直木賞とは……決定のニュースが翌日の新聞にデカデカと載ります。他の文学賞に比べて異常なくらい。――雫井脩介『犯罪小説家』
雫井脩介『犯罪小説家』(平成20年/2008年10月・双葉社刊)
なんで新潮ミステリー倶楽部賞でデビューしたのに、その後、一冊も新潮社から本を出していないのだ?
で、おなじみの、雫井脩介さんです。
平成17年/2005年1月、『犯人に告ぐ』で第7回大藪春彦賞を受賞しました。
平成19年/2007年、『クローズド・ノート』と『犯人に告ぐ』が相次いで映画化されました。
そこら辺りの経験が、ちょこちょこと盛り込まれたのが、満を持して放った『犯罪小説家』です。雫井さんの場合は、どの作品も「満を持して」の表現がぴったりくるんですけども。
「昨年は『クローズド・ノート』『犯人に告ぐ』が相次ぎ公開され、邦画業界に〈原作者〉として関わった雫井脩介氏。
「映画化にあたって上がってきた脚本に目を通すと、『へえ、あの小説がこんなふうに変わるのか』と毎回新鮮な驚きがありますね。
別にそれが不愉快だって話ではないんですよ(笑い)。むしろ『なるほど』と感心することの方が多いんですが、彼らの感性や想像力が逆に原作者をどんどん困惑させる方向に向いて行ったらどうなるかというケースを書いてみました」」(『週刊ポスト』平成20年/2008年12月5日号「ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!」より 構成:橋本紀子)
本作の中心人物は、作家の〈待居涼司〉、ホラー映画脚本家の〈小野川充〉、それとフリーライターの〈今泉知里〉の三人です。
〈待居〉の書いた小説『凍て鶴』の映画化のハナシが進みます。そこに、過去に世間を騒がせたネット心中グループ〈落花の会〉のことなどがからんでいきます。〈小野川〉の無神経なほどの思い込みにひきずられるかたちで、ずるずると彼ら三人が〈落花の会〉主宰者の自殺や、それにまつわる事件に、関わり合っていきます。
で、そんなあらすじなどは実はどうでもよくて(こらこら)、本作でも、また一つ文学賞がストーリー展開に大きな影響を与えているわけですよ。
〈日本クライム文学賞〉です。
「待居はミステリー系の新人賞を受賞し、デビューしてから三年になる。『凍て鶴』はデビュー作から数えて五作目だ。(引用者中略)ほどなく、ミステリー系の新進作家の意欲作に贈られる日本クライム文学賞の候補に選出されたとの知らせが届いた。」(『犯罪小説家』「1」より)
この文学賞、主催元は出版社の〈文格社〉。「ミステリー系の新進作家」向け、ということなので、むろん、現実の直木賞とは重ね合わせようもありません。
しいて言うなら、まあやっぱり、大藪春彦賞ふうの賞なんでしょう。
受賞後の記者会見もあるし、翌朝の新聞には出るし、すぐに重版一万部が決まるし。加えて、選考は春(4月ぐらい)で授賞式が5月中旬、ていう設定も、ああ、いかにもエンタメ文壇の新人賞らしさを演出しています。
ただ、大藪賞よりはもうちょっと、「格が上」のような雰囲気もかもし出しています。
「仁山が選考委員席に退がると、賞状とトロフィーの授与があり、待居は壇上でそれらを抱えてカメラのフラッシュを浴びた。それに続いて受賞者の挨拶を求められた。
「待居涼司です。このたび、このような歴史ある賞をいただきまして身に余る光栄ですが、(引用者後略)」(同書「9」より)
これが〈待居〉さんのジョークでない限り、「歴史ある賞」というくらいですから、まあ、歴史があるんでしょう。
ええと、さっきワタクシは「大藪賞より格が上」みたいに表現しました。べつに大藪賞のことを文壇内で格が低い賞だと言いたいわけじゃないんですよ。逆に、格だの何だのうんぬんするような、出版界の力学や作家の階層みたいなものから超越した賞であってほしいと、外野のワタクシは願っているのです。だって、大藪春彦の名を冠した賞なんだもの。
それはともかくとして。
本作に出てくる「直木賞」っぽいものに触れなくちゃ、ハナシは始まらないのでしたね。
料理屋で編集者二人といっしょに、選考結果の報を待っていた〈待居〉。受賞の知らせを受けて、その足で記者会見の場に向かいます。そこに、こんな記述が出てきます。
「選考会場となっていた銀座のホテルには記者会見用の部屋が用意されていて、けっこうな数の記者が待居を待ち構えていた。この手の文学賞はよほど大きな賞でもない限り、一般紙ではベタ記事扱いが普通だが、学芸部の記者たちにとっては取材のトレーニングになるのか、受賞者への質問は微に入り細にわたる。待居がデビューした新人賞のときがそうだったから、心の準備はできていた。」(同書「1」より)
そう、ほとんどの文学賞は、一般紙ではベタ記事です。その例をまぬがれている「よほど大きな賞」と言われて、思いつく賞は、今のところ二つしかありません。
直木賞と芥川賞です。
なるほど。これら二つの賞以外にも、けっこう受賞の記者会見というのは行われていて、でも、ほとんどの場合それが紙面に反映されることはありません。普通の感覚をもった人間が、「なんであの二つの賞だけ、やたらニュースになるんだ」と疑問をもつ所以です。
そして、たまーに文学賞の受賞作をいくつか読んでみて、「なんだよ、新聞記事が大きいからって、そのぶんその文学賞が上等とか劣ってるとか、そういうことじゃないんだな」と、オトナは学習していくのでした……。
○
新聞そのものも、当然変わってきているとは思います。文学賞の決定発表の扱いかただって、何十年のあいだに、いろいろ変わってきたことでしょう。
ちょっと古い文献で恐縮ですが、ひとりの整理記者の本から。
「ニュースに優劣の順位などないのに、整理記者は価値判断というモノサシで順位を測定しなければならない。「どの記事も一段で並べておけ、優劣は読者に判断させればいいんだ」などという意見も出るくらいだが、現在の新聞報道の仕組みは、整理記者が価値判断せざるをえないのである。」(昭和57年/1982年12月・三修社刊 諸岡達一・著『裸の新聞記者 整理記者の世界』
「ニュース価値は主観で判断する」より)
そう。直木賞・芥川賞なら、受賞者の顔写真も、ちょっと詳しい経歴も、選考委員の言葉も、受賞者の感想も、載せる価値があると誰かが考えているわけです。ほかの文学賞は、それほどの価値なし、と誰かは考えているわけです。
「以前、「読売」の整理部長、坪井良一氏は、こういわれた。
「ニュースバリューの判定は、つきつめていうと、俗な言葉で面白いということにつきるのではないかという気がします。面白さとは決して興味本位を意味していません。これを分析すると、その中にはカネの問題とか衣食住、セックスなど人間の本性に根ざしていることと、国家、政治、社会機構、われわれの生活に影響のあるもろもろの問題など。ひっくるめて面白さといえると思います」」(同書「「私が編集長である!」」より)
なある。たしかに直木賞や芥川賞は、面白いけれどもさ。一般紙に働く人たちは、みながみな、三島賞や山周賞や谷崎賞や川端賞や新田賞や推理協会賞や伊藤整賞や柴田賞や鏡花賞や、それらについては、二つの賞ほど面白みを感じていないんだろうな。残念なことです。
ちなみに、直木賞と芥川賞のことで言いますと、創設から戦後しばらくは、今の他の文学賞みたくベタ記事扱いだった、というのは周知のとおりです。いや、ベタ記事ならまだいいほうで、第1回(昭和10年/1935年・上半期)決定のとき、一行も載せなかった一般紙が、ただ一つあっただけで菊池寛が怒った、っていうのも、また有名なハナシです。
「翌十一日(引用者注:昭和10年/1935年8月)、各新聞社は、「芥川・直木賞決定 川口、石川両氏」(『都新聞』)、「直木賞芥川賞の受賞者決る 川口(松太郎)石川(達三)両氏」(『報知新聞』)、「芥川、直木賞 受賞者決る」(『東京日日新聞』)、「芥川賞・直木賞」(『時事新報』)、「無名の作家が芥川賞獲得の誉れ 直木賞は川口松太郎君に 第一回入選者発表」(『中外商業新報』)、「最初の“芥川賞”無名作家へ 『蒼氓』の石川氏 直木賞は川口氏(『読売新聞』)と報じている。
(引用者中略)
この時記事を掲載しなかったのは『東京朝日新聞』であった。掲載不掲載の優先順位が低かったとも、文藝春秋社一社の賞とみなし重要視していなかったとも考えられるが、いかなる理由によって『東京朝日新聞』が芥川賞報道をしなかったのか詳らかではない。」(平成16年/2004年10月〔平成17年/2005年12月改訂版〕・近代文学合同研究会刊『近代文学合同研究会論集第1号 新人賞・可視化される〈作家権〉』所収 原卓史「芥川賞の反響――石川達三「蒼氓」の周辺――」より)
うおー、ただ一紙、直木賞のことを先にして見出しを書いた『報知新聞』の担当者を、ワタクシは抱きしめてあげたくなるんですが、それはそれとして。
要は、文学賞の決定記事なんちゅうのは、載るか載らないかスレスレのニュース価値でしかなく、また載ったところで、いいとこベタ記事。というのが基本なんですね。
それが、毎回毎回、誰がとろうが、どんな小説が受賞しようが、あるいは該当作なしであろうが、絶対にベタ枠から逃れてしまう直木賞・芥川賞の姿のほうが、異常なのでありまして。
そんな菊池寛に不快感を与えることに成功した『朝日新聞』に敬意を表しまして(?)、大藪春彦賞の決定記事を、同紙でたどってみました。そしたら、どうしても第1回(平成11年/1999年)の馳星周さんの受賞決定記事だけ見つけることができませんでした。む。まさか、『朝日』は大藪賞のことも最初は無視したのかな。
○
ベタ記事、ベタ記事と言っていますが、これぞ文学賞のベタ記事の定型文、というのを一つだけ引用しておきます。
「第7回大藪春彦賞に雫井脩介さん
第7回大藪春彦賞(同賞選考委員会主催、徳間書店後援)が24日、雫井脩介(しずくい・しゅうすけ)さん(36)の「犯人に告ぐ」(双葉社)に決まった。副賞500万円。贈賞式は3月4日午後6時、東京・丸の内の東京会館で。」(『朝日新聞』平成17年/2005年1月25日 社会面)
いや、大藪賞だけじゃないんですよ。直木賞・芥川賞以外は、だいたいこのフォーマットです。
で、『犯罪小説家』に出てくる〈日本クライム文学賞〉の、翌朝の受賞決定記事とはと言いますと、ですね、
「新聞を開くと、「日本クライム文学賞に待居氏」という見出しがすぐに目に留まった。想像した通りのベタ記事ではあったが、「人の心の弱さや救いについて書いた作品。受賞は励みになる」と、待居の会見でのコメントも使用されていた。」(『犯罪小説家』「2」より)
ん? 会見でのコメントが記事にくっついている? これは大変なことです。
やっぱり〈日本クライム文学賞〉は、並の文学賞より、ちょっとだけニュース価値を認められている賞なんですね。しかも、それがミステリー系の賞だというのですから、意外と言おうか、嬉しいと言おうか。
ここで、先に引用した諸岡達一さんの他の著書から、もうひとつ引いておきましょう。
以下のハナシは、諸岡さんお得意の死亡記事のことです。ただ、同じ「基本はベタ記事」ですもの、おそらく文学賞の記事にも似通ったところはあると思います。
「新聞の死亡記事には、必要最小限の死亡情報を記した「定型基本フォーム」があり、それは「関係者型」と「知名度型」に分類することが出来、さらに知名度・業績・重要度によって「顔写真」「見出し」「経歴・プロフィールなど」が付されていく。さらに重要度が増すと、見出しが二段になり、三段になり、四段になり、山田風太郎のように「一般記事スタイル」ないしは「大きなニュース扱い」へと昇格していく。死亡した人物の価値で、死亡記事の型が決まるのである。
では、その人物価値は誰が決めるのか。
新聞社の編集局であり現場新聞記者である。山田風太郎であれば文芸界の人物だから主に文化部や学芸部である(引用者中略)専門分野担当の記者の意見が大きく反映する。そして、最も肝心な部門はいわゆる編集局整理部(呼び名が新聞社によってまちまち)である。紙面制作の最終判断をする部門である。」(平成15年/2003年6月・新潮社/新潮新書 諸岡達一・著『死亡記事を読む』
「第2章 大別すれば関係者型と知名度型」より)
なぜ新聞紙面で直木賞・芥川賞だけが例外的に、毎回、大きな一般記事スタイルなのか。……それは、新聞記者(文化部や整理部の人)が、この二つだけは、他よりも飛び抜けて、社会的な影響があると今でも信じているからなんでしょう(いや、実際、影響があるのかもしれませんけど)。
まあ、影響があるって言ったって、たかが小説のまわりにいる出版社や取次や書店の人が右往左往するぐらいなもので、けっきょく文学賞のことなぞ、ベタ記事程度が御の字、と思わないでもありません。そういうものに興味を抱く新聞読者ならば、ベタ記事で十分なわけですし。
「トップ記事が新聞の「絶叫」だとすれば、ベタ記事はさりげない「つぶやき」であり、大写しの「主役」に対する隅っこの「端役」である。だが、真実はむしろさりげない「つぶやき」のなかに隠されているかもしれないし、舞台の隅を一瞬よぎった「端役」こそ、実は事件の真犯人であり、明日のヒーローであるかもしれないのである。」(昭和58年/1983年1月・サイマル出版会刊 佐藤毅・著『ベタ記事恐るべし―情報過剰時代の新聞の価値ある読みかた―』
「「石ころ」と「ダイヤモンド」――まえがき」より)
そう。「つぶやき」さえあれば、そのなかから情報を汲み取ろうとするもんです、マニアってやつは。おわかりですよね?
新聞の中の人たちの価値判断からすれば、直木賞・芥川賞だけが日本の文学賞だ! って感じなんですよね、今でも。こと、ワタクシ一人の感覚で言ってしまいますとね、そういう価値判断は性に合いそうもありません。
いつまで、一般紙は、この異常な体勢を続けるのでしょう。直木賞・芥川賞が、本来の価値(ですよね?)に見合ったベタ記事扱いに、戻る日はくるのでしょうか。……そのまえに、新聞そのものがなくなっちゃったりして。おっと失礼。口が過ぎました。
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