大衆雑誌懇話会賞 中間小説を生んだ、中小零細雑誌たちの熱意。
昭和20年/1945年敗戦後。文藝春秋社は、会社存亡の危機を迎えまして。直木賞とか芥川賞とか、そういうお遊びをやっている余裕はなくなりました。
その間、文学賞は消え失せたのか。いや、ありました。たいていは公募型ですけど。いわゆる懸賞小説ですね。「そんなもの文学賞とは呼べないぜ」と、原理主義的な文学賞研究者から大目玉をくらいそうなので、深くは突っ込みませんが。
ここで注目するのは、非公募型の賞です。言い換えますと、直木賞・芥川賞の代わりとなった賞です。
芥川賞の世界でいうなら、横光利一賞あたりがその筆頭なんでしょう。いっぽう、直木賞の世界には、コレがありました。
大衆雑誌懇話会賞。って何だかイカめしい感じのする字面の、はかない賞が。
はかないです。たった2回で終わっています。当時の俗語を真似れば、「カストリ」文学賞の類です。じつに、はかない。
しかしそこには、いろいろな事情と思いが詰まっていました。たぶん。大衆雑誌だあ? ふん! と馬鹿にしないで、ぜひ視線を送ってあげましょう。
この賞は、名前のとおり、「大衆雑誌懇話会」なる組織がおっ始めました。で、大衆雑誌懇話会って何ぞや。昭和22年/1947年当時の、大衆向け小説誌の編集者たちが一致団結して(?)結成された集団です。
「大衆雑誌懇話会ではかねてから設立準備を急いでいたが、去る(引用者注:昭和22年/1947年)四月四日午後一時から千代田区駿河台の雑誌記念会館で創立総会を開催、(引用者中略)
大衆雑誌懇話会規約
(引用者中略)
一、当懇話会は広汎なる読者層を有する大衆雑誌の社会的意義に基き会員各誌の質的向上、共同福利の増進並に会員相互間の親睦を計るを以て目的とす」(『出版文化』170号[昭和22年/1947年4月21日]より)
いちおう、この頃の出版事情、社会背景をかいつまんでおきますと。
GHQは言いました。仇討とか封建主義とか、そういうおハナシは出しちゃダメよ、と。そうかそうだよね、とうなずく日本政府。ではではと推し進めたのが3S(スポーツ、スクリーン、セックス)文化でした。
そう言われちゃったら、大衆向け雑誌だって、そっち方面にドドーッと走りますよ。そしてまあ、下衆な万民が喜ぶのは扇情的なものと相場が決まっとりますがな。右をみればエロ、左に転じてもエロ、世の中エロのない小説なぞ売れんわい、とばかりに、万歳エロ雑誌が賑わいをみせたわけです。
ところが、やりすぎはいかんぞ、と苦言を呈すお節介モノが、どこにもいるもんです。あまりにエロエロ騒がれ出したもんだから、検察、内務省、警察あたりが取り締まり始めちゃいました。昭和22年/1947年。刑法第175条ワイセツ物頒布販売罪の初の適用、などという名誉ある座を射止めたのは、『猟奇』と『でかめろん』でした。
さあここで、しゃしゃり出てきたのが、民間団体の日本出版協会です。
「まずい。またぞろおカミの言うなりになったら、数年前の蒸し返しじゃないか」とあせったのでしょうか。はたまた、「ええ、ええ。お偉方のみなさまはお忙しいでしょう、そんなくだらない監視は、うちでやりますよ、スリスリ」と、相変わらずの追従グセを発揮したのでしょうか。
「オレたちが浄化したるぜ」、だそうです。
「桃色物へ光らす眼 出版協会が浄化に乗り出す
(引用者前略)日本出版協会でも民間側として独自の立場からニラミをきかしこれら出版物の自主的浄化にのりだそうとしている(引用者中略)
出版協会の諮問機関「文化委員会」が出版浄化の中心となって今月末から発足、文化人、業者、協会幹部それに一般識者代表ら五十名の“良識”をあつめてエロ本対策の評定をひらき具体的措置を講ずることゝなった」(『読売新聞』昭和22年/1947年2月4日より)
そんな折りに、大衆雑誌懇話会は創立されました。独立した機関ではありますが、創設当初は、この日本出版協会雑誌課に置かれたそうです。
先ほど、懇話会の規約を引用しましたけど、そこに「質的向上」って言葉がありましたね。何なんだ、大衆向け小説の「質的向上」って。わかりません。ただ、時代背景からして、桃色の行きすぎはやめようよ、ってことなんでしょう。
あるいは、ワタクシの耳には、いくつかの雑誌のこんな叫びも聞こえてきます。「おい。おれたちをカストリと呼ぶな。いっしょにするな」……。切実そうな声です。摘発されるのは、イヤですからね。
どんな雑誌が、ここに集結したのでしょうか。具体的な誌名の一部が、前掲の『出版文化』に載っています。
『ホープ』『モダン日本』『苦楽』『オール讀物』『小説と読物』『日本ユーモア』『大衆文藝』『小説クラブ』『につぽん』『新読物』。
二、三誌を除けば、みんな戦後に出発した雑誌ばかりです。いいですね、若芽の薫りがにおってきて。旧体制くそくらえ、ってな感じでしょうか。
おそらくみなさん頑張って編集していたでしょう。そして歯ぎしりしていたでしょう。「大衆雑誌なんてエロばっかだ、読むに値しないものだ」と偉ーい人たちから馬鹿にされて。なにくそ、大衆小説だって立派なものはいくつもあるんだ、もっと質的向上して、馬鹿にしている奴らを見返してやるんだ……。
おや。これって、なんか「いつか来た道」、じゃないですか。
昭和10年/1935年前後。講談モノの通俗性に足をひっぱられないようにと、精いっぱい背伸びしようとした、あのころ。大衆文芸の質的向上をめざして、直木賞がつくられたあのころそっくりです。
敗戦後のゴタゴタで、直木賞は消えちゃいました。じゃあオレたちがやるしかないな、と非公募の文学賞を立ち上げた、大衆雑誌懇話会の面々。カッコいいよなあ。頼もしいよなあ。
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