「噂」小説賞 作家が作家を選考するような賞は、まったく信用できない。
そりゃあ、これだけ暑いとバテますわよ、直木賞オタクだって。
と元気の出ない我らに。ごちそう中のごちそう、ひと口入れただけで極楽、ざっと眺めているだけでもおなかいっぱい、大満足必至の雑誌があります。
『月刊 噂』です。
とくに、そう、直木賞の情報に飢えている向き(つまりワタクシ)には、こういう「ごちそう」の存在は、そうとうに得難く、貴重なわけですよ。
昭和46年/1971年7月~昭和49年/1974年3月、わずか2年半の短命雑誌ながら、ともかく半年に一回行われる直木賞について、毎回毎回、飽きず取り上げてくれている、ってんですから。しかも、ゴシップ性てんこもりで。
……というハナシは置いておきまして、文学賞がテーマでしたね。それでは、『噂』誌がつくった賞、「噂」小説賞に注目しましょう。
この賞、創設のことばは、昭和47年/1972年12月号の『噂』誌に載りました。これを読めば、どんな賞なのかピタッとわかってしまう、ツボを押さえた名宣言文です。
「次号新年号で発表!
「噂」小説賞・さしえ賞
現場の編集者が選ぶ画期的な賞
▼賞金各十万円
小説雑誌(文芸誌を除く)の昭和四十七年新年号より十二月号までに、作品を発表した作家、画家を受賞の対象にし、その期間中に、すぐれた作品を発表した方を、小説雑誌編集者のアンケート、さらに、その結果を有志編集者の選考座談会で検討し、各一名の受賞者を決定します。すでに功成り名遂げた大家は除外し、小説界に、よりいっそうの活気をもたらす可能性を期待できる作家、画家を顕彰するつもりです。どうぞご期待ください。
「噂」編集部」(『噂』昭和47年/1972年12月号より)
ここで言うツボとは、次の3点。「現場の編集者が選ぶ」、「文芸誌を除く」、「すでに功成り名遂げた大家は除外」ってところです。
で、ここから先、「噂」小説賞のことを書いていくわけですが、正直申して、ワタクシがいちいち書くまでもないことばかりです。ねえ。『梶山季之と月刊「噂」』(平成19年/2007年5月・松籟社刊 梶山季之資料室・編)という、『噂』誌に関するあれやこれやが全部つまった、ただならぬ本が、すでにこの世に存在しちゃっているんですもの。
なので今日は、この本に頼り切り、で進めます。
そもそも『噂』誌とは、どんな雑誌だったのか。……といえば、主役は小説誌の編集者たち、彼らにスポットライトを当てよう、編集者たちの声を聞きだそう、っていう構えの雑誌でした。
その雑誌が決める賞なのですから、当然、編集者たちが(編集者たちだけで)決める。そういうことです。
「編集者が選ぶ「噂」賞は梶山(引用者注:『噂』誌のオーナー、梶山季之)さんの発案による。挿絵賞を設けたことに「噂」の特徴が出ていると思う。出版社のお偉方でなく、現場第一線の編集者が選ぶ賞ということに、新鮮味と意義があったと多少の自負をもっている。「おれも噂賞もらいたいよ」という作家もいた。」(『梶山季之と月刊「噂」』「第I部 「噂」と梶山季之 企画別・内容一覧 解説8」(談・高橋呉郎、文責編集部)より)
梶山さんのことですからね。中間小説誌の世界は隆盛を極めつづけて右肩上がり、それなのに「直木賞」なんていう小さな器ひとつだけでは、力ある作家は、ポロポロとこぼれ落ちる一方じゃないか。ぐらいのことは、当然思っていたのかもしれません。
つうか、梶山さん自身が、直木賞の狭い枠から落とされた一人だったわけですし。
「『李朝残影』は、直木賞の候補となりました。この時(引用者注:第49回 昭和38年/1963年・上半期)の有力候補者は瀬戸内晴美《寂聴、作家・僧侶一九二二~》さんで、対抗が私と云うところでした。/ところが、フタをあけてみると、佐藤得二氏の『女のいくさ』が受賞となり、とんだ大アナが出ました。なんでも佐藤氏は、銓衡委員のK氏の同級生で、そのための同情票が集まったのだそうです。/しかし、佐藤氏は、その後、一作も書かずに死亡され、私は受賞決定の夜、銀座の酒場で銓衡委員の某氏から、/「キミだの、瀬戸内だのに、今更、直木賞をやるこたァねえやな……」/と云われました。/(引用者中略)私が「噂」の小説賞、挿絵賞を創設したのは、偏見にとらわれない、編集者が決定する賞があって然るべきだ……と考えたからであります。/既成作家が受賞者を撰ぶときには、自分の競争相手となりそうな若手を、どうしても蹴落そうとします。云う云わないとに拘らず、そうした心理が働いている。それを断ち切らねば、真の銓衡とは云えません。」(『梶山季之と月刊「噂」』「第I部 「噂」と梶山季之 創刊 その意図したもの」橋本健午 より ―引用文の典拠元は集英社刊『梶山季之自選作品集8 わが鎮魂歌/李朝残影 他』「著者あとがき」で、「/」は改行、《 》内は橋本氏による注記)
んもう。この言い方がまんまゴシップ型すぎますよ! よけい梶山さんが好きになってしまいます。
いや、もちろんイケないのは直木賞のほうです。「今後も職業作家として書いていかれる人に」とか言う人がいれば、「この一作だけで授賞する価値あり。これから先、書いていかれる必要はない」みたいな選考もよしとする、あいまいさ。そりゃあ、文学賞といえば一つの決まった対象、決まった基準で与えるものだ、と真っ当に信じている梶山さんなどは、面食らってしまうでしょう。
梶山さんだけじゃありません。立原正秋さんや笹沢左保さん、青山光二さんなど、当時の職業作家が、素人作家に受賞をさらわれたときの怒りの反応が、どうにも似通っているのがまた興味深い。中間小説界がガーッと賑わい始めた頃の、職業作家のプライド、それに付いていけていなかった直木賞、っていう姿が浮き上がってきます。昭和30年代後半~昭和40年代前半の頃のおハナシです。
○
梶山さんや瀬戸内晴美さんが落選してから十年弱。「噂」小説賞ができた頃には、直木賞も見違えるように(?)変貌していました。
基本、商業誌で活躍している人、これから活躍していきそうな人に絞って、候補を選出するようになっていたからです。
直木賞史のなかでは「中期建て直し」の時代、なんて言われたりしますが、何つったって、数誌出ている中間小説誌がどれも数十万部を売るいきおいで、地味な同人誌なぞから発掘してこなくたって、新人・新進の類いは商業誌にわんさかいるわい、って時代です。
そんな昭和40年代後半。対象は中間小説誌で活躍中の作家、と言い切った「噂」小説賞。さて、では編集者が選ぶと、いったい直木賞とどんな違いが出るんでしょうか。っていうところに、やはり興味が向きます。
「本誌 アンケート(引用者注:『オール讀物』『小説新潮』『小説現代』『問題小説』『小説宝石』『小説サンデー毎日』編集者全員に依頼したアンケート)のお願いにも書きましたが、四十七年度の実績に加えて、更に大きな期待を持てる作家、あるいは寡作ながら、いつも粒よりの作品を発表している作家を対象にしたいと思います。ですから、過去に賞をもらったかどうかは、あまり意に介さないつもりでしたが、回答を見ると、やはり直木賞作家は除かれています。(引用者中略)もっとも、だからといって、直木賞の残念賞的なものになっては困るのですが、しいていえば今回のアンケートの回答を見ると、将来性に重点が置かれていると見てよいようです。」(『噂』昭和48年1月号「編集者が選ぶ 「噂」小説賞・さしえ賞発表 小説賞選考経過」より)
直木賞だって、ある意味、将来性に重点を置いて、既成の若手作家にあげよう、って姿勢ですからねえ。この第1回の「選考経過」を読んでも、案外、直木賞の選考委員が言いそうなフレーズが、ぽんぽん出てきていますし。「残念ながら決定打がないな」とか。阿部牧郎さんは「蛸と精鋭」がいちばんよかったとか。筒井康隆さんにはドタバタを期待するが最近はそれを忘れているんじゃないかとか。
ただ、ですよ。授賞者として選んだのが、第1回藤本義一、第2回田中小実昌。と、確かに直木賞に比べて、先んじて小説誌のための職業作家を表彰したい、っていう思いは伝わってきます。直木賞候補常連だった藤本さんはともかく、小実昌さんは、一度『自動巻時計の一日』で候補になっていたものの、このままではたぶん、文壇上は無冠でいくだろう、と思われていたようですし。
「F (引用者中略)たいへん特異な饒舌体の小説といってもいい。そういう新しさに対しての評価が、不幸にして少なかったんですね。これからも同じですよ。ああいう人が、文壇で評価されないというのはシャクでしようがない。せめて、われわれ編集者は、その実績を認めたいと思うんですけど……。
G 赤江さん(引用者注:赤江瀑)と中山さん(引用者注:中山あい子)の場合は、これからも評価される余地は、じゅうぶんあるでしょう。筒井さん(引用者注:筒井康隆)も、いまの文壇老大家には無理としても、田中さん(引用者注:田中小実昌)にくらべれば、可能性がありますよ。
A とくに、赤江さんと中山さんには、直木賞をとってもらいたいね。
(引用者中略)
E (引用者注:田中小実昌は)いくらいい小説書いても、絶対に大向こう受けしないんだから、せめて『噂』賞で表彰したいですね。」(『噂』昭和49年/1974年1月号「編集者が選ぶ――第二回『噂』小説賞・さしえ賞発表 小説賞選考経過」より)
その小実昌さんが5年後には、直木賞をとっちまうんですから、直木賞の卑怯グセというか、後出しジャンケン体質というか、慎重熟慮タイプというか。
「それが直木賞ってものさ。グダグダ言うなよ」と達観してしまえば楽になるんでしょうけど、グダグダ言うのが、ここのブログなので、もうちょっと続けさせてください。
「噂」小説賞。これを直木賞と並べて置いてみると、どう見たって、直木賞に対して多くの人が感じてきた不満、あるいは空隙というのが、透けてきます。
直木賞ラインに行くまでの新進作家こそ、表彰して盛り立てて、書きつづける意欲を与えたほうがいいんじゃないの? ……という点です。
梶山さんの言葉を信ずるならば、「噂」小説賞は、既成作家が選ぶのでなく編集者が選ぶ、だから作家同士の嫉妬とかしがらみとか、そういうもののない賞になりうる。って特徴があったはずですけど、でもじっさいの編集者たちが推薦してきたのは、ほとんどが、直木賞一歩手前の作家たちだったと。
直木賞をとっちゃった人は、もういい。直木賞をとる前の作家のなかにも、いくらでも賞をあげたい実力者がいる。そういう人に、あげようよと。
この考え方は、一種の「プレ直木賞」群の発生へと通じるところがあり、やがて吉川英治文学新人賞だの、山本周五郎賞だのが生まれていくわけです。
○
その意味でも、たった2回で「噂」小説賞が終わってしまったのは、うーむ、惜しい。惜しすぎる。
梶山さんが『月刊 噂』休刊のあと、予定どおりに『季刊 噂』を復活させていればなあ……。そして10年、20年ぐらいは、「噂」小説賞も続けてもらっていたら、徐々にその賞としての性格も固まっていっただろうし、現代に通ずる「直木賞のライバル」賞像を、しっかりと確立していったかもしれません。
だって、直木賞みたいな視野のせまい賞だけじゃ、日本のエンタメ小説界を背負って立つのは荷が重すぎますもの。
そういえば、平成19年/2007年5月、6月に広島市で開催された、梶山季之さん没後33年記念事業、そのタイトルが胸にしみます。
「時代を先取りした作家 梶山季之をいま見直す」
梶山さんは亡くなる直前に、直木賞に関して、こんなことを語っていたそうです。
「(引用者注:昭和38年/1963年)9月/「李朝残影」が、第49回直木賞候補に上がったが、何も今さらなどという審査員の声もあり落選――。
死の旅に立つ直前のこと、妻に向って呟いた。“もしあのとき受賞していたとしたら、物書きとしての違う道を歩いたかも知れないね……”」(平成10年/1998年2月・季節社刊、紀伊國屋書店発売『積乱雲 梶山季之―その軌跡と周辺』 梶山美那江・編「第I部 仕事の年譜・年譜の行間」より)
違う道を歩いたかもしれません。でも、きっと直木賞をとっていたら、直木賞の至らなさをツツき出すような、「噂」小説賞みたいなものは発想されていなかったかもしれません。
文壇史、文壇ゴシップ史だけでなく、文学賞史にもグッサリ楔を打ちつけておいてくれた、「噂」小説賞みたいなものは。
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