。誰のであろうと……。」(平成10年/1998年11月・角川春樹事務所刊『いまわの際に言うべき一大事はなし。』「第七回 一九九七(平成九)年十月十五日」より)
うん。やっぱ、「反骨」じゃなくて「自然体」の人なんだろうなあ。
その意味で、山風賞も、もし風太郎さんをならうのだとしたら、自然体の賞になっていくのが、いちばんよいんでしょう。
○
「自然体の文学賞」。何だそりゃ。意味がよくわかりませんね。
角川は角川のやりたいように、賞を運営していけばいい。そう励ましてあげたいわけです。肩を叩いてあげたいわけです。今この時代に、直木賞だのそれに類した賞だののフレームワークを、実績があるからと言って、まんま真似してどうするの、と。
「大手出版社が軒並み赤字に転落する中、角川の善戦が目立つ。(引用者中略)出版業界の置かれている状況は、今まさに土砂降り状態。(引用者中略)雑誌で稼ぎ書籍の赤字を埋めるという、大手出版社のビジネスモデルは、ここへ来て完全に崩壊した。
一方、角川は利益を出版部門で稼ぎ出している。出版の粗利の6割近くを文庫が稼ぎ、さらにライトノベルが文庫の粗利の6割を上げる。」(『週刊東洋経済』平成21年/2009年9月19日号「カンパニー&ビジネス 出版業界軒並み撃沈の中で独り勝ち 文庫で圧倒的利益稼ぐ角川グループの才覚」より 執筆:田北浩章)
ほらほら、いちおう角川グループといえば、時代に応じてビジネスのやり方をフットワーク軽く切り替えることができる会社、でしょうよ。角川歴彦さんも胸はって言っていたわけですし。
「角川書店は中小出版社でしたけれども、私から見て50年の中で3回業態を変えたと思っております。先ほど冒頭で申し上げました、角川源義が51年前に角川書店を作った時に、父は国史、国文専門の出版社を作りたいと念願して作りました。それが第1期です。
それから第2期は、皆さんご存じのとおり角川映画の時代です。文庫と映画のメディアミックスによって、角川文庫のフレームが急速に拡大して、角川書店の売上げの60%弱を角川文庫が占めた時代です。それから第3期は、現代と言っていいと思いますが、雑誌と入広の売上げが5割を超えるようになった雑誌の時代です。角川書店は3回業態を変えている、業界でも珍種なんじゃないかと思っておりまして、これが私の一つの考え方であります。」(平成9年/1997年1月・全国出版協会出版科学研究所刊 講師・角川歴彦、文責・編集部『21世紀を見据えての角川書店の出版経営戦略―第3の出版スタイルをめざして―』より)
で、第4期が、WEBだのコンテンツプロバイダーだのクラウドだの、そっちに力を入れる角川。ってことなんでしょう。
そんななかでの山風賞。いまのところは、違和感アリアリです。
これを、今後どんなかたちで今の商業ラインに組み込んでいくのか。おそらく角川社内ではいろいろと策が練られていることでしょう。このままでは、どう見ても、旧来型の出版社がえんえんとやっている、手持ちの作家たちへの慰労と、既刊本セールに向けたキッカケ出し、ぐらいにしか受け取られませんもん。
WEB社会のなかでの、従来とは違う文学賞のかたちを、角川がどのように展開してくれるのか。これは楽しみですなあ。
って、あ、ハードル上げすぎですか。まあ、これが新設の文学賞特有のワクワク感なんでしょう。既存の賞の群れに埋没していかないでくださいね。
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コメント
11月23日の読売新聞・文化面にて、村田雅幸さんの記事が掲載されています。
選考委員の京極夏彦さんの講評によれば、山田風太郎の名を冠した賞にふさわしい作品とはどういうものか、という第1回ならではの議論があったそうです。
記事を引用すると、
~~~「山田作品が世の中に与えたインパクト、あるいは後続に与えた影響と同等の力を持った娯楽作品」であり、「今年出た本の中で一番面白いもの」であり、選考にあたって重視したのは、「文学的価値よりも娯楽性」だったという。~~~
第1回山田風太郎賞に貴志祐介「悪の教典」を選ぶことが出来たのは、選考委員にとっても、賞のスタンスを示す意味で、恰好だったのかなという気もします。
投稿: あらどん | 2010年12月27日 (月) 21時37分
あらどんさん、
読売新聞の情報、ありがとうございます。
「文学的価値よりも娯楽性」、そうこなくっちゃ、って感じです。
山風賞に、常に挑戦、脱皮、意外性をくり返していってほしいな、
みずから権威の衣を求めるようなことはしないでいってほしいな、と切に願うところです。
投稿: P.L.B. | 2010年12月28日 (火) 00時53分