吉川英治賞 公募型で始まったはずが、いつの間にやら姿を変える。
あえて直木賞と結びつけなくても、これはこれで、文学賞を考えるときに大きなテーマを与えてくれる賞ではあります。
吉川英治賞。いまでは完全に講談社の支配下に入り、「吉川英治文学賞」「吉川英治文学新人賞」「吉川英治文化賞」の三賞を構えるまでになりました。歴史的にこの賞のたどったユニークさは、忘れがたいものがあるわけです。
創設は昭和37年/1962年2月。まだ吉川英治さんが存命中のことでした。いちおう、吉川さんがお金を提供して、その意思を毎日新聞社がかたちにした、ってことになっています。
「「賞金は後進のために」
吉川英治氏が本社に寄託
三氏に「毎日芸術賞」贈呈式
(引用者中略・注:毎日芸術賞贈呈式の)席上、吉川文子夫人から夫君、英治氏の意思として「ことしは毎日新聞の九十周年に当たるので、それを記念して、いただいた賞金百万円は毎日新聞社に寄託します。文学を志す人のために、毎日新聞社で適当に使っていただけたら幸せです」と申し出があった。毎日新聞社では吉川氏の申し出を受け、賞金の有意義な使い道について成案ができ次第発表する予定である。」(『毎日新聞』昭和37年/1962年1月19日社会面より)
じつは、ここら辺が、ちょっとよくわかりません。というのも、吉川英治記念館の学芸員さんのブログによれば、
「昭和37年1月、毎日新聞社から吉川英治の「私本太平記」に対し、毎日芸術大賞が贈られます。
その際、毎日新聞社から、その賞金100万円を基金として、新人作家育成のための≪吉川英治賞≫を創設したい、との申し入れがあり、吉川英治はそれを了承します。」(「草思堂から 吉川英治記念館学芸員日誌」平成21年/2009年3月18日より)
とあります。どうなんでしょう。お金のことを言い出したのは、果たして吉川さんなのか毎日新聞社なのか。
毎日芸術大賞の贈り主、毎日新聞社の側から、先に相談を投げかけた可能性も、なくはなさそうに見えます。
ええ。吉川さんのそれまでの行動を追ってみますとね。彼なら、みずからの意思で、口火を切るかたちで、賞金を毎日側に寄託する、と言い出した。それは十分うなずけます。うなずけるんですが、でも逆に、毎日側から「今年、九十周年なんで……」と言い出されれば、喜んで、賞金を受け取らずにそのまま毎日側にまかせた。っていう経緯だって、ありそうなんですよね。
まあ、要するに吉川英治さんという方は、困っている人には応分以上の手を差し伸べる、人間の鑑だった。そんなエピソードがもう、数え切れないほどあるわけです。戦前から吉川さんが亡くなるまで、彼に足を向けては寝られない人が続出と言っていいくらいに。
ほんの一例だけあげておきます。たとえば、文藝春秋社の『文學界』の人たちとか。
「「文学界」は最初の出版社文化公論社を破産させたが、野々上愛一君の文圃堂が引受けてくれて、とにかく続刊できた。経営の苦しそうなのを見て菊池寛氏が小林(引用者注:小林秀雄)と私を呼び「原稿料はどうしているのだ」「もちろん出ません」「それでは長続きしないよ。僕が毎月百円ずつ上げよう。原稿料代りに使うがよい」
この金は「文学界賞」の名で毎月執筆者の誰かに与えられることになって大いに助かったが、二年ほどつづいた時、青野季吉を同人に入れたことで、菊池さんがつむじを曲げてしまった。島木や村山など若い左翼作家を入れても何も言わなかったが、青野はいわば「文芸戦線」の大幹部の一人で、「文芸春秋」の宿敵である。
「青野まで入れたのでは、僕はいやだ。文学界賞は出さぬよ」
(引用者中略)
「弱ったな。あと一年くらい援助がほしい……。よし、吉川さんに頼んでみよう」
言い出したのは小林秀雄であった。
(引用者中略)
「吉川さんなら見込みがある」と小林に言われると、そんな気もし“当ってくだけろ”という気にもなって、ある日、二人で赤坂の吉川邸を訪問した。
大きな邸宅で、美しい奥さんがいた。吉川さんはあの影のない笑顔で気負い立った私たちを迎え金のことは理由も聞かずに承諾し、その上、近所の料亭から上等の料理をとって、大いに御馳走してくれた。」(平成4年/1992年9月・講談社刊『吉川英治とわたし 復刻版吉川英治全集月報』所収 林房雄「吉川さんと「文学界」」より ―初出昭和44年/1969年7月・講談社刊『吉川英治全集第11巻 月報42』)
おや。文學界賞といえば、あれって岡本かの子さんが資金源じゃなかったの? とツッコみを入れたくなるわけですが、でも林房雄さんの証言を信じれば、吉川さんからも資金提供を受けていた、と。
しかも、お金を貸す(あるいは提供する)に当たっても、吉川さんという人は、偉ぶらず、相手を気遣いつつ、励ましの心をもって接した。とは、ほかにもいろんな人が語っているところ。
吉川英治賞の出発点にも、そんな吉川さんらしさが十分こもっています。
「文学を志す後進のために役立ててほしい」。……そんな吉川さんの思いを受けて、さて毎日新聞社が立てた企画とは。
一般から原稿を募集することにした。公募型の賞にした、っていうのが注目どころです。
○
先日、twitter で @foxhanger さんが興味ぶかい指摘をツイートしていました。
「エンターテインメントの文学賞に名前がついている作家は、歴史、時代小説作家ばかりである。直木賞、山本周五郎賞、司馬遼太郎賞、柴田錬三郎賞、吉川英治文学賞など。例外は大藪春彦賞ぐらい。」(平成22年/2010年7月15日12時35分ごろ)
「これが一般公募の新人賞になると、推理作家ばかりだ。乱歩賞、横溝正史賞、松本清張賞、鮎川哲也賞。小松左京賞というのもあったが。」(平成22年/2010年7月15日12時37分ごろ)
なある。どうも、存命中の作家の名前を冠した賞は、公募(一般から原稿をつのる)型の文学賞としてつくられる確率が、高いように思われます。
例外もあることですので、一概に言えないところが苦しいんですが。生きているうちはその作家の業績を称える、という目的のほかに、新しい才能を見出したい、まだ世に出てない後進のためにお金を出したい、という作家本人の意向が強く出がち、なのかなと思えたりして。
最初は公募型じゃなかったのに公募型に切り替わった江戸川乱歩賞、なんてのは、その代表でしょう。鮎川哲也賞、小松左京賞、団鬼六賞などなど。それらと同じ性質をもつって意味で、昭和37年/1962年創設の吉川英治賞も、ぜひ仲間に加えたい。
ただ、菊池寛やら、谷崎潤一郎やら、大宅壮一やら、大江健三郎やら、非公募型で始めた存命作家だって何人もいるではないか。ほんとに公募型のほうが多いのか。お前きちんと数えたのか、と詰め寄られると、あわわわと慌てちゃいますので、性急にツッコまないでね。
こんな仮説を立てることは、許されると思います。
昭和30年代、まだ今ほど、人の名前を冠した文学賞が多くなかった時代。そのころは非公募型……既成の同業作家を対象にした賞を、自分の生きているうちにつくるのは、心理的にも抵抗があったのではないかと。
あの文壇のボス、菊池寛でさえ、「菊池寛賞」をつくるにあたっては、一度は、「本人が生きているうちはおかしいから」と諌められ、創設を見送ったんだよ、と証言する人もいることですし(ちなみに、そう言っているのは白井喬二さんです)。
存命なうちの文学賞、というのは、そりゃあ気もつかうでしょうし。気もつかう、というか、やはりまだ、その作家の持っているイメージが生々しく世を覆っているわけですから、それをどこまで活用し、どこまで打ち崩せるかが、文学賞にとっては一つの勝負どころです。
それを、丹羽文雄さんはこんなふうに表現しました。
「今日いろいろな文学賞がある。が、似たような文学賞にはしたくないため、時代小説とはかぎらない規約となった。どういうものが、はたして吉川文学賞にふさわしいのか。スケールの大きいものか、奔放な構成のものか、醇乎(じゅんこ)たる芸術作品か、宇宙時代にふさわしいような小説か、いずれともわからない。(引用者中略)芥川賞でも直木賞でも、その名の作家にふさわしい作品が必ずしも選ばれているのではない。が、中にはその文学賞の名にふさわしい作品を選ぶことも意義があろうかと考える。」(『毎日新聞』夕刊 昭和37年/1962年3月26日 丹羽文雄「吉川英治賞に期待する」より)
その作家名にふさわしい作品を……。これは当然、その作家がまだ生きている場合、どっちに転んでもおかしくない賭けです。吉川英治=時代小説、という強烈なレッテルとともに心中するか。それだけでは広がりが持てないとするなら、吉川英治色をどこまで剥がせるか。
応募者にとっても、また毎日新聞社を含めた選考者側にとっても、大きな難問、大きなチャレンジでもありました。
○
チャレンジ、と言ったってさ、「吉川英治」の賞なんだから、そんなのエンタメ系寄りになるに決まってるじゃんか。……と言われればそのとおりです。
それでも選考委員の人選に、大佛次郎、獅子文六、井上靖、丹羽文雄と、直木賞・芥川賞の両方の委員を配して、いちおう「完全なエンタメ方面に流れるわけじゃないんだぞ」、の気迫を見ることはできます。
おっと。エンタメ、とか軽々しく言っちゃいけないんでしょうね。ええと、「国民文学」ですか。
ほら、直木賞は「大衆文芸」対象、吉川英治賞は「国民文学」対象、山本周五郎賞は「物語性を有する小説」対象。……みんな同じことを言っているようでいて、微妙に違う印象を与えるこれらの呼称。
いま、「国民文学」と言われても、たいていの読者が「は?」って反応だと思いますが、要は、大衆文芸と同じくらいに、どこを指し示しているのか、境界のあいまいな概念ではあります。
それで吉川英治賞、フタを開けてみましたら、まあ、直木賞オタクにはなじみの深い作家たちが、続々と応募してきまして。そりゃそうだよね、まさか純文学系の人が「吉川英治」の賞に興味をもつはずないもんね。さすがは大衆文芸の牙城、毎日新聞社の賞だよなあ、と思わされる展開に。
ちなみに、全3回の「選考経過」によりますと、吉川英治賞の応募者には、ある特徴がありました。それは、年齢層が40代が中心で、30代、50代からの応募が目立ったこと、らしいです。
そして最終候補に残った人たちは、たいてい半分、職業作家に足を突っ込んだような人だったと。
獅子文六さんは言っています。
「実際、応募作品は、みな、達者であった。私ごときの及ぶところでなかった。プロだかアマだか、見当はつかなかった。私は軽率にもこういう場合は、アマが応じるものと思っていたが、略歴を見ると、歴戦の勇士が多かった。」(『毎日新聞』昭和38年/1963年1月3日 第1回吉川英治賞「審査委員の評」 獅子文六「寸感」より)
ですよねえ。第1回の最終候補の顔ぶれの豪華(?)なこと。6人のなかに、すでに直木賞候補経験のある人が、石上当(関川周)、滝口康彦、小田武雄と3人もいるんですから。なかなかのものです。
まったく、吉川英治賞はすでにこの当時から、直木賞と重なるところの多い賞だったんだな、と思わされます。
「この当時から」と、あえて表現させてもらいました。その後に吉川英治賞がたどった楽しい変遷があるからです。
昭和40年/1965年5月に、第3回の授賞発表を行なったのち、翌年になって同賞は毎日新聞社の手を離れます。財団法人吉川英治国民文化振興会が設立され(事務所は講談社内に置かれた)、「吉川英治賞」とその基金を、まるまるそちらに委譲することになったからです。
で、当初の「新進作家のために」の意思はどこへ行ったのやら、振興会+講談社の手に移ったとたんに、同賞は「吉川英治文学賞」と「吉川英治賞」の二賞となります。その内容は、前者は国民文学の面で幅広い活動をした作家に、後者は社会・文化に貢献した隠れた人材に、それぞれ贈られることに変わりました。
それはそれで、尊い事業ですので、何ら文句を言うところではありません。
ただ、ほら、ちまたで頑張っていた無名エンタメ作家たちの嘆き声が聞こえてくるようです。せっかく門戸がひとつ開かれたと思ったら、すぐに閉じられてしまったのか……。残念無念。
新・吉川英治賞(のちに吉川英治文化賞となる)のハナシはともかく。文学賞と、それから昭和55年/1980年に新設されることになる文学新人賞は、完全なる非公募。職業作家が相手。……ということになったわけですから、文学を志しながらまだ世に出ていない人たちにとっては、ずいぶん縁遠い賞になってしまいました。
もちろん、そのことによって吉川賞は、以前と比べてぐーんと安定感が増したのですから、委譲されて内容が変わったのは、成功だったと見ることもできるわけです。
安定感。……言い換えると、受賞者がその後も、市場に残っていく確率が高まった、ということです。
公募型っつうのは、ある意味、ギャンブルですからねえ。まだ誰も見たことのない新しい才能が、ポンと唐突に応募してくるかもわからないけど、そんな確率わずかなもの、っていう意味で。
その分、非公募型は、すでに世間(の一部)に受け入れられている職業作家が対象ですから、その点でギャンブル性は薄まります。きっちりと、故人の業績を伝えていく、という意味でも安定感は大事です。たぶん。
まあ、講談社が受け継いだ段階では、すでに同社では小説現代新人賞が動き出していましたし。そのまま、吉川賞を公募賞で残す、という選択はとりづらかった面もあるのかもしれません。
丹羽文雄さんが思い描いたような、吉川英治にふさわしい作品を、の夢はもろくも崩れ去ってしまいました。反面、そのまま毎日新聞社がやっていたら、どこまで長く続いたんだろうか、との心配があったのも正直なところ。
吉川さんの名前が、いまこうして賞の名前に付いて残っているんですもの、文学賞ファンとしては嬉しいかぎりです。
とともに、公募型の文学賞というのを、長く続けるのは、きっと大変なことなんだろうな、と思いを馳せるところでもあります。
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