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2010年4月25日 (日)

直木賞とは……たとえるのが難しいなあ。プロ野球でいえば、芥川賞は巨人軍にたとえると、ちょうどいいのだけど。――尾辻克彦「元木」

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尾辻克彦「元木」(平成3年/1991年12月・講談社刊『出口』所収)

 今日もまたまた、横に少しだけズレまして、「小説に描かれた芥川賞」のことです。

 ええ。取り上げる小説「元木」そのものは、直木賞を標的にした直球じゃありません。ただまあ、作者が作者ですから。周辺には直木賞に関する王道ネタが転がっていますし

 そういうことを含めて、今日の主役は尾辻克彦さんです。

 ……にしても、この短篇「元木」。タイトルがそっけないので、見過ごしてしまいがちなんですが。読んでみれば、芥川賞をはじめとする文学賞ってヤツを、手のひらの上でゴロゴロ転がして楽しんでいるさまが伝わってくるじゃありませんか。完全なる「文学賞小説」です。

 雑誌初出時のタイトルは、「ドラフトの星」(『小説新潮』平成3年1月号)といいました。発売されたのは、前の年の暮れです。

 ちょうど世間では、プロ野球のドラフトが終わった頃。この年、元木大介が念願の巨人軍からのドラフト指名を勝ち取ったことに対して、ああだのこうだの、言われていた時期でした。

 「ドラフトの星」が掲載された『小説新潮』の同じ号から、ちょっと引いてみます。

「今年のプロ野球ドラフト会議も、悲喜こもごもの人間の姿を見ることになった。(引用者中略)8球団もの一位指名を受けながら、意中の球団以外に交渉権が渡り、現時点でプロ入りを拒否している大物投手、一年間浪人してまで、子供の頃からの夢であった巨人入りを果した者、また将来約束されているはずのエリートコースよりも、プロのマウンドに強く魅かれた東大生――他人はあれこれ勝手なことを言うだろうが、彼らの人生、ルールに反していない限り、悩み抜いた末の勇気ある決断を、暖かく見守ってあげたい。」(『小説新潮』平成3年/1991年1月号 福島敦子「福島敦子の取材手帳から(6) ドラフト制度に思うこと」より)

「元木大介(上宮高卒)が巨人入りした。私は元木が筋を通したとも、意地を貫いたとも思わない。元木はハワイでほぼ一年間トレーニングしたが、それが許される環境にあったということだろう。

 率直にいえば親に金がなかったり、財界に顔の利く後見人などがいなかったら、普通の高校生には無理だろう。」(同号 近藤唯之「野球巷談 プロってのは仕事だろ?」より)

 プロ野球に詳しくない人には、何のことだかサッパリですよね。

 つまり、元木大介という高校生が、巨人入りを熱望していた。でも、前年のドラフトでは、別の球団(ダイエーホークス)が交渉権を獲得してしまったため、それを断って一年、浪人生活を送った。翌年、晴れて巨人が交渉権を獲得してくれて、夢をかなえることができた。……ていう出来事があったわけです。

 尾辻さんの「ドラフトの星」改め「元木」は、この出来事に類する架空のハナシを、当事者の〈元木太介〉が語っている、という小説です。

 小説上の〈元木〉が憧れているのは、巨人軍ではありません。芥川賞です。

「高校の三年も終りに近づき、いよいよドラフトになった。

 優秀な作家が特定の文学賞や特定の出版社に集中しては、日本の純文学の振興がはばまれるというので、近年になって文学の世界にもドラフト制が採用されている。

 方法はプロ野球のドラフト制と同じようなものだ。高卒、大卒、社会人の若い作家志望の中から、各出版社の文学賞が指名をして、重なった場合は抽選とする。

 筆力の均衡をはかるには、たしかにこれはやむをえないことだな。

 でも一方で、作家の方からすれば、自分の力で文学をやるのに、何故自分の好きな文学賞をもらえないのか、ということになる。

 ぼくはもちろん、芥川賞にしか興味がない。

 子供のころからずうっと憧れつづけてきたのだ。

 芥川賞作家になって小説を書くのが夢だった。

 だから当然、芥川賞以外の賞はもらわないと宣言した。」(「元木」より)

 それ以降の展開は、ほぼ、実際の野球のドラフトでの流れと同じふうに描かれます。

 つまり、〈元木〉君が実際に指名されたのは、〈ダイエー文学賞〉なのでした。〈元木〉君はどうしても芥川賞が欲しいので、これを断り、「ナマイキだ」「ワガママだ」とさんざん新聞に叩かれます。

 ……この小説では、プロ野球の球団名+文学賞、というのがいくつも登場してくるんですね。ダイエー文学賞、阪神文学賞、ロッテ文学賞……。

 その中に、現実の文学賞の名前がまぜこぜになっているのが、またイイ味をかもし出しています。

「今回のドラフトでは小池さんが可哀相だった。大学文学で鳴らしたあの小池さんで、どの出版社も目をつけていた。

 小池さんも逆指名をしていた。ぼくみたいに一本ではなく、小池さんの場合は芥川賞か、三島賞か、泉鏡花賞をといっていたのだけど、結果はロッテ文学賞になってしまった。」(同「元木」より)

 ちなみに三島賞というのは、比較的新しい賞なのだそうで、何年か前、〈清原〉が指名された賞らしい。〈清原〉もまた、芥川賞をとりたがっていたが、やむなく三島賞ということになってしまった。しかし、いまでは〈清原〉は三島賞作家のスタートして、ベストセラーを連発しているという……。

 小説「元木」では、プロ野球ドラフト制度と、純文学の世界とを、交差させてパロっているわけです。ここに大衆文学の賞は登場しません。

 現実には、純文学の賞とエンタメ小説の賞なんて、境があるようでないも同然ですから、そこら辺もからめてパロってほしかったなあ。などと、パロディ作品に注文をつけるなんて無粋でしたね、すみません。

 巨人軍=芥川賞。っていう見立ては、今となっては、すでに誰かがやってそうな構図だな、と思えるぐらい、たしかにバチッとはまります。

 昭和20年代~昭和50年代ごろまでは、多くの人の目がそこに集中していて、「頂点」であり「憧れのマト」であったりしたものが、今や無惨に落ちぶれた(いや、他のものとの違いがなくなってきた)とか。マスコミは、そこにばかり群れたがる(これも近年、瓦解しつつありますが)とか。

「むかし深沢七郎さんが川端賞を断わった。深沢さんは谷崎賞をもらうために川端賞を断わったのだけど、別にワガママだとはいわれなかった。ぼくが芥川賞を逆指名してダイエー文学賞を断わったのと同じことなのに、ぼくの場合はワガママだといわれる。相手が芥川賞だからだな。

 いまの世の中にはアンチ芥川賞の人がかなりいる。何故か知識人といわれる人に多い。とくにむかし左翼だった人。」(同「元木」より)

 あるいは、両者が拠って立つ「プロ野球」と「純文学」の、人気の衰えぶり、ってことでも、重ね合わせることに不自然さを感じません。

 ただ、ここで厄介なことがあります。芥川賞には、直木賞っていう、薄気味悪い弟分が、べっちょり背中に貼りついているんですよね。

 芥川賞が巨人軍、三島賞が西武、とするなら、直木賞は何なんでしょうか。

 二軍? プロ野球解説者? あるいはサッカーのチーム? ……どれも、うまいたとえとは、言えそうにありません。

 厄介だ。ああ、厄介だ。直木賞が属するはずの世界は、芥川賞のそれとは、確実に違う、かと思わせておいて実は同じ。でも、多くのひとにとっては、そんなもの区別がつかないし、つけようとも思っていないから、芥川賞は多くの人の目にはっきり映るが、直木賞は、何となくぼんやりと、その付近にある感じ。

          ○

 尾辻克彦さんと野球、それに直木賞。この掛け合わせとなれば、もちろん、頼れるアニキに登場してもらわなければなりますまい。

 そう。赤瀬川隼さん。弟が芥川賞をとったとき(昭和55年/1980年)にはまだ、作家にもなっていなかったオールド・ルーキー。

 以下、隼さんの処女小説『球は転々宇宙間』が出た当時の、兄弟対談です。やはり、いろいろ野球のハナシが出てきます。

「――隼さんの次の作品というのは、もう決まっているんですか。

 いろいろお誘いはあるんです。もう一つ野球の話はどうかとか。たしかに野球というのは共通項としては使いやすいんだけれどもね。

原平(尾辻克彦の別名義・赤瀬川原平のこと) それは言えるね。たとえば、今年の「ナンバー」でやった江川特集なんかはたちまち売り切れて、すぐ再版したらしい。その現象一つとらえても、野球に対する関心はすごいもんだよ。

(引用者中略)

 プロレスの味方の村松友視さんなんかも、直木賞の受賞が決まったとき「ライト前のヒット」という言い方をしてる。そうするとメタファーというか、説明がなくてもパッとわかる。それほど野球というのは、日本では比喩として使いやすい。」(『潮』昭和57年/1982年12月号「対談 われら兄弟作家」より)

 ほんと。尾辻さんの「元木」なんてね。野球を知らなきゃ何が面白いのか見当もつかない小説ですしね。

 ちなみに、ハナシはズレにズレますが、兄・赤瀬川隼さんが50歳にして物書きになったとき、すでに赤瀬川原平=尾辻克彦さんは、そうとうの有名人でした。前衛芸術家、千円札裁判の被告人、パロディスト、加えて「肌ざわり」で中央公論新人賞、「父が消えた」で芥川賞を受賞済み。

 ところがアニキが処女小説を出すとき、弟のコネなどまるで使わなかったそうで。

原平 うちじゃあおふくろがAB型であとはみんなA型の中、兄貴ひとりがB型でしょう。(引用者中略)デビュー作の原稿、あれ文藝春秋の受付に自分でいきなり持ち込んだでしょう。あれはずいぶんあっさりやったんであっ気にとられた。ふつうは弟が文藝春秋で芥川賞だから、その紹介で、とかなるんだけど、それを、尾辻克彦なんてひとことも言わずに……。

 向こうも聞かなかったから。

原平 そこが長嶋茂雄(笑)。

(引用者中略)

原平 原稿を書いてたのは知っていたから、ぼくが間に立って出版社をというのは、なんだか嫌な関係かな、と思っていたところ、B型的にスカッとやったでしょう。気持ちよかったし、嬉しかった。」(『文藝春秋』平成7年/1995年9月号「兄は直木賞、弟は芥川賞」より)

 ふふふ。ここでも、野球にひっかけて反応している。染みついてるねえ野球が。

 さて、上に引用した『文藝春秋』の対談は、隼さんが直木賞をとったときに行われたものです。兄弟で直木賞・芥川賞にまたがる受賞ははじめて、つうことで、最後の最後で、何でそうなったのかを二人で考察するところがあります。

 (引用者中略)時代の流れの最先端家族というか、伝統も格式もない核家族のはしりが転々と転勤して歩いたことが理由かなと思うんだね。だってかわる小学校ごとに方言が全部違うわけだろう。(引用者中略)転校ごとに違う文化に出会っていくわけだから、選択肢もそれだけ多くなるわけだろう。

原平 兄さんは長男で、ぼくは六人兄弟の五番目で、末っ子的というか甘えん坊だったこともあるかな。

 それもね。原平は可愛かったし、甘えん坊だったね。

原平 それにオネショもしてた。

 そう。でも、おれも結構してたんだ。

原平 うちなみんな絵は好きで、上手かったけど、ぼくが必死になって絵にしがみついたのは、もうそれしかなかったからだろうな。オネショ癖のある甘えん坊で、いいところはほかになかったもの。

 オネショと転勤じゃあ芥川賞と直木賞にむすびつかないか。

原平 わかんないね(笑)。」(同「兄は直木賞、弟は芥川賞」より)

 この論理(?)展開たるや。もう、赤瀬川原平のエッセイなんだか小説なんだかルポなんだかわからんあの文章を、ほうふつとさせますよね。アニキ隼さんのエッセイなら、もうちょっとキッカリ・はっきりしてますもん。

 なぜ、隼さんは文学志向ではなく読物の方面に突き進み、果てに直木賞作家になったのか。なぜ、原平さんは純文学の畑で評価されることになったのか。……そんな大層なテーマを、ワタクシが語れるはずもないので、端折ります。

 当然それを考えだすと、なぜ色川武大が芥川賞ではなく直木賞のほうに持っていかれたのか、みたいなことも、避けて通れない予想はつきますが。

          ○

 だって、赤瀬川原平さんの『少年とオブジェ』(昭和53年/1978年9月・北宋社刊、のち平成4年/1992年8月・筑摩書房/ちくま文庫)。これなぞ、色川武大『怪しい来客簿』(昭和52年/1977年4月・話の特集刊)を連想させるくらい、おもしろい小説なんだよなあ。

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 もしも、です。当時、中央公論社『海』誌で働いていた村松友視さんが、原平さんの作家的才能に目をつけてなかったとしたら、どう事態が変わっていたでしょう。尾辻さんも、文芸誌じゃなくて、ちがうフィールドで文筆歴を積んでたかもわかりませんよね。そうなれば、もちろん「尾辻克彦」だって生まれてなかったんでしょうけど。

「村松さんが『海』にいる間、けっこう書いてるね。

・「芥川賞をとろう」という村松さんの戦略はどうでした。

 村松さんがあとに書いたものや話を聞いていると、編集者はやっぱり作家にとらせたい、というのがあるようですね。それが仕事だというか、編集者としての勝負だというか。まあ、こっちは戦略なんてないしね、政治関係なんて苦手だし、書くのが面白くて書いているだけだから、編集者側の戦略などはわからないですね。」(平成13年/2001年7月・晶文社刊 赤瀬川原平・著、聞き手:松田哲夫『全面自供!』「8 肩の力を抜いて小説家」より)

 ああ。『小説中央公論』がポシャったりせず、村松友視さんがそのままその編集部に在籍していたらなあ。村松さんの「戦略」によって、「赤瀬川原平・直木賞!」の芽だって、あったかもしれないなあ。

 原平さんのエッセイとかを少しカジってみると、どうやら原平さん自身は、あまり文学青年ではなかったらしいです。そのなかで、心を寄せた小説作品てのもあって、安部公房とか深沢七郎とか。まあ、エンタメ方面ではありません。でもね、そんなことは、そのひとが直木賞をとるか芥川賞をとるか、とは何の関係もないことは言うまでもありません。

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 純文学、といえば、原平さんには『純文学の素』(昭和57年/1982年8月・白夜書房刊、のち平成2年/1990年3月・筑摩書房/ちくま文庫)というエッセイ集があります。

 これ、もとはセルフ出版の『ウィークエンド・スーパー』誌に「自宅で出来るルポ」なるタイトルで連載していたものです。

「これの連載途中、私は別名で小説を書いたら「中央公論新人賞」というのをもらってしまった。それはこの連載の中の一つを材料に使ったものだ。私は誉められたので「なるほど」と思い、そのあともこの連載で小説の練習をしたりしながら、今度は「芥川賞」というのをもらってしまった。

「中央公論新人賞」にしろ「芥川賞」にしろ、それらは純文学の賞である。まさか……とは思っていたけど、私はこの自宅のルポをつづけるカタワラ別名の方では純文学の作家になっていたのだ。してみるとこの「自宅で出来るルポ」というのは純文学のモトではないかということで、それが本書のタイトルとして鎮座している。」(『純文学の素』「あとがき」より)

 だいたいにして、「純文学かそうでないものか」というのは、読み手にとっては馬鹿バカしい区別です。尾辻克彦が書いたものなのか、赤瀬川原平が書いたものなのか、ええい、どっちでもいいじゃん、ってのと同じように。

 ただ、世の中、どっちでもよくない人がいるのも事実です。

「当面は文芸誌に書くときは、「尾辻」にして、美術方面とか、雑文的なものは「赤瀬川」でと思ってやっていたんだけど……。いま、王国社をやっている山岸久夫さんがね、(引用者中略)「赤瀬川さんの連載したものを尾辻で出したい」というの。物は何だったか……、「でも、これは赤瀬川の名前で書いていたんだから……」と答えたんだけど、出版社としては、とにかく書店で有利な方を使いたいわけですよ。「読者にとって、赤瀬川も尾辻も関係ない。いまは尾辻のほうを書店はいい場所に置くんですよ」といわれてね。乱暴な話だけど、でも小さな出版社にとっては、「赤瀬川」か「尾辻」かは死活問題なんだと思ってね。そこで、もうぼくは諦めたの。」(前掲『全面自供!』「8 肩の力を抜いて小説家」より)

 ある小説を純文学とするか、エンタメ(大衆文学)とするか。という区分には、結局、上で引用したようなハナシが土壌にありそうだな、ある部分では、と思わされます。要は、どんなラベルを貼れば儲かる人が多いのか、って観点です。……いや、全部が全部、そうではないにしても。

 『純文学の素』と付いた原平さんの文章も、いやあ、面白いおもしろい。ワタクシにとっては、こういうのは断然エンターテイメント領域です。でも、何だ、これが「純文学」と分類されるのなら、純文学もいいもんだな、と思わされますよ。

 ええ、芥川賞が与えられた「父が消えた」より、何十倍も好きです。

 たとえば、同書に収められた中では、総理主催の懇談会に招かれたときのことを綴った「昼下りの総理官邸」とか。

「受付でくれた「昭和五十五年度芸術文化に活躍された人びととの懇親のつどい 招待者名簿」によると、文芸関係、美術関係、演劇関係とはじまって、邦楽関係から国民娯楽関係、生活文化関係、文化振興関係とかいうふうに、一口ではわからない関係もたくさんあって、中をめくってみると茶道から華道から煎茶道まであって、長唄、常盤津、清元、義太夫、小唄、新内と、いやはや、これはもう大変である。こういうのが全部活躍していたのである。だけどたとえば、イラストレーターというのが一人もいないのに驚いた。総理大臣の見るところ、昭和五十五年度はイラストレーターというのはぜんぜん活躍しなかったらしい。「デザイン」の項目は亀倉雄策ほか一人。「漫画・劇画」は十人くらい並んでいるけど、それもみんな亀倉雄策みたいな人だ。いやそのほかも演劇関係、文芸関係、評論関係、並んでいるのはだいたいみんな亀倉雄策みたいな人だ。」(『純文学の素』「昼下りの総理官邸」より)

 長文の引用で、ごめんなさい。最後のたたみかけ方が好きだったもので。

 普通に考えればわかるように、「純文学とそうでないもの」ていう分類は、常に揺れ動いている類いのものです。数十年前にはとうてい純文学と認められなかったものが、今ではそっちに入れ込まれている、なんてことは、当然あるでしょう。

 そのうえですよ。直木賞とか芥川賞とか、そういう曖昧な概念を対象にした文学賞ともなれば、こっちはこっちで、別の力学もからんだりして、まあ、揺れ動きぶりはもっと甚だしい。

 「芥川賞は純文学を対象にしてる、直木賞は大衆文学を対象にしてる。」……ていう文章そのものが、もう矛盾だらけなんですよね。

 そうなると、尾辻さんの小説「元木」に出てくる、純文学作家〈元木太介〉君みたいな人。ずーっと巨人軍=芥川賞に憧れてせっせと励んでいたら、そのうち、球団はそのままで親会社が変わって、巨人軍=直木賞、とかになっていた。なんて日がくるんでしょうか。

 うーん。このたとえも、あんま、うまくないな。

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