直木賞とは……たとえるのが難しいなあ。プロ野球でいえば、芥川賞は巨人軍にたとえると、ちょうどいいのだけど。――尾辻克彦「元木」
尾辻克彦「元木」(平成3年/1991年12月・講談社刊『出口』所収)
今日もまたまた、横に少しだけズレまして、「小説に描かれた芥川賞」のことです。
ええ。取り上げる小説「元木」そのものは、直木賞を標的にした直球じゃありません。ただまあ、作者が作者ですから。周辺には直木賞に関する王道ネタが転がっていますし
そういうことを含めて、今日の主役は尾辻克彦さんです。
……にしても、この短篇「元木」。タイトルがそっけないので、見過ごしてしまいがちなんですが。読んでみれば、芥川賞をはじめとする文学賞ってヤツを、手のひらの上でゴロゴロ転がして楽しんでいるさまが伝わってくるじゃありませんか。完全なる「文学賞小説」です。
雑誌初出時のタイトルは、「ドラフトの星」(『小説新潮』平成3年1月号)といいました。発売されたのは、前の年の暮れです。
ちょうど世間では、プロ野球のドラフトが終わった頃。この年、元木大介が念願の巨人軍からのドラフト指名を勝ち取ったことに対して、ああだのこうだの、言われていた時期でした。
「ドラフトの星」が掲載された『小説新潮』の同じ号から、ちょっと引いてみます。
「今年のプロ野球ドラフト会議も、悲喜こもごもの人間の姿を見ることになった。(引用者中略)8球団もの一位指名を受けながら、意中の球団以外に交渉権が渡り、現時点でプロ入りを拒否している大物投手、一年間浪人してまで、子供の頃からの夢であった巨人入りを果した者、また将来約束されているはずのエリートコースよりも、プロのマウンドに強く魅かれた東大生――他人はあれこれ勝手なことを言うだろうが、彼らの人生、ルールに反していない限り、悩み抜いた末の勇気ある決断を、暖かく見守ってあげたい。」(『小説新潮』平成3年/1991年1月号 福島敦子「福島敦子の取材手帳から(6) ドラフト制度に思うこと」より)
「元木大介(上宮高卒)が巨人入りした。私は元木が筋を通したとも、意地を貫いたとも思わない。元木はハワイでほぼ一年間トレーニングしたが、それが許される環境にあったということだろう。
率直にいえば親に金がなかったり、財界に顔の利く後見人などがいなかったら、普通の高校生には無理だろう。」(同号 近藤唯之「野球巷談 プロってのは仕事だろ?」より)
プロ野球に詳しくない人には、何のことだかサッパリですよね。
つまり、元木大介という高校生が、巨人入りを熱望していた。でも、前年のドラフトでは、別の球団(ダイエーホークス)が交渉権を獲得してしまったため、それを断って一年、浪人生活を送った。翌年、晴れて巨人が交渉権を獲得してくれて、夢をかなえることができた。……ていう出来事があったわけです。
尾辻さんの「ドラフトの星」改め「元木」は、この出来事に類する架空のハナシを、当事者の〈元木太介〉が語っている、という小説です。
小説上の〈元木〉が憧れているのは、巨人軍ではありません。芥川賞です。
「高校の三年も終りに近づき、いよいよドラフトになった。
優秀な作家が特定の文学賞や特定の出版社に集中しては、日本の純文学の振興がはばまれるというので、近年になって文学の世界にもドラフト制が採用されている。
方法はプロ野球のドラフト制と同じようなものだ。高卒、大卒、社会人の若い作家志望の中から、各出版社の文学賞が指名をして、重なった場合は抽選とする。
筆力の均衡をはかるには、たしかにこれはやむをえないことだな。
でも一方で、作家の方からすれば、自分の力で文学をやるのに、何故自分の好きな文学賞をもらえないのか、ということになる。
ぼくはもちろん、芥川賞にしか興味がない。
子供のころからずうっと憧れつづけてきたのだ。
芥川賞作家になって小説を書くのが夢だった。
だから当然、芥川賞以外の賞はもらわないと宣言した。」(「元木」より)
それ以降の展開は、ほぼ、実際の野球のドラフトでの流れと同じふうに描かれます。
つまり、〈元木〉君が実際に指名されたのは、〈ダイエー文学賞〉なのでした。〈元木〉君はどうしても芥川賞が欲しいので、これを断り、「ナマイキだ」「ワガママだ」とさんざん新聞に叩かれます。
……この小説では、プロ野球の球団名+文学賞、というのがいくつも登場してくるんですね。ダイエー文学賞、阪神文学賞、ロッテ文学賞……。
その中に、現実の文学賞の名前がまぜこぜになっているのが、またイイ味をかもし出しています。
「今回のドラフトでは小池さんが可哀相だった。大学文学で鳴らしたあの小池さんで、どの出版社も目をつけていた。
小池さんも逆指名をしていた。ぼくみたいに一本ではなく、小池さんの場合は芥川賞か、三島賞か、泉鏡花賞をといっていたのだけど、結果はロッテ文学賞になってしまった。」(同「元木」より)
ちなみに三島賞というのは、比較的新しい賞なのだそうで、何年か前、〈清原〉が指名された賞らしい。〈清原〉もまた、芥川賞をとりたがっていたが、やむなく三島賞ということになってしまった。しかし、いまでは〈清原〉は三島賞作家のスタートして、ベストセラーを連発しているという……。
小説「元木」では、プロ野球ドラフト制度と、純文学の世界とを、交差させてパロっているわけです。ここに大衆文学の賞は登場しません。
現実には、純文学の賞とエンタメ小説の賞なんて、境があるようでないも同然ですから、そこら辺もからめてパロってほしかったなあ。などと、パロディ作品に注文をつけるなんて無粋でしたね、すみません。
巨人軍=芥川賞。っていう見立ては、今となっては、すでに誰かがやってそうな構図だな、と思えるぐらい、たしかにバチッとはまります。
昭和20年代~昭和50年代ごろまでは、多くの人の目がそこに集中していて、「頂点」であり「憧れのマト」であったりしたものが、今や無惨に落ちぶれた(いや、他のものとの違いがなくなってきた)とか。マスコミは、そこにばかり群れたがる(これも近年、瓦解しつつありますが)とか。
「むかし深沢七郎さんが川端賞を断わった。深沢さんは谷崎賞をもらうために川端賞を断わったのだけど、別にワガママだとはいわれなかった。ぼくが芥川賞を逆指名してダイエー文学賞を断わったのと同じことなのに、ぼくの場合はワガママだといわれる。相手が芥川賞だからだな。
いまの世の中にはアンチ芥川賞の人がかなりいる。何故か知識人といわれる人に多い。とくにむかし左翼だった人。」(同「元木」より)
あるいは、両者が拠って立つ「プロ野球」と「純文学」の、人気の衰えぶり、ってことでも、重ね合わせることに不自然さを感じません。
ただ、ここで厄介なことがあります。芥川賞には、直木賞っていう、薄気味悪い弟分が、べっちょり背中に貼りついているんですよね。
芥川賞が巨人軍、三島賞が西武、とするなら、直木賞は何なんでしょうか。
二軍? プロ野球解説者? あるいはサッカーのチーム? ……どれも、うまいたとえとは、言えそうにありません。
厄介だ。ああ、厄介だ。直木賞が属するはずの世界は、芥川賞のそれとは、確実に違う、かと思わせておいて実は同じ。でも、多くのひとにとっては、そんなもの区別がつかないし、つけようとも思っていないから、芥川賞は多くの人の目にはっきり映るが、直木賞は、何となくぼんやりと、その付近にある感じ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)





最近のコメント