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2010年2月 7日 (日)

直木賞とは……すでに読者がいっぱいいて、賞の名誉に関心のない作家には、どうでもいいんです。辞退だってします。――赤川次郎『授賞式に間に合えば』

100207赤川次郎『授賞式に間に合えば』(平成11年/1999年7月・桃園書房/桃園新書)

(←左書影は平成14年/2002年4月・光文社/光文社文庫

 ワタクシ、西村京太郎モノはけっこう読みました。でも、この方のはあまり体験がありません。なので、ワタクシにとっての「赤川次郎」とは、伝説的ベストセラー作家ではなく、直木賞候補作家としての印象のほうが強いのです。

 と、すみません。異常な告白から始めてしまいました。

 赤川さんの候補作『上役のいない月曜日』(に収録された3篇)は、彼の数多すぎる作品群のなかではサラリーマンもの短篇、の部類に属します。選評で触れたのは、同類の小説を書いていた大先輩・源氏鶏太さんただひとり。

「三作のうち、「徒歩十五分」がいちばんよかったのだが、何としても軽過ぎた。」(『オール讀物』昭和55年/1980年10月号 第83回直木賞選評「感想」より)

 「随行さん」だの「英語屋さん」だの軽いサラリーマンもので売り出したあんたにだけは、言われたくないわい! って感じですか。

 まあ、赤川さんがそんなハシタない悪態をついたかは不明です。たぶん、赤川さんは「賞とかそういうことに、何の関心もない。ただ誠実に自分なりの作品を書くのみ」と考える、まっとうな(?)人らしいですからね。大して気にしなかったかもしれません。

〈Q42〉もし小説家にならなかったら、なにになりたかったですか?

 ふつうにサラリーマンになっていたんじゃないでしょうか。あまり大きな志は抱かないんです、ぼくの場合。(笑)」(平成2年/1990年7月・学習研究社刊『三毛猫ホームズと仲間たち 新・赤川次郎読本』所収「ここが知りたいQ&A 赤川次郎が50の質問に答える」より)

 ただ、そんな無欲な人でも、世のなかには「文学賞」ってものが厳然として存在してる現実からは逃れられません。まわりを見渡せば、いくらでも文学賞にからんだ話が落ちています。その辺をチョコチョコッとストーリーに組み込んで、物語に仕立てあげたのが『授賞式に間に合えば』。初出は『小説CLUB』平成11年/1999年1月号~7月号だそうです。

 ここには、「直木賞」そのものは出てきません。

 描かれるのは、第65回目を迎える「日本文豪大賞」なる賞のことです。さすがに直木賞中毒のワタクシも、これのモデルが「直木賞」だ、などと叫ぶことにはためらいがあります。あるんですけども。

 ……日本文豪大賞は、出版社のK出版が幹事役です。でも、どうやら主催は、とある「財団」らしい。ちなみに、故人に授賞した前例はありません。

 65回の受賞者は、作家デビュー35年、58歳の竜ヶ崎肇。彼は、デビュー以来一度も「賞」と名のつくものはもらったことがありません。しかし、彼の熱烈なファンのうちには、横谷ルリ子という名の14歳の女子もいる、ってことが描かれています。

 日本文豪大賞は、作家に与えられる賞らしいですが、受賞作品があります。竜ヶ崎の場合は『のびる影』という小説です。

 どんな作家を対象に、どんな基準で選ばれるのかはわかりません。少しだけ、その辺りをうかがわせる場面は出てきますが。たとえば、竜ヶ崎の若き後妻・由美が、かつての勤め先K出版の編集者・手塚に、こんなふうに質問しています。

「「あなたが根回しして下さったんじゃないんですか?」

 手塚は少しの間、当惑したように由美を見ていたが、

「〈文豪大賞〉のことですか」

「もちろん。――あの人はずっと賞と無縁の人だったわ。本人も、もう諦めてたと思うのね。それが今度の受賞で……。本当に喜んでるわ。口には出さないけど、分るの」

「奥さん。――我々が選考委員へ働きかけるなんてことはできませんよ」

 と、手塚は首を振った。「確かに、候補作にこれを入れたら、というような話はできます。でも、それだけです。選考委員なんて、ひねくれた人が多いですからね。こっちが下手に口出ししたら、却って落とされてしまいますよ」

「そうかしら」

「ええ。竜ヶ崎先生の作品の中で、『のびる影』は一番の傑作とは言えないかもしれませんが、充分水準は高いし、それに三十五年間、頑張って来られた実績があります」」(『授賞式に間に合えば』「6 炎上」より)

 そうだ、この「三十五年」というフレーズが、竜ヶ崎肇を語るときに、何度も何度も何度も、出てきましてね。まあ、それが竜ヶ崎がどうしても授賞式に出たいと思う理由のひとつとして、効果を出しているわけですけど。

 でもです。これほど、三十五、三十五、と言われると、つい「日本文豪大賞」が直木三十五賞に見えてきちゃうもんです。だって、こちとら直木賞オタクだもん、しかたないじゃーん。

          ○

 なにせ「日本文豪大賞」の賞金は、100万円だっていうし。

「今日のために、二百万近くする着物を買った。〈日本文豪大賞〉は、名称が大仰な割には賞金が百万円なので、もう由美の着物代だけで、大幅赤字である。」(『授賞式に間に合えば』「2 電話」より)

 文学賞の賞金の相場は、その対象とする作家群に応じて、だいたい同じなんです。とくに財団が主催し、そのオーナー出版社が幹事役を務めるような賞は。

 直木三十五賞・芥川龍之介賞・山本周五郎賞・三島由紀夫賞・吉川英治文学新人賞・野間文芸新人賞は、100万円

 柴田錬三郎賞は、300万円

 吉川英治文学賞・野間文芸賞は、300万円

 これが、財団ってかたちじゃなく、出版社や新聞社が主催する文学賞になると、また違う料金体系になるっぽいです。読売文学賞200万円、谷崎潤一郎賞・中央公論文芸賞ともに100万円などなど。

 ちなみに、赤川さん自身がのちに受けることになる、財団&出版社体制の賞、日本ミステリー文学大賞は、300万円なんだそうで。

 まあ、「日本文豪大賞」は、そういったもろもろの文学賞を組み合わせた、架空のものです。そんなこたあ、わかってます。ただ、赤川次郎さんが作家生活を歩んできて、「直木賞」がどうだこうだ、と周囲がうるさいほどに騒ぐのを受け止めてきたのは、たぶん事実です。

100207

 直木賞候補になって、ほんの数年後に書かれたエッセイ集『ぼくのミステリ作法』(昭和58年/1983年7月・早川書房刊、左書影と下記引用の原本は昭和61年/1986年2月・角川書店/角川文庫)より。

「腹が立つのは、返事を自分の方で用意しておいて、

「こう思うでしょう」

 と押しつけて来るインタビュアー。

 ある電話でのインタビューで、

「今年の目標は直木賞ですね」

 と言われたので、

「賞なんて、取ろうと思って取れるもんじゃないから、ただ書きたいものを書くだけです」

 と返事したら、向うは困ったようで、

「でも、やっぱり取れれば取りたいでしょう」

「断りゃしませんけどね」

 そのやりとりが、活字になったのを見たら、

「今年は直木賞を狙います」

 なんてなっていた。短いコメントの類は、あまりあてにならないという好例です。」(『ぼくのミステリ作法』「悪女の条件」より)

 まったく、一度候補になると(ならなくても?)周囲は、ほんと無責任に、作家と直木賞を結びつけようとするもんでして。それが高じると、直木賞のことだけブログを書くトンデモない奴になっちまうわけでして。えへへへへ。

 同書では、もう一か所「直木賞」に触れられたところがあります。

「芥川賞受賞の重兼芳子さん、直木賞受賞の藤沢周平さん、と来て突如、直木賞落選の赤川次郎さんとなると、何となくズッコケます。

 これは先日、さる出版社の系列の小説講座でのゲスト講師の顔ぶれであります。」(『ぼくのミステリ作法』「人間が先か、ミステリーが先か」より)

 直木賞のことを完全に無視するのではなく、さらっとギャグのネタにする辺り、赤川次郎さんっぽいなあと言っちゃっていいでしょうか。

          ○

 だいたい、昭和55年/1980年の段階で赤川さんが直木賞候補になったことが、外から見れば違和感ありありの現象なんでした。

 仮にですよ。彼が、文春の雑誌出身でなかったら。また、デビュー4年にして『週刊文春』に連載を持ったりできる境遇でなかったら。……そのまま、量産体制に突入していって、まったく直木賞と接することないままだった、のじゃないかと推測します。

100207_2

 赤川作品の良き理解者、郷原宏さんの解釈に耳を傾けますと、こういうことです。

「昭和五十年代のミステリー・シーンに忽然と登場した赤川次郎は、以後、矢つぎばやに話題作を発表し、それからわずか数年のうちに「ポスト清張」の時代を代表するベストセラー作家になり、名実ともに「赤川次郎の時代」を築き上げる。(引用者中略)その初期の十年間を便宜的に三期に分けて「時代」成立の意味を考えることができる。

(引用者中略)

 第二期は、昭和五十四年(一九七九)から五十七年(八二)にかけての約四年間である。この時期の赤川次郎は、もはや押しも押されもしないベストセラー作家で、にわかに執筆量が増える。たとえば、五十四年の一年間だけで、長短合わせて実に五十四編の作品が発表され、五十五年の一年間だけで、実に十八冊もの単行本が刊行されている。(引用者中略)

 この時期の特徴は、ショートショートが新たにレパートリーに加わったことと、『上役のいない月曜日』『サラリーマンよ悪意を抱け』などに代表されるサラリーマン物に秀作が多いことである。」(平成13年/2001年1月・三笠書房/王様文庫 郷原宏・著『赤川次郎公式ガイドブック』所収「第V部 「赤川次郎」時代――その成立と展開」より)

 で、昭和59年/1984年には早くも、長者番付の作家部門トップ、っていう、直木賞なぞお呼びでない領域にまで達してしまいます。

 流行作家に、直木賞が権威の身をまとってお墨付きを与える(←何サマだ?)、っていう路線が、1980年代のこの時期、確立していたならば、もしかしてあと一、二回ぐらいは、赤川さんが直木賞候補になったかもしれませんけど。

「デビューして数年しかたたない、三十代の若い作家が長者番付のトップに立ったのは、日本ミステリー史上、前代未聞のことである。」(同「「赤川次郎」時代」より)

 そっから13年連続トップだっつうんですから、「日本出版史」の上だって前代未聞かもしれませんぞ。

 もちろん、赤川次郎の小説は、ノベルスが多いし、会話文ばっかだし、読んだら即刻ブックオフ行きの軽い印象だし、そんなもの文学賞にゃなりゃしないんだ、って面もあります。ただ、直木賞にかぎって言えば、そこの関門を通らずして一気に読書界に広まったんですから、直木賞よおまえの出る幕はなくなったぞ、って見方もあるわけです。

 そして『授賞式に間に合えば』のエンディング。

「――竜ヶ崎が、無実の罪に問われていた人間を助け、手術前の少女を励ましていたために授賞式に間に合わなかった、という事情が明らかになると、受賞を取り消した方が批判を浴び、改めて〈日本文豪大賞〉を贈ると決めたが、竜ヶ崎は辞退した。

 今の竜ヶ崎にとっては、それはどうでもいいことだった。――ルリ子のような読者を持っていることが何よりの誇りである。

(引用者中略)

「作家にとっては、いい読者以上の宝はない。」」(『授賞式に間に合えば』「エピローグ」より)

 ということで、竜ヶ崎肇は、この賞を辞退しちゃっています。

 「日本文豪大賞」に、うっすらとでも直木賞の影を見てしまった者にとりましては。なかなか、ニヤリとする幕切れです。

 直木賞にはいろんな側面があると思います。たとえば、「まだ発表舞台の少ない新人作家に、将来的にいろいろと仕事を増やすチャンスを与える」一面もあれば、「実績のある中堅・ベテラン作家に、一種の誇りを与える」一面もあるでしょう。

 前者の必要性がもはやなくなった作家にとっては、後者の比重のほうが重くなるのは、想像がつきます。

 そして、後者の価値すら、もはやどうでもいい人にとっては。……直木賞なんて、無用の長物です。

 たぶん、赤川次郎さんは、昭和55年/1980年までをギリギリの期限として、それ以降、直木賞とは縁がない人でした。ワタクシは少しエッセイなどをつまみ食いしただけですが、まず「文学賞による誇り」などに執着しない方っぽいですし。

 「直木賞と縁のない」ことこそが、赤川次郎さんを象徴的に表している。

 ……と、ここでは思い切って見立てておきましょう。作風や物語の軽さ、ってこととは、またちょっと違った意味において。

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コメント

主催社側の完全な言い訳。
大衆文学の作品に「軽すぎる」という批判はあてはまらない。
では「重ければ」受賞するのか?
「重い」というのはどういう作品になるのか?
全く基準が不明確である。
この賞で一番問題になることは文芸春秋が他社の書籍の内容を審査して受賞か否かを判断すること。
主催社>参加する会社と一般に誤解されることである。

投稿: 廃止論 | 2010年2月10日 (水) 22時05分

廃止論さん、ご意見ありがとうございます。

「大衆文学の作品に「軽すぎる」という批判はあてはまらない。」

たしかに。軽いのだって、全然直木賞を受賞したっていいと思います、ワタクシも。

ところで「主催社側の完全な言い訳。」と指摘されてるのがどの部分を指すのか、
すみません、もうちょっと詳しく教えていただけたら有り難いです。

ワタクシの文章力のなさゆえに、何か誤解なさってるのだとしたら
申し訳なくて……。

投稿: P.L.B. | 2010年2月10日 (水) 23時44分

軽過ぎたという批評はちょっと曖昧だなと思いました。
源氏鶏太さんが好きなので、なおさらどこら辺がどう軽く思ったのか気になりました。

投稿: i | 2013年4月 2日 (火) 05時30分

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