山本周五郎賞 果たして直木賞の対抗馬なのか、それとも単なる弟分なのか。
直木賞のライバルとは……。今の時代を生きる文学賞好きが、その筆頭としてイメージするのは、どうしたって、これ。
山本周五郎賞でしょう。
創設は昭和62年/1987年9月。このとき、さんざん新聞、雑誌、文芸誌などで話題をふりまいて、満を持しての第1回(昭和62年/1987年度)授賞が、翌、昭和63年/1988年5月。以後、毎年5月に、選考会が行われています。
文学賞、ってやつは不思議です。静かにおごそかに、大して注目を浴びずに行われているうちは、非常に格調高く、ほんのりアカデミックな香りすら漂わせたりしているもんです。作家、評論家、編集者あたりの、せまーい世界のなかで、どうやら優劣の判別が行われているらしいぞ、と知れるものの、一般人にとっては、いまいち関心のわきにくい行事なうちは。
ところが、ひとたび、新聞やら週刊誌が扇情的にとりあげだすと、一気に、文学賞のイメージは変貌を遂げます。
どういうイメージになるか。……はっきり言えば、いかがわしいな、胡散くさいな、って感じです。
文学賞のもっている性質のひとつ、商業的・営業的な“仕掛け”、って側面が、異様にクローズアップされるからでしょうか。
じっさい、山本周五郎賞のスタートは、かなりな「いかがわしさ」をまとったものでした。
なにしろ、この賞の創設が世に知れ渡ったのは、新潮社(新潮文芸振興会)の公式発表ではありませんでした。それより前、『読売新聞』のスッパ抜きによるものだったんです。
「新潮社が新人対象に、三島由紀夫賞と山本周五郎賞を新設 「芥川・直木」に対抗
新潮社(佐藤亮一社長)は、新人作家を対象にした三島由紀夫賞、山本周五郎賞の新設を決め、九月七日発売の雑誌「新潮」十月号に賞の概要を発表する。文壇への登竜門とされる芥川・直木賞の向こうを張った“第二芥川・直木賞”として文壇や作家志望者の強い関心を集めそうだ。(引用者中略)
三島賞は、いわゆる“純文学”を対象にし、選考委員は大江健三郎、江藤淳、筒井康隆、中上健次、宮本輝の五氏。大江-江藤氏の組み合わせに加え、小説「大いなる助走」で芥川・直木賞を痛烈に風刺した筒井氏が入っている点でも話題性十分。
また山本賞は、“大衆小説”が対象で、井上ひさし、山口瞳、藤沢周平、野坂昭如、田辺聖子の五氏が選考委員。こちらは、五人のうち四人までが直木賞選考委員でもあるが、近著「超過激対談」の中で、なぜ直木賞選考委員になれないか、を過激に語っている野坂氏が異色。」(『読売新聞』昭和62年/1987年9月1日より)
これを受けての、新潮社のコメント。
「当の新潮社はなかなか慎重な言い回しである。
「九月一日、読売新聞がスッパ抜いて以来、あちこちから問い合わせがあって、そのたびに『芥川賞に対抗するつもりか』ときかれて困っているんですよ。そんなこと、うちとしてはコメントできませんからね」
と、梅沢英樹出版部長はいう。とはいうものの、反響のあまりの大きさに、してやったりという表情がないわけではない。」(『週刊朝日』昭和62年/1987年9月18日号「新人発掘で文学賞ウォーズ 切り札三島由紀夫賞で文春芥川賞と張り合う 老舗新潮社の意地 直木賞には山本周五郎賞で対抗」より 執筆:「本誌・広瀬博」)
この『週刊朝日』の記事タイトル、あるいは本文。まあ、お決まりのごとく、芥川賞・三島賞がメインであって、直木賞・山周賞は添えモノ扱いなんですよね。
ただ、そのなかでも、谷沢永一さんのこんなコメントが、印象にのこります。
「いや、山本周五郎賞のほうが文春にとって脅威なんじゃないかなという人もいる。「辛口批評」でおなじみの谷沢永一関西大教授だ。
「山本周五郎と直木三十五では、横綱と前頭ぐらい格がちがう。それに、バックが作家を育てることにかけては定評のある新潮社となれば、そのうち、同じもらうのなら山本周五郎賞ということになるかもしれない」
と、ズバリ推測する。」(同『週刊朝日』記事より)
さらには、こんなに、おいしいゴシップ性満載のネタに、かの『噂の真相』が手を出さないはずがありません。昭和62年/1987年11月号で「芥川・直木賞に対抗する三島・山本賞の“思惑と勝算”」(レポーター:呂淳介)の記事を掲載。この新しい賞の船出に、よりいっそうの「いかがわしさ」を与えることに成功したわけです。
そもそも、文学賞に、新人賞→中堅賞→功労賞の階層があり、またそれぞれに格上・格下のランクがある、って見立てる姿勢が、人間くさくて、くだらなくて、下世話な感じをかもしだします。
しかも、このときの主役が新潮社とくるわけですから。それまで同社のやってきた数々の文学賞はどれもパッとせず(あまり認知度があがらずに売上げに結びつかず)、それを打破するために、純文学―大衆文学っていう、芥川賞・直木賞とまったく同じ枠組みを、そっくりそのまま拝借したわけですからね。一面では「けなげな企業努力」、ある一面では「恥も外聞もかなぐり捨てたサル真似」。
ちなみに、そういう煽情性とは相容れない新潮社社史では、山本周五郎賞のことをどう語っているか。
「新潮文芸振興会は八八年に、功労賞的な傾向が著しくなった日本文学大賞を廃止し、代って新しい書き手を対象とした三島由紀夫賞と山本周五郎賞を制定した。三島賞は「文学の前途を拓く新鋭の作品」、山本賞は「すぐれて物語性を有する新しい文芸作品」に授賞する方針で、作家の名を冠せたのには、賞のイメージを鮮明にする意図があった。(引用者中略)
この二つの賞は、文藝春秋主催の芥川賞、直木賞に対抗するものと目され、新潮社対文藝春秋の、“文学賞戦争”と話題になったりした。一方社内には、これまで何度も賞を作っては潰してきた経緯を省みて、今度こそは定着させたいという強い意気込みがあった。」(平成17年/2005年11月・新潮社刊『新潮社一〇〇年』「時代の波を乗り切って 出版II」より 執筆:高井有一)
なるほど。新潮社内部でも、さすがに昭和12年/1937年から何度も何度も賞を変えてきた歴史には、忸怩たるものがあったわけですか。50年を経て、ようやく成功例を見習うことにしたと。きっと新潮社にしても、勇気の要ることだったでしょう。
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