直木賞とは……本も売れるし有名にもなるし。そんな幸せ、ほかにないじゃないですか。――北森鴻「約束」
北森鴻「約束」(平成15年/2003年4月・講談社刊『桜宵』所収)
(←左書影は平成18年/2006年4月・講談社/講談社文庫)
いくら悼む気持ちがあるとはいえ、ですよ。直木賞のことばっかひねくり回すブログが、追悼のエントリーを書くなんて、しゃらくさいわけです。
一度でいいから、北森鴻さんには直木賞候補になってほしかった。などという、一読者としての思いも、こんな穢れたブログで書くべきではないでしょう。
なので、作家の方の文章を引用するにとどめておきます。
「彼の作品は本当はもっともっと高く評価されるべきものだ。
作家の中にもファンが多く、作家同士集まると、そういう話になることも多かった。「鮎川哲也賞出身の作家で、最初に直木賞を取るのは北森さんだろう」という予想を、何人もの人からわたしは聞いている。もちろんわたしも同意見だった。
時がくれば、本来受けるべき評価を受け、もっとたくさんの読者に読まれることになる。わたしもそう信じていた。」(『問題小説』平成22年/2010年3月号「追悼 北森鴻」 近藤史恵「戦友の逝去に」より)
「ベストワンはと問われれば、躊躇なく、『蜻蛉始末』(文春文庫)を挙げる。それほど広く読まれている作品ではないが、非常に優れた時代小説で、読み終えた時、夜中にもかかわらず、すぐに電話して絶賛したのをよく覚えている。きっとこの作品で、何か大きな賞を受け、新たな階段を上るだろうと確信していたのだが、直木賞の候補にもならなかったのは、予選の担当者の怠慢だとしか考えられない。今でも残念に思っている。」(ウェブサイト「酔鴻思考」内「追悼・北森鴻」 愛川晶「北森鴻さんを偲んで」より)
北森さんの作品には、何人かの小説家が登場します。そして、文学賞もいくつか出てきます。
うちのブログができる精一杯のことは、それらを取り上げて、あくまで作品のうえから、北森鴻と直木賞との関係について思いを馳せるぐらいです。
直木賞。……それっぽいものが出てくる北森作品といえば、これでしょう。「約束」。ビアバー《香菜里屋》シリーズの一篇です。
舞台は《香菜里屋》ではなくて、花巻の小料理屋《千石》。ここで10年ぶりに再会する一組の男女がいます。その男のほう、名前は土方洋一と言いまして、デビューわずか1年ほどでマスコミにもバンバン顔が出るほどの人気作家なのだそうです。
「土方が文壇に登場したのは確か一年ほど前ではなかったか。古風とも思える文体で綴られた、これまた古風としかいいようのない恋愛小説が、ある文学賞を受賞したのである。(引用者中略)それだけではない。続くデビュー二作目の作品がこれまた評判になり、エンターテイメント小説に与えられる最高峰といわれる賞を、あっさりと受賞してしまった。その作品の映画化が決定し、日本を代表する女優が主演することになったという制作発表記事を、スポーツ新聞紙面に見たのが数ヵ月ほど前のことだ。」(『桜宵』所収「約束」より)
なんとなく、胸にずしりと響きますよね。新人作家がわずかな間に有名になれたのは、「古風としかいいようのない恋愛小説」から出発したからなのだよ、けっしてミステリー小説でデビューしたからではないんだぜ、というところなど。
そして、この「エンターテイメント小説に与えられる最高峰といわれる賞」は、さらに我ら直木賞マニアの胸を射てくれます。というのも、この賞が単なる物語の飾りではなくて、作品の展開に大きな関わりをもってくるからなんです。
以下、ネタバレあり。
物語は、一組の男女がそれぞれ、過去10年間をどのように歩んできたのかを綴ります。
男、土方洋一は、苦労につぐ苦労の連続だった。少し生活が安定しかかるとすぐさま不運に見舞われてきた。
いっぽう、女、香坂有希江はといえば、順調に結婚し、夫婦で個人事務所を切り盛りし、途中、小さな危機はあったものの、幸福に暮らしてきた。
その有希江が、土方に対して殺意を抱くわけなんですが。その理由ってのがですね、「土方が不幸を背負えば背負うほど、自分には幸福が訪れるのだ」という考え方にとりつかれたから、だっつうわけです。
「東京に戻ってきた当初は、仕事も家庭も順調そのものでした。でもあの日以来、そうです、あなたが文学賞を受賞して以来、わたしの周りで少しずつ歯車が狂い始めたのです。(引用者中略)
あなたは次の作品も大ヒットし、たびたびマスコミにも登場するようになりました。それにつれて、わたしの周囲はますますおかしくなっていったのです。」(同「約束」より)
怖いですね。なにが怖いといって、文学賞をとったり、そのうえにある「最高峰」ふうの賞をとったりすることで、本が売れて顔がどどーっと知られることが「幸福」の表われなのだ、って価値観に縛られた人間が、そこにいるところなんです。
いやいや、しかも、ワタクシたち読者だって彼女を笑うことなどできません。たった二作品目で「直木賞」っぽいものをとって、映画化されて、一気に表舞台におどり出た人のことを、「幸せの絶頂にいる」と、つい思ってしまいがちな自分がいるから。
「これ以上あなたを幸せにしておくことはできません。お願いだから、どうかお願いだからこれ以上幸せにならないで。けれどあなたは今や時の寵児です。わたしだって広告の世界に長く携わっている人間の一人ですもの。寵児と呼ばれる人々は時代そのものを味方につけてしまう。容易に凋落することなどあり得ないことを……」(同「約束」より)
文学賞とか、映画化とか、時代の寵児とか、まあ、同業の小説家からすれば、嫉妬もするでしょう。羨ましいな、幸せそうだな、と思うものでしょう。
有希江は、自分が作家ではないにしろ、広告業界にいるって設定なので、まあそういう俗事が小説家にとっての幸せでもある、と確信するのは無理ないかな、と思わされます。
では、作家生活など知りもしないし、そんな世界にゆかりもない読者は、どうなのか。やっぱり「直木賞作家って幸せだよな、うらやましい」と思うものなのか、どうか。
もちろん「直木賞とは、それが最も成功した証しであろうし、幸せなことに決まっていらあ」と感じる人はいるでしょうけど。北森さんは、土方洋一の最後の言葉として、こんなセリフを吐かせています。
「僕は……僕はただ君に会いたかった。君に堂々と会える人間になりたかった。本当なら二人にはもっと違う人生が待っていたはずなのにと、ちょっとだけ苦い酒を飲みたかったんだ。それなのにどうして君は」(同「約束」より)
過去を振り返るのは「苦い」。でも、たとえ文学賞とったり本が売れたりしても、また、つらいことが待っている、とな。……ううむ。味わい深い。
○
たとえば、公募型の文学賞をとったぐらいでは、まだまだ有名作家とはいえぬ、その次の「直木賞」級の文学賞をとってこそ、俗な意味で、幸せな作家といえるのかもしれない。……そんな構図は、ほかのいくつかの北森作品の背景をなしていたりします。
たとえば、奇作『メビウス・レター』(平成10年/1998年1月・講談社刊)。主人公のひとり、阿坂龍一郎は作家です。
最後まで読むと、阿坂はほんとは世間から身を隠していたい存在だったとわかるのですが、なのに、なぜか阿坂は自ら作家の道を選んでいます。
いちおう、終盤にはこんな説明が、登場人物の口からされるわけですが。
「たしかにあなたの生活は、まさに隠遁者そのものだった。小説家という一見華やかな職業だけど、必要さえなければ、だれとも逢わずにすむ毎日。(引用者中略)たとえ偏屈と言われても、あるいは覆面作家と言われたって、それはそれで許されるのが、作家という職業ですものね。」(『メビウス・レター』「第六章 見知らぬ過去」より)
万が一、阿坂が「直木賞」みたいな賞をとっていたら、とうていこの小説は成り立たないわけです。でも阿坂には、一年に書き下ろしを二本、月に連載を二本以内、という定期的な仕事があって経済基盤に問題がないことにしておきたい。
……というわけで、阿坂がとったことになっている文学賞は「日本幻想文学大賞」。この程度の(?)賞であれば、まあ、世間的な注目も浴びないだろう、というわけでしょう。さすが北森さん。わかっていらっしゃる。
それから「裏京都ミステリー」シリーズに出てくるミステリー作家、水森堅も、忘れがたい人物です。
この、あたかも作者自身を戯画化したかのような、オチャラけたミステリー作家にも受賞歴があります。「大日本バカミス作家協会賞」。
作中、水森堅はさんざん「マイナー作家、マイナー作家」と語られ、それがまたニヤりとさせられる表現でもあるわけですが、日本推理作家協会賞、じゃなくて大日本バカミス作家協会賞の受賞者であることと、マイナー作家であることは、完全に両立されています。
「(引用者注:清和堂大学では)今年の学祭ではどうしても現役のミステリー作家を招きたいと、強く要望していた。(引用者中略)
折原の元にその話が持ち込まれたのはひと月ほど前のことだった。その時点ですでに有名作家の起用は不可能。たとえ一カ月前の依頼でも二つ返事で引き受けそうな、マイナー作家の選択を余儀なくされた。
「しかも、よ。なにか賞を取った作家であることが望ましい。ついでにいえば、なるべく講演量の安い作家を、ときたもんだ」」(平成15年/2003年7月・光文社刊『支那そば館の謎』所収「不如意の人」より 引用は平成18年/2006年7月・光文社/光文社文庫より)
そこで登場するのが、水森堅という存在なのです。
「隆盛を誇るミステリー出版世界で、数少ない正統派マイナー作家道を突っ走る男である。第六回大日本バカミス作家協会賞の受賞者だが、賞そのものがマイナーの王道をゆく、存在すら知る人の少ないものであるから、当然ながら彼の存在理由はきわめて薄い。」(『支那そば館の謎』所収「支那そば館の謎」より)
裏京都ミステリーシリーズでは、「マイナー」であることに重要な意味を持たせ、マイナーに対する作者の愛情(もしくは情念もしくは自嘲)が籠もっていると思うわけですが。こと水森堅に関しては、マイナーであることが、ギャグのネタになっています。
もちろん、日本推理作家協会賞といえば立派な賞であって、マイナーどころかメジャー級かとは思います。ただし、世間一般的には、それをとろうがとるまいが、「有名作家」の一員に加えられることはない、っていう当たり前のことをギャグのモチーフにしてしまう。北森鴻の面目躍如たるところですよね。
ともなれば、当然、鮎川哲也賞受賞作家、なんて言っても、「無名作家」であることはわかり切ったことです。
「(引用者注:デビューした)翌年の二月、確定申告にゆくと税務署の人から「本当にこれだけですか」と四回も念を押されたことをつい思い出してしまう。
川崎西合同庁舎税務署員のあなた。百五十万円に満たない僕の白色申告について四回目の念を押した直後に、隣りの税務署員と小声で話していましたね。
「北森 鴻って作家を知っているか」
「いや知らない」
「そうか、じゃあ仕方がないか」
小声で話すときは、相手にわからないように話しましょうね。」(平成12年/2000年6月・光文社/カッパ・ノベルス『パンドラ’S ボックス』所収「錬金術師・1996」より)
ううむ。「二人にはもっと違う人生が待っていたはずなのにと、ちょっとだけ苦い酒を飲みたかっただけ」などと、甘いこと言っている場合じゃないみたいですよ土方洋一さん。作家として有名になるのは、やっぱり一つの「理想の幸せ」のかたちみたいですから。
○
さて。北森鴻さんが尊敬していた作家といえば、池波正太郎、隆慶一郎。それからおそらく山田風太郎あたりだったことでしょう。
「山田風太郎」の名前は、聞くたびに「直木賞なんて、何ほどのものでもない存在なんだな」と再認識させてくれる、かっこうの固有名詞です。
ねえ、北森さん。
「史実の《因》と《果》にあたるものがいかにスリリングで面白いか。最近の読者の感性が、鈍くなっているというよりはほぼ不感症に陥っているのではと、感じることが折に触れて、ある。(引用者中略)
これは、もっと壮大な嘘でもブチ上げて読者の目を強引にこちらに向けるしかないか、と、心に誓ったところで、すでにその道の偉大なる先駆者がいたことに気がついた。
山田風太郎。
やれやれ、あの巨人を凌ぐ作品を書かねばならないのかと思うと、憂鬱よりは絶望感に襲われそうになった。困ったことだ。」(『歴史読本』平成14年/2002年1月号 北森鴻「ずいひつ史楽百景 嘘と真実と」より)
あんな巨人を、直木賞はどうにも捕らえそこねったんですからね。「直木賞」という名前は有名でも、やつが実力者を見つける目は、完全ではありません。
まあ、それはそれとして。
先人の小説ってことになりますと、北森さんにはいくつか、先行作のオマージュ小説があります。
直木賞との関連にしぼりまして、ここでは3つばかり取り上げたいと思います。
まずは前述の「裏京都ミステリー」シリーズから。『ぶぶ漬け伝説の謎』(平成18年/2006年4月・光文社刊、平成21年/2009年8月・光文社/光文社文庫)収録の、その名も「興ざめた馬を見よ」です。
「ムンちゃん」こと、水森堅のことを、登場人物たちがウワサする場面。
「「相方の悪党、もといムンちゃんはどないしたん」
「お部屋で執筆中。ミステリーの神様が下りてきたんだって」
「ミステリーって、例の裏京都ミステリーズとかいう、あれかいな」
「幻の馬殺人事件。絶対に傑作になるって、鼻息荒くしていたわ」
「絶対に売れそうにないタイトルやね」
「わたしもそういったんだけどね。最初は《蒼ざめた駄馬を見よ》にするつもりだったそうよ」
「それって、五木寛之のパクリやんか。確か……海外にも同じタイトルの小説があったはずやけど」
「本人曰く、パロディもしくはオマージュなんだって」
「日本語は便利やなあ」」(『ぶぶ漬け伝説の謎』所収「興ざめた馬を見よ」より)
「蒼ざめた駄馬を見よ」なる作品名をなぜやめて、売れそうもないタイトルにしたのか。その理由はわかりませんけど、五木寛之の直木賞作を、たのしい会話のだしに使っておきながら、けっきょくこの小説全体の題を「興ざめた馬を見よ」と付けてしまう、という……。ここら辺りが、自虐ネタ大好きな北森さんの、ボケの上に一枚ボケをかぶせる素晴らしさでもありまして……。ワタクシは好きです。
で、その「鼻の下伸ばして春ムンムン」……じゃなかった「花の下にて春死なむ」そのものも、また、とある作家の、とある小説のオマージュなんだそうで。
『虚栄の肖像』(平成20年/2008年9月・文藝春秋刊)が出たときのインタビュー記事より。
「北森 陳腐な言い方になるかもしれませんが、やはり男と女の感情が一番のミステリーなんですよ。古い話になりますが、学生時代、僕はミステリーに絶望していた時期がありました。その時に連城三紀彦先生の『戻り川心中』を読んで、すごく感動したんです。僕が推理作家協会賞を受賞した「花の下にて春死なむ」は、『戻り川心中』のオマージュとして書きましたし、今回も当時の驚きと感動に、一歩でも近づきたいという思いを込めました。」(『文蔵2008.12』平成20年/2008年12月・PHP研究所/PHP文庫 「話題の著者に聞く 北森鴻 九割本当のことを書いて、残り一割で大きな嘘をつく」より)
なるほど、連城三紀彦さんの、あの辺りの作品がお好みでしたか。
となると、すぐさま思い浮かぶのが、泡坂妻夫さんの作品を絶賛していたあのエッセイですよね。
「連作を書くに当たって常に心がけているのは、単に登場人物を同一にして事件を発生させ、その解決に当たらせるというパターンに陥ってはならないということ。(引用者中略)一編一編に趣向を凝らすことを怠ってはならない。(引用者中略)
そんなときにいつも思い出すのが推薦作(引用者注:「椛山訪雪図」)を含む泡坂先生の短編集《煙の殺意》だ。連作ではないけれど、その粒の揃いかたは尋常ではない。パターンに陥ることなく、演出の限りない引き出しを見せつけられるかのような凄みさえ感じるのは、わたしだけではないはずだ。中でも好きなのが《椛山訪雪図》で、最近になって創元推理文庫より作品集が再刊されたときには、周囲に「ぜひ読むべし」と触れ回ったほどでありました。」(平成16年/2004年2月・文藝春秋刊『推理作家になりたくて マイベストミステリー第五巻 鍵』所収 北森鴻「短編というお仕事」より)
「戻り川心中」にしろ「椛山訪雪図」にしろ、ミステリーでありながら、直木賞領域の人たちにも「これは」と思わせる要素を持っている小説でしたよね。それでも、時の直木賞選考委員たち(第83回と第84回)にとっては、まだミステリー臭が強すぎたのか、あっさり見送られましたけど。ほんと、直木賞ってのは、何ほどのものでもありませんわ。
連城三紀彦や泡坂妻夫が歩いていった、ガッチガチミステリー作家->直木賞受賞への道を、北森鴻もなぞっていくのか。なぞと、つい邪推(あるいは期待)したくなったのでした。これらのインタビュー&エッセイを読んでみると……。
ああ。今さらそんなこと言っても無意味ですか。意味はなくても、くーッ、やっぱり書かずにはいられませんよ。
| 固定リンク
« 直木賞とは……そんなものを気にする人間が、俗物であることは、言うまでもない。なにせ芥川賞のことを語っただけで俗物なんだから。――富島健夫『青春の野望』 | トップページ | 直木賞とは……狙って書いたものはとれない。たとえ下品でも魂こめて書いたものが、とれるのさ。読む人が読めばわかるからな。――浅田次郎『プリズンホテル 春』 »
「小説に描かれた直木賞」カテゴリの記事
- 直木賞とは……候補作をろくに読まずに、のうのうと選考委員やってるようなやつらは、消えうせろ。――筒井康隆『大いなる助走』(2010.06.20)
- 直木賞とは……なにしろ全部一人でやって、しかも新しい仕事もあって。辞退されたときのことなんか、すっかり忘れちゃいましたよ。――永井龍男「文藝春秋の頃」(2010.06.13)
- 直木賞とは……有名人が候補になると、みんな、ギャーギャー文句言うけどね。いい作品を書けば、酒場のマダムだろうと人殺しだろうと、いいんじゃないの。――山口洋子「階段」(2010.06.06)
- 直木賞とは……こんなに一生懸命、「文学」のために選考してきたのに。落ち目になったら選考委員を解任させられちゃうのかよ。――小島政二郎「佐々木茂索」(2010.05.30)
- 直木賞とは……いつだって芥川賞といっしょ。芥川賞が受ける恩恵も祟りも、いっしょに受けざるを得ません。――小谷野敦「純文学の祭り」(2010.05.23)
コメント