直木賞とは……狙って書いたものはとれない。たとえ下品でも魂こめて書いたものが、とれるのさ。読む人が読めばわかるからな。――浅田次郎『プリズンホテル 春』
浅田次郎『プリズンホテル 春』(平成9年/1997年1月・徳間書店刊)
(←左書影は平成13年/2001年11月・集英社/集英社文庫『プリズンホテル4春』)
現代の直木賞の申し子、と言っていいでしょう。
じっさい、この方には、個人的に直木賞オタクとして、ものすごく期待しているのです。まかり間違えば直木賞のありようをぐいっと変えてくれるのではないか、と。
まず浅田次郎さんといえば、直木賞がほしくてしかたのない、という前半生を送ってきたことで有名です。いや、正確には「小説家になりたくてしかたのない」と言ったほうが、いいんでしょうか。
「トルーマン・カポーティや三島由紀夫の才気には羨望を禁じえなかったし、谷崎潤一郎の文学的洗練はしんそこ尊敬していたし、ジョルジュ・バタイユのデモーニッシュな空気には魅了された。ほかにも多くの作家から影響を受けたが、かくありたしと憧れる小説家のイメージは、今も昔も変わらず川端康成である。理由はただひとつ、川端は私が理想とする旅先作家の典型であった。」(平成19年/2007年10月・小学館刊『つばさよつばさ』所収「旅先作家」より)
エッセイを読んでも、あるいは各種文学賞の選評を読んでも、どうですか、この大仰な文章のこねくり回し方。何だか、宮城谷昌光さん以上に、「文学的」な表現を嬉しがって使っている思いが、ぷんぷん伝わってきますよね。
そんな小説家・浅田次郎の持ち味をぞんぶんに発揮した初期の名シリーズといえば、やはり『プリズンホテル』でしょう。まだまだ駆け出し作家、『蒼穹の昴』が出る以前の段階で、北上次郎さんもこんなふうに評価していました。
「浅田次郎はこれから大きく化けていく可能性を持った作家である。この作家がいったいどこに向かうのかは待望の新作がなんらかのヒントを与えてくれるだろう。だがそのこととは別に、この「プリズンホテル」シリーズは、おそらく初期の傑作として長く記憶にとどめられるだろう。」(『読売新聞』平成7年/1995年10月29日 北上次郎「現代稀な良質の人情小説 浅田次郎著「プリズンホテル冬」」より)
同感です。
さらに読み返してみますと、このシリーズにはすでに、直木賞オタクのワタクシを期待させるタネがじゅうぶん仕込まれていました。
ギャグ・おなみだ・斬った張った・親子愛、などなど通俗味たっぷりのなかに、たぶん意図的に、作者が仕込んだ企み。それは、主人公のひとり、作家・木戸孝之介の造形にあらわれています。
「萎えきった下半身とはうらはらに、心はむらむらと湧き滾った。ぼくは湯の中で静かに磨き上げた真珠を胸にしまうと、「ヨオッシ!」と気合を入れて立ち上がった。
「ハッハッ、何が〈仁義の黄昏〉だ! 何がベスト・セラーだ! 極道作家なんてのは世を忍ぶ仮の姿で、俺はいずれ芸術院会員になって、勘九郎と一緒に文化勲章をもらうのだ!」
ぼくは大声でそうひとりごちながら湯殿を飛び出すと、浴衣と丹前をきちんと着て、思いきり文化人らしく、長い髪をバサリとかき上げた。」(平成6年/1994年8月・徳間書店刊『プリズンホテル秋』「14」より ―引用は平成13年/2001年7月・集英社/集英社文庫『プリズンホテル2秋』)
つまりは、俗っけまるだし、ってところです。
ワタクシが浅田さんに期待する根本は、その一点にあります。凝った文学的表現だの、さまざまな小説を読んできた読書家だの、人を泣かせたり笑わせたりする力があるだの、そういうこともあるんですが、ともかく何より、どれだけ「賞」ごとき俗事に執着心があるか。生っちょろい言葉を使うと、「人間くささ」がある、とでも言うんでしょうか。
「勇気凛凛」シリーズを愛読していた方なら、そうそう、浅田次郎は人間くさい!とうなずいてくれますよね?
吉川英治文学新人賞の候補になったときには、「今回のノミネートは神様が一生に一度だけ下さったチャンスのような気がする」と胸のうちを明かしちゃう。それで、直木賞の候補になって落ちたときは、以前ご紹介したとおり、一篇まるごとそのショック状態を書いてしまったりして。
そして、とったらとったで、
「幼いころから夢に見続けてきた夜が今日であるということを、いまだに信じられない。よしんばその夢が少年の思いこみであったにせよ、私は小説家になりたかった。直木賞作家と呼ばれたかった。四十五年の人生のうちの少くも三十数年を、私はその夢のためだけに生きてきた。」(平成10年/1998年2月・講談社刊『勇気凛凛ルリの色 福音について』所収「栄光について」より ―引用は平成13年/2001年1月・講談社/講談社文庫)
いいですか。「小説家になりたかった」のあとに、シレッと「直木賞作家になりたかった」と続ける、この俗物性たるや(表現が悪くてすみません。ケナしているんじゃないですよ。それが浅田さんの魅力だと言いたいのです)。
その魅力が全篇にみなぎっているのが、シリーズ中でもトリをとる『プリズンホテル春』だと思うわけです。
「〈(引用者略)私も、単刀直入に申し上げましょう。実は、このたび先生の作品が第八十回日本文芸大賞にノミネートされました〉
「ハッハッハッ、そーか。そりゃよかったな。ハッハッ……ハァッ! なななななんだって!」
(引用者中略)
「あのな、日本文芸大賞といえば文壇の最高権威たるビッグ・タイトルだ。しかも人格識見ともに優れ、将来もっとも有望なる作家に対し――」
言いながらぼくはスッと気が遠くなって、美加に背中を支えられた。それはデビュー以来このかた、ぼくが寝ては夢、起きてはうつつ幻に見た、偉大なる文学賞だ。もし夢まぼろしでないのなら、ぼくはついにその候補に名をつらねた!」(『プリズンホテル春』「1」より)
この作品が書かれたのは、『週刊アサヒ芸能』平成7年/1995年11月23日号~平成8年/1996年7月4日号。『蒼穹の昴』によって、それこそ夢にまで見た直木賞の候補に選ばれる(第115回 平成8年/1996年・上半期)以前のことです。
当たり前ですが、作中の「日本文芸大賞」とは、直木賞っぽいけど直木賞ではない、読者を楽しませるために目一杯デフォルメされた存在ではあります。ただ、どうやら浅田さんは直木賞をとることと、ようやく小説家になれたって実感とを、ほぼイコールで結び付けられる考えの持ち主のようですので、読者としても、ある意味、日本文芸大賞を直木賞ふうに読まされてしまいます。
「ぼくは車内を振り返った。選考会の結果を仲オジのホテルで待とうというぼくの提案に、十人の編集者がゾロゾロついてきた。(引用者中略)
「(引用者注:本命の候補作の版元・大日本雄弁社、岡林いわく)彼らにしたって、返本の山を再出荷できるかどうかの瀬戸際なんですからね。日本文芸大賞作家と決まれば、極道作家の木戸先生も一躍文壇の寵児。再出荷どころかオビ付けかえて、大増刷まちがいなしなんですから」」(同書「9」より)
誇張なのか、そうでないのか、よくわからなくなるぐらい、日本文芸大賞ってのは売上げに跳ね返るんだと。直木賞そのものです。
それはそれとして。現実にはまだ直木賞とれるかとれないか、の舞台に立つ前だというのに、ほら、早くも浅田次郎さんの文学賞観が出てきてますよね。
文学賞、ほしくてほしくてしょうがない。ということの他に。「文学賞は、担当編集者のものである」って考え方が。
○
文学賞は編集者の名誉でもある。……この見方を、否定的にとらえずに真っ当に書き切るところが、浅田さんのさらなる魅力なのだと思います。
本作に描かれるところでは、木戸孝之介の候補作は2つあります。その一つを大出版社の恋愛小説『哀愁のカルボナーラ』にし、もう一つを、文学賞とは縁のない弱小出版社の極道小説『仁義の黄昏』に設定しているところに、浅田さんの狙いが見えてくるわけです。
以下は、木戸と、『仁義の黄昏』担当編集者、荻原みどりとの会話。
「「雄弁社に書いた〈哀愁のカルボナーラ〉はな、まがいものだ」
「え?――まがいもの、って」
「ニセモノだよ。俺は賞が欲しくってあれを書いた。過去の受賞作品の傾向を分析して、狙い書きをしたんだ。そんなもの、何の値打もないさ」
(引用者中略)
「俺自身の認める傑作はな――」
みどりはきつく目をつむった。耳も塞いでしまいたい気持ちだった。
「おまえが俺に書かせた、〈仁義の黄昏〉だ」
二人を乗せたベンチが、星空のきわみに浮き揚がって行くような気がした。
「あれは下品な小説だけれども、嘘がない。俺の魂そのものだ。読む人が読めば、その感動は〈カルボナーラ〉の比じゃない。立派に読者の世界観を変える」」(同書「22」より)
そして選考会当日。結果を知らせる電話を待つ人びと。木戸本人は風呂に入っていて不在。そこに受賞を知らせる電話がかかってくる……
そこで、弱小出版社の荻原みどりの視点です。
「歓声が背中に伝わった。よかった。きっと岡林さんの作った〈哀愁のカルボナーラ〉が、受賞したのだ。
カーテンにすがってがっくりと膝を落としたみどりの肩を、今井が握った。満面の微笑をたたえながら囁きかけられた言葉は、みどりにとってまさしく神の声だった。
「オギワラ、おめでとう。君がグランプリ・エディターだ」
拍手が湧き起こった。(引用者中略)
「みどり、おまえこそ、グランプリ・エディターだ!」
みどりは駆け出した。重い鋼鉄の扉を力いっぱい引き開け、長い廊下を一目散に走った。夢じゃない。これは、夢なんかじゃない。私の木戸先生が、丹青出版の〈仁義の黄昏〉が、日本文芸大賞を獲った!」(同書「29」より)
「グランプリ・エディター」なる用語が、一般的かどうかは、ワタクシは知りません。もしかして、文学賞界隈では、担当編集者のことをそう呼んでいたりして? どうなんでしょう。
それはともかく。浅田さんの直木賞受賞後のエッセイなどを読んでみても、ともかく編集者たちに対する気づかい、優しさがあふれていますよね。しかも重要なことに、大きな出版社だけでなく、規模の小さい「マイナー」な出版社に対して、その思いはそそがれています。
影の存在、目立った場で取り上げられることのない存在、そういう方面に、つい視線を向けてしまう浅田次郎という男。……そこにも、ワタクシが浅田さんに期待する面があります。だってねえ。「直木賞」なんてさ、大出版社だけが甘い蜜を吸うようにできているんでしょ、と思われがちですもんね。
『哀愁のカルボナーラ』ではなく、『仁義の黄昏』を受賞作に選んだ浅田次郎さんですもの。きっと、有名版元の単行本ばかりが候補に挙がる、直木賞やらその他類似賞の現状に、ふと疑問を感じ、そして、そうでない未来を模索してくれるのではなかろうかと。
2年前の吉川英治文学新人賞の選評では、こんなこともおっしゃっていましたし。
「今回の候補作のすべては、初出が雑誌等の連載である。わが国では最も一般的な発表の手順ではあるけれども、その過酷な執筆方法に唯一堪える作品が受賞作(引用者注:佐藤亜紀『ミノタウロス』)のみであったと考えることもできよう。作家を健全に育てるために、なかんずく小説の読者を奪還するためには、単行本を上梓する目的のみのこうした発表の手順を、再考する時機なのではあるまいかと思った。」(『小説現代』平成20年/2008年5月号「華麗なるデカダン」より)
真意は不明ですが。「もっと若い作家の作品を、書き下ろしでも出してやれ」ということかもしれないんですが。ワタクシなりに解釈すると、「単行本ばっかり文学賞で審査するんじゃなくて、雑誌に載るだけで本がなかなか出ない人のも、文学賞の場で議論したっていいんじゃないか」っていう提言だと読みたい。……ちょっと我田引水な強引な読みですけど。
まあ、他の選考委員が褒めない作品を、自分だけ受賞作に推しがちなんだよな、と自覚されている方ですから。その「マイナー」精神を、ぜひ直木賞の世界にも広げていってほしいな、と願うばかりです。
○
ってところで、今日は締めようと思いましたが、浅田次郎さん×文学賞、と来て、コレに触れずにはおられますまい。
笙野頼子さんをあきれさせた、直木賞受賞作家三人による、例の放談座談会のことです。
「座談会はというと、批判するのも恥ずかしい程なので純文学者が黙殺した、或いはあんまり「面白過ぎる」ので爆笑し困り果てたしろもの。いわく「いい小説って浪花節(だけではないとご説明いたしましょうか)」、「純文学の人ってすごくプライドが高い(誤解は解きましょう一度お目に掛かってますよね)」「外国に純文学、大衆文学という区分けはない(コマーシャルフィクションとリタラリーフィクションという単語があったりして)」。ちなみに、目次の抱腹座談会というリードは誰を笑うのか。「最近の芥川賞」、それとも直木賞の中では比較的新人というお三方の発言内容をか。が、それならば出席者にも失礼ではないか。」(平成11年/1999年11月・講談社刊『ドン・キホーテの「論争」』所収「三重県人が怒る時」より ―初出『群像』平成10年/1998年7月号)
ちなみに「浪花節」発言は出久根達郎、「プライド」発言は林真理子、「区分け」発言は浅田次郎、のお三方です。
「件の座談会を、普段(芥川賞・直木賞発表時以外)は通勤用連載小説だけが楽しみの、ピュアーな文春読者が素直に読んだ様を想像すると、実にため息がでる。
(引用者中略)出てきたのはただもう売上げとサル山的順位の件、そして冊数のお話等(ああ文学とは人類の精神的営為なのに)……辛うじて糸クズのような少量付着していた猿芝居的文学茶飲み話についても、純文学界ではあまりの事に、失笑困惑うんざりしてしまって、ついにまともに対応出来ませんでした。実際、そのレベルはむしろ直木賞侮辱企画。直木賞系の大家が怒らないのも不思議。」(同書所収「サルにも判るか芥川賞」より ―初出『文學界』平成10年/1998年10月号)
ええと、笙野さんの真の標的は、この三人のおしゃべり、というより、それを引用して『読売新聞』に「だから今の純文学は駄目なんだ」ふうの記事を書いた(書き続けた)、読売新聞記者、鵜飼哲夫さんですので、このエントリーではそこには触れません。気になる方は『ドン・キホーテの「論争」』を読んでください。
で、この座談会なんですけど、文春本誌で行ったアンケート結果を見ながら、三人がああだこうだしゃべっています。そもそも、このアンケート結果は「もっとも印象に残った芥川賞作品」として、文春読者8122票から得られたものなんですから、こんなものを元に、作品の優劣を語れるわけがありません。三人も、自分の思い出のみを語ればいいものを。大衆小説と純文学、みたいなとこに分け入っていくから、始末に負えないんだよなあ。……いや、そこが面白いんだよなあ。
「林 純文学系の人は、すべての文学年表や文学史にちゃんと載るわけですよ。でも私、エンターテインメントだというだけで全部排除されちゃうのよ。
浅田 どうしても議題はそっちへ行っちゃうねえ(笑)。
林 いやいや、だから芥川賞の方が直木賞より上だと思っている人がそれだけ多いっていうこと。
浅田 今や直木賞の方が上だと思いたい。」(平成14年/2002年2月・朝日新聞社刊『待つ女 浅田次郎読本』所収「直木賞作家、芥川賞を語る」より ―初出『文藝春秋』平成10年/1998年3月号)
林真理子さん、それを被害妄想と言わずして何という。……まあ、だいたいこの座談会読んで、最も思い込み激しいなあ、と思わされるのが真理子ねえさんだっつう。さすが、ご自分の役割をわきまえている、オトナな女性です。
ええと、真理子ねえさんの文壇におけるトッピな言動・発言集、なんて挙げだしたら、何冊も本ができそうなので、これまた割愛。問題は浅田さんです。
ああ、ここはひとつ「いや、上も下もないでしょう」ぐらいのツッコみは入れてほしかったなあ。まあ、文学ジャンルがどうのというより、文学賞に「上下」の概念を持ち出す浅田さんだからなあ、それはそれで、人間くさくて、いいですか。
そんな浅田さんは、直木賞の選考委員に決まったとき、こういうエッセイを書きました。
「思いもかけず、直木賞選考委員を拝命した。会う人はことごとく、「おめでとうございます」と言うのだけれど、実はいまだにこのことが、吉事であるのかはたまた凶事であるのか、よくわからない。」(『オール讀物』平成19年/2007年8月号「腹を切る所存」より)
すごいな。会う人ことごとく、ですってよ。いったい何が、おめでたいのだか。外野のワタクシにはさっぱりわかりません。
浅田さんは、そのあとで、ちゃんとこうも言ってくれています。
「さようあれこれ考えれば、「おめでとうございます」の言葉も、心なしか「ご愁傷様です」と聞こえる。
そういえばたしか幕末のころ、閣議紛糾の末に思い余って江戸城中で腹を切った老中だか若年寄だかがいたと記憶する。」(同「腹を切る所存」より)
このエッセイは、たしかに、浅田さんお得意の「たとえバナシで読ませる」術で成り立っています。「腹を切る所存」なんていうエッセイ題からして、要は、たとえですし。それはそうなんですが、そんなたとえバナシのうまさで読み手を納得させる以上のものが籠もっている、とワタクシは心より信じます。信じたい。
たとえば。「直木賞っぽい受賞作」だとか、そういう我々の頭にしみついたイメージをぶちこわすような選考を、ぜひ期待したいと思うわけです。
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コメント
吉川英治文学新人賞の選評に関してですが、私は、
『作品をじっくりと練って紡いで何度も推敲し、作者にとってもこれこそがと思える状態で、
大衆に発表できるようにするべきじゃないか』と、
浅田先生は仰ってるのだと思いました。
だからこそ佐藤氏以外の作品は、雑誌連載という過酷な執筆方法に作者が耐えられず、
それが為に質が落ちたのだと言ってるのかなって思います。
また「作家を健全に育てるために」という言葉が引っかかるのですが、
裏返してみれば健全ではない作家、つまりは連載する為に、一冊の本にして売る為に、
半端なままのものを濫造している作家が多いのではないかと、
浅田先生は危惧されているのかも知れません。
「小説新潮」2007年12月号 特集「作家になる道」の対談でも仰っているのですが、
『近頃の新人作家は「小説なんか書いちゃいました。そしたら売れちゃいました」って感じの人が多いでしょう。
一途な作家志望の文学青年だったとしては「俺の人生は何なんだ」と思う。』
というように、最近の新人作家の姿勢やその質に危機感を覚えておられているように思えます。
だからこそ過去の直木賞では、伊坂幸多郎氏の作品だけではなく、
伊坂氏自身をも酷評したのではないかと……。
投稿: TK | 2010年3月29日 (月) 14時37分
TK さん
ありがとうございます。
浅田さんは、作家になるまでの下積みの長かった方ですものね。
そういった自身の経験から、
連載→本、のくりかえしだけじゃなく、
その前にさまざまなかたちで(編集者からの批評を浴びながら作品を仕立て上げていく経験とか)
修業を積んでいく方法も、もっと復活させたほうがいい、
と思われているのかもしれませんね。
投稿: P.L.B. | 2010年3月29日 (月) 22時39分
でえ嫌いだ。こんな奴、ありきたりの発想を、ただ並べただけの代物を作品なんて言いたくないわ!それが日本のペンクラブ会長だつてさ笑
投稿: 坂口健三 | 2015年11月24日 (火) 18時14分